大室幹雄 『桃源の夢想』

「カニバリズム以上に残酷な、とはいえ、人間的な、あまりにも人間的な所行を現在ではあまりにも多くわれわれは知り過ぎてしまっている。いかなる社会と文化に所属していようと、人間が人間でしかない以上、彼は自惚れているわけにはいかないのである。」
(大室幹雄 『桃源の夢想』 より)


大室幹雄 
『桃源の夢想
― 古代中国の反劇場都市』


三省堂 1984年3月15日第1刷発行/1988年10月10日第4刷発行
461p 目次4p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価4,200円



「都市」シリーズ第二巻。本文中図版(モノクロ)多数。

都市を出て山にこもるのも都市のなかでひきこもるのも反=都市(父性原理)的な自然(母性原理)回帰のかたちであって、父性原理の手によってこもるべき山すら奪われてしまったわれわれが家にひきこもったり自閉したりするのは危機を察知する生きものの智慧であるとしかいいようがないです。


大室幹雄 桃源の夢想1


帯文:

「都市の余白(マージン)としての桃源。
鳴雞吠狗、煙火万里の和楽の記憶。
都市の陰画(ネガティヴ)としての桃源。
沸々とわきおこる反都市の情念。
山川草木と禽獣幽鬼の境位から
人肉嗜食(カニバリズム)と奢侈遊戯(ポトラッチ)の「劇場なき都市」を射て
古代中国文明の虚栄と光耀を鮮烈に描ききる。
歴史を読む眼差しに転換をもたらした『劇場都市』
を承前して、次巻『園林都市』に中継する待望の第二作。」



帯背:

「歴史の中の都市の肖像 II」


目次:

第一章 都市(コスモス)の解体学
 暴君暗殺と遺骸の凌辱
 野人の生い立ち
 首都洛陽
 張衡「東京賦」
 世界の中心と皇帝の儀礼
 皇帝の生命衰弱
 皇帝の私人化
 世界の混乱
 生命と権力の輪舞
 ことば人間たち
 ポトラッチ演技
 人物テキストの評論
 大評論家郭林宗
 ことば遊び
 聖童偏重

第二章 野人の行動学
 粛清合戦
 学生運動
 闘争組織
 ナンバリングと政治言語
 武力行使
 首都への呪詛
 匪賊と妖賊
 赤眉の叛乱
 黄巾の叛乱
 世界救済の理念
 裏の帝国
 野人の登場
 皇帝のあきない
 首都の無法
 長安遷都と強制移住
 野性の首都侵入
 都市再生の人身供犠
 世界の崩壊

第三章 反都市の倫理学
 賢者は村に住む
 鳴雞吠狗・煙火万里の和楽
 小国寡民
 窮乏農民
 農村の政治工学
 漢代の地図
 郷里の生活
 反都市理念の中間性
 豪族と農夫の家計
 さまざまな力
 旱魃・洪水・蝗害・飢饉・餓死
 カニバリズム
 噉人賊
 人間狩りの仁義
 トポスの群と世界の構成

第四章 流民と匪賊の生態学
 中心の喪失
 政治経験の単一性
 天に二日無く、土に二王無し
 歴史意識の過剰
 複数の中心
 乱世の自由感覚
 城郭を去る
 群盗山に満つ
 生活空間の構造
 長老と塁
 弾圧と説得
 妖賊と女賊
 平地と山地の連続性

第五章 塢堡と桃源の地勢学
 流民劉備
 豪族の自衛と流亡
 乱に習う
 僻地と中央名士
 行主
 塢主
 山地の共同体
 塢主の平地帰還
 庾袞の個人的民主性
 塢の形態と機能
 塢の独立と抗争
 景観の記憶
 トポフィリア
 歴史愛
 下魚城の伝説
 桃花源記
 アルカディア複合
 井崗山の塢主毛沢東

第六章 隠者の社会学
 山地への逃匿
 山地のアンビヴァランス
 万歳塢の幼児性
 易京の退行願望
 囲い込みの狂気
 山荘の逸楽
 深林に投ず
 隠者の道化ぶり
 変装による匿名化
 洞窟と蝸牛廬
 草茅の人は狐兎と群を同じくす
 精舎の教師
 史のコード
 処士と隠士
 招聘拒絶ゲーム
 文化的強迫観念
 謎なぞ遊び
 山草の人

第七章 囲い込みの心理学
 生き残るための山地逃亡
 山林回帰の再生
 大同コンプレックスの普遍性
 単独者
 囲い込みさまざま
 母性への回帰
 腑ぬけの皇帝
 皇帝のクーデター
 暗愚皇帝
 美少年と醜女皇后
 つかのまの世界統一
 世界の崩壊

第八章 権力の経済学
 世界の中心の田舎芝居
 無学の王たち
 権力争奪のポトラッチ
 政治の消滅
 通貨としての権力
 蛮族登場
 江統「徙戎論」
 蛮族のシニシゼイション
 生成へのパトス
 「中国」に丈夫なし
 皇天の意志
 金墉城
 機智合戦と奢侈合戦
 吝嗇の美学
 銭の神の世界支配
 虱と銭の孔
 中心の無化と明け渡し




大室幹雄 桃源の夢想2



◆本書より◆


「第六章 隠者の社会学」より:

「囲い込むこと、一見それは外部の世界に背を向けて自身を孤立させ閉塞させるようでありながら、その孤立において逆にこころが周囲にひろがり、山地の多様な事物と親しみ融合する、そういう微妙な消息をそれは秘め、また表現している。別言すれば、個人による囲い込みには何かしら幼児めいた、母胎回帰の願望の所在を暗示するような秘めやかな、悦楽に満ちた期待がみてとれるのである。」

「桓帝の延熹年間(一五八―六六)の終りころ、党錮の粛清が起ころうとするのを予測した袁閎は世間と交わりを絶って深林に逃げ匿しようと欲した。しかし老母があるので遠く遁げるわけにいかず、彼は庭の四周をぐるりと囲い込む土室を築いて自身をその中に封じ籠めたのである。土室には出入口を設けず、たったひとつの窓から飲食物をさしいれさせた。その生活ぶりは、朝に室中で東に向かって母に拝をし、心配した母がときどきやってくると窓を開いて面会し、彼女がたち去ればすぐに窓を自分で掩(おお)い閉じてしまい、兄弟と妻子も彼を見ることはできないという具合、母が死んだときにも外へ出ず、正規の喪に服することもなく、人びとの評価は下落し、彼を「狂生」だとみなす人もいた。こうして「身を潜めること十八年、黄巾の賊が蜂起して郡県を襲撃し陥落させると、民衆は驚き逃散したが、袁閎は儒教の経典を誦して動こうとしなかった。賊が彼の閭(りょ)に入らないことを約束しあったから、郷里の人びとは彼のちかくに避難し、みんな被害を免れることができたのだった」。こうして袁閎は土室に自身を完全に密封したまま、その中で生涯を終えた。ときに年五十七であったという。
 時人のうちに彼を狂人とみなすものがあったように、この囲い込みが狂気めいた印象を与えるのは否定しがたい。しかしそれと同時にここには一種の稚気、滑稽と形容するにふさわしい極後の偏執が認められるであろう。とはいえ、彼はけっして狂人ではなかったのであって、それは彼が閉じ籠もった土室の一種合理的ともいうべき設計を考慮すれば明白である。」
「考えようによっては、これはなかなか快適な住宅だったといってさしつかえないだろう。(中略)人間に飲食物を摂取する入口と排泄する下半身のふたつの出口とがあるように、この土室にも外部から飲食物などをさしいれる窓と排泄物を外部へ送りだす穴とが具わっていた。だから風変わりな土室は主人袁閎の身体の親密な延長だったのに相違なく、この内臓に直結するような親密性にこの住宅の居心地よさの秘密が潜んでいたであろう。」
「そして彼の伝記は、こういうとっぴょうしもない自己閉鎖に到達する心理的な傾向がすでに若年のころから彼の言行にあったかに述べているのだが、それを検討することは省略しよう。」

「しかし全体的にはやはり隠逸の原理と気分とは老荘の哲学に属した。というのも儒教同様に爛熟した古代都市文明の所産でありながら、儒教とは対照的に、老子や荘子の思想は複雑に発達した都市文明にたいする批判と嘲笑から出発し、その論理と感情のくまぐまにわたって反都市、反社会、反文明のイメージを展開して、究極的には単独者の心術において都市と社会から離脱して無歴史的な永遠のここのいまを創り出そうと企図しているからである。」

「洞穴より快適かどうかはべつにして、それよりは文化の範疇にちかづいた居住に蝸牛廬(かぎゅうろ)というのがあった。蝸牛とはでんでん虫のこと、それが背負い歩いている殻に形が似ていることにちなむ命名である。
 前漢最末期、建安の末年のころ、大陽(山西省平陸県付近)の長朱南(しゅなん)は衣服も履物も身につけず河辺を放浪している男を望見、亡命者と思い船をやって逮捕しようとした。と、彼を識るものあり、「これ狂痴の人のみ!」という。そこで戸籍に編入して、日ごとに五升の食糧を与えて保護した。のち疫病が発生、多勢の死者が出たので、県庁ではその男に埋葬させ、子どもたちはみんな彼をばかにした。ところが彼は耕地を行くときは近道をしないで必ず畔道を歩き、落穂拾いにも大きな穂は拾わず、草を編んで衣服にし、無帽ではだし、婦人をみかけると身を隠してやりすごすのだった。「自分でひとつの蝸牛廬を作り、その中を掃き浄め、木を組んで臥牀(ねどこ)を作り草をそのうえに敷き、寒い季節になると火を燃やしてあたり、独りでぶつぶつつぶやいてる」。飢えれば出かけていって日傭い仕事をやり、腹がいっぱいになればやめて、賃金を受け取らない。道で人に出会うと、道を下りて匿れてしまう。たれかが理由を問うと、「草茅の人 狐兎と群を同じくす」――わたしは狐や兎の仲間だから、というだけ、平生からめったなことでは口をきかなかったのである。」
「あるとき、杖をついて浅い川を渡ろうとして、まだ渡れないとひとりごとをつぶやいた。それで人びとは「其(そ)の狂ならざるを頗(すこぶ)る疑がった」というが、おそらく彼は狂人ではなかったのである。彼には悲痛な経験があったのだ。
 男の姓名は焦先(しょうせん)、字は孝然、河東郡の人であった。中平年間(一八四―八)、彼の郷里を白波の匪賊が荒しまわった。二十歳を出たばかりの焦先は乱を避け、東方の揚州に逃れ、そこで妻をめとり、建安の初めに郷里ちかくへ帰ってきた。しかし建安十六年(二一一)、戦乱が起こり、彼は家族を失ない、「独り河渚の間に竄(に)げ、草を食い水を飲み、衣履無し」、すっ裸で河原を放浪し、草で露命を繋ぐという生活を始めた。大陽の長が彼を発見したのはこのときであるが、明らかに彼の内部で生きることの関節がはずれてしまっていたのである。けれども、公平にみて、焦先の悲惨な経験が彼ひとりのものでなかったことはいうまでもない。戦乱、殺人、掠奪、飢餓、疫病、食人、流民化、匪賊化が彼の時代の社会を蔽っていたのをわれわれは知悉している。彼の流亡も、家族喪失も、この全体のささやかな部分にすぎなかった。それでも生き残った人びとは、彼らも親兄弟や妻子を失ない、そのうちのだれかれは他人を食ったことがあるかも知れないのに、いっときの平安が恢復するともとの通常の生活にもどった。が、焦先のばあい、正常な状態に回帰する機能が狂ってしまった。その消息はわれわれには不明である。分かることは彼はもう通常の平穏安楽な生活に帰らず、他人から「狂痴の人」とみなされる逸脱を開始した一事にすぎない。
 焦先は山林に遯入しなかった。蝸牛廬をどこへ立てたか分からないけれど、町か村に居住して彼は「客作」、臨時雇いの労働にたよって生活を保った。だが、人と交わることを避け、婦人から逃げ、何よりも他人とことばをかわすことを嫌うことによってやはり彼は自身を封じ籠めた。ある意味では梁鴻や台佟らの山林隠棲による自己囲い込みよりも、彼の蝸牛廬の籠居のほうが反都市性の表出としてはるかに強い効果をもっていたであろう。その効果はほとんど教育的だったといっていいかも知れない。(中略)ここには老荘的な愚者の智慧、無知の大智の微光がほのみえるのであって、魏と呉とのあいだに戦争が勃発したさいに、だれかがこっそりその予測を尋ねたというのも、彼の蝸牛廬の枯草の寝台の中からそういうほんものの智慧がぼんやり暈(かさ)のように周辺にひろがっていて、(中略)或る人びとがその智慧の輪光に感じていたことを証するのに相違ない。(中略)彼らの社会の文化にも愚者が秘匿するほんものの智慧を、それと認知できさえすれば、尊崇せずにはおかない伝統が古来からあったのだ。
 焦先が表現していた智慧は一言で反都市的な価値だったということができる。彼の振舞いのすべてが都市に栄える明知、雄弁、虚栄、貪欲、奢侈などとちょうど反対の方向にむかい、しかもそれらにたいする無言の批判になっていた。が、それはたぶん彼の振舞いの結果でしかなく、彼自身は、実存のレベルにおいて自分が都市のみならず文化の範疇をぬけおちて自然の野性にあることを自覚していた。(中略)蝸牛廬に住み、(中略)沈黙で厚く自分を囲い込むことによってそのまま彼は自然に帰ってしまった。」


















































































































































































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本