冨原眞弓 編・訳 『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』 (ちくま文庫)

「このところ憂鬱(メランコリック)な気分だと書いていたわね。でも、セシリア、それはふつうよ、ぜんぜん心配する必要なし。(中略)だからね、憂鬱になったら、坐って考えるのよ、ふう、これはなんでもない、どうしようもない、そういうものなのだから、と。」
(トーベ・ヤンソン 「クララからの手紙」 より)


冨原眞弓 編・訳 
『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』
 
ちくま文庫 や-29-3

筑摩書房 2012年3月10日第1刷発行
286p 付記1p
文庫判 並装 カバー
定価880円+税
装幀: 安野光雅
カバーデザイン・彩色: 祖父江慎
装画: トーベ・ヤンソン



本書「解説」より:

「本書は(中略)、既刊の短篇集四巻(「トーベ・ヤンソン・コレクション」)から編んだ傑作選(アンソロジー)である。文庫への再録にあたって必要な改訳をほどこした。「幻想の旅」「孤独の矜持」「過去への視線」「怖るべき芸術家」の四つの主題(モティーフ)を設定し、ゆるやかな統一感をもたせて配列した。」


ヤンソン 黒と白


カバー裏文:

「ムーミン作家トーベ・ヤンソンは、じつは子供のこだわりと大人のユーモアやペーソスがない交ぜになった味わい深い小説やエッセイの作者でもある。多くの名作短篇のなかから、明るく楽しい作品を編んだ「トーベ・ヤンソン短篇集」に対し、本書はいわばそのダークサイド。シニカルでいて愛に溢れた独特の作品群は、気むずかしく気位が高い老人のよう。まさにヤンソンの本領が発揮された一冊。」



目次:

◆幻想の旅
砂をおろす
第二の男
発破
ハワイ、ヒロからの物語
夏の子ども

◆孤独の矜持
灰色の繻子(サテン)
クララからの手紙
八月に
機関車

◆過去への視線
ルゥベルト
花の子ども
記憶を借りる女
八〇歳の誕生日

◆怖るべき芸術家

主役
連載漫画家
黒と白――エドワード・ゴーリーにささぐ

解説 黒と白、あるいは、眼のまえにある多義性 (冨原眞弓)




◆本書より◆


「ハワイ、ヒロからの物語」より:

「一生懸命だがいささか的はずれな人間に、わたしは昔から弱かった。」


「夏の子ども」より:

「はなから、バッケンのだれもがこの子を気に食わないのは、はっきりしていた。一一歳の陰気な痩せっぽちで、どことなく飢えている。こういう子は、保護者的な思いやりを自然にいだかせるものだが、そうはならなかった。この子が人を見る、あるいはむしろ観察する、独特の眼つきのせいもあったろう。疑りぶかく見すかすような視線で、およそ子どもらしくなかった。そして、とくと観察したあと、あのませた口ぶりで言葉を発する。じっさい、この子がひねくりだすものときたら!」

「少年は罪悪感をかきたてる名手だ。しばしば、あの気苦労にあふれる妙に大人びたまなざしでみつめられるだけで、自分のやらかした過ちをひとつ残らず思いだしてしまう。
 ある日、エリスが世の惨状についていつも以上に深刻な訓戒を垂れている最中、ハンナがぴしゃりとさえぎった。「あなた、死ぬだの辛いだのって話がほんとに好きね」
 エリスは大まじめで答える。「しかたないよ。ほかにだれも気にかけないんだもの」
 一瞬、ハンナはわけのわからぬ衝動に駆られ、少年をぎゅっとだきしめたくなった。が、その厳粛なまなざしに思いとどまった。あとになって考えた。あの子につらく当たってはいけない、態度を改めようと。しかし改まらなかった。」

「おまけにエリスは、ガラクタをみつけてくるという刮目(かつもく)すべき才能に恵まれていた。」



「灰色の繻子」より:

「マンダはほとんど口をきかない。挨拶のときもほほ笑まない。(中略)ふつうの人は習慣から出会ったときに笑みをかわす。自分が挨拶する相手が好きか嫌いかはべつで、ともかくほほ笑むのが自然なのだ。おまけに彼女は人びとの眼をまっすぐ見ないで、相手の足もとの床に視線をうつす。
 マンダの寡黙さと沈着さ、文句なしの熟練と色彩感覚、それに彼女を匿(かくま)うガラスの壁のせいで、彼女は孤絶した世界におかれた。この世界の外に生きる人びとは、マンダに名状しがたく不気味な怖れをいだく。(中略)毎朝、マンダは裁縫工房にやって来て、外套と襟巻(彼女は頭をすっぽり布で覆う)を脱ぎ、低い声で挨拶をする。彼女が現われると沈黙がおとずれる。」
「ガラス壁の背後に坐っているあいだ、マンダはなにも考えない。刺繍をするのは好きだ。」
「当時、マンダはいっさい夢をみなかった。周囲でうごめく人びとのことなど、知りもせず気にもならなかった。穏やかな夜は大いなる休息と安堵をもたらし、無上の歓びを与えたので、もはや昼間は必要なくなり、自分の殻に閉じこもり、ひたすら刺繍をした。」



「クララからの手紙」より:

「なんであれ、欲しいもの欲しくないものがあれば、大声でどなるとか、周囲に活をいれる迫力ある言葉を吐くとか、できればちょっと怖がらせるとか、そういうのをやってみたら?」

「夜になると記憶が過去へ過去へと遡って、どんな些細な細部も容赦せず、あれこれと責めさいなむ。勇気がなかった、選択を誤った、要領が悪かった、配慮を欠いた、犯罪的なまでに不注意だったとか。かけた迷惑、やらかした失策、とりかえしのつかない戯言(たわごと)の数々。しかも、本人以外はだれもがとうの昔に忘れてはてたことばかり! 一日の終わりに、とつぜん記憶が後ろ向きに冴えわたってしまうなんて。ずいぶんひどい話よねえ?!」

「自分の頭ごしに会話が飛びかうのに堪えられる? 気のきいた相槌を考えているうちに、すでにべつの話題になっている、なんてことは? (中略)だいたい、興味をもっているっていえる?」

「このところ憂鬱(メランコリック)な気分だと書いていたわね。でも、セシリア、それはふつうよ、ぜんぜん心配する必要なし。(中略)だからね、憂鬱になったら、坐って考えるのよ、ふう、これはなんでもない、どうしようもない、そういうものなのだから、と。じゃない?」



「機関車」より:

「わたしは皇帝だ。生と死を思いのままに采配する。学校をすべて閉鎖し、人民に子どもを生むことを禁じる。」

「住居はとても静かだ。ときおり、夕方の紅茶を飲んでいるときに、自分は存在していないのではないか、そもそも一度たりとも存在したことがないのではないか、という奇妙な感慨をいだく。」
「人間味が感じられない、顔がみえない、と咎められたものだ。じつに幾度となく。だが、なぜわたしの顔をみる必要がある? 連中がわたしになにを期待しているのかは知らない。いずれにせよ、そんな権利はないはずだ。」

「家には、当然だが、人を呼ばない。」

「〈かれ〉はこの機関を愛する。その力を、その完璧さを、その至高の無関心を愛する。人びとが自分の内面を喋ってぶちまけ、いわゆる欲動とやらを剥きだしにするとき、〈かれ〉は相手といかなる関係にも巻きこまれぬように配慮する。」

「他人の手を握るのは好かない。だいたい〈手を貸す〉という表現は不愉快だ。なぜそんな必要がある?」

「旅人とは、ひっきりなしに世界を駆けまわっているひとではなく、思考のなかで、夢のなかで、自室のなかで旅をするひとをさす。」



「ルゥベルト」より:

「画学校にルゥベルトという名の学友がいた。ルゥベルトは背が高く痩せており、考えこんでいるのか疲れているのか、大きな頭をいつも心もちかしげている。口数はきわめて少なく、見たところクラスにただひとりの友だちもいない。
 ルゥベルトはおそろしくゆっくりと絵を描く。油絵はいつまでたっても完成しない。白い絵具で画布を塗りつぶし、最初から描きはじめ、また塗りつぶすこともめずらしくない。」

「ある日、わたしはルゥベルトから一通の手紙をうけとった。手紙はわたしのイーゼルにおかれていた。敬称の「あなた」が使われている。」
「 あなたに恨みはありません。むしろ逆です。わたしの誠意を信じてください。――ですが、お伝えせねばなりません。もっぱら個人にかかわる諸般の事情ゆえに、あなたとの交友を終結せざるをえないと感じていることを。」
「なんのことやら理解できず、手紙を読んで不安になった。(中略)いや、むしろ不愉快になった。そもそも彼と話したことがあったか? ほとんどない。」
「ほどなくして、ルゥベルトが絵画クラスの全員に手紙を書き、どの手紙も丁重きわまる交友の断念宣言で結ばれていたことが判明した。(中略)もともと存在しもしない関係から身を退くなんて変だとは思ったが、口には出さなかった。すべては変わりなくつづいた、まったくなんの変わりもなく。」

「戦後、画学校の仲間に出くわし、(中略)わたしはルゥベルトの近況を尋ねた。いま彼がどこにいるか知っているかと。
 「だれも知らないよ。いなくなってしまった。国境を越えたんだ」」



「花の子ども」より:

「ソファに深く身を沈めて、ほほ笑みながら眼をなかば閉じ、彼女を窮地に見棄てた不可解な人生に乾杯をする。」

「たまに友人たちと会っても、距離のある秘密めいた感じがして、足どりも心もとなく、めったに口をきかない。彼らは心配してヘレンをよこし、理由を尋ねる。フローラは彼女に伝言を託す。自分はしあわせで、彼らの配慮には感じいるが、こんなに手の焼ける〈花の子ども〉に頓着するには及ばないと。彼女を囲む世界はいよいよ穏やかな霧に包まれていく。ここで一時間、あそこで数時間、こんなふうに眠るのは造作もない。夕暮れも朝も夜も時間の厳密な法則にしたがわない。だから、なにかを待つ必要もない。
 フローラ・フォーゲルソングは黒貂の毛皮をソファにひろげ、青のロングドレスを身にまとい、姿のみえない客たちをもてなし、自分の半生を語ってみせる。」



「八〇歳の誕生日」より:

「ケケはいう。「あんたのお祖母さんは樹しか描かないよな、じっさい。それもいつも同じ公園の樹だ。」」

「「あの人はな、六〇年代には酷評されたんだが、自分のスタイルを守りぬいたんだ。」」
「「当時はインフォーマリズムが流行でね、みんなが右にならえだった(中略)。怖かったので、時流を追った。どうにか折り合いをつけたのもいるが、自分らしさを失って立ち直れなかったのもいる。でも、あんたのお祖母さんは自分のスタイルを守り、だれもいなくなっても、ひとり踏んばった。勇気がある。いや、頑固というべきかな」
 わたしは遠慮がちにいった。「自分の流儀でしか仕事ができなかったせいかも」
 「なるほどね」とケケ。」

「わたしが入っていくと、ヴィルヘルムが家に来る途中で見た花咲くウワミズザクラの話をしている。「あれをどうしたもんかな」と。
 「咲くがままにしておけよ」とケケ。「(中略)そうじゃないかね。花は咲くにまかせ、ただうっとり眺めるもの。これがひとつの生きかた。それをどうにかしようってのは違う生きかただ。そうなると話はややこしくなるね」」



「狼」より:

「「わたしは」と彼女は慎重にいう。ちょっとした狼狽(パニック)がしだいに募る。「けっこう年はとっていますが、じつは子どもやら動物やらって、あまりよくは知らないんです」
 彼が描くつもりの動物の世界について尋ねたり、手さぐりにせよ捉える可能性があったなら、彼女にもなにかあたらしくて重要なものを発見できるだろうに。ふたりとも同じものを追求していた、というのも考えられぬことではない。ほの暗く、荒々しく、人見知りをするなにか。いまは失われた幼いころの居心地のよさ――なんというか――そんなものか。」

「狼たちのたえざる徘徊は彼女をぞっとさせた。時間をおきざりにする徘徊。狼たちは鉄格子にそって小走りに往復する。くる週もくる週も。くる年もくる年も。もしも人間を憎んでいるとしたら、と彼女は考える。さぞや巨大な憎悪だろう。」



「連載漫画家」より:

「「あいつは切手を集めてるんだ。ボートの図柄のものだけだが。楽器の切手だけってやつの話も聞いたことがある。蒐集家ってのは妙だな。わたしなら苔に興味をもつな。」」



こちらもご参照ください:
エドワード・ゴーリー 編 『憑かれた鏡』
































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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