FC2ブログ

『心の冒険 ― アーサー・シモンズ短篇集』 工藤好美 訳

「人は私を変わり者だと言いますが、私はただ論理的なだけなのです。」
(アーサー・シモンズ 「ピーター・ウェイデリンの死」 より)


『心の冒険
― アーサー・シモンズ短篇集』 
工藤好美 訳


南雲堂 
平成3年6月15日 第1刷発行
336p 口絵(モノクロ)1葉
A5判 丸背布装上製本 貼函
定価6,000円



本書解説「アーサー・シモンズとその短篇集『心の冒険』について」より:

「すでに見たように『心の冒険』はその大きな部分が発狂を主題とするものである。同じ狂気といっても、シモンズが『文学における象徴主義の運動』でとりあつかったゼラール・ド・ネルヴァルの場合のように、詩的発想のひきがねになることもある。『心の冒険』の場合はそうはゆかない。しかし、さればといってまったくの破滅でもない。この短篇集に収められた多くの発狂者は、一種の不思議なよろこびをもって死んでゆく。してみれば狂気の世界は単に暗黒の世界でもない。それはむしろ光と闇の中間の境地、蒼白い薄明の世界である(中略)。そしてこの冷たく蒼白い薄明の世界は、ことによれば、シモンズの心の師ウォールター・ペイターの遺贈であるかもしれない。なぜなら彼の長篇小説の主人公マリウスの生まれて育った故里は「白夜の里」であって、暮れきらぬ薄明のなかで、夢に夢みる世界であったからである。」


Arthur William Symons: Spiritual Adventures, 1905


アーサーシモンズ 心の冒険 01


目次:

生の序曲
エスター・カーン
クリスチャン・トレヴァルガ
ルーシー・ニューカムの生いたち
ピーター・ウェイデリンの死
秋の都
シーワード・ラックランド
ヘンリー・ラクシュリアンの日記抄



アーサー・シモンズとその短篇集『心の冒険』について
 一 略暦
 二 『文学における象徴主義の運動』
 三 『心の冒険』

あとがき



アーサーシモンズ 心の冒険 02



◆本書より◆


「生の序曲」より:

「もしも私が自分のことを自分で納得のゆくように説明しようとするなら、たぶん私はかなり昔にさかのぼって話を始めねばならないであろう。奇妙な子供であった昔の私が、その後の大人としての私の基礎をなしていった過程は、私にはよくわかっているけれども、自分の幼年時代については私は不思議なほどわずかしか記憶していない。私の両親はながい間ひとつの土地に住むということがなかった。そのため私には、子供なら誰でも知っている、家という観念がなかった。」

「いよいよ学校に出る日になると、私はまるで絞首台にのぼるような気持で家を出て、足どりも重く、どうにか学校の玄関近くまで行ったが、他の子供たちが鞄(かばん)をせおって元気よくはいって行くのを見、自分も彼等といっしょになって、(中略)腰かけに坐らねばならないのだと思うと、そのまま踵をかえして、来るときよりもずっと足早やに歩みさってしまった。」

「私は測り知れないほど無知ではあったけれども、私にも一つだけ生まれながらの才能があって、教えられなくても文字を綴ることができるということがわかった。私はほかの子供たちが一生懸命になって綴字本をにらみながら、文字の順序をおぼえようとして、空しく努めているのを見た。私は終りまで読まないうちに、文字がひとりでに耳をとおして、頭にはいってきた。ほかの人たちがうまくできないでいることが、自分には努めもせずにできるのを知って、私は自分がけっして彼等より劣った愚か者ではないことを感じ、ほかの人たちを凌駕するという微かな優越感をおぼえた。そして、むさぼるように勉強しはじめた。」

「いちど習いはじめると、私はものによっては非常に早くおぼえたが、他のものはどうしてもおぼえられなかった。(中略)私はなんでも自分の興味をひかないものは、どうしても学ぶことができなかった。けっして強情なわけではない。ただ、どうにもならないのである。」

「記憶にのこっている幼年時代の初めから、私は自分を離れたいかなるものに対しても、あまりはっきりした意識を持たなかった。ほかの人たちが思いのままに私に示してくれ、あるいは示してくれなかった親切に対して、彼等が私からなんらかの報いを期待する権利があるということを、私はさとらなかった。自分が存在し、それと同様にまた他人が存在しているのであったが、私たちの間には越えることのできない深淵がよこたわっていて、それを乗りこえようとする願いは、私はほとんど抱かなかった。私は母が非常に好きだったけれども、それ以外の人たちに対してはなんの愛情も感じなかったし、またほかの人たちから愛されたいとも思わなかった。ひとり気ままにしておいてもらうこと、永久に自分自身の生活をつづけてゆくこと、それが私の求めるものであって、自分を退屈させる人や憂鬱にするものなどとの接触を完全にのがれることができないので、私はよく腹をたてたものである。誰かがたずねてきたりすると、私は彼が通されないうちに部屋から出ていったし、その暇がないときは、大急ぎで握手をして、できるだけ早くそこから脱けだした。」
「一般の人びとに対しては、不即不離の態度をとることができたから、私はまったく無関心になっていた。私にとって彼等はその腰かけている椅子と同じほどの意味しか持たず、私は彼等の運命に心を動かされることもなければ、彼等に対する私の人間的な関係を意識することもなかった。」

「私はすこしばかりジプシー語を習って、たえずジプシーを探していた。この世にはきちんとした、あるいは、みすぼらしい衣裳をつけ、日曜には二度、教会にゆき、それぞれの商売や職業に従事して、午後の五時にはお茶の食事をとるといった、私の知っている、ありきたりの人間とはちがった、別な人間がいるということを、私は、はっきり知った。」

「夢はしょっちゅう見たわけではないが、見る時にはいつも、無限の螺旋形の段をのぼってゆかねばならない夢だとか、足をはなす瞬間に格(こ)がひとつひとつ足もとから落ちてしまう梯子だとか、暗くて冷たい奈落に通ずる、ぬらぬらした石の段の夢だとか、蛇に体をしめられる夢や、たくさんの蛇がもつれて、のたうちまわっている床を、はだしで歩いてゆく夢などであった。」

「父はときどき私にむかって、(中略)お前ももう何か職業を選んで、自分で生計を立ててゆくようにせねばならないだろう、と言った。そのたびに私はいつも、自分にできそうなことなど何一つない、自分はどの職業も大嫌いだし、商売をして手をよごすくらいなら、餓死した方がましだと思う、(中略)と答えた。」

「ある年の夏、私はイングランドの片田舎に行って、そこの親戚の家に滞在していたことがある。」
「なかには天文学者になっている者もあり、年とった船長もあれば、一人で海に近い荒野に住んで、大きな庭にみごとな花を作っている、気の狂った叔父もいた。」
「気の狂った叔父は(中略)、ときどき大きな花をもって、自分の小屋から出かけてきた。非常に親切で、おとなしく、時とすると、下水のことに関して皇太子殿下に奉ろうとして書きつつある手紙のことだとか、皇太子殿下がその手紙に対していかに感謝されたかということなどを、私に話してくれた。彼は下水法に関するいろいろな説を持っていて、聞くところによれば、それらの或るものはいかにも、もっともと思われる、気のきいたもので、彼はいつかは自分の説が世にいれられ、自分が有名になるであろうと信じていた。彼の頭は或る美しい乙女に対する不幸な恋のために狂ったものらしく、しばらく精神病院にはいっていたあとは、大部分、自分の小屋で花にかこまれながら、下水法の理論を練ったり、裸で庭に出て日光浴をしたりして、幸福に日を送っていた。」



「エスター・カーン」より:

「エスター・カーンはドックスの近くにある、異様な隅々をもった、いやな臭いのする、うす暗い通りの一つに生まれた。それはどこへ通じるということもなく、何かいかがわしい秘密な目的のためにひっこんだようにみえる、静かな通りであった。」

「夜になって夕食がすむと、他の者は皆いつも食卓のまわりに坐って、熱心に話をしあった。エスターはそのような時いつも席を立って、戸のそばの隅のところに椅子をひきよせて、あたかも或るものを――自分には何の関係もない、しかしその外形と運動とのために彼女の興味をひくあるものを眺めてでもいるかのように、しばらく彼等を見まもっているのであった。」
「エスターはただ眺めていることだけを望んだ。彼女にとってはすべてがどうでもよいことであり、彼女は彼等の関心を抱くものに関心を持たず、また、はたして自分が赤の他人を思う以上に家人のことを思っているかどうかもよくはわからなかった。彼等は彼女がいわゆる現実の生活と想像しているものであり、その現実の生活こそ彼女にとっては、ただ利害を離れた好奇心の対象にすぎなかった。
 ときおり、彼等がすべて消えうせ、やがてまた現実よりもさらに明確な一種の幻となって、ふたたび現れてくるように思われるまで、じっと彼等を見まもっている時など、彼女はまったく彼等を見うしなって、大きく目を見ひらき、唇をぽかりとあけて、まっすぐに目のまえを見つめながら、坐っているのであった。そして彼女はあたかも或る厳かなことばにつれて適当な身振りでもするかのように、無意識に手を動かすのであったが、そのような時いつも、たいてい、ベッキーがそれを見つけて、嘲けるように笑いだしながら、誰のまねをしているのか、とたずねた。
 「あの子などにかまうものではないよ」とある時、彼女の母が言った。「あの子は人間の子ではなくて、猿なんだから。猿みたいに手をのばして、魂をつかまえようとしているのだよ。猿は小さい人間のような様子をしているけれど、自分では人間でないことをちゃんと知っていて、人間になろうとするのだよ。猿が人の真似をするのはそのためさ。」
 エスターは非常に腹をたてて、これからは気をつけて、自分の感じていることを外にあらわさないようにしようと心に誓った。」

「彼女はひとりでほっておかれることを――誰の助けも借りず、誰に妨げられることもなく、自分の思いのままに生きてゆくことを望んだ。」

「今のところ、彼女の唯一の大きな喜びといえば、兄や姉たちといっしょに芝居見に行くことであった。」
「いちど、なかにはいると、彼女は口もきかないで、あたかも催眠術にかけられたかのように、じっと舞台の人びとを見つめていた。彼女はほかの人たちのように、劇についてはかれこれ言わなかった。劇そのものは問題でなく、ただそれがそこにあり、自分がそれを見ているというだけで、彼女は意志も選択もなしに、すっかりそのなかにひたりきってしまうのであった。
 しかし芝居がはねて皆がまた家に帰ってくると、エスターは急に能弁になって、演技の巧拙を論じだすのであった。そしてためらうことなく意見をのべ、いつも自分が正しいことを確信して、誰かが彼女に反対したりすると、すっかり激昂するのであった。」
「しかし徐々に人生における彼女の真の目的が明らかになってきた。彼女は女優になろうとするのであった。家ではそんなことはおくびにも出さなかったが、彼女は雇い口を求めて近所の小さな劇場の支配人たちのところをまわりはじめた。」

「彼等はみな、エスターが何かをしようと決心すると、いつもそれをせずにはおかないことを知っていた。」



「クリスチャン・トレヴァルガ」より:

「クリスチャンは家にあるかぎりの楽譜を見つけて弾き、他にもう何もひくものがなくなると、自分で思いついた奇妙な、形式のない音楽をつくって弾き、ピアノにばかり向かって暮らしていた。彼の耳は初めからまったく完全で、炉のなかで火かき棒が倒れても、そのときの音をちゃんと聞きわけることができた。彼はたえず耳をすましていたが、音は彼にとっては、しばしば目に見えるものになり、すくなくとも輪郭と模様をもって彼の脳に映るのであった。」

「そういうわけでクリスチャンは音楽の意味を自分ではそれと察しながら、これを適当に表現する言葉がないので、彼の演奏する曲目の意味について人からたずねられたりすると、どう答えたらよいかわからなくなってしまうのであった。音楽の情緒、音楽に含まれた観念や感情などが彼の心を動かすのであって、彼自身の個人的な感情は(中略)彼にとってしだいに意味のすくないものとなり、ついには彼はまったくなんらの個人的な感情をも持たないかのようにみえるのであった。彼は生まれつき性質がやさしかったので、人びとは彼に好意を持った。また彼が自分たちの愛にこたえてくれるように想像したことさえしばしばあった。しかし彼等はまた彼の生涯のさまざまな時期に、彼のことをひどい不親切者、あるいは裏切り者とすら言って責めた。しかも彼にしてみれば、そうした愛情もその裏切りもまったく意識しないのであった。
 そして外部の事物もまた、外部の人びとと同じく、彼にとってはきわめて僅かな意味しか持たず、その意味も時がたつにつれて、しだいに薄いものになって行った。(中略)彼はあらゆる海の叫びを知っていたが、海の運動とか色彩とかには注意しないらしく、海上の日没の美しさにもまったく無関心で、他の人たちとともにそれを眺めはしたが、それに対して何一つ言うでもなく、まるで何も目にはいらないかのようであった。
 十歳くらいの時のことであったが、偉大なピアニストになろうと決心したときには、彼はほとんどしぶとさとも見えるばかりにねばりづよい熱心さをもって、その目的を実現するのに必要なはげしい勉強にとりかかった。親たちは彼がほかの者の邪魔にならないで練習ができるように、屋根裏の一室を彼にあてがった。彼はそこにとじこもって、食事に呼ばれても、静かに食卓についていなければならない時間の空費を惜しみながら、しぶしぶ出てくるといった有様であった。「お前はいつも何を考えているの?」と彼が顔をしかめて黙って食事をするのを見て、親たちはしばしば彼にたずねたものであった。しかし彼は何も考えていたわけではなく、ただ一刻も早く自分の部屋に帰って、さっき呼ばれて途中でよしてきた小節を弾きつづけたいと思うばかりであった。」

「彼は、(中略)いつも幕のうしろで演奏していた。彼は幕のかなたに世間というものがあることを知っていたが、それはたとえ彼が自分の思うままに彼等の注意を奪い、彼に対して耳を傾けさせることができても、彼等には彼の演奏を聞く以外に多くのなすべき仕事があって、やがてはまた各々ちがった彼等自身の道を進み、ほかのさまざまなことに心を奪われてゆくのであった。しかし彼にとっては、どこにそうしたほかのものがあったであろうか。それはほとんど存在しないも同然であった。彼と親しく交わりを結んでくれた偉大な人たちや、彼を崇拝して近づいてきた人びとのすべて――(中略)――これらの人びとと彼はどうして同じようになることができないのであろうか、どうして彼は人間そのものの言葉である彼等と同じ言葉で彼等にこたえ、讃美や愛好や恋を報いることができないのであろうか。」

「「たしかに」と彼はわれとわが心に言った「私は具体的な物に対する感覚を失いつつあるのだ。」」

「「私はかつてシャム王のお乗りになるヨットのうえでシャムの音楽隊が演奏したのを聞いた覚えがある。(中略)私たちはこの東洋の楽人たちよりもいかに劣っていることであろう! いつかは誰かが音楽の根底をきわめて、音階というものに馴化(じゅんか)されない以前のままの音楽を示してくれることであろう。」」



「ルーシー・ニューカムの生いたち」より:

「ルーシーは妙な子供で、乳母たちからこの子は長生きしないでしょうと言われる子供たちの一人であった。いつも、すこし顔色がわるく、寝ぼけて歩きだしたり、またぼんやり空中の一点を見つめながら、幾時間もほとんど身動き一つしないでいることもあった。(中略)彼女は自分が何を夢みているのか、自分でもわからないことがあったが、幾時間も幾時間も何もしないで坐っていることは、彼女にとって、すこしも不思議ではないように思われた。」

「青い目と、どこか多感な感じのする、ゆらめく口もとを持ち、金髪で丈が高く、ほっそりして、顔色のさえない娘は父親に似ていて、父はときどき、なかば気まぐれに彼女のことを、お前はお父さんとすっかり同じになるらしい、きっと落ちぶれるだろう、などと言った。」

「そして彼女はある日、神様はすべてを見ていらっしゃると言って聞かせた信心ぶかいお手伝いにむかって、自分が大きくなったら、神様に見られないでおとなしくしようと腕白をしようと自分の勝手にできるように、壁ばかりで窓のない部屋を作って、その中に住み、神様を出しぬいてやるつもりだと言った。」



「ピーター・ウェイデリンの死」より:

「「人は私を変わり者だと言いますが、私はただ論理的なだけなのです。」」

「「私は幸福でありたいと思ったことはありません」とウェイデリンは言った。「私はただ自分自身の生活をし、自分自身の仕事をしたいと望んだだけです。」」



「ヘンリー・ラクシュリアンの日記抄」より:

「グレガーの古風な、鈴を鳴らすような、疲れを知らぬ音楽は、人に一種の幻想的な、あるいは亡霊的な平和をあたえて、あたかも現実が遠いかなたに消えさり、生が一つのなかば悲しく、なかば楽しい、けっして辛辣すぎない思い出になったような感じにみちびく。その点で彼の音楽に比較できる音楽はこの世にない。私はもはやワグナーや、ましてチャイコフスキーなどを聞く気になれない。それらの音楽は人を苦しませるために作られたものである。」

「ヴェニスのあまりにも心を興奮させる精妙な生活が、人びとを狂わすのであろうか、水のなかに二つも精神病院があるとは! それは一種の脅迫のようなものである。
 私は昨日ゴンドラに乗って、島の向う側の潟に出かけた。弱い、美しい日のさす昼さがりで、水は鏡のように静かに、きらきら輝き、ただ小さな杭や水面近くに引きあげてある綱、前かがみになった漁夫の背にその小舟などを映(うつ)しているばかりである。平らかに磨かれた水面を見わたすと、黒っぽく固まって見える堡塁の間に、白帆が空にくっきりと浮かんでいた。漕ぎ手がオールを上げたりおろしたりするにつれて、水はそのまわりに波だち、また鈍い音をたてて舳からしたたり落ちた。私は何ごとも考えず、ほとんど自分自身の存在さえ忘れて、完全な幸福にひたりながら横になっていた。しばらく眼を閉じていたあとで、眼をあけて見ると、私たちは多くの窓――その大部分は格子がはまっている――のついた建物と、戸を閉ざした教会堂の建っている、或る小さな島の近くをただよっていた。その建物はほとんど島いっぱいにひろがっていて、塀をめぐらした木の多い庭がついていた。そして塀の内側から、あるいは高く、あるいは低く、一種の呻き声がいりみだれて、とぎれとぎれに、聞こえてきた。「あれはサン・クレメンテ病院です」とゴンドラの船頭が私の肩越しに言った「あそこに気ちがいを――気のふれた女を入れておくのです。」」























































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本