『稲垣足穂全集 第十三巻  タルホ拾遺』

「もともと私はクジ運に縁がない。失敗つづきだというのでないが、「よかった」とか「うまく行った」とか、特に便宜を与えられたとかいう例が殆んど無いのである。(中略)いつどこでも自分は「あと廻し」であった。こうなると、(中略)自分には初めから無形の大クジが当っているのだと考えるより他ない。」
(稲垣足穂 「反賞金的文学の弁」 より)


『稲垣足穂全集 第十三巻 
タルホ拾遺』

Classiques de Inaguaqui Taroupho 13

筑摩書房 2001年10月25日第1刷発行
503p 索引8p 目次4p 
20.2×14.2cm 
並装(フランス表紙) 本体カバー 函 
定価5,400円+税
編者: 萩原幸子
装幀: 吉田篤弘・吉田浩美(クラフト・エヴィング商會)

月報13 
8p 18.7×11.7cm
タルホの葉巻箱: 最後のノート The Last Note Book
タルホ・ヴァリアント・セレクション: 瓶詰奇談(抄)(初出「新青年」昭和2年10月号)
星の声(萩原幸子): 最後の日々
 


本全集「凡例」より:

「一、本全集は、稲垣足穂自身が昭和四十三(一九六八)年に作成した目録を基本に編んだものである。
一、改題、増補、改作、合併、編入、改訂をくり返した作品については、その経過を巻末の「解題」で明らかにし、本文には基本的に最終稿とみなされる作品を収録した。」
「一、『稲垣足穂大全』(中略)に稲垣足穂自身が追加訂正を書き込んだものについては、それを最終稿とした。
 また、『大全』以後の『増補改訂 少年愛の美学』にも、刊行後大幅な加筆訂正がなされており、それを最終稿に、「ロバチェフスキー空間を旋りて」は大幅に加筆訂正した生原稿を最終稿とした。
一、表記は、原則として、新字、新かな遣いとした。」



本書「解題」より:

「本巻に収録した作品は、以下の三種類にわたるものである。
○本全集第一巻から第十二巻までの収録作品決定後に発見された単行本未収録の作品。
○最終改訂作を本全集に収録した作品のうち、初出の作品、または改訂を繰返した途中の作品が、ひとつの別個の作品と考えてもよいと思われる作品。
○(中略)他の作者による作品を下敷きにして書かれたもの。」



目次:

聞いて貰(もら)いたい事
シガレット物語
香炉の煙
如何(いか)にして星製薬は生れたか?
「文党」への手紙
忘れられた手帖から「身辺雑記」
地獄車
ライオンと僕
風呂
白衣の少女
ポンピィとロビングッドフェロー
塔標奇談
芭蕉葉(ばしょうは)の夢
神戸の VARA
緑色の記憶
青い壺(つぼ) Ein Marchen
東洋更紗
夢の中の紳士
円錐帽(えんすいぼう)氏と空罎(あきびん)君の銷夏(しょうか)法
荒譚(こうたん)
オールドゥヴル
大阪の島津さん
     ☆
明治飛行器ノゥト 付・活動写真
花月ファンタジア
松帆浦物語
稲生家=化物コンクール――A CHRISTMAS STORY
梵天(ぼんてん)の使者――谷崎潤一郎からのコピー
ジッドの少年愛論
バートン男色考からの摘要
宮武外骨の『美少年論』
多留保判男色大鑑
武石道之介航海日誌
武石浩玻在米日記
     ☆
小文
『作家』選評など
アンケート

解題 (萩原幸子)
年譜 (萩原幸子)
全巻目次
収録作品索引




◆本書より◆


「シガレット物語」より:

「空を切り取る人

いろんな形をした雲のある空や、ところどころ白雲に彩られた空や、夕方の紅い美しい空や月や星のある空や、そんなものを自由自在に鋏で切って、自分の家の壁に張りかえさしかえている人があると云うので、びっくりしてその家を見に行ったら、なあんの事だ、その男とは、青天井の下に住んでいる法螺(ほら)吹きの乞食(こじき)であった。」

「怠け者

Rは街を歩く時、方々を見るのが面倒くさいと云うので、首からいつも青いリボンで小さな円鏡を胸にたらしていて、それを片手に持ちながら(他の手は勿論(もちろん)ズボンのポケットに突ッ込んだままだ)後から来る自動車や、横から来る人や、ショーウインドーや、頭の上の看板や、その上にある空の雲などを、うつして見ながら歩いていた。そして、或る時などは、向うからやって来た先生にすら、その鏡のなかで挨拶したほどである。ともかく、奴(やっこ)さんはそれくらい怠け者だと云ったらちょうどいいだろう。」



「稲生家=化物コンクール」より:

「夜になって家鳴は間遠になったが、何処からか遥かに尺八の音が聞えて、程なく虚無僧(こむそう)が一人はいってきた。すると次々と現われ、それぞれの姿勢を採った居間一面の虚無僧になった所、やがて自分が寝ている周りにみんなが寝転んでしまった。」
「平太郎物語の虚無僧の件を澁澤龍彦君に聞かせると、彼は大へん興がった。澁澤ばりのものが確かにあるようだ。徒然草第百十五段に宿河原における ぼろぼろ たちの果し合いが紹介されているが、虚無僧というものは何か怪しげで、幽霊臭い。彼らが浄土へ行くか、地獄へ堕ちるかは実に一管の尺八の音色に懸(かか)っている。竹の内部は赤い漆(うるし)塗りだが、中には鉛を巻き込んでいる者も居ると云う。鳴滝の妙光寺は以前普化宗の道場だったので、此処にある梵論字の墓には、花の代りにビロード苔が敷き詰められていて、水を撒(ま)いていつも湿らせておくのが供養になっているのだそうである。それは日光でなく、月光を吸わせるのが目的のように私には考えられる。」



「ジッドの少年愛論」より:

「なお台本として伊吹武彦氏訳文を使ったことをお断りしておく。」
「そうこうするうちに、みんなが騒いでいるような事柄は、実は自分には何の魅力もないのだ、ということを認めないわけにいかなくなってきた。(中略)自分のような人間が世間にはざらにいるということには未だ思い及ばなかったものだから、気取られぬための陽気とふざけ……思い出してもゾッとするくらいだ。その傍(かたわ)ら、ずいぶん本を漁(あさ)った。ガリアニ師がエピーネ夫人に宛(あ)てた手紙の中に、こんな文句を見つけた。曰く、要は癒(いや)すことでなく、病と共に生きることです!」」



「『作家』選評など」より:

「もう一ぺん、ツァラのダダ定義を借りることにして――
 文学は如何なる原理にも依拠しなかった。それは一つの抗議に他ならなかったのである。ポエージとは、人が自分の中に持っているある量の人間性、生命因子を伝達するための一つの手段に他ならない。
 だから、このような文学は(原則としては)公認であっては不可(いけ)ないものなのである。文学は無限に否認し続けねばならない。ところで、「一切の反文学は自働的に文学になる。あらゆる反芸術は公式主義に変貌する」から、油断がならない。私自身としては、「パタン」でない、「オブジェ」としての文学をいまも昔も念願している。」


























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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