白川静 『中国の古代文学 (一)』 (中公文庫 BIBLIO)

「そこにあるものは、滅びゆくものの美しさである。」
(白川静 『中国の古代文学 (一)』 より)


白川静 
『中国の古代文学 (一) 
神話から楚辞へ』
 
中公文庫 BIBLIO B-20-7

中央公論新社 1980年9月10日初版発行/2003年7月25日改版発行
423p 
文庫判 並装 カバー
定価1,143円+税

「『白川静著作集 8 古代の文学』平凡社、二〇〇〇年四月刊
(初出は『中国の古代文学(一)』中央公論社、一九七六年四月刊)」



本文中図版(モノクロ)多数。


白川静 中国の古代文学


カバーそで文:

「中国文学の原点である『詩経』と『楚辞』の成立、発想、表現を、『記紀万葉』と対比し考察する。
古代共同体的な生活が破壊され、封建制が根付いたとき、人々はそれぞれの運命におそれを抱き、そこに古代歌謡が生まれた。
この巻でとり扱った時期は、古代中国人が神を発見し、また失う過程を示すものである。」



目次:

第一章 文学史の方法
 一 東アジア世界
 二 二つの文学史
 三 古代文学の問題
 

第二章 神話と経典
 一 偏枯の神
 二 啓母石
 三 神話と思想
 四 神話と経典

第三章 発想と表現
 一 あまがけるもの
 二 水と草
 三 祭礼と歌垣

第四章 古代歌謡の展開
 一 歌謡原始
 二 建国の詩
 三 君子讃頌
 四 二雅詩篇の展開

第五章 詩篇の諸相
 一 民衆の生活
 二 挽歌について
 三 物語の歌

第六章 物語について
 一 悲劇の聖者
 二 貴種流離譚
 三 『左伝』と『国語』
 四 伍子胥の神

第七章 思想と文学
 一 天の思想
 二 儒墨の学
 三 寓言と寓話
 四 馬王堆帛書

第八章 楚辞文学
 一 祭祀歌謡「九歌」
 二 離騒の文学
 三 「九章」について
 四 巫祝者の文学
 五 屈原の徒

参考文献
図版解説




◆本書より◆


「第一章 文学史の方法」より:

「私のこの書では、主として『詩』と『楚辞』とをとり扱う。それは古代社会的な世界観と諸制度との、成立より解体に至る時期にあたっている。そしてその原体験の上に成立した文学は、中国の文学の原型ともいうべきものを生んだ。そのことを、文学史的事実そのものによって語らせようとするのが、私の意図しているところである。」


「第二章 神話と経典」より:

「古代文学の叙述を神話からはじめることは、最もふさわしいことのように思われる。多くの民族にとって、神話はその文学の母胎であり、またときにはすぐれた文学そのものであった。」
「中国には、そのような意味での神話はなかった。それはほとんど語られることのない神話であった。神話の伝承は、画像などの形象の中に、とじこめられていたようである。」
「中国の神話は、殷の滅亡によって早くからその実修的伝承の主体を失い、神話としての発展もそのためにはばまれた。そして神話は次第に、古代の聖王に関する政治的、道徳的な規範の物語に変形する。すなわち神話は経典化されてゆくのである。神話は文学として展開することなく、古代聖王の治績とその教義を示すものとして、経典のうちに埋没する。」

「一九五四年の秋、西安東方の半坡(はんぱ)村の遺址が発見され、五七年春までに、五回にわたる調査が行なわれた。」
「遺址から出土した多数の彩陶土器のうち、従来のものにもみられる幾何文様の器のほかに、人面魚身、魚形、鳥獣、草花文などの文様をもつものがあり、そのうち人面魚身のものが七器残されている。人面は円形で、その左右に魚をあしらっており、明らかに何らかの図像であると思われるが、それが何を示すものであるのか、その解釈はまだ試みられていない。私はこの人面魚身の文様こそ、最古の神話的図像であり、魚婦とよばれている洪水神ではないかと思う。すなわち洪水神禹(う)の原型をなすものではないかと考える。」
「中国の神話的伝承を多くしるしている『山海経(せんがいきょう)』の「大荒西経」に、魚婦とよばれる偏枯の神の話がみえる。その互(氐(てい))人の国の条に、「魚あり、偏枯、名づけて魚婦といふ。顓頊(せんぎょく)(古神名)死して即ちまた蘇る。風道、北より来たるときは、天乃(すなは)ち大いに水泉あり、蛇乃ち化して魚となる。これを魚婦と為す。顓頊死して即ちまた蘇る」という記述がある。また同じく「海内南経」に「氐人国は建木の西に在り。その人たるや、人面にして魚身、足無し」という。この「人面にして魚身、足無し」といわれる偏枯の神は、まさにこの土器の人面魚身の図像にあたるものであろう。」
「それは死してまた蘇る神、蛇とも魚とも変化する神であり、すなわち洪水神であった。」


「第四章 古代歌謡の展開」より:

「古代の人びとが何らか神的なものの存在を感じて、それにはたらきかける行為をはじめたとき、すでに歌謡の胎生があった。神的なものに対しては、呪的な言語を必要とするが、歌謡はその呪的な言語から起ったものである。」
「原始の歌謡が呪詞に発するものであり、また何らかの行為や所作を伴うものであるとすれば、自然とのかかわりを呪的行為として示すところに、古代歌謡の原生の地盤を見出すことができよう。」



「第七章 思想と文学」より:

「荘子の思想は、一種の絶対論である。具体的に存在するものは、すべて絶対的なものである。その間に高下貴賤の差があるはずはない。その差があると考えるのは、すべて相対的な認識にすぎない。そのゆえに、道は螻蟻(けらむし)の中に在り、稊稗(いぬびえ)の中に在り、瓦甓(がへき)の中に在り、屎溺(しにょう)の中にある(「知北遊」篇)。八千歳を以て春となし、八千歳を以て秋となす大椿(ちん)(巨木の名)も(「逍遥遊」篇)、朝に生まれて夕に死する蜉蝣(かげろう)も、永遠の時間に関与する点において同じ。物には死生あるも、道は終始するところがない。「生を以て死を生とせず、死を以て生を死とせず。死と生と、待つことあらんや、みな一体たる」(「知北遊」篇)ものである。このような思想は、ただ論理によって説明しうるものではない。言は是非の間にかくれる。すなわち言は概念に規定されて、根源的なものそのものには達しがたいものである。ゆえに魚を捕(と)っては筌(うえ)を忘れ、兔をえては蹄(わな)を忘れ、意を得ては言を忘れる(「外物」篇)。ことばは手段にすぎない。しかしその手段にすぎないことばをはなれて、道を説くことができるであろうか。無限定なる道を説くには、概念の限定をこえなければならない。その概念を拒否する表現の手段が、寓言である。虚のみが、実をあらわしうるのである。」
「『荘子』の文章が、古代の典礼文の形式であり、祭祀者のそれであることについては、かつて『孔子伝』に述べたことがある。(中略)この絶対論的な形而上学は、明らかに古代神話の系譜から出ており、その思想的展開と見なしてよい。神話はこのとき、すでに枯れたる神話であり、死したる神話であった。神話はその本来の祭式の中に伝承されることはなく、ただ『楚辞』の「天問」や漢代の画像石から推測されるように、画図として伝えられていた。荘子はおそらく祭司者として、この滅びゆく神話の世界に、しずかな観想を寄せていたのであろう。」
「古代の神話に表象された世界は、すでに滅びている。しかしその神話的構想に示された世界は、かつて霊活な生命のいぶきをもつものであった。神話は永遠の生命を欲している。しかし戦国の刻薄を極めた社会、人間性が極度にまで否定され無視されている時代にあっては、その歴史的生命を持続しがたいであろう。神話は寓言の中に生きるほかない。その寓言の象徴性のうちに、荘子は永遠なるものを示そうとした。」
「絶対の世界は、論理的には神の世界でなければならない。しかし荘子は、これを神とよばなかった。それは非人格的なことばで、道とよばれている。(中略)この非人格的な究極者の設定は、神話の否定に連なる。荘子の思想は神秘論から出て、神秘論に回帰することをえなかったものであり、その意味で憂愁の哲学である。「人の生まるるや、固(もと)よりかくの若く芒(ぼう)たるか。それ我ひとり芒として、人もまた芒たらざるものあるか」(「斉物論」篇)という憂愁が、かれにはつきまとう。この根源的な問いにこたえうるものは、おそらく宗教のみであろう。しかし中国の神話は、そこから宗教を生まなかった。そして荘子において、憂愁の哲学となった。現実的なものは、そこではすべて拒否されている。」



「第八章 楚辞文学」より:

「「離騒」の世界は、明らかに巫祝者の世界である。楚巫の伝統が、合従連衡のはげしく揺れ動く国際政治の流れと正面から激突し、敗北し、衰落してゆく過程の中で、この作品は生まれた。この長篇を支えるものは、一人の運命への歎きではない。崩壊してゆく社会的勢力としての古代的宗教者の、敗北の記録であり、悲歌である。しかしその中で、宗教者としての情熱ははげしく燃焼し、幻想が生まれ、神話的世界がその想念の場となる。「離騒」とは「牢騒(らうさう)に離(あ)ふ」、無限の寂寥にとらえられることである。」
「そこにあるものは、滅びゆくものの美しさである。」

「しかしこの西方への志向は、より根源的には宗教的なものであり、特に崑崙への関心を示す天路の旅が、夕日の入るところにある永遠の女性への思慕の表現であることも、疑いえない。それはのちに、仙女西王母の観念として展開するものである。ヨーロッパにおけるパラダイスの追求と、同質の思念に立つものといえよう。それは特に巫祝者的な、宗教的な感情に支えられている。それでその表現にも、多く神話的な表象が用いられている。」
「この長篇の作者は、特定の人格というよりも、巫祝者の伝統から生まれた集団の性格を代表する。その集団は、いわゆる古代的氏族制的社会に深く依存するがゆえに、それを超えて国家主義に移行しようとする現実の政治勢力とはげしく衝突し、排除されたのであった。(中略)かれらの宗教的基盤は、最も原始的な自然宗教そのままであった。」











































































































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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