『稲垣足穂全集 第七巻  弥勒』

「人間の魂は、いったん覚醒した限り前進ばかりで、退歩も停滞もないのでなかろうか。(中略)こうして生まれて間もなく肉体を失った者にも、無人島で生涯を終えた人も、只一途の発展のみがある――こういう考えが江美留に兆(きざ)した。」
(稲垣足穂 「弥勒」 より)


『稲垣足穂全集 第七巻 
弥勒』

Classiques de Inaguaqui Taroupho 7

筑摩書房 2001年4月10日第1刷発行
465p 目次3p 
20.2×14.2cm 
並装(フランス表紙) 本体カバー 函 
定価4,800円+税
編者: 萩原幸子
装幀: 吉田篤弘・吉田浩美(クラフト・エヴィング商會)

月報7 
8p 18.7×11.7cm
タルホの葉巻箱: 毛筆原稿 The manuscripts
タルホ・ヴァリアント・セレクション: コリントン卿の幻想 天の夕顔の作者に寄する Fantasy (初出「文芸世紀」昭和14年12月号)
星の声(萩原幸子): 受賞まで
 


本全集「凡例」より:

「一、本全集は、稲垣足穂自身が昭和四十三(一九六八)年に作成した目録を基本に編んだものである。
一、改題、増補、改作、合併、編入、改訂をくり返した作品については、その経過を巻末の「解題」で明らかにし、本文には基本的に最終稿とみなされる作品を収録した。」
「一、『稲垣足穂大全』(中略)に稲垣足穂自身が追加訂正を書き込んだものについては、それを最終稿とした。」
「一、表記は、原則として、新字、新かな遣いとした。」



本書「解題」より:

「本巻には足穂が昭和七年明石に帰省し、その後昭和十一年末に最後の上京をして牛込横寺町に住むようになった、三十代から四十代はじめまでの時期を扱った自伝的作品を収録した。」


目次:

美しき穉(いとけな)き婦人に始まる
菟(うさぎ)
蜩(ひぐらし)
北落師門
夢野
馬込日記
父と子
愚かなる母の記
地球
     ☆
弥勒(みろく)
底なしの寝床
木魚庵始末書
方南(かたなみ)の人
横寺日記
白昼見
世界の巌
死の館にて

解題 (萩原幸子)




◆本書より◆


「美しき穉き婦人に始まる」より:

「私は数年この方、毎夜おびただしい汗をかいた。文字は書けなかった。口辺をゆがめるとピクピクと痙攣(けいれん)が起った。ともすると涎(よだれ)が垂れたし、手摺(てすり)に掴(つかま)らないことには階段の昇降が覚束なかった。ただの歩行にすら杖の必要を感じる場合があった。両眼は五月幟(のぼり)の鯉のように真赤であった。」
「これまで暗闇に向った時にだけ見えた巴形(ともえがた)にくるくる旋転するものが、いまは白昼の到る所に重なり合って廻っていた。時間観念が失われて、昨日のことか今日の話か、一年前にあったことなのか判別がつかなくなっていた。私は悪夢には慣れっこになっていた。からだじゅうがぶくぶく波を打って動いて、えたいの知れぬ者がいっぱい皮膚の下に蠢(うごめ)いているのだ。小形の蛇に似た毒虫のように思われた。それらはどうかしたはずみに皮膚を食い破って、サソリに似た鎌首を擡(もた)げる。間一髪を狙って、私は割箸(わりばし)のようなものに噛(か)みつかせて引張り出そうとするが、たいてい失敗に終った。虫は箸先を外して再び皮下にもぐりこむのである。また、全身に紅葉模様になって赤い瘡蓋(かさぶた)が出来ていた。それは乾いて剥離(はくり)しかけているが、引きはがすわけに行かぬ。たいへん苦痛である上に、皮膚を壊(やぶ)って新たなかさぶたを作るであろうからだ。――我が腕や脚や脇腹がたてに裂けて、解剖模型のような内部が見えていたことがある。其処には、潜水艦内のパイプのように絡(から)み合った青と赤の血管や骨格のあいだに、奴豆腐みたいなものがきれいに並んで詰(つま)っていた。(中略)よく見ようとするとじつは一面の虫なのだ。毛虫ではない。貝でも無い。然しきりきりと捲(ま)いた、少しも動かないがその生きていることがよく判る虫が四辺を覆うて、私のからだじゅう、着物の襞(ひだ)や指の股に溜(たま)って群がっているのだった。」

「奥さんですら、私が奮発さえするなら道はなんとか打開出来るものと思っている。ところがそうで無い。
  俺がなんで成功なんかするものか、俺にはやってみる了見さえないのだもの! (ボードレエル感想私録)
 私には、本当に、どんな事だってやれやしない。そして自分にその気持がないのだから人の見解などは反故(ほご)に等しい。仮にあの時私が鉢巻を締めて、駄菓子屋なり麺麭屋なりをやって成功した所で、それがいったい何だと云うのか? 咎(とが)は、自分がそうでなかった場合よりいっそう甚だしいであろう。それこそ私自身の堕落である。」



「父と子」より:

「こんな気紛れが、白昼の辻に売っていた数羽のひよこを買わしめた。そこで彼は、流し元の泥を抄(すく)って雛に食べさせようとしたのである。董生は気が付いた。大道商人はきっと、「餌は流し場の隅にあるもので結構だ」と云ったので、それは飯粒か菜の切端を意味していた。然し父が雛に与えたのは、土管の口に詰りかけていた泥である。――新聞を読む周蔵は、ボウロ、ボウロと云っていた。暴露のことである。董生が訂正を求めると、「それならば何故暴風をバクフウと云わないのか」と父は引っかかってきた。」
「「どちらでもよい事にかんかんに云いしゃぎって、お父さんも損な質(たち)や。伯父さんによう似てる。正直一方なのに人からは嫌われて」後刻母親が云った。」



「地球」より:

「そうだ、もともと家を護り立てたり、神仏の前に手を合わせるように出来ていなかった人々、(中略)従って仮初(かりそめ)の成功はあったにしても、早晩自滅しなければならなかった一族は滅んでしまったのである。」
「それらの者が元来そういう生れ付きであったのならば、彼らが生前にどうすればよかったなど云ってみたところで何になろう?――こう考えるとしこりが釈(と)けてくるようだった――若しもそんな次第を我身に感じるならば、その厭(いと)わしさを一身に引受けて変換するのが至当である。それに、いったん生れたものは消えはしない。停滞もなければ、まして後退など考えられない筈だ。」
「われわれには測り知られぬ法則の下に、故人らは依然として発展を持続している。彼らは彼らの道を進んでいる。即ち今も生きている――それは曾て在ったところに較べて、いっそう軽やかな、野山に浸透する広い自由な形式において。彼らが生きているのは、この自分の衷(うち)にであるが、同時に、それらの人々でなくては与えられなかった波動を、或る日、或る時に彼らが与え得た他のあらゆる人々の衷において、でもあるだろう。――ところでそれら総ては一体何に依存しているのか? 彼らに似た、しかしいっそう大いなる意識に属しているものに相違ない。その大いなる意識は、より大いなる意識の中に。それはついに地球の意識に融(と)け入ってしまう。或る日水の畔(ほとり)で、両極に白い斑点がついた濃緑色の奇妙な滴虫類を見付け、顕微鏡で覗いてみたら、山丘や森や家々や、羊群や犬が検出されて、その中に蠢(うごめ)く一微粒子が計らずもこの自分であったという……そんな地球の意識に包含される。
 人間は肉体を棄ててから真個の覚醒生活にはいる――そういうフェヒナーの所説がようやく頷(うなず)ける年齢に、董生はなっていた。」



「弥勒」より:

「もう三月であった。その日一日じゅう、鬼に責められた彼は、夜になると勇気を出して、よろめきながらも銭湯へ出向くことにしたが、今度は大人連までがじろじろと自分を見詰めているようであった。こんな異邦人のような寂しい気持はいったい何処からくるのだろうと、改めて自問せずにおられない。この「前後を忘ずるばかり」な寂寥(せきりょう)は、人間とは総てこのように寄辺(よるべ)のない者であると考えたところで、また自分だけに属する神経症のせいだろうと解釈してみても、度が過ぎていると思われるのだった。他の人々では決してこんなに厳しい度合でない――そうとしか思えない。多分、自分に根本的な欠陥があるのだと考えられたが、さてそれがどんな点なのか、そこをどう取扱ってよいのか、てんで見当が付かない。
 石鹸を使うまでの気力は到底なく、ようやく湯槽(ゆぶね)から引き上げた身体を脱衣場に運んで、所々を抑えるようにして拭いていたが、この時突然 Saint という五字が脳裡に閃(ひらめ)いた。(中略)しかしこの Saint がそもそも何事を意味しているのか? 彼には殆ど瞬間的に了解された気がした。なにも自分が聖者であるとか、聖者たるべく努めねばならぬなど思ったわけでない。自分と同様な人間の中には、そんな種類の人もあるではないか。その中には磔刑(たっけい)になった者すら居る、と思ったのである。そして彼らこそ人間の中の人間――ダイアモンドでないかと考えると、心の国の王様だとはいかにも適切な表現だと頷(うなず)けるのであった。」
「鬼は其後にも相変らず現われた。しかしそのつどに、余震が繰返されて地盤が安定して行くように、いやむしろ次第に振幅を増大する振子に似て、突き戻される度には反対側において前回よりもいっそう深い反省に導かれるようであった。人間の魂は、いったん覚醒した限り前進ばかりで、退歩も停滞もないのでなかろうか。(中略)こうして生まれて間もなく肉体を失った者にも、無人島で生涯を終えた人も、只一途の発展のみがある――こういう考えが江美留に兆(きざ)した。」

「「自殺者は意欲を断ちかねて現象のみを殺すもの。生きようとする意志を置いて、現実の生存のみを破棄するもの」つまり、生存を欲しながらも生存意志の特殊的現象である自己に絶望して、それのみを棄てようとするのが一般の場合だ、とショーペンハウエルは彼に教えた。」
「追々に江美留に明らかにされてきたのは、自殺者は途中で放棄したのだから、却って出発点にまで自己を引戻してしまうという一事だった。少くとも次なる世界への寝覚めの悪さを、それは意味する。だから、いま江美留が念のために考えている死とは、「夕べに死すとも可なり」のあの死なのである。」

「「物事は何でも自分が思ったのとは反対の方へ傾いて行く。だから今年はお互いに、欠点を改めるよりもむしろ事態を意識するように……むしろ欠点を伸ばすように心掛けましょう。」」

「すべてにおいて他の真似をしている人、便利ということに惹(ひ)かれている人、健康保持のとりこになっている人、物事にすぐ馴れてしまう人、何事も自己と家族徒党の上にのみ限られている人、こんな種族とは対蹠(たいせき)点にある(中略)――どんな対象をも求めていない人々――見えざる的を狙っている人々――苦労が身につかない人々――この自分でなくて、世界中に居る総ての自分に仕えている人々――呼べば答える無数の霊たちと遊んでいる人々――従って、死して生きているそんなダイアモンド族と較べたならば、曾て自分が知ってきた連中などは、一切合財、茶碗のかけらだと云うべきであった。」

「彼の頭には例の青表紙のショーペンハウエルにあった一節が浮んだ。それが彼自身の言葉に変化した。「既に意志に隷属するのでない。人間とは認識にまで到達すべきである」と彼は考えた。「そこにおいてこそ客観的事業に参加出来る。このような者には幸福もない代りに、不幸もない。只念願だけが残る。――念願とはこの場合何であろうか?」と彼は考えを追った。「それは(中略)自分が人間として出発し直さねばならぬという一事である。――目差す人間とは何であるか? それはこの自分自身である。固有の色合いがある、振動的な、即ち生きている、真鍮(しんちゅう)の砲弾や花火仕掛の海戦に心を惹かれている自己自身である。その最も自分らしい場所に立返らねばならぬのでないか。」」

「ここにおいて江美留は悟った。婆羅門の子、その名は阿逸多(あいった)、今から五十六億七千万年の後、竜華樹下において成道して、先の釈迦牟尼仏の説法に漏れた衆生を済度すべき使命を托された者は、まさにこの自分でなければならないと。
 そんな夢を確かに明方に見た。真暗闇の中に揺らいでいる蓮葉の上に、それでも辛うじて落ちないで坐っている、裸体に古カーテンを巻き付けた自分であった。」



「白昼見」より:

「吸殻を求めて下を向いて歩いている時、ふと見つけた鼠の死体が、わたしに向って頻(しき)りに何か囁(ささや)いていました。」
「――殺された鼠は、「見えるものでない!」「見えるものでない!」とわたしに向って警告していたのです。「この様が無慚(むざん)であるとはお前が只目に見えるものだけに捉われているからだ。もっと他の所に注目せよ」と彼らは云っていたのです。」



「世界の巌」より:

「「塩です、塩がこんなに噴き出しているのです」
 「塩だって?」と彼は受け継いだ。岩塩とはこんなぐあいになって産出するものか知ら。相手はあとを云った。
 「ねえ、この白いものがあるので、世界の巌はまだ大丈夫なんです。内部の連中はいっこうに知っていませんが、外に立つと、ほらこんなに、あそこにもここにも見受けられます。向うにはあんなに、雪のように見事に湧いています。あの辺りに住んでいる者は倖(しあわ)せですよ。何しろ、この僅かな塩の為に岩は崩れずにいるのですからね」
 暫(しばら)く考えていてから、彼は、そうだ、愛のことだ。して愛とは何だ? ある婦人が自殺的破綻(はたん)に直面した時に、かの女の箪笥(たんす)の抽斗(ひきだし)を其処にぶちまけて、はいってる細々した品物を元のように取片づけることで危機を免れたと云う。存在の、行動のリズムを保持すること、眼に見える蜜(みつ)を集めて、目には見えぬ大きな蜜桶(みつおけ)へ貯蔵して行くとは、このことだ!」

























































































































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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