『抱朴子 列仙伝・神仙伝 山海経』 (中国古典文学大系)

「私は凡庸な素質のため、いつまでも下層にうろうろしている。才能は時世に合わず、行ないは当今とずれている。ものを言えば時の風俗と調子が合わず、足ふみ出せば世間の人と行きかたがちがう。」
(葛洪 『抱朴子』 より)


『抱朴子 
列仙伝・神仙伝 
山海経』

中国古典文学大系 8

平凡社 1969年9月21日初版第1刷発行/1979年10月1日初版第11刷発行
577p 目次8p
菊判 丸背バクラム装上製本 貼函
定価2,700円
装幀: 原弘



「抱朴子」内篇巻九~十三、十五~二十は概要のみ。
本文中図版(モノクロ)多数。


抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経1


目次:

抱朴子 (葛洪 著/本田済 訳)
 内篇 
  序
  巻一 暢玄
  巻二 論仙
  巻三 対俗
  巻四 金丹
  巻五 至理
  巻六 微旨
  巻七 塞難
  巻八 釈滞
  巻九 道意(抄)
  巻十 明本(抄)
  巻十一 仙薬(抄)
  巻十二 弁問(抄)
  巻十三 極言(抄)
  巻十四 勤求
  巻十五 雑応(抄)
  巻十六 黄白(抄)
  巻十七 登渉(抄)
  巻十八 地真(抄)
  巻十九 遐覧(抄)
  巻二十 袪惑(抄)
 外篇 
  巻一 嘉遯
  巻二 逸民
  巻三 勖学
  巻四 崇教
  巻五 君道
  巻六 臣節
  巻七 良規
  巻八 時難
  巻九 官理
  巻十 務正
  巻十一 貴賢
  巻十二 任能
  巻十三 欽士
  巻十四 用刑
  巻十五 審挙
  巻十六 交際
  巻十七 備闕
  巻十八 擢才
  巻十九 任命
  巻二十 名実
  巻二十一 清鑒
  巻二十二 行品
  巻二十三 弭訟
  巻二十四 酒誡
  巻二十五 疾謬
  巻二十六 譏惑
  巻二十七 刺驕
  巻二十八 百里
  巻二十九 接疏
  巻三十 鈞世
  巻三十一 省煩
  巻三十二 尚博
  巻三十三 漢過
  巻三十四 呉失
  巻三十五 守塉
  巻三十六 安貧
  巻三十七 仁明
  巻三十八 博喩
  巻三十九 広譬
  巻四十 辞義
  巻四十一 循本
  巻四十二 応嘲
  巻四十三 喩蔽
  巻四十四 百家
  巻四十五 文行
  巻四十六 正郭
  巻四十七 弾禰
  巻四十八 詰鮑
  巻四十九 知止
         窮達
         重言
  巻五十 自叙

列仙伝 (伝・劉向 著/沢田瑞穂 訳)
 巻上
  赤松子
  甯封子
  馬師皇
  赤将子輿
  黄帝
  偓佺
  容成公
  方回
  老子
  関令尹
  涓子
  呂尚
  嘯父
  師門
  務光
  仇生
  彭祖
  卭疏
  介子推
  馬丹
  平常生
  陸通
  葛由
  江妃二女
  范蠡
  琴高
  寇先
  王子喬
  幼伯子
  安期先生
  桂父
  瑕丘仲
  酒客
  任光
  蕭史
  祝鶏翁
  朱仲
  修羊公
  稷丘君
  崔文子
  〔補〕 羨門
  〔補〕 老莢子
 巻下
  赤須子
  東方朔
  鈎翼夫人
  犢子
  騎竜鳴
  主柱
  園客
  鹿皮公
  昌容
  谿父
  山図
  谷春
  陰生
  毛女
  子英
  服閭
  文賓
  商丘子胥
  子主
  陶安公
  赤斧
  呼子先
  負局先生
  朱璜
  黄阬丘
  女几
  陵陽子明
  邗子
  木羽
  玄俗
  〔補〕 劉安
  列仙伝叙

神仙伝 (葛洪 著/沢田瑞穂 訳)
 神仙伝序
 巻一
  広成子
  老子
  彭祖
  魏伯陽
 巻二
  白石先生
  黄初平
  王遠
  伯山甫
  馬鳴生
  李八百
  李阿
 巻三
  河上公
  劉根
  李仲甫
  李意期
  王興
  趙瞿
  王遙
  李常在
 巻四
  劉安
  陰長生
  張道陵
 巻五
  泰山老父
  巫炎
  劉憑
  欒巴
  左慈
  壺公
  薊子訓
 巻六
  李少君
  孔元方
  王烈
  焦先
  孫登
  呂文敬
  沈建
  董奉
 巻七
  太玄女
  西河少女
  程偉の妻
  麻姑
  樊夫人
  厳清
  帛和
  東陵聖母
  葛玄
 巻八
  鳳綱
  衛叔卿
  墨子
  孫博
  天門子
  玉子
  沈羲
  陳安世
  劉政
 巻九
  茅君
  孔安国
  尹軌
  介象
  蘇仙公
  成仙公
  郭璞
  尹思
 巻十
  沈文泰
  渉正
  皇化
  北極子
  李修
  柳融
  葛越
  陳永伯
  董仲君
  王仲都
  離明
  劉京
  清平吉
  黄山君
  霊寿光
  李根
  黄敬
  甘始
  平仲節
  宮嵩
  王真
  陳長
  班孟
  董子陽
  東郭延
  戴孟
  魯女生
  陳子皇
  封衡

山海経 (高馬三良 訳)
 山海経序 (郭璞)
 第一 南山経
 第二 西山経
 第三 北山経
 第四 東山経
 第五 中山経
 第六 海外南経
 第七 海外西経
 第八 海外北経
 第九 海外東経
 第十 海内南経
 第十一 海内西経
 第十二 海内北経
 第十三 海内東経
 第十四 大荒東経
 第十五 大荒南経
 第十六 大荒西経
 第十七 大荒北経
 第十八 海内経

山海経原書插図 (『山海経広注』付図(全五巻)〔康熙六年刊〕より全図収載)

『抱朴子』解説 (本田済)
『列仙伝』『神仙伝』解説 (沢田瑞穂)
『山海経』解説 (高馬三良)



抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経2



◆「抱朴子」より◆


「内篇 序」より:

「わたくし葛洪(かっこう)は、生まれつきとびぬけた才があるわけでもない上に、たまたま『老子』のいわゆる無為の道が好きだった。だから、たとえ青空をしのいで飛べるほどの強い翼、風を追い光に追いつくほどの速い足があったとしても、やはり鷦鷯(みそさざい)の群のなかに強い翼をたたみ、びっこの驢馬(ろば)の仲間として速い足を隠していたい。」

「そこで私は出世の道には望みを絶ち、貧窮の境涯に甘んじることにした。あかざ・豆の葉の汁にも八珍(中略)の味があり、よもぎの戸・いばらの門にも数奇をこらした美邸の安楽がある。それで権力者の家には、目と鼻の先でも行かない。道を知る士のところには、いくら遠くても必ず訪れる。」

「無作為の心境ともなれば、泰然として有り余る喜びがある。人と競争しないという立場に立てば、平然として出世も不遇も同じと観ぜられる。純粋さを保ち、生まれたままを守り、欲もなく憂いもない。天真を全うし、形骸を忘れ、恬淡(てんたん)の境におる。ガランとして広い。まるで大混沌と同じ性質。果てもなく茫々としている。造化と等しい生き方。暗いようでもあり明るいようでもある。濁っているようでもあり清いようでもある。遅いようで速く、欠けているようで満ちている。」
「世間が褒めても喜ばない。淡々として、口を揃えての非難にもめげない。外界の物質によって精神を乱すことはなく、利害によって純粋さを汚すことはない。」




◆「列仙伝」より◆


「馬師皇」:

「馬師皇(ばしこう)は黄帝のころの馬の医者であった。馬の体質や寿命の診察に妙を得ていて、治療すればきっと治った。
 その後、一匹の竜が下りてきて、師皇に向かって耳を垂れ口をあけた。師皇は、「この竜には病気があって、わしが治せることを知っているのだ」といって、その唇の下に鍼(はり)をさしてやり、口中に甘草湯(かんぞうとう)を飲ませてやったところ、病気が治った。その後も病気になるたびに、竜は波から出てきて知らせ、治療を乞うのであったが、ある朝、竜は師皇を負って姿を消した。」



「介子推」:

「介子推(かいしすい)は姓は王(おう)、名は光(こう)、晋(しん)の国の人であった。世に隠れて無名のまま、ただ趙成子(ちょうせいし)というものが気に入って、これと親交があった。夜があけると、黄雀(こうじゃく)がその門にとまる。晋の公子の重耳(じゅうじ)が、これは非凡な人物らしいと目をつけ、伴って国外に暮らすこと十年余のあいだ、いかなる辛苦をも厭(いと)わなかった。
 やがて帰国したが、介山(かいざん)の伯子常(はくしじょう)というもの、早朝に訪れて子推を呼び出し、「逃げるがよい」といった。そこで子推は封禄を辞退し、母とともに山中に入った。そして伯子常についてこれと交わった。
 のち文公が数千人を遣(つか)わし、礼物(れいもつ)をもって招いたが、山から出ようとしなかった。それより三十年たって東海のあたりに姿をあらわし、王俗(おうぞく)と名のって扇を売っていたが、数十年後、行方が知れなくなった。」



「蕭史」:

「蕭史(しょうし)は秦(しん)の穆公(ぼくこう)のころの人であった。簫(しょう)を吹くことが巧(たくみ)で、孔雀(くじゃく)や白鶴を庭に呼びよせることができた。穆公には弄玉(ろうぎょく)とよばれる姫君があって、これがお気に召したので、穆公はついに姫と結婚させてやった。
 蕭史は日々弄玉に鳳鳴(ほうめい)の調(しらべ)を教えこむうち、数年もすると鳳の声にまねて吹けるようになり、鳳凰がやってきて屋上にとまった。穆公が二人のために鳳台(ほうだい)を建ててやると、夫婦してその上に住み、数年間もそこから下りなかった。ある日、二人とも鳳凰について飛び去った。そこで秦国では雍宮(ようきゅう)に鳳女祠(ほうじょし)をつくったが、時おり簫の音が聞えるのであった。」



「修羊公」:

「修羊公(しゅうようこう)は魏(ぎ)の人であった。華陰(かいん)山上の石室の中に住んでいた。そこには突き出た石の寝床があって、その上に寝ていたので、石はすっかりくぼんでしまっていた。ほとんど食事をせず、時たま黄精(おうせい)を取って食べた。
 その後、道術をもって景帝に用いられたいと思い、出かけてゆくと、景帝はこれを礼遇して王族の邸(やしき)に住まわせた。数年たっても、どんな術があるのか、さっぱりつかめない。ご下問があって、「修羊公には、いつになれば技倆をお示しになられるのか」というと、言いも終らぬうちに、寝台の上で化して白い石の羊になってしまった。そして脇腹には「修羊公、天子に謝す」と書かれてあった。
 その後、石の羊を霊台の上に安置しておいたところ、羊はのちにどこかへ去って、所在が知れなくなった。」



「〔補〕 老萊子」:

「老萊子(ろうらいし)は楚(そ)の国の人であった。当時は乱世であったので、世を遁(のが)れて蒙山(もうざん)の南で耕作に従い、藺(い)や葭(よしず)で垣根をつくり、雑草で小屋を葺(ふ)き、木の枝で寝床をつくり、よもぎを敷物とし、漬物(つけもの)や菱(ひし)の実(み)を食し、山を開墾して五穀の種をまいた。楚の国王が門まできて迎えたが、「鳥や獣(けもの)の毛も績(つむ)げば着られるし、その食べ遺(のこ)しの穀粒(こくつぶ)を拾っても食べていけるものだ」といって、ついに江南の地に去って住んだ。
 老萊子は両親に孝養をつくし、七十歳になっても赤ん坊のように五色の華やかな着物を着てよろこんでいた。あるとき、飲み物を持って部屋に入ろうとして躓(つまず)いて転んだ。すると地面に寝て幼児の泣くまねをした。また時には親のそばで小鳥と戯れたりした。」



「子英」:

「子英(しえい)は舒郷(じょきょう)の人であった。水中に潜(もぐ)って魚を捕えるのが得意であったが、赤い鯉をつかまえてから、その色のみごとなのが気に入り、持ち帰って池に入れ、毎度米粒(こめつぶ)で飼っているうち、一年もすると生長して一丈余にもなり、終(しまい)には角(つの)が生(は)え、翼(つばさ)をもつようになった。子英は奇妙なことだと気味(きみ)わるくなって、これに拝礼をした。すると魚がいうには、「あなたをお迎えに参りました。わたしの背にお乗りください。ご一緒に天に昇りましょう」とて、たちまち大雨が降った。子英はその魚の背に乗り、空高く昇っていった。
 それからは毎年のように元(もと)の自分の家に戻ってきて、飲食をし、妻子にも会う。終ると魚がまた迎えにくる。これが七年も続いた。かくて呉中(ごちゅう)では、家々の門口に神魚をつくり、ついには子英の祠(ほこら)を立てることになったといわれている。」




◆神仙伝」より◆


「壺公(ここう)」より:

「そのころ、汝南(じょなん)に費長房(ひちょうぼう)というものがあって、町役人をやっていた。あるとき、壺公が遠いところからやってきて、市中で薬を売るのを見かけたが、誰も顔見知りはいなかった。(中略)ふだん一個の空(から)の壺を屋上に懸けておき、日が暮れると壺公は壺の中に跳びこむのだが、誰にも見えない。ただ費長房だけが楼上からそれを見ていて、凡人でないことを知ったのである。」
「壺公は長房の誠実さを認めて、「日が暮れて誰もいなくなった時に、改めてくるように」といった。長房が言われたとおりに行ってみると、壺公は、「わしが壺に跳びこむのを見て、そなたもわしに倣(なら)って跳びこめば、おのずと入れるはずじゃ」といった。長房がそのとおりやってみると、果して気がつかぬうちに中に入っており、入ってしまえば、それはもはや壺ではなく、見えるのはただ仙宮の世界で、楼閣や二重三重の門や、二階造りの長廊下など。左右には数十人の侍者がいた。
 壺公は長房に語った、「わしは仙人じゃ。むかしは天界の役人じゃったが、役目怠慢で叱責され、それで人間界に落とされたのじゃ。そなたは見込みがある。わしにめぐり遇えたのもそのためじゃ」」



「麻姑(まこ)」より:

「麻姑は鳥のような爪(つめ)をしていた。蔡経がそれを見て、背が癢(かゆ)くてたまらない時に、あんな爪で背中を掻くことができたら、さぞや良い心持ちであろうと心の中で考えていると、方平は早くも蔡経の心に思うことを察し、すぐさま蔡経を縛(しば)って鞭で打たせた。「麻姑どのは神人なるぞ。そちはなにゆえ爪で背中を掻きたいなどと考えたるか」といった。鞭が蔡経の背に当たるのが見えるだけで、鞭を持つ人の姿は見えない。方平は蔡経に向かって、「予の鞭は滅多(めった)に頂戴できるものではないぞ」といった。」


「葛玄(かつげん)」より:

「あるとき船で旅をした。道具類の容器の中には護符(ごふ)数十枚が納められてあった。そこで、この符の効験について質問し、「どんな働きをするものか、ひとつ拝見できないものでしょうか」というと、葛玄は「符が何の働きもするものか」と、すぐ一通の護符を取って河に投げこむと、符は下流の方へ流れてゆく。「どうじゃ」と葛玄がいうと、その客は、「拙者が投げこんでも同様でござろう」といった。葛玄がまた符一通を取って河に投げると、今度は逆流しだした。「どうじゃね」といえば、客は「奇妙なことで……」という。また一通の符を取って投げると、停止したまま動かない。ややあって、下流の符は上流へ、上流の符は下流へと動いて、三枚の符が一ヵ処に寄り集まったので、葛玄はそれを取りあげた。
 河岸には洗濯をする一人の女がいた。葛玄が若者たちに、「わしは諸君のためにあの女を逃げ出させてみせるが、どうじゃ」というと、「それはおもしろい」というので、符一枚を水中に投げこむと、その女は驚いて逃げ出し、十数丁も逃げてまだ止(と)まらない。葛玄が、「止めてみせよう」といって、再び符一枚を水中に投ずると、女はすぐ止まって引き返してきた。何を怖(こわ)がって逃げ出したと女に訊いてみると、「わたし自身にもさっぱりわかりません」と答えた。」

「葛玄を招待した人があった。あまり行きたくはなかったが、その主人が是非にというので、やむなく使者についていった。数百歩も歩くと、葛玄は腹痛を起こし、立ち止まって地面に横になったかと思うと、まもなく死んでしまった。頭を持ち上げると頭がきれて落ち、四肢を持ち上げると四肢がばらばらになった。おまけに腐爛(ふらん)して蛆(うじ)がわき、近寄ることもできない。呼びにきた使者が慌(あわ)てて葛玄の家に報(し)らせにゆくと、もう一人の葛玄が堂上にいるのが見えた。使者は何もいうことができず、先刻の屍体のところへ引き返してみると、葛玄の屍体はすでに消えていた。
 人と路を同行するのに、地上三、四尺のところを並んで歩かせることもできた。」



「介象(かいしょう)」より:

「介象が山に入ると、谷間に丸い石があった。紫色で緑の光沢が美しく、大きさは鶏卵くらいで、それが数限りもなくあった。その二個を手に取った。谷は深くて前へは進めないので、引き返すと、山中で一人の美女に出遇った。年のころは十五、六、非凡な美しさで、五色の服を着ていた。これぞ神仙であろうと見て、介象はこれに長生(ちょうせい)の法を訊ねた。すると女が、「そなたが手にしている物を、元の場所に戻してくるがよい。それは、そなたはまだ取ってはならない物じゃによって、ここでそなたを待ち受けていたのですぞ」といった。介象が石を返してくると、女はやはり前の場所にいた。そして、「そなたは肉食の匂いが脱けきっていない。三年のあいだ穀(こく)断ちをしてから、また改めてくるがよい。ここで待っていようほどに」といった。
 家に帰り、穀断ちをすること三年ののちに再び出かけてゆくと、その女はやはり前の場所にいた。そこで『還丹経(せんたんきょう)』の一首を介象に授けて、「これさえあれば仙人になれるであろう。もはや他(ほか)のことはせずともよろしい」といったので、礼を述べて帰ってきた。」




◆「山海経」より◆


「第六 海外南経」より:

「結匈(けっきょう)国はその西南にあり、その人となり(注一: 人となり、とはほとんどが人間のさまざまな奇怪な形相をいい、むしろ「その姿」とすべきだが、姿でも適当でない場合もあって、広義の用法で人となりとした。)胸が突出する。南山はその東南にあり、この山よりこなた虫を蛇とよび、蛇をよんで魚という。比翼鳥はその東にあり、その鳥は青赤色で、二羽で翼がそろって飛ぶ(注二: 一鳥一翼なので、二羽ではじめて飛べる。)羽民(うみん)国はその東南にあり、その人となり長い頭で身(からだ)に羽がはえている。神人(注三: 経中、神と人は区別して用いられるが、「神人」は三ヵ所あり、後人がそのいずれかの字を加えたものであろう。時代を考える大切な資料である。「全部で十六人」は後人の注が経の文となったもの。逆に本文が注になり下がった例もある。)、二八、手をくんで帝(あくき)となり、この野の夜を支配する。羽民の東にあり、その人となり小さい頬に赤い肩、全部で十六人。畢方(ひっぽう)鳥はその東、青水の西にあり、その鳥は人面で一つの脚。讙頭(かんとう)国はその南にあり、その人となり人面で翼があり、鳥の喙(くちばし)、いまし魚を捕う(注四: このような表現は、『山海経』が絵の解説であるよい証拠である。「いまし」と訳したのはみなそれである。)。厭火(えんか)国はその国の南にあり、獣身で色黒く火を口から吐(は)く。三株(しゅ)樹は厭火の北にあり、赤水のほとりに生じる。その樹は柏(はく)の如く葉はみな珠となる。三苗(びょう)国は赤水の東にあり、その人となり互いにくっついてあるく。(中略)貫匈(かんきょう)国はその東にあり、その人となり胸に竅(あな)あり。交脛(こうけい)国はその東にあり、その人となり脛(はぎ)が交叉(さ)する。不死の民はその東にあり、その人となり黒色で、不老不死である。岐舌(きぜつ)国はその東にあり、(その人となり舌が岐(わか)れている。)昆侖(こんろん)の虚(おか)はその東にあり、虚は方形。羿(げい)と鑿歯(さくし)が寿華(じゅか)の野に戦い、羿はこれを昆侖の虚の東で射殺した。羿は弓矢をもち、鑿歯は盾(たて)をもつ。三首国はその東にあり、その人となり一つの身に三つの首(かしら)。周饒(しゅうじょう)国はその東にあり、その人となり短小で冠(かんむり)と帯をつける。長臂(ちょうひ)国はその東にあり、魚を水中に捕え、両手にそれぞれ一匹をもつ。狄(てき)山は帝・堯(ぎょう)を山の南に葬(ほうむ)り帝・嚳(こく)をその北に葬る。ここには熊・羆(ひぐま)・文(あや)ある虎・蜼(い)(おながざる)・豹・離朱(木名)・視肉(注五: 肉塊で、形は牛の肝臓の如く、両眼があり、食っても尽きることなく、また再生してもとのようになる。海内経の洪水をふさぐ息壌も同じ原理で、無限にふえつづける土をいう。)・吁咽(うえつ)(未詳)あり。文王(周)もまたここに葬る。その広大な森林は方三百里。
 南方(神)は祝融(しゅくゆう)、獣身人面、双竜(そうりゅう)に乗る。」



抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経3



こちらもご参照下さい:

石島快隆 訳註 『抱朴子』 (岩波文庫)


























































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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