『折口信夫全集 第二巻 古代研究(民俗學篇1)』 (中公文庫)

「「合理」は竟に知識の遊びである。」
「合理といふ語が、此頃、好ましい用語例を持つて來た樣に思ひます。私は、理窟に合せる、と言ふ若干の不自然を、根本的に持つた語として使つて居る。此にも、今後も其意味のほか、用ゐない考へである。」

(折口信夫 「神道の史的價値」 より)


『折口信夫全集 第二巻 
古代研究(民俗學篇1)』

編纂: 折口博士記念古代研究所 
中公文庫 Z1-2

中央公論社 昭和50年10月10日初版/昭和62年10月30日4版
493p あとがき2p 目次5p 献辞1p 口絵6p
文庫判 並装 カバー
定価680円
表紙・扉: 白井晟一
カバー: 司修
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「「古代研究」民俗學篇第一は、昭和四年四月十日、麻布本村町大岡山書店から刊行された。」

本文中、「髯籠の話」に図1点、「だいがくの研究」に図2点、「翁の發生」に図版(モノクロ)1点、「花の話」に図版(モノクロ)3点。


目次:

口絵
 邊土名のろ
 國頭村邊戸の神人
 久高島久高のろ
 同右
 摩文仁のろ
 八重山大阿母
 だいがく
 あかたび 
 ひらたび
 めたび
 丘のたぶ
 たぶと椿との社

古代研究(民俗學篇1)
 妣が國へ・常世へ(異郷意識の起伏)
 古代生活の研究(常世の國)
  一 生活の古典
  二 ふる年の夢・新年の夢
  三 夜牀の穢れ
  四 蚤の淨土
  五 祖先の來る夜
  六 根の國・底の國
  七 樂土自ら昇天すること
  八 まれびとのおとづれ
  九 常世の國
  一〇 とこよの意識
  一一 死の島
 琉球の宗教
  一 はしがき
  二 遙拜所――おとほし
  三 靈魂
  四 樂土
  五 神々
  六 神地
  七 神祭りの處と靈代と
  八 色々の巫女
  九 祖先の扱ひ方の問題
  一〇 神と人との間
 水の女 
  一 古代詞章の上の用語例の問題
  二 みぬまと言ふ語
  三 出雲びとのみぬは
  四 筑紫の水沼氏
  五 丹生と壬生部
  六 比治山がひぬま山であること
  七 禊ぎを助ける神女
  八 とりあげの神女
  九 兄媛・弟媛 
  一〇 ふじはらを名とする聖職
  一一 天の羽衣
  一二 たなばたつめ傍線
  一三 筬もつ女
  一四 たなと言ふ語
  一五 夏の祭り
 若水の話
 貴種誕生と産湯の信仰と
 最古日本の女性生活の根柢
  一 萬葉びと――琉球人
  二 君主――巫女
  三 女軍
  四 結婚――女の名
  五 女の家
 神道の史的價値
 高御座
 鷄鳴と神樂と
 髯籠の話
 幣束から旗さし物へ
 まといの話
  一 のぼりといふもの
  二 まといの意義
  三 まといばれん
 だいがくの研究
 盆踊りと祭屋臺と
  一 盂蘭盆と魂祭りと
  二 標山
  三 祭禮の練りもの
  四 だいがくひげこ
  五 田樂と盆踊りと
  六 精靈の誘致
 盆踊りの話
  信太妻の話
 愛護若
  鸚鵡小町
 餓鬼阿彌蘇生譚
  一 餓鬼
  二 ぬさと米と
  三 餓鬼つき
 小栗外傳(餓鬼阿彌蘇生譚の二)
  一 餓鬼身を解脱すること
  二 魂の行きふり
  三 土車
 翁の發生
  一 おきなと翁舞ひと
  二 祭りに臨む老體
  三 沖繩の翁
  四 尉と姥
  五 山びと
  六 山づと
  七 山姥
  八 山のことほぎ
  九 山伏し
  一〇 翁の語り
  一一 ある言ひ立て
  一二 春のまれびと
  一三 雪の鬼
  一四 菩薩練道
  一五 翁の宣命
  一六 松ばやし
  一七 もどきの所作
  一八 翁のもどき
  一九 もどき猿樂狂言
 ほうとする話(祭りの發生 その一)
 村々の祭り(祭りの發生 その二)
  一 今宮の自慢話
  二 夏祓へから生れた祭り
  三 まつりの語原
  四 夏祭り
  五 秋祭りと新嘗祭りと
  六 海の神・山の神
  七 神嘗祭り
  八 冬祭り・春祭り
 山のことぶれ
  一 山を訪れる人々
  二 常世神迎へ
 花の話

あとがき (折口博士記念古代研究所)




◆本書より◆


「妣が國へ・常世へ」より:

「われわれの祖(オヤ)たちが、まだ、靑雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。而も、とんぼう髷を頂に据ゑた祖父(ヂゞ)・曾祖父(ヒヂゞ)の代まで、萌えては朽ち、絶えては蘖えして、思へば、長い年月を、民族の心の波の畦(ウネ)りに連れて、起伏して來た感情である。開化の光りは、わたつみの胸を、一擧にあさましい干潟とした。」
「心身共に、あらゆる制約で縛られて居る人間の、せめて一歩でも寛ぎたい、一あがきのゆとりでも開きたい、と言ふ解脱に對する惝怳が、藝術の動機の一つだとすれば、異國・異郷に焦るゝ心持ちと似すぎる程に似て居る。」
「十年前、熊野に旅して、光り充つ眞晝の海に突き出た大王个崎の盡端に立つた時、遙かな波路の果に、わが魂のふるさとのある樣な氣がしてならなかつた。此をはかない詩人氣どりの感傷と卑下する氣には、今以てなれない。此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懷郷心(のすたるぢい)の、間歇遺傳(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか。」
「飛鳥・藤原の萬葉(マンネフ)びとの心に、まづ具體的になつたのは、佛道よりも陰陽五行説である。幻術者(マボロシ)の信仰である。常世と、長壽と結びついたのは、實は此頃である。記・紀・萬葉に、老人・長壽・永久性など言ふ意義分化を見せて居るのも、やはり、其物語の固定が、此間にあつたことを示すのである。浦島ノ子も、雄略朝などのつがもない昔人でなく、實はやはり、初期萬葉びとの空想が、此迄にあつたわたつみの國の物語に、はなやかな衣を著せたのであらう。「春の日の霞める時に、澄ノ江ノ岸に出で居て、釣り舟のとをらふ見れば」と言ふ、語部の口うつしの樣な、のどかな韻律を持つたあの歌が纏り、民謠として行はれ始めたものと思ふ。燃ゆる火を袋に裹(ツゝ)む幻術者(マボロシ)どものしひ語りには、不老・不死の國土の夢語りが、必、主な題目になつて居たであらう。」



「水の女」より:

「私は古代皇妃の出自が、水界に在つて、水神の女である事、竝びに、其聖職が、天子即位甦生を意味する禊ぎの奉仕にあつた事を中心として、此長論を完了しようとしてゐるのである。」


「若水の話」より:

「ほうっとする程長い白濱の先は、また目も届かぬ海が搖れてゐる。其波の靑色の末が、自(オノ)づと伸(ノ)し上る樣になつて、頭の上まで擴がつて來てゐる空だ。其が又ふり顧(カヘ)ると、地平をくぎる山の外線の、立ち塞つてゐる處まで續いてゐる。四顧俯仰して目に入るものは、此だけである。日が照る程風の吹くほど、寂しい天地であつた。さうした無聊な目を睜らせる物は、忘れた時分にひよつくりと、波と空との間から生れて來る――誇張なしに――鳥と紛れさうな刳(ク)り舟の姿である。遠目には磯の岩かと思はれる家の屋根が、ひとかたまりづゝ、ぽっつりと置き忘れられてゐる。琉球の島々には、行つても行つても、こんな島ばかりが多かつた。
我々の血の本筋になつた先祖は、多分かうした島の生活を經て來たものと思はれる。だから、此國土の上の生活が始つても、まだ萬葉びとまでは、生の空虚を叫ばなかつた。「つれづれ」「さうざうしさ」其が全内容になつてゐた、祖先の生活であつたのだ。こんなのが、人間の一生だと思ひつめて疑はなかつた。又さうした考へで、ちよつと見當の立たない程長い國家以前の、先祖の邑落の生活が續けられて來たのには、大きに謂はれがある。去年も今年も、又來年も、恐らくは死ぬる日まで繰り返される生活が、此だと考へ出した日には、たまるまい。
郵便船さへ月に一度來ぬ勝ちであり、島の木精がまだ一度も、巡査のさあべるの音を口まねた樣な事のない處、巫女(ノロ)や郷巫(ツカサ)などが依然、女君(ヂヨクン)の權力を持つてゐる離(ハナレ)島では、どうかすればまだ、さうした古代が遺つてゐる。稀には、那覇の都にゐた爲、生き詮(カヒ)なさを知つて、靑い顔して戻つて來る若者なども、波と空と沙原との故郷に、寢返りを打つて居ると、いつか屈托など言ふ贅澤な語は、けろりと忘れてしまふ。我々の祖先の村住ひも、正に其とほりであつた。村には歴史がなかつた。過去を考へぬ人たちが、來年・再來年を豫想した筈はない。」

「ある種の動物にはすでると言ふ生れ方がある。蛇や鳥の樣に、死んだ樣な靜止を續けた物の中から、又新しい生命の強い活動が始まる事である。生れ出た後を見ると、卵があり、殻がある。だから、かうした生れ方を、母胎から出る「生れる」と區別して、琉球語ではすでると言うたのである。」
すでるは母胎を經ない誕生であつたのだ。或は死からの誕生(復活)とも言へるであらう。又は、ある容れ物からの出現とも言はれよう。」
すでると言ふ語には、前提としてある期間の休息を伴うてゐる。植物で言ふと枯死の冬の後、春の枝葉がさし、花が咲いて、皆去年より太く、大きく、豐かにさへなつて來る。此週期的の死は、更に大きな生の爲にあつた。」
「古代信仰では死は穢れではなかつた。死は死でなく、生の爲の靜止期間であつた。」



「最古日本の女性生活の根柢」より:

「外族の村どうしの結婚の末、始終圓滿に行かず、何人か子を産んで後、つひに出されて戻つた妻もあつた。さうなると、子は父の手に殘り、母は異郷にある訣である。子から見れば、さうした母の居る外族の村は、言はう樣なく懷しかつたであらう。夢の樣な憧れをよせた國の俤は、だんだん空想せられて行つた。結婚法が變つた世になつても、此空想だけは殘つて居て「妣(ハゝ)が國」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。」


「盆踊りの話」より:

「盆の祭り(中略)は、世間では、死んだ聖靈を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死靈・生魂に區別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。即、生魂・死靈の區別なく取扱うて、魂の入れ替へをしたのであつた。」


「村々の祭り」より:

「春祭りに來るまれびとは神と考へられもするが、目に見えぬ靈の樣にも考へられてゐる。祖先の靈と考へるのもあり、唯の老人夫婦だとおもうてゐるのもある。又多く鬼・天狗と考へ、怪物とも考へてゐる。春祭りの行事に鬼の出る事の多いのは、此爲であるが、後世流に解釋して、追儺の鬼同樣に逐ふ作法を加へるやうになつたが、實は鬼自身が守り主なのである。田樂に鬼・天狗の交渉のあるのも、此爲である。」





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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