網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』 (ちくまプリマーブックス)

「その『天狗草紙』の詞書に「穢多童(えたわらわ)」という差別的な言葉がはじめて飛び出してくる。これはまことに象徴的(しょうちょうてき)な事実といわなくてはなりません。乞食・非人も悪党もすくわれるとし、そうした人びとに支えられた一遍の姿を描いた『一遍聖絵』に対し、こうした人びとを「穢多」とののしり、その動きを天狗のしわざとした『天狗草紙』。ここに十三世紀末の「穢(けが)れ」「悪」をめぐる、きびしく鋭(するど)い思想的な対立と葛藤(かっとう)がはっきりと姿を現しているといってよいと私は思います。」
(網野善彦 『日本の歴史をよみなおす』 より)


網野善彦 
『日本の歴史をよみなおす』
 
ちくまプリマーブックス 50

筑摩書房 
1991年1月30日 第1刷発行
2004年9月30日 第31刷発行
237p 目次3p
B6判 並装 カバー
定価1,200円+税
装幀: 南伸坊



本書『日本の歴史をよみなおす』と、『続・日本の歴史をよみなおす』(1996年1月刊)は、のちに合冊されて、ちくま学芸文庫『日本の歴史をよみなおす(全)』(2005年7月刊)として再刊されています。

本文中図版(モノクロ)多数。


網野善彦 日本の歴史をよみなおす


カバー裏文:

「後醍醐天皇の出現が、
日本の歴史全体を変えた驚くべき事実。
「一遍聖絵」から読み解く差別の発生。
ひらがな文字や銭の普及の背景とその意味。
今日の私たちを束縛し、重大な影響を与えた
十四世紀の出来事から、
新しい日本史像にいどむ刺激的な試み。」



目次:

はじめに

第一章 文字について
 村・町の成立
 日本人の識字率
 片仮名の世界
 女性と平仮名
 文字の普及と国家

第二章 貨幣と商業・金融
 宋からの銭の流入
 富の象徴
 どうしてモノが商品となるか
 どうやって利息をとったか
 神仏、天皇の直属民
 聖なるものから世俗のものへ
 鎌倉新仏教の役割

第三章 畏怖と賤視
 古代の差別
 悲田院の人びと
 ケガレの問題
 「非人」の出現とその仕事
 特異な力への畏れ
 神仏に直属する「非人」
 河原者
 放免
 童名(わらわな)を名乗る人たち
 聖別から卑賤視へ
 『一遍聖絵』のテーマ
 絵巻をさかのぼる
 差別の進行
 東日本と西日本の相違

第四章 女性をめぐって
 ルイス・フロイスの書物から
 男女の性のあり方
 太良荘(たらのしょう)の女性たち
 女性の社会的活動
 女性職能集団の出現
 公的世界からの女性排除
 穢れと女性
 女性の地位の低下

第五章 天皇と「日本」の国号
 天皇という称号
 「日本」という国号の歴史
 天皇の二つの顔
 租税の制度
 「職(しき)の体系」、神人(じにん)・供御人(くごにん)制と天皇
 仏教と天皇
 日本列島には複数の国家があった
 天皇家の危機
 権威と権力
 大転換期

あとがき




◆本書より◆


「文字について」より:

「つまり日本の社会の場合、文字社会、文書の世界は非常に均質度が高い。これにたいして、無文字の社会、口頭の世界は、われわれが考えているよりもはるかに多様だということなのです。ですから均質な文字社会の表皮をはがしてしまうと、じつはきわめて多様な民俗社会が姿を現すということになる。日本の社会はいまも決して均質ではないのです。」

「平仮名は、まず女性の世界に用いられはじめます。」
「女性が早くから独自の文字を用いていたということは、日本文化の問題を考える場合、非常に重要な点でして、女流の文学が『枕草子(まくらのそうし)』『源氏物語』以来、十三世紀後半の『とはずがたり』、十四世紀の『竹向(たけむき)が記』まで、連綿と書かれているのは、もちろんそのことが前提になっています。しかし、前近代に女性がこのようなすぐれた文学を多く生み出した民族が、はたして世界にあるのかどうか。私はおそらくほかにはないと思いますが、なぜ女性がこのような役割をはたしえたのか、その意味はまだ深く考えられていないと思います。
 そして(中略)こうした女流の文学が生まれたのは十四世紀までなのです。室町(むろまち)時代以降、女性の日記はありますが、江戸(えど)時代までふくめて女性の文学といえるものは、おそらくないのではないかと思います。これが最初にお話しした、十四世紀を境とした社会の転換(てんかん)と深いかかわりがあることは確実です。」



「貨幣と商業・金融」より:

「日本の社会では、河原、川の中洲(なかす)、あるいは海と陸との境である浜(はま)、山と平地の境目である坂などに市が立つのが普通(ふつう)です。このように市の立つ場は独特な意味をもった場なのですが、そうして開かれた市場は、日常の世界とはちがい、聖なる世界、神の世界につながる場であると考えられていました。
 そこにはいると、モノも人も世俗の縁(えん)から切れてしまう。つまり「無縁」の状態になるのではないかと思うので、そうなった時にはじめて、モノとモノとを、まさにモノそのものとして交換(こうかん)することが、可能になるわけです。」



「畏怖と賤視」より:

「こうした非人の集団の中にはさまざまな人びとがいたのですが、基本的にはなんらかの理由で平民の共同体の中に住めなくなった人たちです。前にもお話ししたように、まったく身寄りのない人、捨子や身体障害者で通常の生活ができなくなった人、さらに癩の病(やまい)に罹(かか)った人がいたことがわかっています。」
「なぜこのような非人が神人・寄人になったのかについては、さきほどいいましたように、ケガレがこの時代の社会ではまだ、畏怖感(いふかん)をもってとらえられていたこと、非人たちはそれをキヨメることのできる特異な力を持っていたとみられていたことと、深い関係があると思います。」
「ですからケガレに対して人びとは、たんにそれを忌避(きひ)し嫌悪(けんお)するだけではなくて、畏怖の感覚をもっていたのです。ケガレを清める力をもち、それを職能にしている非人に対するとらえ方にも、やはりそれに通ずるものがあったと見られるので、そのように特異な、一般(いっぱん)の人間にはできない職能をもっているがゆえに、非人は神人(じにん)・寄人(よりうど)、神仏の直属民という社会的な位置づけをあたえられたのだと思います。
 実際、乞食(こつじき)をしている人も、この時代は文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の化身(けしん)、仏の化身であるという仏教上の考え方があり、乞食に邪(じゃ)けんなあつかいをすると仏罰(ぶつばつ)が下るとされていました。これは仏教者の教えをひろめるための話ですが、しかしこのように乞食もケガレを清める特異な能力をもっていたとされており、しかもそれが畏(おそ)れと結びついていたということは重要なことだと思うのです。」

「十四世紀までの非人を、江戸(えど)時代の被差別(ひさべつ)部落と同じようにとらえてしまうことは、かなりの誤(あやま)りを生むのではないかと私は思っています。非人は神人・寄人(よりうど)と同じように、一般(いっぱん)の平民百姓(ひゃくしょう)とははっきり区別されており、不自由民である下人、つまり世俗の奴婢(ぬひ)ともまったくちがう存在で、神仏の「奴婢」として聖別された、つまり聖なる方向に区別された存在であり、ときに畏怖(いふ)、畏敬される一面ももった人びとであったといわなくてはなりません。」

「僧形(そうぎょう)の「非人」――狭義(きょうぎ)の非人の場合は別として、河原者の場合、河原細工丸といわれているように俗体なのですが、個人の名前がわからないとはいえ、「丸」といわれています。また、放免(ほうめん)の名前をわかるかぎりで追いかけてみますと、(中略)すべて「丸」という名前でよばれているのです。
 これはかなり重要な問題で、つまりこの名前は童名(わらわな)ということができます。幼名に「丸」を付けることはよく知られていますが、放免の場合、実名と童名とを重ね合わせたような形で、もちろん成年にたっしたおとなでありながら、「丸」を名乗っている。」
「こうした人たちはたんに名前だけでなく、髪形(かみがた)などの姿形も童姿(わらわすがた)をしていたと見られるのです。」
「つまり当時は髻(もとどり)(本鳥)を結んで折烏帽子(おりえぼし)をかぶるのが、平民の成年男子の髪型で、髻(もとどり)を切られてざんばら髪(がみ)、蓬髪(ほうはつ)にされることは、平民の成人としての資格を剥奪(はくだつ)されるほどの重要な意味をもっており、「本鳥切り」は処罰(しょばつ)の形でもありましたし、人の本鳥を切るのは相手に大きな侮辱(ぶじょく)をあたえることでもあったのです。」
「さて、また「童名(わらわな)」の問題にもどりますが、「丸」をつけた名前は、いろいろなものに付けられています。鷹(たか)や犬のような動物にも「丸」が付けられているし、鎧(よろい)や兜(かぶと)、武器にも、(中略)よく「丸」をつけた名前が見られます。また笛(ふえ)、笙(しょう)、篳篥(ひちりき)のような楽器も、何々丸という名前を持っているし、船にも「丸」が付けられています。」
「「丸」をつけるものは、みないわば聖俗の境界にあるものであることに注意する必要がある。鷹(たか)や犬などはまさしくそういってよい動物だと思いますし、楽器も同様です。当時の音の世界は、神仏との関係でとらえられており、神仏を呼び出し、また神仏を喜ばせるために用いられているわけで、楽器はまさしく神仏の世界と俗界を媒介(ばいかい)するものだと思います。」
「こうしたものになぜ童名がつけられたのかということは、童――子どもそのものに対するこの時期の社会の見方と深いかかわりがあり、童自身が、聖俗の境界にある特異な存在と考えられていたのです。(中略)子どものいうことは神の意思を体現していると考えられていた時期があったのではないかと思います。
 聖俗の境界的な人や物、動物に童名(わらわな)を付けるという習慣は、このことにつながると私は考えております。ですから、童名をつけている人についても、中世の前期までは、聖別された一面があったといってよいと思うのです。
 ところが、「穢多(えた)」ということばが十三世紀の後半の『天狗草紙(てんぐそうし)』にはじめて登場します。その「穢多」は「童」といわれており、絵巻には蓬髪(ほうはつ)で描(えが)かれています。この絵では「穢多童」が河原で鳥を殺しています。この鳥は鳶(とび)の姿をした天狗(てんぐ)なのですが、動物の肉を餌(えさ)にしてこれを捕まえて殺そうとしているのです。
 この絵巻の詞書(ことばがき)には、天狗にとっての「おそろしきもの」として、尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)などの密教の呪文(じゅもん)などとならべて、「穢多のきもきり」をあげています。(中略)このように河原者――「穢多」は天狗を調伏(ちょうぶく)する力を持っていたのです。
 これは「非人」の持つ力としてきわめて注目すべきなのですが、しかしそれを「穢多童」という、差別的なことばと文字でこの絵巻は表現しており、これが「穢多(えた)」の語の文献(ぶんけん)上の初見です。この草紙の成立は永仁(えいにん)ころ、十三世紀のごく末ですが、はじめて、非人・河原者に対し、「穢(けが)れ多し」という明らかな差別語を用いる動きが現れてきたことになります。
 『塵袋(ちりぶくろ)』という鎌倉(かまくら)後期の古辞書のなかに、「キヨメヲエタト云フ」のはなぜかという問に対して、「エタ」は「餌取(エトリ)」のなまったものだとのべていますが、その最後に、「イキ物ヲ殺テウルエタ躰ノ悪人也(なり)」と書かれています。非人や河原者を「穢れ多い」悪人であるとする差別意識、これを卑賤視(ひせんし)する方向での差別が、このころから社会の中に現れてきたことを、これはよく物語っています。
 どうしてこのような意識がでてきたかについてはいろいろな議論がありますが、私はこのころケガレに対する観念が変化してきたことに理由があると考えています。それ以前のようにケガレを恐(おそ)れる、畏怖(いふ)する意識がしだいに消えて、これを忌避(きひ)する、汚穢(おわい)として嫌悪(けんお)するような意識が、しだいに強くなってきたことによるのだと思います。」
「この時期、十三世紀後半ごろを頂点とするその前後の時期は、日本の社会において「悪」とは何か、あるいは非人、女性の賤視の問題にもかかわるケガレを、いかに考えるべきかについて、かなりきびしい思想的な緊張(きんちょう)のあった時期だったように思うのです。
 「穢(けが)れ多き」人びとを賤(いや)しめ、賤視し、「悪人」として排除(はいじょ)しようとする動向が、一方から強烈(きょうれつ)に主張されるのに対し、むしろ、「ケガレ」にたずさわる人びとも、仏の力によって救われる、非人も女性も救済(きゅうさい)される、という主張、さらには親鸞(しんらん)のように、善人すら往生できるのだから、いわんや悪人が往生できないはずはないという「悪人正機(しょうき)」の主張、いわば「悪人」といわれる人びと、あるいはケガレにたずさわる人びとのなかにこそ人間らしい魂(たましい)があるということを主張する動きが他方にはっきり出てきます。
 そして、その両者の間のきびしい緊張(きんちょう)関係と対立が、十三世紀後半を中心としてその前後に展開したと思われます。それをよく示しているのが、鎌倉(かまくら)時代の後期のほぼ同じころに描かれた、『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』とさきほどの差別的な『天狗草紙(てんぐのそうし)』との関係であります。」

「『一遍聖絵』はよく知られているように、他の絵巻物と比べて、特異といってもよいほどたくさんの非人や乞食(こつじき)を登場させ、描いています。」
「これまでは『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』にえがかれた乞食(こつじき)・非人と、一遍・時衆(じしゅ)たちとは関係がないとして、(中略)別々に研究されていたのですが、両者は無関係どころか、非常に深く結ばれていたことになります。とくに童姿の人びとを媒介(ばいかい)として、非人たちは一遍と強く結びついており、絵巻はこの施行(せぎょう)の場面を通じて、童姿の人びとや非人たちが、しだいに一遍に帰依(きえ)していく経緯(けいい)を語り描(えが)いていると考えたほうが、理解しやすいと思います。」
「一遍の布教はまさしく、悪党・童姿(わらわすがた)の人びとや非人に支えられながらおこなわれていったことを、この絵は全体として描いているといってよいと思います。」

「十四世紀以前の「穢れ」は、前にもふれてきましたが、ある種の畏怖(いふ)、畏(おそ)れをともなっていたと思いますが、十四世紀のころ、人間と自然とのかかわり方に大きな変化があり、社会がいわばより「文明化」してくる、それとともに「穢れ」に対する畏怖感はうしろに退いて、むしろ「汚穢(おえ)」、きたなく、よごれたもの、忌避(きひ)すべきものとする、現在の常識的な穢れにちかい感覚に変わってくると思います。
 動物に対しても同様で、人の力でたやすく統御(とうぎょ)できない力をもった生き物という感覚がうすれて、「畜生(ちくしょう)」「四つ足」といういい方すら、江戸(えど)時代には定着してくるようになります。そのことがさきほどふれたような生業にたずさわる人びとに対する賤視(せんし)を社会的にも定着させ、それを背景に、江戸幕府による賤民身分の固定化という事態がつくられていったのではないかと私は考えております。」



「天皇と「日本」の国号」より:

「また、ここであらためて注意しておく必要のあることは、さきほどもふれたように、北海道と沖縄(おきなわ)はもちろん、東日本についても、果しておよんでいたかどうか疑問といえる、畿内(きない)を中心とする日本を国号とする国家の権威(けんい)が、九世紀ごろから一層あやしくなってきたことです。
 そして十世紀になると、東日本――東国は天皇の統治権からしだいに離(はな)れていく傾向(けいこう)をはっきりと持ちはじめています。それがはっきりしたのが、十世紀の初頭におこった天慶(てんぎょう)の乱です。
 いわゆる平将門(たいらのまさかど)、藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱で、純友は新羅(しらぎ)の海賊(かいぞく)とつながりを持っていたと思いますが、独自な国家まではつくりませんでした。しかし将門の場合は、三ヵ月たらずではあれ、王朝の任命した国司を追いはらって新しい国家をつくり、将門自身は新しい天皇、「新皇」という称号を、八幡(はちまん)の神、菅原道真(すがわらのみちざね)からあたえられるのです。そして、下総(しもうさ)に都を置き、のこりの関東の七ヵ国に伊豆(いず)を加えた八ヵ国に、国司を任命して、東国国家を樹立します。
 東国はここで、京都の王朝の統治権からごく短期間であれ、完全に離脱(りだつ)したわけです。日本列島には決してひとつの国家だけがあったのではなく、複数の国家があったことを、この事実がよく示しているといえましょう。」












































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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