武田百合子 『富士日記 (下)』 (中公文庫)

「夜、雨が降ってくる。風が吹いて雨の音がはげしくなる。外へ出てみると星が出ている。眼をいくらこすってみても、何度もそうしてみても、やっぱり星が一杯出ている。」
(武田百合子 『富士日記』 より)


武田百合子 
『富士日記 (下)』

中公文庫 た-15-8

中央公論新社 
1981年4月10日 初版発行
1997年6月18日 改版発行
2006年10月10日 改版7刷発行
483p 「「富士日記」について」1p 
文庫判 並装 カバー 
定価933円+税
カバー: 武田泰淳氏画帖より



単行本は1977年、上下二冊本として中央公論社より刊行されました。本書はその文庫版三冊本(1981年)の下巻の改版です。


武田百合子 富士日記 03


カバー裏文:

「夫武田泰淳の取材旅行に同行したり口述筆記をしたりする傍ら、特異の発想と感受と表現の絶妙なハーモニーをもって、日々の暮らしの中の生を鮮明に浮き彫りにし、森羅万象や世事万端を貫く洞察により事物の本質を衝く白眉の日記。」


目次:

昭和四十四年
 七月
 八月
 九月
 十月
 十一月
 十二月
昭和四十五年
 一月
 四月
 五月
 六月
 七月
 八月
 九月
 十月
 十一月
 十二月
昭和四十六年
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 七月
 八月
 十月
 十二月
昭和四十七年
 三月
 四月
 五月
 六月
昭和四十八年
 四月
 五月
昭和四十九年
 六月
 七月
昭和五十一年
 七月
 八月
 九月

あとがき

解説 (水上勉)




◆本書より◆


「夕方のある時間。入り日は一瞬白熱光のように輝いたと思ったら、湧いてきた高原一帯の霧をオレンジ色に染めた。オレンジのもやの中にうっすらと林の影が漂うように浮いているだけ。夢をみているようなふしぎな景色。「夕方はここらもコペンハーゲンのようになるわね」。主人は女言葉で私のそばにきて言う。」

「玄関を入った広い土間にも開け放った座敷にも、一杯にひろげられたゴザの上に桑の葉が、その上にもり上るように蚕がくっついて、首をもち上げては桑の葉を食べている。さんさんさんさんという音。」
「蚕の座敷の隣りにある織機工場を見せてもらう。息子は大声で説明する。機械にスイッチを入れるときは、「そこに立たないこと。こっちの方へ。そうそう。そことここから火花が出ることがあるから」などと言ったりする。機械織りで、白い薄い裏地のような絹布を織っていた。蚕から織るまでをやっているのは、ここの家ぐらいのものだという。工場から出てくると、蚕の座敷にさっきのおばあさんが坐って、ボール箱に蚕を選って入れている。蚕が透きとおってくると、もう繭をつくりはじめるから、選りわけているのだ。うすいへなへなしたボール箱に入っている十匹ほどの蚕は、うす灰色に透きとおって、お尻だか頭だかのあたりは、うす黄の色をしている。おばあさんはぺったりとうずくまるように坐って、蚕を手にのせて話をする。小さな育ち遅れのような蚕を手の中に入れ、指をひらいたりとじたりして、手の中で遊ばせているようにして話をする。蚕は眼が見えないのだろうか。蚕は耳は聞えるらしい。」

「テレビで。夜、一人で見ていると、北富士で自衛隊の演習のニュース。仮想敵は、都心のビルに侵入した暴徒ということになっている。それの鎮圧に、装甲車、戦車、ヘリコプターが出動。(中略)仮想敵(暴徒)には、自衛隊の一部の隊員がなっている。角材や鉄パイプの代りに木銃の先にタンポをつけたものを持って、手拭で鼻と口を隠し、ヘルメットをかぶっている。(中略)発煙筒を投げたり、木銃(ゲバ棒)をふりまわしたり、学生そっくりにやる。学生よりうまい。自衛隊側は機動隊と同じ楯とカブトをつけて、戦車と一緒にドンガドンガドンガドンガ進んでくる。怖い。防衛庁にまだ塀がなかったころ、六本木の裏通りを歩いていると、銃剣術の練習を大へんな勢いでやっているのが見えた。私は、あの、出す声がキライなのだ。そのときも怖しいと思った。」

「古道具屋の店先に妙なものがあった。極彩色(朱、緑、白、黒、金、コバルト色など)で塗った一対(?)らしい飾りもの(?)。見世物小屋か、お社か、お寺から出たものらしい。一対の片方は、蓮の花と葉の上に炎がまわりにある円い平たい飾り――これは真んなかの平らなところに鏡がはめてあったのが、とれてしまっているらしい。片方は、右に女の首、左に鬼の首が、獄門台の上にある感じで並べてあり、まんなかに天秤ばかりのようなものがついている。右の女の首の下には、こぶし大の石が縄で結わえて吊されている。左の鬼の首の下には、裸の男が後手にしばられ腹を下にして泳いでいる恰好で縄に吊されている。男の顔は口をあけてもがいて叫んでいる。男の裸は真白く塗ってあり、虫がところどころ喰って穴があいている。女の首も真白に塗ってある。「これ、何なの? 御胎内からもってきたの?」と訊くと「ちがう」と言う。「何だったの?」と訊いても「さあ」と言うだけ。何ともかんともいいようのない気味のわるさ。地獄極楽の見世物の一部のようだ。値段をきくと「五千円」と言う。本当は七千七百円だが奥さんはたびたびみかける人だから安くしておく、と言う。千円なら買っていって主人にみせたいと思ったが、高いからやめた。」

「今日のデモに花子は出かけたかな。滑らない転ばない、いい運動靴をはいていったかな。」

「黄葉がはじまった。庭の萩は実となった。うるしだけが鮮やかに赤い。菜畑の菜は肥料をやったせいか、おバケのように大きくなっている。
 夢をみてはさめ、すぐまた眠り、昏々と四時半まで眠る。主人も眠る。
 夜 おかゆ、にしん煮付、佃煮、はんぺんとみつばのおつゆ、炒り卵。 
 仕事部屋にこたつを入れる。食堂にストーブを焚く。
 夜遅く、風が吹きはじめる。あまりよく眠ったので、抜け殻のようにぐったりとさびしくなる。
 今日、ナセルが死んだ。」

「夜、ノンフィクションアワーで、アラビアのベドゥイン族を見る。聖書の世界をみているようだ。
 雨戸と硝子戸の間に、セミ位の大きさの蛾が一杯、こちら側に肥った腹をみせて、ぺたぺたととまっている。ときどき、ネズミのさわぐような音をたててはばたき、はばたいて騒いだ蛾から順々に転がり落ちて、すぐ死ぬ。」

「三時に、岩波さんに教わったとおりに茸を料理してみた。普通の味だった。
 夜、雨が降ってくる。風が吹いて雨の音がはげしくなる。外へ出てみると星が出ている。眼をいくらこすってみても、何度もそうしてみても、やっぱり星が一杯出ている。」

「昨夜の夢。
 桟橋にノアの方舟が着いて、それに皆乗りこんでしまった。方舟は白くて豪華客船のようだった。乗りこんだ人たちは何故かどこにも見えなくて船はひっそりしているが、たしかに、さっき、皆乗りこんでしまって私だけ残って佇ってみている。嘘をついた人は残ることになると役人のような係の人がいったから私は「はい」といって残った。そしたら私と猫だけが残っていて、あとは皆乗ってしまった。私と猫二百匹位だけ残って船をぼんやり見ていた。」







































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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