『稲垣足穂全集 第九巻  宇治桃山はわたしの里』

「ボール紙の馬に跨って寂光の都へ逃げて行き、ああ鉱物になりたいと白状する」


『稲垣足穂全集 第九巻 
宇治桃山はわたしの里』

Classiques de Inaguaqui Taroupho 9

筑摩書房 2001年6月20日第1刷発行
497p 目次4p 
20.2×14.2cm 
並装(フランス表紙) 本体カバー 函 
定価5,200円+税
編者: 萩原幸子
装幀: 吉田篤弘・吉田浩美(クラフト・エヴィング商會)

月報9 
8p 18.7×11.7cm
タルホの葉巻箱: 葉書 Post Card
タルホ・ヴァリアント・セレクション: 失はれし藤原氏の墓所――考證的な創作(抄)(初出「群像」昭和26年6月号)
星の声(萩原幸子): 歩く姿など
 


本全集「凡例」より:

「一、本全集は、稲垣足穂自身が昭和四十三(一九六八)年に作成した目録を基本に編んだものである。
一、改題、増補、改作、合併、編入、改訂をくり返した作品については、その経過を巻末の「解題」で明らかにし、本文には基本的に最終稿とみなされる作品を収録した。」
「一、『稲垣足穂大全』(中略)に稲垣足穂自身が追加訂正を書き込んだものについては、それを最終稿とした。
 また、『大全』以後の『増補改訂 少年愛の美学』にも、刊行後大幅な加筆訂正がなされており、それを最終稿に、「ロバチェフスキー空間を旋りて」は大幅に加筆訂正した生原稿を最終稿とした。
一、表記は、原則として、新字、新かな遣いとした。」



本書「解題」より:

「本巻には、昭和二十五(一九五〇)年二月初めに足穂が京都に移ってから、昭和四十五(一九七〇)年までに発表した作品とエッセイのうち、主として長篇を収録した。」


目次:

東京遁走曲
わが庵(いお)は都のたつみ――
雙(ならび)ヶ丘
宇治桃山はわたしの里
おくれわらび
雪融け
蘆の都
日本の天上界
東洋の幻想
私の宇宙文学
シネマトグラフ
僕の触背美学
新歳時記の物理学
美のはかなさ
     ☆
新感覚派前後
唯美主義の思い出
滝野川南谷端
浪花シリーズ

解題 (萩原幸子)




◆本書より◆


「東洋の幻想」より:

「実際、測り知られぬ大昔からずっと引続いてきた自分である。――これに気付かれたおしゃかさまは、眼に映じる世界がそもそもどんなカラクリに置かれているかも直に見抜かれました。これが「苦集」でしょう。つづいてこの現象界の背後にあるいま一つ別な秩序、すなわち解脱(げだつ)の法則をキャッチされました。「滅道」です。
 これは独力で発見した。無師独悟である。そして人天いまだ知らざる真理だ、とおしゃかさまは自覚されました。そこで喜びのあまり、一週間はおのれ一人で大発見をお愉しみになったというのも、さもありなん次第です。さて次におしゃかさまは「これはしかし説いた所でとうてい理解されまい。骨折損のくたびれもうけかも知れぬ。自分の胸の中に蔵しておこう」とお考えになりました。ここに仏教とキリスト教とのおもしろい相違点があります。ナザレ人は「云わずにおられなかった」から、半ば憤激の態度をもって人々に当りました。これに反して、おしゃかさまにあっては、「別に説かなくてもよかった」のです。」



「新歳時記の物理学」より:

「凡(およ)そ詩的素質の一つとして「生命的形態が有する瑣末な諸特徴への嫌悪」が存する。由来誠実な人にあっては、本来的に、生命あるもののそれぞれの偶然的な形への反撥(はんぱつ)が内蔵されている。ここにおいて、いわゆる「生物的な、騒々しい、ナマないやらしいもの」が決して持つことの出来ない完全性を、まず葉や花弁がシンメトリーに配置され、各自が最初からの居場所を守って、より調和されたリズムの裡(うち)に安らいでいるかのような植物の上に求め、ついで鉱物の結晶とその恒久性に注目するようになる。昔、友の作った詩句の中に「ボール紙の馬に跨(またが)って寂光の都へ逃げて行き、ああ鉱物になりたいと白状する」とあったのに、私はひどく感心したものだ。」

「  親もなく子もなき声や閑古鳥 蕪村
  なに食ふてゐるかも知らずかんこ鳥 〃
  鞨鼓鳥(かっこどり)木のまたよりや生れけん 〃
 蕪村的絶対が開示されている。しかし人はだれしもかんこ鳥のようにありたいものだ。それは第一に――「僕自身は、自分がいつもいやな暮しをすることを覚悟してからは、実にいい気持で暮している。僕は実生活には決定的な別れを告げたのだ」(フローベル)
 第二に、若干の人間的な貧しさと寂寥(せきりょう)を前提にしなければ、――「それとも、人間的な事に対して妙に没交渉な、贅沢な関係に立つのでなければ、人間的なことを客観視したり、玩具にしたり、趣味的な形式や文体で表現したりするようなことは出来ない筈だからである」(マン)
 第三として、「日常生活に対して自ら根源的な無関心で接する状態に近付くことによって、人は自らの空しさから脱れる」(ムルソー氏)」
























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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