『定本 久生十蘭全集 8』

「エヂプトのエラスムス三世といふ癩王は、周期的にあらはれる結節ができると、闘病してそれを克服するまでの間、苦痛を忘れるために途方もない大きな灌漑工事をはじめるのが常だつた。
 結節の周期が、三度あつたので、それで、三つの灌漑工事が出来あがつた。」

(久生十蘭 「泡沫の記」 より)


『定本 久生十蘭全集 8』
編集: 江口雄輔・川崎賢子・沢田安史・浜田雄介

国書刊行会 2010年11月20日初版第1刷印刷/同24日発行
675p A5判 丸背布装上製本 貼函
定価9,500円+税
装幀: 柳川貴代
本文二段組
月報(8p)



目次:

無月物語
新西遊記
十字街
信乃と浜路

白雪姫
南極記
プランス事件
玉取物語
鈴木主水
泡沫(うたかた)の記――ルウドヰヒ二世と人工楽園
ゴロン刑事部長の回想録 (「悪の花束」)
うすゆき抄
重吉漂流紀聞
死亡通知
海難記
藤九郎の島
美国(アメリカ)横断鉄路
雪原敗走記
幻の軍艦未だ応答なし!
愛情会議 (「我が家の楽園」)
再会
影の人
青髯二百八十三人の妻
或る兵卒の手帳
天国の登り口
大赦請願
かぼちゃ
皇帝の御鹵簿

解題 (浜田雄介・江口雄輔・川崎賢子)




◆本書より◆


「無月物語」より:

「徹底した無信心でおしとほしてゐたが、そのくせ侮辱にたいしてはおそろしく敏感で、馬鹿にされたと感じると、その日のうちに刺客をやつてかならず相手を殺すか傷つけるかした。
 そのほかにも人の意表に出るやうな行動が多かつた。泰文の身体のなかには、陳腐な習俗に耐へられないムズムズする生物(いきもの)のやうなものがゐて、新奇で不安な感覚を与へてくれるやうな事柄にたえず直面してゐないと、生きた気がしないといつたやうに、野性のままの熱情をむきだしにして、奔放自在にあばれまはつた。」

「ある日、長女の葛木姫が、
 「父君がゐなかつたら、なんとまあ毎日が楽しいことでせう」
 と思ひつめたやうに、つぶやいた。」



「新西遊記」より:

「「ラマ教徒の残虐の熱愛と狂信が思ひつかせた拷問と刑罰は、技術の繊細巧緻と創意のすばらしい点で、人類の歴史に残るすべての方法を凌駕し、トルケマダ(中略)やアルベ(中略)も及ばないやうな完璧さを示してゐる。
 一例をあげると、それはこんなふうにやられる。西蔵の律法はすべて連坐法(中略)によるので、父と子、夫と妻がいつしよに刑場へ出てくるが、刑僧はまづ二人に大きなヤットコを示し、これから歯抜きの刑を行ふと宣告する。さうしておいて、剃刀で二人の髪を剃りはじめる。(中略)頭を剃り終ると、刑僧がヤットコを受刑者の一人に渡し、父に子の歯を、子に父の歯を、といふぐあひに交互に抜かせる。刑僧は直接になにもしない。円滑に刑が進行するやう傍で鞭撻するだけである。はじめのうち、受刑者たちはやさしくいたはりあつてゐるが、そのうちにたがひに呪咀しあひ、最後はあらんかぎりの憎しみを投げあふ眼もあてられない場面になる。歯は全部抜けたが、刑は終つたのではない。そこからはじまる。こんどは、抜いた歯をたがひの脳天へ金槌で打ちこまなくてはならない。さつきの毛剃りは、歯を楽に頭蓋骨へ嵌入させようといふ親切な配慮だつたことを、ここではじめて諒解する。」
「ラマ僧は残酷の真の意味を理解してゐることがよくわかる。相手に与へる苦痛そのものにたいする洞察力と想像力は、どんな智力でも及びつけないほど深い。見せかけのむごたらしさに眩(くら)まされるやうなこともなく、客観的な残虐さに酔ひ痴れるやうなこともない。あくまでも実際的で、受刑者の感受性を土台にして周到に計算され、相手の苦痛を想像力で補つたり割引したりするやうな幼稚な誤りををかさないのみならず、単純ないくつかのマニエールに独創的な組合せをあたへることによつて、誰も想像もし得なかつた測り知れぬ残酷の効果をひきだすのである。」



「十字街」より:

「チュイルリーの庭や、シャンゼリゼェの並木道からながめてゐるぶんには、パリも美しい街にちがひないが、いちど裏側へ入つてみると、悔恨を知るいとまもないやうな雑多な罪と悪が、一文明全体を感じさせるほど押しあひへしあひしてゐる。小田が宿にしてゐる救世軍の「民衆の家」は、幾百かある簡易宿泊所のうちでも行き届いたはうの口だが、それさへ、人を殺すくらゐなんとも思はない、種属の変種といつた気魄のある連中がうようよしてゐる。」

「美しい眼や、かたちのいい眼はいくらもあるが、こんなきれいな眼に、このところ久しくいきあつたことがない。他人を描くといふしがない業でも、十年近くやつてゐると、眼を見ただけで、どんな生活をしてゐる人間かわかるやうになる。こんなきれいな眼をもつてゐるのは、無益な慾望につかれず、他人を傷つけず、貧しい、平凡な生活を愛して、なにか一つのことに打ちこんでゐる人間にかぎる。」



「白雪姫」より:

「被告はハナを愛してゐなかつた。むしろ憎んでゐたといふ検事の論告にたいして、阿曾は、こんなことをいつたさうである。
 「愛してはゐなかつたが、捨てようと思つたことは、一度もありませんでした。内面の衰弱で、生活の適性のないハナのやうな女にとつては、愛情は足りないもののすべての補ひで、それがなければ、生きて行けないことが、私にはわかつてゐたからです」
 「それで、今はどうなんだね。手のかかるやつが死んでくれて、やれやれと思つてゐるんぢやないのか」
 「ひどい女でしたが、善も悪もひつくるめて、それが人間といふものなので、死んでくれてよかつたなどとは、いちども思つたことはありません。それどころか、ハナに出逢はなかつたら、人間の玄妙さといふものを、感じることがなくすんでゐたらうと思ひます」」
































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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