オリヴァー・サックス 『火星の人類学者』 (吉田利子 訳)

「自閉症は誰ひとりとして同じではない。病態や現われ方はすべてちがう。」
(オリヴァー・サックス 『火星の人類学者』 より)


オリヴァー・サックス 
『火星の人類学者
― 脳神経科医と7人の奇妙な患者』 
吉田利子 訳


早川書房 1997年3月15日初版発行/同年7月15日4版発行
317p(本文中別丁図版16p)
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,500円+税
装画: ヘルマン・セリエント「火の番人」
装幀: Y's Lightning
Oliver Sacks : An Anthropologist on Mars, 1995



『妻を帽子とまちがえた男』をよんで、登場人物にたいへん共感したので、本書もよんでみましたが、本書の登場人物は社会に適応している人がほとんどだったので、『妻を帽子とまちがえた男』のほうがおもしろかったです。


サックス 火星の人類学者1


カバーそで文:

「脳神経に障害をもち、不可思議な症状に悩まされる7人の患者たち。しかし、彼らは超越的な能力を引き出して、困難を創造力に変えていく。
突然、色覚を失ってしまった画家は、絶望に満たされる。だがある日、真っ黒な朝焼けを見て衝撃を受け、白と黒の世界の日の出を描きはじめる。
跳びはねたり、何かに触ったりせずにはいられない奇妙なチックを起こしながら執刀するトゥレット症候群の外科医。しかし手術に没頭しているあいだは、チックは、消えてしまうのだ。
自閉症の女性動物学者は、自分を「火星の人類学者」のようだと言う。なぜなら人の感情のつながりかたが理解できないからだ。その代わり彼女には動物の心が手に取るように分かる。
彼らは皆、一様に言う。たとえ、病気が治せるとしても治したいとは思わない、これが世界に唯一の自分自身だからだと。世界的に著名な脳神経科医サックス博士が深い洞察で描く、一般人の病気観をくつがえす全米ベストセラーの医学エッセイ。」



帯裏文:

「■わたしは医者だから、健康と病気という現象に、つまり、さまざまな困難や身体的変化に直面した人間という有機体がその状況に適応し、自らを再構成していくかたちの多様性に、自然の豊饒さを見てとる。そうした意味で、欠陥や障害、疾病は、潜在的な力を引きだして発展、進化させ、それがなければ見られなかった、それどころか想像もできなかった新たな生命のかたちを産みだすという逆説的な役割を果たすことができるのである。
――本書「はじめに」より」



目次:

謝辞

はじめに
色覚異常の画家
最後のヒッピー
トゥレット症候群の外科医
「見えて」いても「見えない」
夢の風景
神童たち
火星の人類学者

訳者あとがき



サックス 火星の人類学者2



◆本書より◆


「色覚異常の画家」より:

「「わたしはだんだん夜型人間になりました。夜はべつの世界です。ひろびろとしている。通りやひとでさえぎられることはない……まったく新しい世界です」」
「夜の世界では、彼も「正常な」ひとと平等か、もっと優れていると感じられる。」
「なによりも興味深いことは、頭部損傷後まもない頃にはあれほど強かった深い喪失感、それに不快感や違和感が消えたというか、逆転すらしたように思われることだ。(中略)いまでも悲しんでいることは事実だが、色に煩わされずに、純粋な形を見られるようになった自分の視覚が「高度にとぎすまされた」「恵まれた」ものだと感じるようになった。色があるためにふつうは感じとれない微妙な質感や形が、彼にははっきりとわかる。彼は、色に惑わされるふつうの者にはわからない「まったく新しい世界」を与えられたと感じている。もう、色のことを考えたり、焦がれたり、喪失を嘆いたりはしなくなった。」



「トゥレット症候群の外科医」より:

「トゥレット症候群のひとの目や耳を惹き、真似やくりかえしにつながるのは、奇妙な、あるいは特徴的で戯画的な事柄である。このことは、一九〇二年にメージュとフェンデルが引用した手記にも、よく現われている。」
「「わたしはいつも真似に対するこだわりを意識してきた。誰かの奇妙な動作やおかしな行動を見ると、たちまち真似したくなったし、それはいまでも同じだ。同様に、変わった単語や文章、発音、イントネーションなどもすぐに真似してしまう。
 十三歳のとき、おどけて目と口をゆがめたひとを見て、完璧に真似ができるまでやめられなくなった……数ヵ月のあいだ、わたしはその老人のしかめ面を無意識のうちに真似しつづけていた。つまり、チックになったのだ。」」

「ベネット博士は「フー、フー」とつぶやきながら、ヘレンの髪をぴんと伸ばした指先で対称的に叩いたりする。ヘレンは従順になされるがままになっていた。(中略)「わたしはありのままの彼を愛しているんです」とヘレンは言った。「変わってほしいとは思いませんわ」ベネット博士も同じだという。「奇妙な病気ですが……わたしはこれを病気だとは思わず、自分の一部だと感じています。いま『病気』と言いましたが、あんまりぴったりした言葉だとは思いませんね」」



「「見えて」いても「見えない」」より:

「モーリス・フォン・センデンは古典的な著書『空間と視力』(一九三二年)のなかで、三百年あまりにわたって明らかにされた症例をすべて見直し、新たに視力を回復した成人はすべて、遅かれ早かれ「動機づけの危機(モティベーション・クライシス)」に直面するという結論に達した。(中略)彼は、ある患者が見えることに恐怖を感じたあまり(中略)両眼をくりぬこうとしたと述べている。(中略)グレゴリーとヴァルヴォも盲人に新しい知覚を強要することが、彼らの心をどれほど動揺させるかをくわしく記し、最初の有頂天のあと、深刻な(ときには致命的な)鬱状態がやってくると述べている。
 まさにそれと同じことが、グレゴリーの患者S・Bにも起こった。」
「S・Bの鬱はだんだんひどくなり、体調を崩し、手術の二年後に世を去った。以前はどこも悪いところがなく、健康で生活を楽しんでいた彼は、亡くなったとき、まだ五十四歳だった。」

「こうして、「奇跡的に」視力を回復した盲人ヴァージルの物語は、(中略)過去三世紀の何人かと同じ経過をたどったが、最後は奇妙に皮肉なひねりがきいていた。」
「視力が戻った当初には驚き、感激したし、ときには喜びもあった。(中略)だが、やがて見ることと見ないこととの葛藤が生じた。見える世界をつくりあげられないのに、自らの世界は捨てなければならないという葛藤だ。彼はふたつの世界のあいだで引き裂かれ、どちらにいても落ち着けなかった。逃げ場のない苦しみである。だが、皮肉なことに二度目の決定的な盲目というかたちで、救いが与えられた。盲目を彼は贈り物のように受けとった。ついにヴァージルは見なくてもすむようになった。わけのわからないまばゆい視覚の世界と空間から逃れることを許され、ほぼ五十年慣れ親しんだべつの感覚の世界に、ようやく身を落ち着けることができたのである。」



「神童たち」より:

「デヴィッドはスティーヴンの素性について話してくれた。(中略)二歳上の姉のアネットとちがって、赤ん坊のスティーヴンは発達の目安となるお座り、たっち、手の動き、歩行などの運動能力に遅れが見られ、抱かれるのをいやがった。二歳から三歳のころには、さらに問題が生じた。ほかの子供と遊ばず、そばによってくると悲鳴をあげたり、隅っこに隠れたりするようになった。また、両親とも誰とも視線をあわせようとしなかった。ひとの声に反応しないこともあったが、聴覚は正常だった(彼は雷にひどく怯えた)。なによりも心配なことは、言葉が出ないことだった。」
「小児自閉症という診断がくだされ、発達障害児のための特殊学校に入学することになった。(中略)四歳で入学したスティーヴンはひどく孤立していたという。彼はほかのひとたちの存在に気づかないようで、周囲にまったく関心を示さなかった。」

「クリストファー・ギルバーグは、癌で母親をなくした十五歳の自閉症の少年について書いているが、どんな具合かと聞かれて、少年はこう答えたという。「ああ、だいじょうぶです。ぼくは自閉症だから、愛するひとを失っても、ふつうのひとほど傷つかないんですよ」」

「(彼は不器用そうだが、ある種の運動能力は抜群だった。自閉症のひとたちによくあるように、何の練習も必要ない。アムステルダムでは、初めてなのに、ハウスボートにかかった狭い渡り板をためらいもなく渡ったという。その話を聞いて、わたしは以前会った自閉症児を思い出した。その子はサーカスで綱渡りを見たあと、いきなり恐れることなく巧みに綱渡りをしたのである)。」

「スティーヴンには限界があり、変わった特異な人間で、自閉症かもしれない。だが、そのおかげで、彼は重要な世界の表現と探索というめったに成し得ないことができるのだ。」

「自閉症は誰ひとりとして同じではない。病態や現われ方はすべてちがう。」

「ウタ・フリスは『自閉症の謎を解き明かす』のなかにこう書いている。「自閉症は……消えない……(中略)修正したり置き換えたりできないなにかがそこにはある」彼女は、その「なにか」には逆の側面もあるのではないかと推測する。それは、一種の倫理的、知的な強さ、あるいは純粋さといったもので、通常とはあまりにかけ離れているがゆえに、常人の目には高貴であるとか、馬鹿げているとか、恐ろしいと見えるかもしれない。フリスはこのことから、昔のロシアの聖なる愚者、フランシスコ修道会の最初の信徒だったジネプロ修道士、(中略)変人で奇妙なこだわりが強かったシャーロック・ホームズと、その「百四十種類のパイプや葉巻、紙巻きタバコの灰に関する小論文」、「ふつうの人間の日常的な感情に曇らされない明晰な観察力と推理力」、そして通念にとらわれた警察が解決することのできない事件の解決を可能にする非因襲性について考える。アスペルガー自身も「自閉的知性」について、伝統や文化にほとんどとらわれない知性の一種で、非因襲的で非正統的で、奇妙に「純粋」で独創的な、真の創造的知性に似たものであると記している。」



「火星の人類学者」より:

「テンプルは学校で友達に強く憧れ、(二、三年、彼女は空想のなかで友達をつくっていた)友達になると徹底的に忠実だったが、彼女の話しぶりや行動には他人を遠ざけるなにかがあり、(中略)仲間として完全には受けいれてくれなかった。「自分がどんな悪いことをしたのかわかりませんでした。不思議なことに、自分がひととちがっているという認識がわたしには完全に欠けていたのです。わたしは、ほかの子供が変わっているのだと思っていました。どうして、自分が仲間に入れないのか、さっぱりわかりませんでした」ほかの子供たちにはなにかが起こっていた。非常な勢いでつねに変化している微妙ななにかだ。意思のやりとり、交渉、相互理解のすばやさ、それらがあまりに驚異的なので、ほかの子供たちにはテレパシーがあるのではないかと思ったほどだった。彼女にはそうした社会的な信号の存在が感じとれなかったからだ。いまでは推測できるが、しかし感じとることはできないし、この魔法のようなコミュニケーションに直接参加することもできず、その裏にある重層的で万華鏡のような心の状態を理解することもできないと、彼女は言った。(中略)だから、ときおり自分をのけもの、エイリアンだと感じるのだ。」

「決定的な出来事が起こったのは、十五歳の時だった。彼女は家畜を押さえるのに使う締め上げシュートに魅せられた。科学の教師は彼女のこだわりを馬鹿にせず、まじめに受けとめて、自分でつくってみたらどうかと勧めた。(中略)このときテンプルは、日常的な言葉や社会的な言葉に対する理解はあいかわらずおかしかったけれど――ほのめかしや仮定、皮肉、比喩、冗談がわからなかった――科学および技術の言葉の世界は非常に楽なことに気づいた。そちらは明晰で明示的で、暗黙の前提に左右されることがずっと少なかった。彼女にとって社会的な言葉はむずかしかったが、技術的な言葉はずっと容易だった。そこから科学への道が開かれたのだ。」

「知的、感情的エネルギーの大半を科学に向けることによって、あるレベルの問題は解決したとしても、ほかの部分の緊張や不安、さらには苦悶が残っていた。(中略)テンプルは自分が決して「ふつうの」人生は送れず、それにともなう「ふつうの」満足――愛情や友情、娯楽、社交――は味わえないかもしれないことを認識させられはじめた。この年頃の才能ある自閉症の若者には悲惨で、絶望や自殺の原因にすらなりかねないことだ。」

「じっさい、自閉症のひとたちの一部は、緩和できない強烈な異質感をもつあまり、なかば冗談に自分たちは別の種なのだと思うという(中略)。彼らに言わせれば、自閉症は特殊な医学的状態で、症候群として病理現象扱いされるとしても、それと同時にある全的なあり方、まったく異なった存在の態様あるいはアイデンティティとして見るべきであり、そこを意識し、誇りをもつ必要があるという。」























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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