『内田百閒全集 第八卷』 (全十冊 講談社版)

「私には私の文法がある。人から押しつけられた無理強ひに從つて自分の文法を變へたり捨てたりする事は出來ない。」
(内田百間 「驛の歩廊の見える窓」 より)


『内田百閒全集 第八卷』
いささ村竹・鬼苑漫筆・ノラや・東海道刈谷驛・つはぶきの花

講談社 昭和47年12月20日第1刷発行/昭和48年9月10日第2刷発行
574p 口絵(モノクロ)1葉
A5判 丸背布装上製本 貼函
定価3,300円
編纂委員: 川端康成/高橋義孝/福永武彦
編輯校訂: 平山三郎
装釘意匠: 講談社ブックデザイン部
本文二段組/「解題」三段組
正字・正かな

月報 8 (8p):
稲門堂と砂利場(浅見淵)/百閒先生の思い出(本多顕彰)/百鬼園先生町内古地図(江国滋)/「千丁の柳」と小石清(小林博)/余滴 由比の浜風(永田博)/余滴(平山三郎)/全巻書目/図版(モノクロ)6点



本文中図版(モノクロ)2点。


内田百間全集 第八巻


帯文:

「莫逆の友、撿校宮城道雄を〔東海道刈谷駅〕に失い、家猫〔ノラや〕の失踪に身も世もなく嘆き悲しむ。待つとし聞かば今帰り来む、ノラやノラや。百閒文章の痛心と哀感はここに極まる。――彫心の身辺雑記に明治大正を懐旧する〔いささ村竹〕〔つはぶきの花〕〔鬼苑漫筆〕と名文集を収めた。」


帯背:

「名琴を奏でて神韻
高雅な格調と郷愁
随筆文学の最高峰」



帯裏:

「高士の書 河盛好蔵
 文句なしに楽しい本、舌鼓を打ちながらおいしく読める本が実に少なくなった。たいていの本は何かを教えてやろう、名論卓説を聞かせてやろうといった顔をしている。でなければ、どうだ面白いだろうと、著者ひとりが勝手に面白がっている。その根性の卑しさではどちらも共通している。しかし百閒先生の本は全く類を異にしている。これはまさしく高士の書であって、その天衣無縫な内容と文章は、私たちをしてしばし仙境に遊ぶ思いをさせてくれる。不老長寿の霊泉というべきである。」



目次:

いささ村竹
 十年の身邊
 いささ村竹
 吉右衞門
 勝チ負ケハ兵家ノ常勢ナリ
 八ツ橋
 横須賀の暗闇の宴
 帝國讀本卷ノ一
 お池の龜と緋鯉
 出て來い池の鯉
 消えた旋律
 蟲のこゑごゑ
 岡山のなが袖
 水中花
 古寫眞の十三人
 高知鳴門旅日記
 雙厄覺え書
 不連續線
 彼ハ猫デアル
 御慶五年
 黑い緋鯉
 寶の入船
 墓木拱ならず

鬼苑漫筆
 鬼園漫筆前書
 第一章 丁子茄子
  晝狐
  およばれ
  雨のホーム
  正門から
  降臨用梯子段
  北山時雨
  ちやうじなす
  段段御馳走樣
 第二章 うまや橋
  路地のどぶ
  兩造
  お前さん
  愛讀者
 第三章 第三債務者
  第三債務者
  襖越し
  金一封
  河岸の魚
 第四章 燒け棒杙
  教授室の午飯
  燒け棒杙
 第五章 山葉オルガン
  第五囘内國勸業博覽會
  天地無用
  蘆屋の涙
 第六章 六高土手
  六高土手
  井戸側
  寶珠の玉
  牛窓の五圓金貨
  豹に喰はれる
 第七章 煙塵
  白い炎
  煙塵
 第八章 斷章七篇
  連載に就いて
  創立記念祭
  餘波の蒲燒
  漱石先生と器樂
  提琴競爭曲
  竹に雀
  聽診器
 第九章 斷章六篇
  災害辯士
  二時だよ
  休載
  僞物の新橋驛
  黑リボン
  大朝顔
 第十章 九州のゆかり
  立春の御慶
  門司港の夜風
  博多の柳
  櫻島
  赤女ケ池の松濱軒
  八代の黑田節
  豐後竹田の砂ほこり
  九州大水害
  長崎のどぶ泥
  「春雨」の宵の秋雨
  九州への道筋
  小倉から宮崎へ
 第十一章 又寢
  又寢
  座邊の片づけ
  儉約論
  三更の晩食
  眞夜中の蒲燒
  未明の書見
  お前ではなし
 第十二章 お話し中
  かんぶつ箱
  お話し中
  酒くさい
  無線電話
  物騷な音波
 第十三章 目
  他人の目で見る
  目の屆く範圍
 第十四章 齒   
  賴朝公の御像
  髭の歸省
  ビルの齒科醫
  口腔外科
  食卓鋏
 第十五章 御閑所
  裏へ行く
  階下の少年
  御閑所

ノラや
 ノラや
 ノラやノラや
 ノラに降る村しぐれ
 ノラ來簡集前書 目次
 ノラ來簡集
  *
 朝雨
 門の夕闇
 田樂の涙
 草平さんの幽靈
 一本七勺
 列車食堂の爲に辯ず
 放送初舞臺
 鯉の子
 第七囘摩阿陀會
 御慶六年
 八代紀行
 千丁の柳

東海道刈谷驛
 神樂坂の虎
 猫の耳の秋風 けらまなこ
 支離滅裂の章
 浦づたひ
 彼岸櫻
  ノラ未だ歸らず
  御慶七年
  紙上放送「螢の光」
 三會覺え書
  九日會
  四番町にて
  御慶八年
 君ケ代のたんま
 皇太子の初幟
 お膳の我儘
 つもりの遣り繰り
 す
 我が酒歴
 晝はひねもす
 驛の歩廊の見える窓
  *
 臨時停車
 東海道刈谷驛

つはぶきの花
 つはぶきの花
  阿里山の霧雨
  比良の虹
  「上だけ」
  怒髪上衝冠
  獵虎の襟卷
  大鳴門關
  實益がない
  心耳を洗ふ
  質屋の暖簾
  餓ゑ死に
  普天の下
  殘り鬼
  羽筆の水
  くりくり坊主
   *
 三谷の金剛樣
 山屋敷の消滅
 早春の結滯
 面影橋
 羽田空港最初の離陸
 沿線の廣告
 晝夜顚倒
 小さんと式多津
 菊坂の湯呑
 しみ抜き
 とくさの草むら
 四谷左門町
 文藝家協會に入會しようか
  *
 動詞の不變化語尾

解題 (平山三郎)



内田百間全集



◆本書より◆


「ノラに降る村しぐれ」より:

「今日はどうしたのか一日ぢゆう、午後も宵も未明四時に寢るまでノラの事が繰り返し繰り返し思はれて涙止まらず、本當にノラはどうしたのだらう。どこにゐるのか。それともどこにもゐないのか。」


「けらまなこ」より:

「「僕はしかし、若い時さう思つたね、狸でも狐でも構はない、正體(しやうたい)は何でもいいから、非常に美しい女が出て來て僕を化かしてくれないかつて」
 「そんなのは困ります、用心しなくちや」
 「いや、こちらが化かされたいのだ。化かされてしまへば、狸だつて人間だつて同じ事ぢやないか」
 「さうは行きません。後後の事がありますから」
 「大丈夫だよ、相手が狸や狐なら民事訴訟は起こらないから。昔、僕の家の近所に駄菓子屋の卯之助(うのすけ)さんと云ふ兄さんがゐてね、それが饅頭岩(まんぢゆういは)の饅頭狐に化かされたのだ」
 「饅頭を食はされたのですか」
 「さうぢやない。片方に墓山があつて、その下に水車小屋があつて、その間の晝でも薄暗い道に眞ん圓い大きな岩が乘り出してゐるのだ。それが饅頭岩で、そこへ出て來る狐が饅頭狐さ。卯之さんは饅頭狐にたぶらかされて、三日三晩家へ歸つて來なかつた」
 「どこにゐたのです」
 「それは知らないが、その間ぢゆう卯之さんは綺麗な女にかしづかれて實にいい目を見て來たのださうだ。はたから見れば狐に鼻毛を讀まれて馬鹿な話だが、本人はうつつを抜かして恍惚としてゐる。羨ましいね。さう云ふ目に會ひたいとは思ひませんか」
 「いやですよ。僕だつたら、すぐ正體を見破つてやります」
 「正體と云ふ事になると、相手の正體よりも、こつちの、自分の正體が怪しくならないかな」」



「晝はひねもす」より:

「私の生れ故郷備前岡山の町の眞中に鐘つき堂があつて、大きな釣鐘が二階だつたか三階だつたかに釣るしてあつた。小判、つまり黄金が澤山鑄潰(いつぶ)して入れてあると云ふ事で、その爲に鐘の響きがよく、ごうん、ごうんと深みのある音がして遠音(とほね)が利いた。大火事、大水の時は「早鐘をつく」と云つて續けざまに撞き鳴らす。その響きが方方の半鐘の音とからみ合ひ、物凄い感じを人人に起こさせた。
 しかしそれは非常の時の事で、ふだんはゆつくりと時の數を撞いて時を報ずる。但し初めに「捨て鐘」を三つ撞く事になつてゐた。だから一時の時は四つ、十二時なら十五鳴るわけである。なぜ「捨て鐘」を撞くかと云ふに、昔から鐘樓に住んでゐる古狐を、いきなり鐘の音で驚かせると狐が腹を立てて、あだをする。鐘を撞いてゐて、それ迄に幾つ鳴らしたかわからなくなつてしまふさうで、狐のその仕返しを避ける爲に、初めに先づ大きな聲で「撞きまアす」と豫告し、ついで捨て鐘を鳴らした上で時の鐘を撞く。昔の岡山には午砲はなくサイレンなぞ勿論ある筈はないので、鐘つき堂の大鐘の音が唯一(ゆゐいつ)の時報であつた。」



「驛の歩廊の見える窓」より:

「新聞等で假名遣ひの扱いが窮屈になつたので大變困る。そつちできめた方針に從ひ、人の書いた物を勝手に直さうとする。横暴とも彈壓とも言ひ樣のない處置で、その新聞が掲げてゐる言論の自由だとか民主主義だとか云ふものの後味の苦(にが)さを十分に味ははされる。
 向うはさうするだけの理窟があるらしいが、こちらはその理窟を納得しない。しかし納得してもしなくても、人の書いた物をなほすのに容赦はしない。なほされるのがいやなら、寄稿しないより外はない。だから私はさう云ふ新聞には決して書かない事にしてゐる。」

「私には私の文法がある。人から押しつけられた無理強ひに從つて自分の文法を變へたり捨てたりする事は出來ない。」



「つはぶきの花」より:

「宮城さんが亡くなつてから、私はまだ一度もその遺宅へ行かない。お悔みも、お通夜も、お葬ひもみな失禮してしまつた。宮城さんの琴の演奏を、レコードやテープで聞くのも困る。聞いてゐる内に駄目になつてしまふ。御本人の彼の演奏でなく、その作曲をお弟子が彈くのでも、うまく上手に行つてゐると矢張り途中から聞いてゐられなくなる。
 亡くなつた後間もなく、お家の人に賴んで、私の見覺えのあるいい寫眞を屆けて貰つた。額縁に這入つてゐて、すぐ掲げられる樣になつてゐる。それも包み紙に包み込んだ儘、出して見る氣になれない。」
「しかし人には思ひ切りと云ふ事が肝心である。少しは宮城に見習つたらよからうとも思ふ。宮城さんは御自分が盲目であると云ふ人生の不幸を自分から切り離して、丸でひと事の樣な事を云つた。」
「めくら滅法、闇鐵砲なぞ、普通は遠慮して盲人に向かつては使はない言葉を、宮城さんは平氣で向うから使つて澄ましてゐた。
 近年テレビが普及し始めた頃、彼は私の所にテレビはあるかと尋ねた。
 私があんなちらちら、うるさい物はいらないと云ふと、さうではない、大變面白いから是非取れとすすめた。
 人にすすめるのはいいが、御自分は見えもしない癖にどうしてゐるのかと思つたら、宮城さんは他人の目を自分の用にあてて、それで事を濟ましてゐる。家の人達がテレビを見てゐる中に御自分も坐り込み、みんながああだ、かうだと云ふのを聞いて、自分で畫面の景色を作り上げて樂しむ。こなひだの世界一周のテレビなど非常に面白かつた。是非お取りなさい、と盲人が目あきに勸告した。
 テレビが出來る前の話に、近い内テレビが見られる樣になると云ふのが宮城さんの氣に掛かり、從來のラヂオでは盲人も目あきもその前に坐れば同資格であつたが、テレビと云ふ物が出來ると、盲人はまた一歩後へ下がらなければならない。そんな物は無い方がいい、と宮城さんは自分の文章の中でさう云つてゐたが、いよいよ出來てしまへば矢張りその物に順應して樂しむ。人の目で間に合はせて、それで用を辨じて事を缺かない。」



「餓ゑ死に」より:

「田舎の私の生家の裏隣りに、昔から續いた舊家の紺屋があつたが、時勢の浪に洗はれて段段に家運が傾き、一家離散と云ふ樣な事になつて、お年寄りの、私なども子供の時から知つてゐる脊の高いおぢいさんが一人、人氣(ひとけ)のない家に殘つてゐた。
 或る日近所の人が行つて見ると、そのおぢいさんが死んでゐた。食べる物が無くなつて餓ゑ死にしたらしいのである。ところが家の中にはまだいろんな道具や品物があつて、それを質に入れるなり、賣るなりすればお金になるものをおぢいさんはさう云ふ事をしなかつた。(中略)金目の物を殘した儘、お金が無くなり、食べる物が買へなくなつて餓死した。」



「山屋敷の消滅」より:

「をばさんとをぢさんが私に話して聞かせた。あすこの土手の下の百姓の畑に狸がゐたから、家の人がたたき殺したら、忽ちそこのをばさんに乘り移つた。變な落ちつかない目をして起つたり坐つたり、そはそはして朝から晩まで同じ事を口走る。
  蟻が來たら
     どうせうか
  犬が來たら
     どうせうか
 その話が子供心に沁み込み、蟻が來たら、どうせうかと云ふ口癖がいつ迄も殘つて、今でもその節(ふし)の儘口にのぼつて來る。」



「小さんと式多津」より:

「漱石先生の「三四郎」の中で、與次郎が小さん論をやる。小さんの如き天才は滅多に出ない。彼と時代を共にするのは我我の幸運である。」
「年代の記憶は不確かであるが、多分昭和になつてからだと思ふ。小さんが高座に出るのが段段に少くなり、たまに出ても、もう昔の樣ではないと云ふ噂であつた。
 その内に小さんは引退する事になつた樣で、その一世一代の引退興行を帝國劇場ですると云ふ。」
「後で聞くと、舞臺に上がつた小さんはすでに大分ぼやけてゐて、一つの話が纏まりがつかなかつたり、同じ所を何度も行つたり戻つたりして、聞いてゐるのが氣の毒になつたと云ふ事であつた。」
「その後の小さんの消息が新聞に出た事がある。毎日の樣に表へ出て、道ばたの子供の相手になつて遊んでゐる。遊んでやるのでなく、自分も一緒になつて子供と遊ぶのだと云ふ。耄碌して氣の毒だと云ふよりは、いかにも老後の小さんらしいと思つた。
 それが段段嵩(かう)じて、道ばたのよその子供と遊びほうけて、家へ歸らない事もあると云ふ。」



「菊坂の湯呑」より:

「物事に几帳面(きちやうめん)なのは惡い事ではないだらう。しかし私の場合は常軌を逸してゐたかも知れない。私は「朝日」の新らしい袋を開ける場合、糊附けの所を破る樣な事をせず、丁寧に剥がして折り目をその儘に殘し、袋の姿が崩れない樣に一本づつ引き出して吸ふ。吸ひ盡くして空つぽになつた袋は、揉んで潰してくちやくちやに丸めるなど、そんな事はしない。きちんと角の立つたもとの形の通りにして積んでおく。
 煙草の空袋を大事に積み立てて、何にするかと云ふ目的も用途もない。」










































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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