『定本 久生十蘭全集 11』

「ナーニ、譬へ敵はファントマであらうと極悪のロキャンボォルであらうと、鬼神でもなければ魔物でもない、要するに奸智(かんち)に長(た)けた人間であるといふのに過ぎぬ。智慧の競走なら此の俺(お)れとても決して彼にはヒケを取らぬ。」
(久生十蘭 「ファントマ第一」 より)


『定本 久生十蘭全集 11』
編集: 江口雄輔・川崎賢子・沢田安史・浜田雄介

国書刊行会 2012年6月20日初版第1刷印刷/同22日発行
775p A5判 丸背布装上製本 貼函
定価10,000円+税
装幀: 柳川貴代
本文二段組
月報(8p)



本書「解題」より:

「「定本久生十蘭全集」第十一巻には、『新青年』昭和八年(一九三三)十二月号に発表されたフランスの作家トリスタン・ベルナアルの寸劇三篇から、博文館伝奇叢書の一冊として昭和十五年(一九四〇)十一月に刊行されたフォルチュネ・デュ・ボアゴベイ作「鉄仮面」まで、久生十蘭訳とされている作品を収めた。
 十蘭の場合、訳業の対象はフランス語作品に限られるが、現在一般的に翻訳と称されるものに合致するのは、ベルナアルの三篇だけであり、そのほかは原作にもとづいた自由訳あるいは翻案というべきものである。」



目次:

天啓 (トリスタン・ベルナアル)
夜の遠征 (トリスタン・ベルナアル)
犯罪の家 (トリスタン・ベルナアル)
ジゴマ (レオン・サヂイ)
ファントマ第一 (ピエール・スーヴェストル、マルセル・アラン)
ルレタビーユ第一 (ガストン・ルルウ)
ファントマ第二 (ピエール・スーヴェストル、マルセル・アラン)
ルレタビーユ第二 (ガストン・ルルウ)
鉄仮面 (フォルチュネ・デュ・ボアゴベイ)
 第一部 白い寝台
 第二部 死の牢獄
 第三部 悲哀の谷

解題 (江口雄輔・沢田安史)




◆本書より◆


「ファントマ第一」より:

「ファンドールは深く長き嘆息を洩らし、
 「アー、実にどうも困ツた。防禦の方法を講じようにも敵は何物であるかそれすらも判つてゐないのだから、テンデ手も足も出(で)ぬ。俺は永年多くの殺人事件を扱つて種々と犯罪の機微にも通じてゐるから、エリザベトを匿(かくま)ふ時も敵に尾行されるやうなヘマはしなかつた積りだが、それが易々と向ふに判つて了(しま)ふンだから実にやり切れン。(中略)俺が身を粉(こ)にしてファントマを追ひ廻してゐた時も成程辛(つ)らかツたが何(な)ンと言ツても追ひ廻すだけの役、生命(いのち)一つを投げ捨てるとさへ覚悟を定(きめ)れば恐ろしいも怖いもありやアしなかツたが、愛するものゝ命を護(まも)らなければならぬ立場になると、何(なん)となく心が臆して存分に立働(たちはたら)くことも出来ぬやうな塩梅だ。代れるものなら何時(いつ)と、何(な)ン時でも代ツて死なうが、俺が死んで見たツて必ずエリザベトが助かるといふ訳のものでもなし、これには実にどうも困却した。アー、辛(つら)い辛い、俺は生れてからこんな辛い思ひをした事はない」
 と言つて頻りに頭を抱へて呻(うめ)きゐしが、やがて昂然と肩を聳(そび)やかし、
 「今からこんな弱音を吹いちやア仕様がない。ナーニ、譬へ敵はファントマであらうと極悪のロキャンボォルであらうと、鬼神でもなければ魔物でもない、要するに奸智(かんち)に長(た)けた人間であるといふのに過ぎぬ。智慧の競走なら此の俺(お)れとても決して彼にはヒケを取らぬ。この身一つを投げ出(だ)して不惜命(いのちをしまず)に奮発したら、必ず敵を取ツて捕(とら)へ、エリザベトが晴れ々々と日を送れるやうにしてやる事も出来やう。譬へどんな事があツたとてムザムザエリザベトの命を奪はせさせぬ。殺させるものか。万々一にもそのやうな事があツたら、此の俺とても生きては居(を)らぬ」」



「鉄仮面」より:

「ルイ王の侍従として今を時めく、婚約者のカスタニャリイ侯爵を振り捨て、巴里(パリー)に潜伏しゐるアルモアーズの後(あと)を追つてローレンヌ州を出てから、今日まで三年の間(あひだ)、和蘭(オランダ)や白耳義(ベルギー)と、心細い旅の空で、筆紙に尽されぬ苦労をして来たが、それといふのも、たゞの一度の素振りにも表はしたことのない、マルセルへの遣瀬(やるせ)ない愛情のせゐであつた。
 そのマルセルは、もう死んでしまつた。露ほども自分の心を悟らずに、永劫に会へないところへ行つてしまつた。マルセルに対する秘(ひめや)かな愛情は死ぬまで口には出すまいと心に誓つてゐたのだが、いよいよ死なれてみると、せめて、たつた一度だけでも、自分の愛をうちあけて置きたかつた。いづれ冷酷な死が二人の仲を引き裂くであらうことは、初めから覚悟してゐたのだから、その方は左程心を悲しませはしないが、この想ひだけが遣瀬なかつた。」




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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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難破した人々の為に。

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