『澁澤龍彦全集 1』

「私の不幸をつくったのは、私の考え方では毛頭なく、むしろ他人の考え方というべきだろう」
(マルキ・ド・サド)


『澁澤龍彦全集 1』
[エピクロスの肋骨]/サド復活/補遺 1954~59年

編集委員: 巖谷國士/種村季弘/出口裕弘/松山俊太郎

河出書房新社 1993年5月10日初版第1刷印刷/同20日発行
498p 口絵
20.6×15.6cm 丸背布装上製本 貼函
定価5,800円(本体5,631円)
装幀: 菊地信義

月報1(16p):
インタヴュー「幼少年期のこと」澁澤節子(著者の母) 聞き手: 出口裕弘/図版(モノクロ)6点



初期小説(1955~59年発表)集『エピクロスの肋骨』は著者没後の1988年5月、福武書店より単行本として刊行された。
評論集『サド復活――自由と反抗思想の先駆者』は1959年9月、弘文堂より「現代芸術論叢書」の第五冊目として刊行された。


澁澤龍彦全集1-1


帯文:

「編年体による初の完全版全集ついに刊行!!
未発表・未収録作品をはじめ日記、対談・座談にいたる全作品を収録」

「巻末に編集委員による詳細な解題を収録」



帯裏:

「埴谷雄高 全集刊行に寄せて 文学の本道
 あまりの博識の上にその文学的営為を打ちたてたので、澁澤龍彦の仕事は、これまで異端の文学といわれてきたけれども、人間の心の不思議な奥のここかしこに鮮烈な光をあてた澁澤龍彦の仕事の全貌がいまここに明らかになると、これこそ文学の本道にほかならぬと深く納得されるであろう。そして、この完全な全集の読者のなかからこそ、新しい質を携えた広く深い文学者が、来世紀に出現してくれるであろうことをひたすら期待する。」



「編集方針」(巖谷國士)より:

「本全集全二十二巻は、これまでに発表された澁澤龍彦の全作品(翻訳をのぞく)を集成するものである。他に別巻を設けて資料そのほかを補い、この著述家の全貌を明らかにしようとする。」
「生前に刊行された単行本(中略)については、原則としてこれをほぼ初版の刊行順に配列し、各巻にふりわけて収録する。
 それらの単行本におさめられた個別のテクストのうち、同一の本文が他の単行本にも再録されているものについては、初出の単行本の項にのみこれを収録する。のちに同題名をもつ単行本の新しい版本(新版、文庫版など)に増補されたものについては、その単行本の項にこれをあわせ収録する。また、いわゆる作品とみなしがたいもの(参考資料、初出一覧、索引など)は、原則としてこれを省く。対談の筆記録は別巻に移して収録する。 共著あるいは編著の体裁をとっている単行本については、原則としてその標題を他のものとおなじく目次にかかげ、澁澤龍彦の執筆部分のみを収録する。
 著書の体裁をとっていながら、翻訳あるいは引用がその内容の大半を占めているため、実際には編訳者とみなされるべきもの(『サド侯爵の手紙』『澁澤龍彦コレクション』など)については、その標題を単行本あつかいで目次にかかげることはせず、訳註をのぞく澁澤龍彦自身の執筆部分のみを、各巻後半の補遺の項に収録する。」
「これまでいかなる単行本にも収録されていなかったテクスト(中略)については、原則としてこれをすべてとりあげ、それぞれの初出年次に応じて配分しつつ、各巻の「補遺」の項におさめる。」
「単行本に挿入されていた図版については、かならずしもそのすべてを掲載することはしない。それぞれの著述内容に応じて、可能なかぎり多くのものをとりあげ、図版解説やキャプションを併録する。」



澁澤龍彦全集1-2


目次:

口絵 1955年(27歳)頃 鎌倉小町の自宅にて

[エピクロスの肋骨]
 撲滅の賦
 エピクロスの肋骨
 錬金術的コント

サド復活
  I
 暗黒のユーモア あるいは文学的テロル
 暴力と表現 あるいは自由の塔
 権力意志と悪 あるいは倫理の夜
 薔薇の帝国 あるいはユートピア
 母性憎悪 あるいは思想の牢獄
  II
 サド復活――デッサン・ビオグラフィック
 文明否定から新しき神話へ――詩とフロイディズム
 非合理の表現――映画と悪
 あとがき(初版)
 あとがき(新装版)

補遺 1954―59年
 ジャン・コクトオ『大胯びらき』 あとがき
 マルキ・ド・サドについて(『恋の駈引』解説)
 文章家コクトー――『大胯びらき』をひいて
 ジャン・コクトーのアカデミー・フランセーズ入会演説 抜萃
 『ジュスチイヌ』についての覚書(彰考書院版『マルキ・ド・サド選集』第一巻あとがき)
 デカダンス再生の“毒”――サドの現代性
 『世界風流文学全集』第五巻 解説
 サド (『世界大百科事典』)
 彰考書院版『マルキ・ド・サド選集』第三巻 訳者ノート
 汚辱と栄光(彰考書院版『マルキ・ド・サド選集』第三巻 あとがき)
 アンリ・トロワイヤ『共同墓地』あとがき
 ペトリュス・ボレル『解剖学者ドン・ベサリウス』解説
 エロチシズムの本質的構造(ロベール・デスノス『エロチシズム』解説)
 ジャン・フェリイ『支那の占星学者』『サド侯爵』解説
 ジャン・コクトー(「作家と作品」)
 サド復活について
 多田智満子さんの詩
 『不敵な男』(映画評)
 吉行淳之介『男と女の子』(書評)
 ジャン・コクトー『オイディプース王』(『コクトー戯曲全集』第一巻 解説)
 若さの反抗
 悪徳革命論――『現代不作法読本』および『不道徳教育講座』をめぐって
 作家は悪を引受ける
 マルキ・ド・サド略歴
 ポオ(「古典案内」)
 異端者の美学
 ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』(書評)
 フランス暗黒小説の系譜(『世界恐怖小説全集』第九巻 解説)
 ジャン・ジュネ(「作家と作品」)
 『サド復活』(「わが著書を語る」)
 藤井経三郎詩集『襟裳岬』序
 マルキ・ド・サド『悪徳の栄え(続)』あとがき

編集方針 (『澁澤龍彦全集』編集委員会)
解題 (出口裕弘・巖谷國士)



澁澤龍彦全集1-3



◆本書より◆


「暗黒のユーモア あるいは文学的テロル」より:

「サドの書簡集を一読して先ずわれわれが心底ふかく打たれるものは、この幽囚の文人が最初の数箇月、絶望の危機を過ぎて後、次第に己れの運命について毅然たる確信を抱いてゆく過程である。」
「「傲慢で、気短かで、怒りっぽく、何事につけ極端で、想像力の放埓、不品行ぶりにかけては肩を並べる者もなく、また狂信的なまでの無神論者である。つまり、これが私という人間だ。もう一度言っておこう、私を殺すか、しからずんば、あるがままの私を受け容れてもらいたい。私は永久に変りはしないだろうから」――これは一七八三年十一月、ヴァンセンヌから妻宛てに送られた手紙の末尾の一節であるが、このほかにも、この鬱勃たる囚人の火のような信仰宣言を随所に挿入した手紙は、なお二十通余りも数えることが出来る。
 「私の考え方は私の熟慮の結果なのだ。それは私の生存、私の体質と切っても切れない関係にある。私が勝手に変えたりするわけには行かないものなのだ。かりに変えられるとしても、変えようとは思うまい。諸君が非難するこの考え方こそ、私の人生の唯一の慰めなのだ。それこそ私の獄中の苦悩のすべてを和らげ、私の地上の快楽のすべてを構成するものであって、人生よりもっと私が執着しているものだ。私の不幸をつくったのは、私の考え方では毛頭なく、むしろ他人の考え方というべきだろう」(一七八三年十一月)」



「権力意志と悪 あるいは倫理の夜」より:

「今日では私たちは、おのがじし自己の行為の帳尻を合わすことにのみ気をとられ、理性の法則から一歩も外れまいと、汲々として努めている。文明がこれを要求するのだから仕方がない。この法則から外れた者は、いわば文明の生存競争の敗退者となって滅び去る。文明の生存競争は力による自然の生存競争の逆である。(中略)世界中にはびこっているヤクザ者やギャングだって、文明が要求する法則の不適格者という見地に立てば、明らかに過剰な力ゆえの弱者なのであって、労働やスポーツその他健全娯楽(おお、虫酸の走るような言葉だ)によって吸収されない余剰のエネルギーが彼らを暴力行為に駆り立てるのは、それ自体何のふしぎもない。だから、彼らをおしなべて精神薄弱者と見る社会心理学者の意見には私は断乎として反対である。精神薄弱はむしろ文明の側にある。」


「薔薇の帝国 あるいはユートピア」より:

「よしんば囚人サドが世間に受け容れられなかったとしても、サド自身受け容れられることを少しも望んでいなかったのだから、この間の事情は簡単というほかない。暗い独房のなかで、自分を虜囚の身とした明るい世界に復讐するために、サドが選んだ唯一の武器は――さよう、あらゆる道徳的価値と感覚的規範の転覆であった。」




























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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