ホルヘ・ルイス・ボルヘス 『ブロディーの報告書』 鼓直 訳 (白水Uブックス)

「また、人間は長い時間をとおして、つねに二つの物語をくり返してきた、愛する島を地中海に求めつつ漂流する船の物語と、ゴルゴタの丘で十字架にかけられた神の物語がそれだ、とも思った。」
(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 「マルコ福音書」 より)


ホルヘ・ルイス・ボルヘス 
『ブロディーの報告書』 
鼓直 訳

白水Uブックス

白水社 
1984年5月10日 印刷
1984年5月20日 発行
204p
新書判 並装 カバー
定価680円
ブックデザイン: 田中一光
カバーデッサン: パブロ・ピカソ



Jorge Luis Borges : El informe de Brodie, 1970。
『ブロディーの報告書』の鼓直訳は1974年に白水社「新しい世界の文学」シリーズの一冊として刊行され、同社「世界の文学」版(1979年)、そして本書ときて、2012年に岩波文庫版が出ています。


ボルヘス ブロディーの報告書


目次:

まえがき
じゃま者
卑劣な男
ロセンド・フアレスの物語
めぐり合い
フアン・ムラーニャ
老夫人
争い
別の争い
グアヤキル
マルコ福音書
ブロディーの報告書

解説 (鼓直 1978年10月)




◆本書より◆


「まえがき」より:

「キップリングの晩年の短編は、カフカやジェームズのそれに劣らぬ謎と人間的苦悩にみち、できばえの点ではむしろ優っているとさえ思われる。しかしその彼も、ラホール滞在中の一八八五年にごく短い直截(ちょくせつ)な作品を書きはじめて、一八九〇年にそれらを一巻にまとめている。そのうちの少なからざるもの(中略)がいわゆる珠玉の佳編である。そこでふと思ったのだが、才能ゆたかな一人の青年が考えて実地に行なったことを、仕事の心得のある老境の男がまねても不遜(ふそん)のそしりを受けるはずがない。そうした思案から生まれたのがこの本である。」
「ことの成否はともかくとして、作者が書こうとしたのも直截な短編であった。もっとも、それを、単純な、と呼ぶわけにはいかない。単純な書物とか単純な言葉とかいったものは、この地上には一つとして存在しないのだ。いっさいのものが、複雑さをそのもっとも顕著な特質とする宇宙を志向しているからである。ただここで明らかにしておきたいのは、作者はいまだかつて、(中略)寓話作家とか(中略)今日では参加の文学者などと言われている者であったことはないという事実である。(中略)政治に関する作者の意見は周知のとおりである。(中略)いずれは政府など存在しない時代がくる、作者はそう信じている。作者はどのように窮屈な時代にも、自分の意見を隠したりしたことはない。しかし、(中略)それらの意見が作品に影響をおよぼすようなことは許さなかった。文学の営みは神秘的なものである。われわれの意見などはたよりないもので、作者は、詩を書くという行為は知性の働きであると考えた、もしくは考えるふりを装ったポーの説よりもむしろ、ミューズ神を奉ずるプラトンの説を採りたいと思う。不思議でならないが、古典作家がロマンチックな説を、ロマン派の詩人が古典的な説を信じているわけだ。
 この本の題名となっている、そして明らかにレミュエル・ガリヴァーの最後の旅から想を得ている作品を除くと、これらの短編は当今はやりの用語でいうリアリスティックなものである。」

「長い年月、作者は二、三の主題にのみ心を奪われてきた。」

「文学は方向づけられた夢以外のなにものでもない。」

「七十歳になったいま、やっと自分の声を見いだしえたと思っている。」

「それぞれの言語が一個の伝統であり、それぞれの単語が一個の共有された象徴である。一人の革新者が変えうるものは取るに足らない。(中略)しかし、このもっともらしい理屈も疲れからきているような気がする。年を取って、作者もボルヘスであることへのあきらめの境地に達したのだ。」



「卑劣な男」より:

「わたしが帰ろうとすると、彼らのうちの一人が警告した。
 「気をつけろ。イヌがどんな目に合うか、よく知ってるはずだ」
 警察の連中は四年生の小学生とおんなじで、やたらと符丁を使いたがるのだ。わたしはこう答えてやった。
 「殺されたほうがいいんです。ぼくのような者にはそれが似合ってる」」



※参考『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』(木村榮一訳)より:

「何ヵ月もかけてわざと不名誉と恥辱を受けるように行動したのは、自殺するための勇気を手に入れたかったからにほかなりません。彼は死ぬことを望んでいたのです。」


「ロセンド・フアレスの物語」より:

「人間、その身に何かが起こっても、長い年月がたってからでないとその意味がわからないもので、あの晩わたしが経験したことも、その原因は、実は遠い昔にあった。わたしは、フロレスタの先のマルドナード川沿いの町で生まれた。幸いいまでは下水道になっているが、当時のそれは、どぶも同然の汚い川だった。余談だが、ものごとの進歩は誰にも食い止められるものではない、というのがわたしの持論だ。いずれにせよ、人がどこで生まれるかは運命で決められていることだろう。わたしは、父親の名前をたしかめようと思ったこともない。」


「老夫人」より:

「最後に老夫人に残された楽しみは、追憶が、そしてさらに後には忘却が与えるそれだけだったのではないか。(中略)一九二九年ごろにはなかば眠っているような状態に陥ったが、それでも昔あったできごとの話をよくした。ただし、まるで主の祈りでも唱えるようなぐあいで、いつもおなじ言葉と順序で話をするので、わたしなどは、それらの言葉は対応するイメージを欠いているのではないかと疑ったものである。(中略)要するに、老夫人は幸福だったのである。
 言うまでもなく、睡眠はわれわれの行動のなかでもっとも神秘的なものである。われわれはそれに人生の三分の一を捧げ、しかもそれを理解できないでいる。ある者たちは、それは意識の消滅にすぎないと言い、また別のある者たちは、同時に過去と現在と未来とが見渡される、より複雑な状態だと言う。さらに、中断することのない夢の連続だと説く者もいる。ハウレギ夫人が静かな闇のなかで十年を送ったと主張するのは、おそらく誤りであろう。それら十年の歳月の各瞬間が、過去にも未来にもつながらない、純粋な現在であったにちがいないのである。」



「グアヤキル」より:

「「さっき、あなたは意志のことをおっしゃいましたね」とわたしは言った。「あの『マビノギヨン』のなかの話ですが、二人の王が、その戦士たちが下で戦っているというのに、山上でチェスを楽しんでいる。王のうちの一方が勝った。すると、そこへ一人の騎馬の戦士が駆け込んできて、相手の軍が敗北を喫したことを告げる。人間たちの戦いは盤上のそれをなぞっていたわけです。」
 「ああ、すばらしいやり方だ!」とツィマーマンが叫んだ。
 わたしはそれに応じて、
 「二つの異なった戦場における一個の意志の表現、とでも言いますか。ケルト族の別の伝説は、二人の高名な詩人の争いを語っています。一人がハープを弾きながら、東の空が白むころから夜の帷(とばり)が下りるまで歌う。星空の下で、あるいは月の煌煌(こうこう)と照る光の下で、彼は相手にハープを渡す。相手はハープをわきに置いて立ち上がる。初めの詩人が負けを認める、という話です」」



「マルコ福音書」より:

「長生きした田舎の人間には、ひどく物覚えが悪いか、日にちの観念が薄れてしまっている者が多い。たいていのガウチョが、自分の生まれた年も、自分を産んでくれた者の名前も知らないというのだ。」

「また、人間は長い時間をとおして、つねに二つの物語をくり返してきた、愛する島を地中海に求めつつ漂流する船の物語と、ゴルゴタの丘で十字架にかけられた神の物語がそれだ、とも思った。」



「ブロディーの報告書」より:

「種族は王によって治められ、その権力は絶対的であるが、しかし筆者の推察では、実権をにぎっているのは、王をえらび、つねにそのそばにひかえている四人の呪術(じゅじゅつ)師である。生まれてくる赤子はつねに、入念に体をあらためられる。筆者はついに教えられなかったが、ある種の聖跡が認められれば、その赤子はヤフー族の王に推される。ただちに両眼を焼かれ、四肢を断たれる(ヒー・イズ・ゲルディッド)。世俗的な生によってその知恵をくもらされないためである。王は屋形(クスル)と呼ばれる洞窟(どうくつ)の奥に押しこめられていて、四人の呪術師と、全身を糞便でまぶすなど王の身の回りの世話をする二人の女奴隷だけが、そこに入ることを許される。いったん戦いが始まると、呪術師たちは王を洞窟の外にはこび、種族の者にその姿を示して士気を鼓舞する。そして、あたかも旗幟(きし)か護符のように、肩にのせて戦場のまっただなかにかつぎ込む。この場合、おおむね王は、猿人たちの投げる石に打たれて立ちどころに死ぬ。」

「実をいうと、ヤフー族のなかで筆者の関心を強く惹(ひ)いたのは、ただ呪術(じゅじゅつ)師たちである。一般のヤフー族は、呪術師には彼らを思いのままに蟻(あり)や亀に変える力があると信じている。筆者が疑っていることに気づいたある者は、これがその証拠だとでもいうように、蟻の巣を指さした。ヤフー族には記憶というものがまったくないか、ほとんど欠けている。豹(ひょう)の出没によって受けた被害について語るのはいいが、はたしてそれが、彼らや父母の体験であるのか、それとも夢のなかの話であるのか、彼ら自身が知らない。ごくわずかではあるけれども、呪術師たちには記憶力がそなわっている。彼らは午後になってからも、朝のうちに起こったことを思い出すことができる。いや、前日の午後のできごとさえ思い出しうる。彼らはまた予見の能力を持っていて、十分後に、あるいは十五分後に起こるはずのことを、冷静かつ確信ありげな態度で予言する。たとえば、一匹の蝿が首筋をかすめるであろう、とか、間もなく小鳥の鳴き声がするであろう、とかいった類(たぐい)のことを口にするのである。この奇妙な能力の証拠を、筆者はこの眼で何百回となく見た。そして、そのことについておおいに考えた。われわれは、過去、現在、未来のできごとが逐一、神の予言的記憶のなかに、神の永遠の時のうえに刻まれていることを知っている。(中略)だとすれば、まさに起こらんとしていることを予見する能力のある人間がいたとしても、この事実に驚くことはないのではあるまいか。」

「この種族にはまた詩人がいる。ある男が、たいていの場合意味は不明だが、六つないし七つの単語を並べることを思いついたとする。彼は夢中になり、地面に寝そべった呪術(じゅじゅつ)師や一般の者たちがつくる輪の中央に立って、それらの単語を大きな声でとなえる。詩が興奮をひき起こさなければなにごともない。だが詩人の言葉がみんなの心を捕らえた場合は、彼らははなはだしい畏怖に駆られて(アンダー・ア・ホウリイ・ドレッド)、静かに詩人のそばをはなれる。詩人に精霊がのり移ったと感じたのだ。誰も、母親でさえ彼に話しかけたり、彼のほうを見たりはしない。彼はもはや人間ではなく、神であって、彼を殺すことも許される。運が良ければだが、詩人は北の砂漠にのがれる。」























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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