武満徹 『遠い呼び声の彼方へ』

「音楽は、もっと開かれたものであるべきだろう、と(私は)思う。恋愛や性をうたうことは、それがほんとうにつきつめたものであれば、その反社会性の故に、反(かえ)ってそこから、開かれた社会性が獲(え)られる。私が西洋音楽から学ぶのは、そうした社会性というものであり、(中略)それはまた確固とした個というものを前提として成り立つものである。」
(武満徹 「少しでも遠くへ」 より)


武満徹 『遠い呼び声の彼方へ』

新潮社 1992年11月20日発行
171p ディスコグラフィ3p
22×17.4cm 
丸背バクラム装上製本 カバー
定価2,600円(本体2,524円)
装幀・装画: 宇佐美圭司



武満徹、第五エッセイ集。
本文中図版(モノクロ): 楽譜2点、写真3点、装画8点。

本書収録「骨月」は、1973年12月に私家版で刊行された短篇小説。


武満徹 遠い呼び声の彼方へ


目次:

I
東の音・西の音――さわりの文化について
普遍的な卵(ユニヴァーサル・エッグ)
「消える音」を聴く
往復書簡 アジアの音、地球の音 (西村朗/武満徹)
インタビュー 透明性の住む場所 (インタビュアー: ダニエル・カタン/訳: 野谷文昭)

II
可能性に目を向ける
 文化の保守化
 怠惰な繰返し
 素晴らしい音の場
 「文化」の現実
 「現代」を生きる意味
 響きの多義性
 批評について
 西も東もない、海を泳ぐ

III
世界史的転換期を見つめる

IV
夢窓――ドリーム/ウィンドウ
憂うつな春に――タルコフスキーのことなど
時間(とき)の園丁
正直、私は恐ろしい

V
祝辞 オリヴィエ・メシアンを讃えて
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドを聴く――今更ビートルズについて
上村昇の演奏
少しでも遠くへ
誰もが模倣できない個の世界――デューク・エリントン
三人の詩人たち“音楽と自然”
地方都市と文化――オーケストラ・アンサンブル金沢
鶴田錦史さんのこと
ホセ・マセダ――アジア音楽の結実
TEMPUS NOVUM
個性と共存――カザルスホール・クァルテット

VI
谷川俊太郎――豊かなことばの世界へ
仲代達矢素描(スケッチ)
宇宙夢――サム・フランシス
テキサスの空、ベルリンの空――ヴィム・ヴェンダース
小林正樹と映画音楽
中川幸夫の花
Ember Glance――永遠なる記憶
静けさのなかに泡立つもの――難波田龍起小論
申楽乃座――反核平和のための能と狂言の会
宇宙の欲望――大竹伸朗
表現の基準(モデュール)――宇佐美圭司の絵画

VII
弔辞 石川淳先生
ルイジ・ノオノ追悼 ……だが進まねばならない
フェルドマン、ノオノ、メシアンの死
「音楽は生活すること」――“典雅な革命家”ジョン・ケージ

VIII
骨月――あるいは a honey moon

後記

武満徹・年譜 1986年1月~1992年10月 (秋山邦晴 編)
武満徹の音楽・主要CDディスコグラフィ (秋山邦晴 編)




◆本書より◆


「東の音・西の音」より:

「一九六七年十一月、既にかなり寒いニューヨークに、琵琶と尺八の演奏家と出かけました。」
「十一月のニューヨークは、東京と違って、異常に乾燥していました。あまり乾燥が激しいために、ホテルに置いた尺八のひとつが割れてしまいました。また、琵琶も壊れそうなほど乾いてしまい、弦(いと)も張りつめて、二人の演奏者はすっかり困ってしまいました。日本でそういうトラブルが起こるようなことは、まずありえません。
 それで二人の演奏家は、ホテルの床に水を撒いたり、ガーゼを水で濡らして楽器を包んだり、また、マーケットからレタスをいくつか買いこんで、葉を一枚ずつ剥き、それで楽器をくるんだりもしました。そうでもしないと楽器が壊れてしまうのです。
 これは単に物理的な現象に過ぎませんが、日本の音楽を外国に持っていくのはむずかしいものだなと、つくづく実感したものです。反対に、ヨーロッパの楽器を日本に持ってきた場合、日本は湿度が高いから幾分音が鳴りにくかったり、ピアノの調律が狂い易いというようなことはありますが、だが比較して考えた場合、いまお話した琵琶や尺八のようなことはない。ヨーロッパの楽器はどこへでも持っていけるようにという、前提の上につくられています。
 そのとき私は、日本の楽器はずいぶん不自由なものだと思いました。ところが、その不自由さは芸術にとってどういう意味があるか、ということを、だんだん考えるようになったのです。(中略)私が琵琶や尺八に感じた不自由な側面、だがそれが日本の音楽をつくる上ではまたたいへん大事な要素なのだということに、だんだん気付いたのです。」
「琵琶が西洋の楽器と異なる大きな特徴は、西洋楽器がその近代化、機能化の過程で捨てていった雑音を、積極的に音楽表現として使うということです。美しいノイズというのは、矛盾したおかしな言い方ですが、それが出せるような装置を琵琶はもっています。それを「さわり」といいます。」
「琵琶において「さわり」というのは、楽器の首(ネック)の一部に象牙が張られその上を四、五本の弦が渡っているのですが、その象牙の部分を削って溝をつくり、その溝の間に弦を置き、弦を撥(はじ)くと、弦が象牙の溝に触れて雑音を発する。その象牙の凹部は「さわりの谷」と称ばれ、凸部は「さわりの山」と称ばれています。そして、その全体をきわめて曖昧に「さわり」といっています。象牙の溝に弦がさわって、ビーンという雑音を伴った音を出す。(中略)「さわり」は、琵琶という楽器の一部を指す呼称にすぎないのですが、その言葉には、日本人の美意識を知るうえで、たいへん広く深い意味が隠されているように思います。
 江戸時代に書かれた本を見ると、琵琶を演奏するには、蝉が鳴くような音を出すよう心がけるべきだ、というようなことが書かれています。わざわざ昆虫の鳴声のような雑音をつくるために、琵琶は「さわり」という特別な仕掛けをもっています。」
「「さわり」という言葉には、さわる、触れるということのほかに、障害という意味があります。「さわり」は、障害の装置といってもいいのです。あるい意味で、それはたいへん不自由な装置ですが、それをわざわざ音の表現にとり入れる。障害装置を意図的に設けるというのは、他の音楽、殊に西洋の近代音楽と較べた場合、ずいぶん違った音の在り方だと思います。」
「つまり、音が出にくいような不自由さを人為的につくって、そこでひとつの音を生み出す。そうして得られた音は、力強く、また意味深く、多義的なものになるわけです。したがって日本の琵琶は、西洋楽器に近い中国の琵琶(ピパ)のように、技巧的な速いパッセージを弾いたりするのには不自由ですが、複雑な味わい深い音色を出すためには、たいへん素晴らしい楽器なのです。」
「日本の音楽は(中略)、旋律より、むしろ音色を大事に考えています。つまり、先ほどの蝉の声に象徴されるような雑音の中に、音の響きの複雑さを味わい、楽しむ、という方向に日本の音楽は向かったのです。」
「西洋の近代というものが機能主義的に、物事を便利に、また能率的にしようという方向に向かって、私たち日本人も(たぶん、今日では、世界でいちばんといっていいかもしれませんが)その恩恵に浴して生きていますが、しかしこの地上には、オーストラリア原住民(アボリジニーズ)の音楽や日本の伝統音楽のように、不自由さの中で、反って、最大限の自由を獲得している音楽文化というものが、未だに数多く存在しています。」
「能楽で使われている笛、能管は、元来は雅楽で用いられている竜笛というものです。もちろんこれも中国から渡って来たものですが、能ではそれをそのまま使わず、竜笛の管の中に竹の舌のような異物を挿入して、楽器の調律を意図的に壊して使っています。それがあの独特な能管の響きをつくっています。(中略)つまり、調律された楽器の調律を意図的に壊したところから生じる響きの意味合いは、西洋の近代的な楽器が発する音とは全く違うものなのです。そのひとつの響きの中に、やや大袈裟に言うなら、神が宿っているのです。」



「透明性の住む場所」より:

「……それは戦争の末期で私は十四、五歳でした。私は軍隊とともに山の中にいました。その当時西洋音楽を聴くことは禁止されていて(中略)軍歌とドイツのマーチだけが許されていました。ある日のこと、とても若く知的な見習士官が軍に配属されました。大学の学業半ばに徴兵された彼は、戦争を憎んでいました。その彼の行なったことが私の人生を変えました。彼は西洋音楽のレコードを一枚持ってきていたのです。それは禁止されていたシャンソンのレコードでした。私たちはひそかに集まり、隠れて聴きました。(中略)そんなに美しいものが存在するとは想像したことさえなかったので、私はびっくりしてしまいました。『パルレ・モワ・ダムール』、何とすばらしい音楽でしょう! あの経験は死ぬまで忘れられないでしょう。その時です、いつか戦争が終わったら作曲家になろうと決めたのは。」


「時間(とき)の園丁」より:

「昔、感心して読んだ、オーストラリアの少女の、俳句のような、短詩を憶いだす。
  時間(とき)は生命(いのち)の木の葉、
  そして、私はその園丁だ。
  時間は、緩(ゆ)っくりと、落ちていく。
 下手な訳(やく)だが、大意はおよそこんなものだった。」



「誰もが模倣できない個の世界」より:

「ともすると近代管弦楽法が、単に物理的な量によって規定され、自由さを喪いがちであるとき、エリントンのオーケストラの響きは、多数の異なる質が共存し織りなして行く有機的(オルガニック)な時間空間であり、私たちがそこから学ばなければならないものは大きい。」


「フェルドマン、ノオノ、メシアンの死」より:

「フェルドマンは、(中略)死の間際まで、ニューヨーク州のバッファローに住んでいた。昔、激しい吹雪(ブリザード)のために、私と妻は、数日、その住居に滞在したことがあった。私は、早朝、いつもかれが弾くピアノの音で目を覚ました。かれの音楽さながらに、その音はいかにも小さかったが、雪が静寂を深くする中で、その振動は、冷えた空気を伝って、私の耳に届いた。
 「トオル、ちょっと来てみないか」と、かれが呼んだ。ピアノの前に、屈(かが)みこむようにしたフェルドマンの巨躯(きょく)は、鍵盤(けんばん)すれすれに顔を近づけて、ひとつの和音(コード)を、静かに、繰り返し叩(たた)いている。私の気配に気付いて、まるで壜(びん)の底のように分厚い、度の強い眼鏡を掛けた顔を私に向けた。そして、「どうだい、なんて美しいんだろう」と云って笑った。」
「かれの音楽には、激しい変化や、声を荒だてた主張は無い。研ぎ澄まされた感性が、あの比類ない、独自の、ミニマルな様式を生んだのだ。余分はなにひとつ無い。そのために、かれの音楽の内実は、いっそう確固としたものになる。」



「「音楽は生活すること」」より:

「私がケージから教わったことは、「生活」、つまり生きるということであり、音楽はとりもなおさず生活することと別に在るのではない、ということだった。この単純で自明とも思えることが随分久しく忘れられていた。芸術と生活は分離して、専門家は形骸化した方法論に拘泥(こだわ)り続けてきた。」
「その時、ジョン・ケージが突きつけた問題は、欧米の音楽芸術を根底から揺るがすものだった。忘れられていた音そのものの性質を、そして、音を生み出す母体としての沈黙の存在を、楽天的ともいえるほどの明朗さで、喚起したのだ。ジョン・ケージによって、音はまた、自由さをとり戻した。彼の革命は、芸術上に存在するあらゆるヒエラルキーをとり壊すことだった。(中略)ケージのとり壊し作業は、ダダイストたちのそれとは違って、たんなる否定からではなく、大きな肯定に立脚するものだった。」



「骨月」より:

「私に狂死した伯母がいたことは話したと思う。」
「伯母はよくこんなことを言った。
 「肉体(からだ)のなかに骨があるのではありません。ほんとの肉体(からだ)は骨のなかにはいっているのです。この骨の周囲(まわり)にまといついているぶよぶよした肉はみせかけのものです。血は海水といわれているけれど、骨の中には、月を流れているのとおんなじ白いすきとおった水が流れているのです。血や肉はかならず腐るし、海の水はやがて涸れるでしょう。それでも骨は残ります。なぜなら、骨を流れているその流れは、血や海のようには波立たないからです。」」
「伯母は、骨にはそれ自体の生命(いのち)というものがあって(中略)骨は、その形態をとどめたまま、たえずそのなかに新しい生命を充たしているのだという。そして、骨は永遠の時を目指して白く白くその姿を変えてゆき、ついに、それは人間の眼には、確かめようもない透明となる。
 「ほんとの変化というものは、そのように眼で認められるものではないでしょう。」」

「昔、母方の者が家を出て、豊前から江戸へ上り、前野良沢を訪うたことは、前に記した。前野良沢は、杉田玄白のようなリアリストではなく、学究に徹した人物であったようで、時には侍医としての役職をもおろそかにするようなことがあったらしい。(中略)良沢は特別の天分の人で、終生を蘭学に没頭した。」
「玄白は、良沢という人は、生れつきの多病と称して、『解体新書』の翻訳のころからは、いつも門を閉めきって外出もせず、他人との交際を避けてこの仕事にかかりきり、それを楽しみとして日を送っていた、蘭学が開けるためには、これは天の助けのようなものであった、と書いている。」

「「原養沢の日誌には、その腑分けの模様が細心に描写されていました。朱色の布で目を蓋われた老婆の屍体は、腑分けに備えて、斬首の刑ではなく、細い革紐で縊(くび)られていたと謂います。(中略)とりだされる臓器は、全てオランダの解剖図に照合されました。裂かれた腹部、抉ぐられた胸部、晒された臓器のひとつひとつを視ていた人間の眼は、いったいどんな眼だったかしらね――。原養沢は、臓腑、脈絡、骨節の様が、夷狄の図譜と寸分の違いなきことに驚愕(びっくり)しています。これによって人間の内外は共に明らかにされたのだと、昂ぶった筆で書いています。
 人間は冥府よりも暗い闇を現世で背負っています。遠い過去から、そしてこれから先も、闇は緩慢に垂直な満干(みちひ)をくりかえしています。太陽の淫乱な力で闇は肉体に注がれるのです。
 白日の砂の上で、寸断され虐げられた屍体は、どのように弔(とむら)われたんでしょうね――。」」
「「前野良沢はのちに原養沢へ書き送った手紙に、身体内外のこと分明(ぶんみょう)を得しと覚えたのは悉く錯覚であったように思えてくる。身体のことが明らかになれば心の闇はいやさらに濃さをまし、私はまるで盲(めしい)のように真直ぐな迷路を手探りしている。なぜこのように業を曝らさねばならないのだろうか――、と書いています。そして、燈(あかり)をおとした部屋には、骨だけが皓く月のようにみえる、と書かれていたともうします。」」
「骨ヶ原での解剖を見学した良沢等が、刑場に散乱する骨片を拾って観察したことについて、玄白は、「――さて、その日の解剖こと終り、とてものことに骨骸の形をも見るべしと、刑場に野ざらしになりし骨どもを拾ひとりて、かずかず見しに、――云々」と書いている。原養沢の日誌には、良沢が骨片を秘かに役宅に持帰り、観察をつづけていた様子が誌してある。
 ある一日、良沢の役宅を訪ねた養沢に、良沢は、「いかにも呪い深き死である。骨に滲んだ血は、拭うほどに鮮かに、消えない。わたしはこれを眺めていると、事物の理(ことわり)のいっさいは虚しく思えてくる。(中略)ひとつが明らかになると、その脚下(あしもと)で闇がすかさずぽっかと口をあける。(中略)この仕事が、今日治療の上の大益あるべきを疑うのではないが、さりとて人間(ひと)それぞれが負った業(ごう)は如何ともしがたい。」と語ったと謂う。良沢は、奇妙に白く透きとおる一片の骨をしめして、「骨は心の闇に懸(かか)る月、闇深い夜(世)に皓く冴える」という内容のうたを添えて、その骨片を養沢に手渡した。」

「「わたしは没くなった息子や、没くなった父母たちのためにわたしの琴をお聞かせしていたんです。」」





















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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