ピエール=マクシム・シュール 『想像力と驚異』 谷川渥 訳

「或る男がひとつの頭蓋骨を指さして、これはヴォルテールの頭蓋骨だと言う。誰かがヴォルテールのにしては少し小さいようだと言うと、件の男は、いや、これはヴォルテールの少年時代の頭蓋骨なんだ、と答えたという逸話。」
(ピエール=マクシム・シュール 『想像力と驚異』 訳註より)


ピエール=マクシム・シュール 
『想像力と驚異』 
谷川渥 訳


白水社 
1983年4月25日 印刷
1983年5月10日 発行
328p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、Pierre-Maxime Schuhl, L'imagination et le merveilleux - La pensée et l'action, Flammarion, 1969 の全訳である。」
「因みに、わが国ではいちはやく澁澤龍彦氏が『胡桃の中の世界』において本書を大きく取り上げておられる。」



シュール 想像力と驚異


目次:

序論

第一部 想像力――想い出・イマージュ・観念
 A 想い出と夢
  Ⅰ ためになる想い出と傷つける想い出
  Ⅱ 幼年期の想い出と無意的記憶
  Ⅲ 覚醒夢
 B 驚異的想像力・絵画・映画
  Ⅰ シネマトグラフの芸術的活用の三つの試み
  Ⅱ マックス・エルンストのヴィジョンについて
  Ⅲ リュルサ回顧展
  Ⅳ 画家ベンのグラフィック言語
 C 想像力と歴史
  Ⅰ ピュティアは錯乱していたか
  Ⅱ イマージュと機械
  Ⅲ 想像力と現代史

第二部 驚異・感情性・イマージュ
 第一章 驚異の心理学
 第二章 リュシアン・レヴィ=ブリュールと魔術的思考
 第三章 ブレイクの『無垢と経験の歌』における迷子のテーマ
 第四章 人形・子供・大人
 第五章 ガリヴァーのテーマとラプラスの公準
 第六章 骨学と想像力
 第七章 リュンケウスのテーマと解剖学
 第八章 想像上の動物のテーマ
 第九章 パーディタ、自然と人為
 第一〇章 ヴェルサイユ庭園の冬の散歩が教えてくれること
 第一一章 騎士の像
 第一二章 イマージュと映画的抽象
 第一三章 驚異から現実界への移行方法についての考察
 第一四章 囚われ状態におけるイマージュの戯れ
 第一五章 ドビュッシーの古い調べについて

第三部 プラトン的想像力と現実界
 第一章 アリアドネの糸
 第二章 善のくびき・必然の綱・ヘスティアの機能
 第三章 想像力と結晶学――あるいはプラトン哲学と鉱物学
 第四章 プラトンと薬力学的探診の理念
 第五章 プラトンとアカデメイアの政治的活動

第四部 身振りと眼差し
 第一章 裁つことと繕うこと
 第二章 三分割の場合――フランスの鉄道の等級区分について
 第三章 右手と左手
  Ⅰ グザビエ・ビシャ
  Ⅱ プラトンと右手の優越
  Ⅲ エパメイノンダスと左からの用兵
 第四章 外科医と哲学者
 第五章 衣装の心理学の若干の様相に関する覚書
 第六章 眼差しについての考察

原註
訳註
訳者あとがき




◆本書より◆


「序論」より:

「感覚と想像力が正常に機能している者は、それをとりたてて幸福だと感じることなど決してあるまい。そのことに気づくためには、E・B夫人の場合のような機能不全の症例を知らなければならない。バリュックとロネのすぐれた症状記録に詳述されているところによれば、この患者にあっては、「感覚はもはや知覚にまでいたらず、また、自分の見たものを病人は何も想い出せないのであって、持続、始まり、終わりといった観念を喪失している」。
 つまるところ、「それは無の、存在喪失の印象である。……彼女は何も心にありありと想い描くことができず、自分の家族の一人ひとりの特徴も、自分がすっかり知っている場所も想い起こすことができなかった。彼女にとってはすべてが視覚像を伴わない抽象的な観念になってしまったのである。……私は《ありありと見る》ことができません、と彼女は言う。感覚すること、感じることが損なわれてしまったのです。私はたびたび推論してみるのですが、それは何の役にも立ちません。……石炭が黒く、雪が白いということはわかっています。でも、こうしたもののどれもが私には全然見えないのです。それらは言葉にすぎません」。そして最も印象的な発言は、おそらくこれである。「私は存在していません。」」
「しかし、正常に作動し、またそれなりに不調を来たすこともあるあらゆる精妙なメカニズムについての精確な認識からは、われわれはまだ程遠い。が、この薄明のなかから最後には抜け出すという希望を抱くほかはない。」

「想像力の提起する問題は多様にして本質的である。不可欠な最低限の規律に従うか否かに応じて、ためにもなれば禍いにもなるという、この機能の両価性。逃避の道具であると同時に行動の手段。連接と離接、焦点合わせ、接触を失わずに十分な間合いをとらせる最適距離、といった微妙な諸問題。特定の者に生まれつき与えられた真の恩寵たる一種の予見能力によって、こうした接近方法を統制する直観。儀礼と行動との関係。幻想的(ファンタスティック)なものの魅力と、ルイ・ヴァックスがいみじくも言うように、「奇異(エトランジュ)なものの魅惑」。驚異的(メルヴェイユー)なものの豊かさと、バシュラールおよびミンコフスキーを引くなら、現実的(レエル)なものに形を与える非現実的(イレエル)な因子の現実性(レアリテ)。最後に神話の役割、そして神話的思考と理性との関係。」
「採用される方法は収斂の方法である。具体的なもの、諸々の観察、些小でさえある諸事実から出発すること。周縁から接近作業を導き、次いで探究を進めつつ問題の核心にまで深く貫入しようとすること。したがってそれは、異なりはするが通底しているさまざまな流域への、相継ぐ潜水といったようなものである。異なるさまざまな領域が寄り集まって生じる効果、すなわち、極東で禅の方法が探究しているのと同じ効果によって、読者の反省を喚び覚まさなければならない。」



「ガリヴァーのテーマとラプラスの公準」より:

「鶏卵の生長を観察することによってマルピーギは、「鶏の下図は卵のなかに予在し、誕生に先立つ起源をもつ」と考えるにいたる。これが、発生とは何か予在するものの展開であるとする、いわゆる前成説の発端である。(中略)人は胚種入れ子の観念に訴えたのである。スワンメルダムは、すでに一六六九年、「自然界には発生などあり得ず、ただ諸部分の伸長あるいは生長があるだけだと考えてきた」と述べている。「……全人類はアダムとイヴの腰部に含まれていた」(中略)極微生物学者たちは、精液中に身を縮めたホムンクルスがいると想像する。」


「ヴェルサイユ庭園の冬の散歩が教えてくれること」より:

「庭園術は建築の一形式である。それは単なる功利的技術ではない。ひとつの思想を、人間と世界とについてのひとつの考え方を表現する芸術である。」


「囚われ状態におけるイマージュの戯れ」より:

「身体がだんだんに弱り無活動な状態になってゆくと、想像力はそれだけいっそう激しく展開する。」


「想像力と結晶学」より:

「幾何学の創造は、学問の歴史の最も驚嘆すべき逆説のひとつである。そしてプラトンは、この学科に最高の価値を与えるのは、人がそこから引き出し得るような応用ではなく、その利害を離れた性格であることを、当初より見抜いていた。」
「彼にとっては、相対的な領域を超越した現実的で混じりけのない快は、何よりもまず、幾何学的形態の美と色彩の純粋さから得られる快なのである。」






























































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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