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石田英一郎 『新版 河童駒引考』 (岩波文庫)

「要するに後期旧石器時代の狩猟採集民にあっても、彼らみずからの生命や食物の多産豊饒に対する痛切な願望をもとに、枯れては芽ばえ、死しては生まれていく地上の生命を、欠けてまた満ちる永劫不死の月の運行に関連せしめ、人間および動植物の生成繁殖をうながす呪能を、月なる母性の生殖力にもとめる思想はすでに存在していたのではあるまいか。」
(石田英一郎 『新版 河童駒引考』 より)


石田英一郎 
『新版 河童駒引考
― 比較民族学的研究』
 
岩波文庫 青 33-193-1


岩波書店 
1994年5月16日 第1刷発行
317p 参照文献19p
文庫判 並装 カバー
定価670円(本体650円)



『河童駒引考(かっぱこまびきこう)』初版は1948年、筑摩書房刊、改訂新版は1966年、東京大学出版会刊。本書はその文庫版です。
口絵図版(モノクロ)4点、本文中図版(モノクロ)14点。



石田英一郎 河童駒引考



カバー文:

「水辺の牧にあそぶ馬を河童が水中に引きずりこもうとして失敗するという伝説は、日本の各地に見られる。この類話が、朝鮮半島からヨーロッパの諸地域まで、ユーラシア大陸の全域に存在するという事実は何を意味するのだろうか。水の神と家畜をめぐる伝承から人類文化史の復原に挑んだ、歴史民族学の古典。」


目次:

口絵
新版序文
第一版序文

はじめに
第一章 馬と水神
第二章 牛と水神
第三章 猿と水神
むすび



解説 (田中克彦)

参照文献




◆本書より◆


「第2章 牛と水神」より:

「すでにバッハオーフェンは一八六一年、その劃期的な『母権論』の中で、古典世界における女性原理の象徴としての月および雌牛についてくり返し言及し、また未開社会の例をもひいて、女性こそは、土を耕し、大地の実りをとりいれる営みをその本来の使命としていたものと主張した。その後の民族学者も、牧畜民の社会では男子の経済的・社会的な地位が高く、原則として父権的性格が強いのに反し、母権的または母系的な制度は、女性の手による植物性食料の採集や栽培を基礎とした社会に見出される傾向のあることを、一般論としてはみとめている。総じて植物栽培民の文化にあっては、月と女性と大地とが、もろもろの豊饒生育の象徴や思想と結合して、宗教や神話の中にあらわれていることが多いが、このような一群の観念も、その淵源はあるいは(中略)さらに古く、農耕牧畜以前の、後に植物栽培に向って発展する萌芽を蔵した、後期旧石器時代のある種の採集経済の文化にまでさかのぼるのかも知れない。この点において、ドルドーニュのロセル Laussel から出土した中期オーリニャク文化の、角(つの)形の容器をもつ裸婦像や、またイルクーツク附近のマリタ Mal'ta のオーリニャク文化遺跡からゲラシモフの発見した、一面に特殊の渦巻文を、他面に三匹の蛇を刻したマムモスの牙の板片などは、旧石器時代人の精神史を探求する上に、貴重な手がかりをあたえる資料であろう。前者は後年のオリエント―地中海の大地母神が牛と密接な関係にあることから推して、新月形の野牛の角杯――一種の豊饒の角(コーニュコピア)――を手にした最古の母神像とも解せられよう。それはまた、南フランスからロシアにわたる広大な地域に発見された二ダースにのぼるオーリニャク文化のいわゆる“ヴィーナス像”(中略)のもつ呪術=宗教的な意味を考える手がかりともなった。後者すなわちマリタの象牙板に描かれた渦巻文、ことにS字形に相対して反対の方向に巻いた螺旋(らせん)も、先史時代から歴史時代にかけて世界的な分布を示し、後の例から推して満ちては欠ける月の消長をあらわしたものと解せられている。またその裏側に刻まれた波状の蛇も、ほとんど全世界の月神話に登場する、月ともっとも関係の深い動物の一つである。しかもこのマムモス象牙の板片とともに、ヨーロッパのオーリニャク文化の“ヴィーナス像”(中略)の発見されたことは、ますます右の両面の文様の呪的な意味を傍証するものであろう。要するに後期旧石器時代の狩猟採集民にあっても、彼らみずからの生命や食物の多産豊饒に対する痛切な願望をもとに、枯れては芽ばえ、死しては生まれていく地上の生命を、欠けてまた満ちる永劫不死の月の運行に関連せしめ、人間および動植物の生成繁殖をうながす呪能を、月なる母性の生殖力にもとめる思想はすでに存在していたのではあるまいか。」

「すでにのべたように、東地中海からインドにつらなる先アーリア期の古代文明の世界に、馬が北方から登場して大きな役割を演ずるようになったのは、牛よりもはるかにおくれた時代においてであった。馬耕農業の普遍化した北ヨーロッパにあっても、最初に犂をひいた動物が牛であったことは、青銅器時代の岩壁画から確認されている。今日の知識では、馬の家畜化のはじめて行なわれた故地を見出すことは、もはや不可能に近いけれども、馬を車戦ついで騎戦の手段に用いた戦闘的な民族が、古代文明の縁辺部からユーラシア大陸をめぐる肥沃な農耕地帯に進出した事実は、紀元前の二千年間の歴史に明らかなところであり、この間に、牛を最高の家畜としたオリエント文明圏の北辺から内陸の草原地帯にかけ、馬の機動力に依存する遊牧民族の独自の文化圏が形成されたものではないかと思われる。スキタイ・サルマテ・匈奴・烏孫をはじめ、その後の突厥やモンゴルなど、ユーラシアの歴史に記録された騎馬民族は、もっともよくこの文化の性格を代表するものであろう。すなわち経済的には牧畜を基礎とし、社会的=政治的には父系的・家父長的・軍事的であり、思想的=宗教的にはいちじるしく男性原理と天の信仰にかたむく。シュミットが誤ってその形成を氷河時代の末にまでさかのぼらしめた前記の父権的=遊牧的文化圏なるものは、実はこのように限定された歴史時代にその存在を確認しうるのである。」

「このように考えてくると、馬が水界や大地や冥界や月と結合する第一章以来の諸例が、古くとも紀元前数世紀より以前の資料にさかのぼらず、これに反して牛の月神話圏における中心的な地位は、紀元前三千年をこえる先史時代にまでつらなるという事実も、容易に解釈できそうである。すなわち馬が右のような役割を演ずるようになったのは、馬を機動力とする民族が、いわば牛の縄ばりともいうべき古代オリエント―インドの農耕的な都市文明の世界に進出して、馬が農業経済の中にも重きをなすにいたった後のことであったにちがいない。つまり、牛と馬とは、それぞれの個性を保持しながらも、多くの分野において、しだいに一体の文化に融合統一されるようになり、したがって祭祀や神話の領域にあっても、前に牛の演じた役割に馬が参加するか、あるいはこれに代わるというような現象も、しばしば見受けられるようになった。と同時に、前記の女神イシスの聖牛のように、雌牛の占めた原初の中心的地位が、いつしか雄牛に代わっていたり、月神話的複合の中に、しだいに上天信仰的要素が重きをなしてきたりする現象も、右の過程にともなうものと解釈しうるであろう。」









こちらもご参照ください:

石田英一郎 『桃太郎の母』 (講談社文庫)













































































































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