ジャン・パウル 作/岩田行一 訳 『陽気なヴッツ先生 他一篇』 (岩波文庫)

「ああ、陽気なヴッツ先生、君の生と死は何とまあ穏やかで、凪ぎわたる海のように静かだったことだろう!(中略)――しかも君はまだお墓の外にいるときからもう心安らかに眠っていたのだ!」
(ジャン・パウル 「陽気なヴッツ先生」 より)


ジャン・パウル 作/岩田行一 訳 
『陽気なヴッツ先生 他一篇』
 
岩波文庫 赤 32-458-1

岩波書店 1991年3月18日第1刷発行
225p 文庫判 並装 カバー
定価460円(本体447円)
挿画: ハンス・ゲオルギ
Jean Paul :
Leben des vergnügten Schulmeisterlein Maria Wutz in Auenthal, 1793
Des Feldpredigers Schmelzle Reise nach Flätz, 1809



本文中挿絵(モノクロ)28点、解説中図版(モノクロ)4点。


ジャン パウル 陽気なヴッツ先生


カバー文:

「ヴッツ先生は貧しくて本が買えない。そこで有名な本の題名だけを拝借しては勝手に著述し、それをわが蔵書の棚に並べて満足感にひたりこむ。ささやかな喜びを糧に人生をおくる平凡な小学校教師の姿を、ジャン・パウル(1763-1825)はユーモアとアイロニーたっぷりに描きだす。ドイツ散文芸術の大先達とたたえられる作者の傑作2篇。」


目次:

陽気なヴッツ先生
シュメルツレの大用心

解説 (岩田行一)
 一 ジャン・パウル略伝
 二 『陽気なヴッツ先生』について
 三 『シュメルツレの大用心』について



ジャン パウル 陽気なヴッツ先生 2



◆本書より◆


「陽気なヴッツ先生」より:

「ああ、陽気なヴッツ先生、君の生と死は何とまあ穏やかで、凪(な)ぎわたる海のように静かだったことだろう! 小春日和(びより)の生暖かい静かな天(あま)つ空が君の生のまわりを、叢雲(むらくも)ではなく薄靄(うすもや)でもってぐるりと囲んでいた。(中略)――しかも君はまだお墓の外にいるときからもう心安らかに眠っていたのだ!」

「先ほど言明したように、あらかじめ聞いておくことがわれわれにとって肝要な例の重大な事実とは、つまりヴッツがその蔵書を全部――どうしてこの男にそんなものが買えただろうか――みずから手をくだして書いたということだ。彼の筆記用具がとりもなおさず彼のポケット判印刷所にほかならなかった。復活祭のころライプツィヒで開かれる書籍見本市に出品されたどんな新刊書も、ひとたびその標題がこの先生の眼にとまろうものなら、もうまず書かれた、というか、買われたようなものだった。何となれば、先生はただちに腰をすえてその作品を作りあげると、(中略)もっぱら写本だけからなるおのれの堂々たる書庫にそれを献本したからだ。(中略)彼は、原本(オリジナル)を手もとに置いてしばしばあらかたそれから複製してしまうような例の呪われた海賊出版者ではさらさらなく、原本なるものをまったく手に取らなかったのだ。このことから次のような二つの事実が完全に説明できるというものだ。第一に、彼の仕事はときどきうまくいかなかった。たとえば彼は、哲学者のゲオルク・ハインリヒ・フェーダーの空間と時間に関する論文のなかでは、船倉つまり船の空間と女性において月経と呼ばれる時間のほかには何も手がけなかったという次第だ。第二の事実は彼の信念にかかわることだ。彼はそのようなやり方で数年のあいだ、おのれの書架がぎっしり詰まってしまうまで書きまくっては徹底的に研究したために、おのれの手ずから書いた本が実は規範的な原典であり、印刷されているものはおのれの書いた本の偽造版にすぎないという見解をいだくにいたったのだ。」

「ドレースデンの中高等学校の校名にまでなっているこの十字架学校(クロイツシューレ)、つまり受難の学校も、ヴッツ先生にだけは付けいるすきとてないのだった。何せ、彼は日がな一日何かを楽しみにしたり喜んだりしていたからだ。「僕は起きる前には」と彼は言ったものだ、「朝食を、午前中にはずっと昼食を、午後おそくにはお八つを、夕方には夕食を楽しみにするんだ――だから、このヴッツ寄宿生徒にはいつでも何か首を長くして待っていることがあるというわけだ。」水をぐいとひと飲みすると、彼は「ヴッツ君はああ甘露(かんろ)甘露であった」と言って腹をなでるのだった。(中略)――十一月の悪寒がするような天気の日には、彼は路地で、暖かいストーブのことを思い描き、両の手をかわるがわるマントのなかに突っこんでは、こうすれば手は家にいるも同然とばかりものすごく喜んで、おのれを元気づけるのだった。その日があまりにもひどい天気で風が強かったりすると――われわれのような手合いにとっては、往々にして地球全体がわれわれを狩りたてる屋内狩猟場と化し、もろもろの災いが、おもしろおかしく戯れる機械仕掛けの人工大噴水よろしく、一歩足を踏みだすごとに降りかかってきてわれわれをびっしょり濡らしてしまう、といったような狩猟日があるものだが――、この先生ときたら、まことに抜け目がなかったので、ほかならぬその悪天候のもとに坐りこみ、それを歯牙にもかけないのだった。彼にそのような態度をとらせたもの、それは避けられない災いを受けいれる例の忍従でもなければ、災いをそれと感じないで耐えしのぶ例の鍛錬でもなければ、災いを薄めて消化する例の哲学でもなければ、災いを応報として克服する例の宗教でもなく、ほかならぬ暖かいベッドに寄せる思いなのだった。「晩になれば」と彼は思った、「よし奴らが一日じゅう僕をどんなに苦しめ狩りたてようと、とにかく僕はわが暖かき掛け蒲団(ぶとん)のなかにもぐりこんで、八時間は鼻を枕にのんびりと押しつけることができるんだ。」――こうして、ついにそのような受難の一日の最後のいっときがきて、愛用の掛け蒲団の下に這いずりこむと、彼はそのなかでぶるぶるっと身ぶるいし、膝が臍(へそ)のところにくるまで体を折りまげながら、こう独りごとを言うのだった。「ほーらごらん、ヴッツ、やっぱり終わっただろう。」」



「シュメルツレの大用心」より:

「親愛なる諸君、かりに誰かが、ライオンのごとき勇者にはおよそ似つかわしくない弱点とまさしく闘っているかもしれぬような男をつかまえて、兎のごとき弱虫などと言いふらすとしたら、たぶんこれほど笑止千万なこともないでしょう。(中略)しかしながら、諸君、小生のいま置かれている状況こそ実はまさにそれなのです。」

「小生がいつでも、水浴びしている者たちや泳いでいる者たちでいっぱいのどんな岸からも、少なくとも面積にして一〇エーカーだけ遠く離れて散歩するのを常としていることは世に知られていますが、それは自分の生命を気づかってのことであり、連中のうちの誰か一人が溺れそうになった場合、自分がただちに(そのことに心を奪われて頭が働かなくなるからですが)当人を、というか、この馬鹿者めを救うべくあとから飛びこむだろうし、どこかの底なしの深みにでもはまって自分たちが二人とも溺死してしまうことを、小生は確実に予見しているからにすぎません。」

「もし自分が、小生は告白しますが、女性で、したがって心やさしく臆病であり、とりわけ妊娠しているとしたら、小生が妊娠中にわが胎内の胎児について絶望の念を禁じ得ないのは、もし自分が眠っていて、したがって夢のなかで、公衆衛生担当の警察医たちによって公開を禁じられている怪獣や野獣や異形児等々といった、そのなかの一つだけでも(妊婦がかかるものを目にすると胎児に悪い影響を与えるという例の確認された学説が依然として真実であるとすると)もう結構なものをすべて見かけたとしたら、陣痛の始まった産婦たる自分の産むのが、まったく兎のごとく見えるだけでなく兎の口まで完備しているか、はたまた首のうしろにライオンのたてがみが生えているか、両の手に悪魔の爪が生えているか、もしくはほかにもまだ異形児に具わるものを身に持っているような見るも哀れな子供だということにほかならないでしょう。あるいは異形児の何人かは母親が夢で誤って見たその種のものから産みだされたのかもしれません。」



訳者による「解説」より:

「語り手がヴッツを愛しているがゆえに、ヴッツは哀れな、陰うつな教師であってはならず、内面的に偉大な作家、幸福な人間でなければならないし、謙譲によって幸福なのではなく、反抗心によって幸福であるような人間でなければならないのである。事実、ヴッツには反抗的なところがあり、幸福というものが上流社会によって独占されているような世界にあって、大胆不敵にも幸福であろうと努めている。」
「二十七歳のジャン・パウルは、すでに作家、パンのために書くのではない作家になることを決意していた。彼はそのような作家になった最初の人間である。彼はみずから一つの生、内的な生を書き、外的な成功なしでも一つの生がありうることをおのれに納得させようとしているかのようである。自分自身の書物を書く人間は、自分自身の世界を書き、現実の世界に反抗し、自分の世界を、書くことによってかちとるのである。」

「日々の現実のなかでは、シュメルツレの自己中心的な空想は、彼をしてある言葉や、あるジェスチャーや、ある行為や、ある出会いのありうべき否定的な結果をあらかじめ恐れるように仕向けることによって、ありもしない危険をかぎつけるようそそのかす。」
「ジャン・パウルは、主人公の心的アレルギーと心的抑圧を描くことによって、心気症的発作や抑鬱をはじめとして特異体質や強迫観念や強迫行為にいたる心的異常と失錯行為の豊かなカタログをわれわれに提示し、それと共に一つの病歴を与える(中略)。ジャン・パウルは個々の症候を、自分の読書体験から引証したが、しかしその多くは自己観察をも拠り所にしている。」






















































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本