『澁澤龍彦全集 10』

「私が最も心を打たれるのは、氏が自意識の最後の力をふりしぼって、自分に対して圧倒的に襲いかかってくる苦痛や病気を、客観視しようとしているということである。肉体が刻々と破壊されて行く危機のさなかで、氏の精神はユーモアを忘れず、ユーモアを武器として、この忌わしい破壊に抵抗しようとしたということである。」
(澁澤龍彦 「杉田總『龍神淵の少年』序」 より)


『澁澤龍彦全集 10』
澁澤龍彦集成第VII巻/妖人奇人館/暗黒のメルヘン/黄金時代/補遺 1971年

編集委員: 巖谷國士/種村季弘/出口裕弘/松山俊太郎

河出書房新社 1994年3月1日初版第1刷印刷/同12日発行
575p 口絵
20.6×15.6cm 丸背布装上製本 貼函
定価5,800円(本体5,631円)
装幀: 菊地信義

月報10(16p):
インタヴュー「欧州旅行のこと」堀内路子(友人) 聞き手: 巖谷國士/図版(モノクロ)5点



『澁澤龍彦集成第VII巻』は1970年9月、桃源社刊。全集本巻には単行本『サド復活』『神聖受胎』『ホモ・エロティクス』に既出ものを除く59篇を収録。
人物エッセイ集『妖人奇人館』は1971年5月、桃源社刊。
澁澤龍彦編日本幻想小説アンソロジー『暗黒のメルヘン』は1971年、立風書房刊。本巻には「編集後記」のみを収める。
エッセイ集『黄金時代』は1971年7月、薔薇十字社刊。全17篇のうち、『澁澤龍彦集成』に既出の15篇を除く2篇と「あとがき」を収める。


目次:

口絵 1971年9月23日(43歳) イラク、クテシフォンにて

澁澤龍彦集成第VII巻
 ユートピアと千年王国の逆説
 バビロンの架空園――失われし庭を求めて
 もう一つの世紀末
 万博を嫌悪する あるいは「遠人愛」のすすめ
 ミューゼアム・オブ・カタクリズム
 ヨーロッパのデカダンス
 幻想文学について
 幻想動物学
 メタモルフォーシス考
 詩人における女のイメージ――アンドレ・ブルトン
 『黒いユーモア選集』について――アンドレ・ブルトン
 黒いユーモア――シュルレアリスムと文学
 ジュネについての覚えがき
 フランス怪奇小説の系譜
 地震と病気――谷崎文学の本質
 タルホ星頌
 卵形の夢――瀧口修造私論
 輪廻と転生のロマン――『春の雪』および『奔馬』について
 三島由紀夫『音楽』解説
 サドと三島文学
 セバスティアン・コンプレックスについて――三島戯曲の底にあるもの
 野坂昭如『エロ事師たち』解説
 種村季弘について
 乱歩文学の本質――玩具愛好とユートピア
 『久生十蘭全集』第二巻の解説
 スタイリスト・十蘭
 夢野久作の不思議
 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』解説
 橘外男『青白き裸女群像・他』解説
 『マダム・エドワルダ』 ジョルジュ・バタイユ著
 『有罪者』 ジョルジュ・バタイユ著
 『ブリキの太鼓』 ギュンター・グラス著
 『四運動の理論』 フーリエ著
 『ネロ』 ジェラール・ヴァルテル著
 『象徴主義と世紀末芸術』 H・H・ホーフシュテッター著
 『少年愛の美学』 稲垣足穂著
 『僕のユリーカ』『東京遁走曲』 稲垣足穂著
 『ヒコーキ野郎たち』 稲垣足穂著
 『夢野久作全集』第一巻
 『骨餓身峠死人葛』 野坂昭如著
 『ルネサンスの女たち』 塩野七生著
 『魔女と科学者』 平田寛編
 『昼顔』 あるいは黒眼鏡の効用について
 『バーバレラ』 あるいは未来像の逆説
 現代の寓話――パゾリーニ『テオレマ』を見て
 ナチスをめぐる相反感情(アンビヴァレンツ)
 愛の形而上学と死刑――大島渚『絞死刑』論
 もう一つの文学史
 土着の「薔薇」を探る――『血と薔薇』批判に答えて
 西洋人名の表記について
 詩を殺すということ
 私の一九六九年
 情死とニルヴァーナ原則
 もう一つの意見
 女性、この批判し得ぬもの
 乳房、たまゆらの幻影
 エロティシズムと女性のプロポーションについて
 ハート(心臓)の話
 噴水綺談
 あとがき

妖人奇人館
 地獄の火クラブの主宰者
 女装した外交官
 殺し屋ダンディ
 ラスプーチンとその娘
 切り裂きジャックの正体
 ノストラダムスの予言
 錬金術師カリオストロ
 哲学者と魔女
 放浪の医者パラケルスス
 不死の人サン・ジェルマン伯
 人肉嗜食魔たち
 古代石器殺人事件
 倒錯の性
 あとがき(新装版)
 あとがき(文庫版)

暗黒のメルヘン
 編集後記

黄金時代
 時間の死滅について
 ジョルジュ・バタイユ――比喩としての畸形
 あとがき(初版)
 あとがき(新版)
 あとがき(文庫版)

補遺 一九七一年
 杉田總『龍神淵の少年』序
 ヘラクレスの睾丸――幻想庭園散歩 1
 太古の植物――幻想庭園散歩 4
 貝殻について――幻想庭園散歩 6
 ピエール・ド・マンディアルグ『大理石』あとがき
 ピエール・ド・マンディアルグ『ボマルツォの怪物』あとがき
 散歩みち
 イクヤ歌留多のために(推薦文)
 酒井潔『悪魔学大全』解説
 郁乎との神話的な交遊
 ぼんやり、ぶらぶら、やがて寝る
 狂王とノイシュヴァンシュタインの城
 ゴヤと魔女の世界
 よいお酒とよい葉巻さえあれば

解題 (巖谷國士・種村季弘)




◆本書より◆


「詩人における女のイメージ」より:

「アメリカの心理学者ノーマン・ブラウンによれば、人間の文化や芸術活動のひそかな目的は、「失われた幼児の肉体を少しずつ発見して行くこと」(『エロスとタナトス』)だそうである。このような幼児崇拝、原始回帰の願望は、同時にブルトンの芸術理念の、もっとも奥深いところにある永遠の憧憬だったにちがいない。」


「卵形の夢」より:

「一九三〇年から数えて現在にいたるまで、ほぼ四十年間にわたる文筆活動を、断続的とは言いながら続けてきた瀧口修造氏には、周知のように、その著書の数が驚くほど少ないのである。ひょっとして、氏より二十五年(つまり四半世紀)も若い私の方が、その書きつぶした原稿用紙の量において、はるかに勝っているのではなかろうか、と思うたびに、私は言いようのない慚愧の念でいっぱいになる。文学の世界において、――いや、文学とは言うまい、――人間の生の絶対的な側面において、精励恪勤の美徳なんぞという代物が、三文の値打ちもないということは私といえども承知しているつもりだからである。
 多産な作家、などという言い方が、もし世間に讃辞として通用しているのだとすれば、じつに悲しい滑稽な讃辞と言わねばならぬ。間違っているのは世間の方なのである。何はさて、このことは銘記しておく必要がある。」



「種村季弘について」より:

「……こう書いてきて、私は何だか妙な気持になってきた。共通の傾向というか趣好というか、(中略)評論を書く上で、私と種村季弘との好んで採用する方法論が、あまりにもよく似すぎているように思われるためである。」
「ディレッタントと呼ぶ者は呼ぶがよい。ただ、本を読まずに文章を書こうという怠け者の思想を、私たちが採用しない方針だというだけの話である。」


「殺し屋ダンディ」より:

「法廷は静まりかえり、傍聴人たちは茫然自失してしまった。この極悪人の、社会と道徳に対する最後の挑戦に、すべての者が気をのまれ、声もあげられないのだった。ラスネールは落着きはらった、皮肉な、勝ち誇った調子で最後まで続けた。「わたしは人類を憎悪し、すべての同時代人に嫌悪をおぼえます」とも言った。「社会に対する復讐を、片時も忘れたことはありません」とも言った。」
「この『回想録』のなかには、まことに意味ふかい言葉の断片が発見される。「ああ、もしわたしが両親に愛されていたら!」とか、「子供は、愛されることより以上に望みをもたないものだ」とかの言葉がそれだ。この極悪人の心には、人一倍、愛を求める気持が激しかったのだろうと推測される。」



「古代石器殺人事件」より:

「コリン・ウィルソンは、さらにつづけて、次のように言っている、「この二十世紀の犯罪との対比を求めるならば、私たちは、それよりずっと前の時代の魔術や、自分を吸血鬼あるいは狼男と思いこんだ男や女の犯罪にまで遡らなければならない。(中略)私たちの時代においては、中世紀の場合と同じように、多くの犯罪は社会に対する反逆の表現なのである」と。」
「私たちが興味をもたざるを得ないのは、理由のない殺人、哲学的な殺人、そして美学的な殺人だろう。いずれも何らかの意味で、ウィルソンの言うように、社会に対する最も根源的な反逆かもしれない。」



「倒錯の性」より:

「私は、とくに私の関心をひく、ひとりの変ったネクロフィル(屍体愛好者)の例をお話したいと思う。」
「アルディッソンは新聞で「ミュイの吸血鬼」と呼ばれ、ピエルフウの精神病院に監禁された。墓あばきの常習犯であったが、すこぶるおとなしい男で、医者の質問にもよく答えたので、医者たちも彼には好感をもっていたらしい。
 三歳の幼女から六十歳の老婆までの女の屍体を発掘し、しばしば屍体を家まで運んできたが、直接的にも間接的にも、これに性的な凌辱を加えたことは一度もなかった。十三歳の少女のミイラ化した首を、彼は非常に大事にしていて、これを自分の「許嫁」と呼び、十字架だとか、天使の像だとか、ミサの本だとか、蝋燭だとかいった奇妙な収集品のなかに加えて保存していたのである。
 警官に発見されたとき、彼の家の納屋の藁の上には、いちばん最近家に連れてきた三歳の幼児の屍体が、半ば腐りかけて置いてあったが、その頭には、古い帽子がかぶせてあったという。ちょっと、ほほえましいような話ではないだろうか。」
「ところで、おもしろいのは、たった一度だけ、彼が掘り出した屍体を、また棄ててしまったことがあった。その屍体には、脚が一本しかなかったからである。少女のふくらはぎが、彼にはいちばん魅力だったのだ。(中略)夢のなかで、ふくらはぎの美しい少女が自分のまわりを飛びまわっている幻想を、しばしば彼は見たという。
 たしかにアルディッソンは知能が低く、字も満足に書けないような男だったが、一日中、熱心にジュール・ヴェルヌの冒険小説を読んだり、クラシック音楽に耳を傾けていたりしたというから、また一風変った趣味の男だったわけである。納屋のなかで、少女の屍体を相手に、彼はいろんなことを話しかけていた。
 犯罪史上に名高いネクロフィルには、(中略)明らかなネクロ・サディズムの傾向を示す者が多いように思えるが、このアルディッソンの場合だけは特別で、なにかひどく幼児的であり、あたかもエドガー・アラン・ポーのノスタルジアを稚拙に模倣したかのごとき印象をあたえる。私がとりわけ興味をひかれる所以である。」



「杉田總『龍神淵の少年』序」より:

「実際、氏のように本の好きな人は珍らしく、共感と敬意をこめてマニアという呼び名を呈上してもよいほどであった。本書のなかに、死の四ヵ月前、病苦の身体にみずから鞭打って、死神の幻影に追いかけられつつ、重い三冊の本を買って家まで辿りつくエピソードが語られているが、その感動的な文章のなかで、杉田氏は、不条理とも呼んでよいような自分の無償の情熱を、「それは使命であって、僕の戦いでもある」と書いている。いみじくも言い切ったものではないか!
 しかし、病中の氏の文章のなかで、私が最も心を打たれるのは、氏が自意識の最後の力をふりしぼって、自分に対して圧倒的に襲いかかってくる苦痛や病気を、客観視しようとしているということである。肉体が刻々と破壊されて行く危機のさなかで、氏の精神はユーモアを忘れず、ユーモアを武器として、この忌わしい破壊に抵抗しようとしたということである。」



「太古の植物」より:

「このトクサとか、スギナ(杉菜)とか、シダ(羊歯)とか、ソテツ(蘇鉄)とかいった、いわゆる裸子植物や隠花植物は、私の大へん気に入っている種類の植物だ。どうして好きなのかと言うと、要するに原始的な植物だから好きなのである。」


「狂王とノイシュヴァンシュタインの城」より:

「ルドヴィヒ二世は雪の夜、この城から、四頭の馬に引かせた黄金の橇を走らせて、月光を浴びた蒼白い森や山野へ散策に行くことを好んだという。寒いから、厚い毛皮の外套と帽子に身を固めていなければならない。昔から、「月の光を浴びると気違いになる」という言い伝えがヨーロッパにはあるが、昼間の光をきらい、夜の世界だけを好んだルドヴィヒも、あんまり月の光を浴びすぎたために、その精神が少しずつ狂気に蝕まれていったのかもしれない。」



こちらも御参照ください:
澁澤龍彦 『黄金時代』 (薔薇十字社)





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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