ジョルジュ・バタイユ 『呪われた部分』 (生田耕作 訳/ジョルジュ・バタイユ著作集)

「現代では本物の奢侈と深遠なポトラッチはかえって貧者の手に、すなわち地面を寝ぐらにして何物にも目をくれぬ人間の手に帰している。本物の奢侈は富への完全な侮蔑を要求する。労働を拒絶する人間、すなわち己れの生をば、一方では際限なく破産する華々しさに、いま一方では富裕者たちの汗水たらした虚偽にたいする無言の侮蔑に仕立て上げる、そのような型の人間の憂鬱な無関心が必要である。」
(ジョルジュ・バタイユ 『呪われた部分』 より)


ジョルジュ・バタイユ 
『呪われた部分』 
生田耕作 訳

ジョルジュ・バタイユ著作集

二見書房 1973年12月10日初版発行/1991年5月31日15版発行
298p
四六判 丸背クロス装上製本 
本体ビニールカバー 貼函
定価2,500円(本体2,427円)
装幀: 村上芳正
Georges Bataille : La part maudite



本書「訳者あとがき」より:

「『呪われた部分』は、一九四九年に、深夜書房(エディシヨン・ド・ミニュイ)から、著者自身が監修する双書〈富の使用 L'Usage des Richesses〉のなかの一篇として刊行された。初版本の裏表紙には、(中略)監修者バタイユの手になると思える、同双書の趣意を明らかにした次のような言葉が掲げられている。
 〈今日の人間の前には問題が突きつけられている。すなわち彼が創りあげた富をどうするか? 無限に、戦争を繰り返すか? 富の、また全般に使用可能エネルギーの氾濫が、かくまで深刻に世界を脅かしたためしはいまだ嘗てない。
 本双書に収めた一見まちまちな諸論考は、あらゆる観点から――宗教的、芸術的、経済的――或いは、広く、理論的観点から、人間が己れのエネルギーと富にたいして施しうる使用法を考察するものである。〉」



バタイユ 呪われた部分


帯文:

「《エロティシズム》と双壁をなす代表作
《呪われた部分》とは戦争や生殖や奢侈に使用されるべく運命づけられた過剰エネルギーであり、本書はこうした非生産的消費を通して人間の内奥を探る!」



目次:

緒言

第一部 基礎理論
 〔一〕 普遍経済の意味
  一 地球上のエネルギー流動にたいする経済の依存性
  二 組織の成長に役立たぬ剰余エネルギーを利得なしに損耗する必要性
  三 機構すなわち有限的全体の貧困と生命界の資産過剰
  四 過剰エネルギーの破局的消費として見た戦争
 〔二〕 普遍経済の諸法則
  一 生化学エネルギーの過多と、成長
  二 成長の限界
  三 圧力
  四 圧力の第一効果。拡張
  五 圧力の第二効果。浪費あるいは奢侈
  六 自然の三つの奢侈。食、死、および有性生殖
  七 労働と技術による拡張、および人間の奢侈
  八 呪われた部分
  九 「個的」観点にたいする「普遍的」観点の対立
  十 普遍経済の解決法と「自意識」
第二部 歴史的資料(一) 消費社会
 〔一〕 アステカ族の供犠と戦争
  一 消費社会と企業社会
  二 アステカ族の世界観における蕩尽
  三 メキシコの人身御供
  四 死刑執行人と生贄との親密関係
  五 戦争の宗教性
  六 宗教の優位から軍事効果の優位へ
  七 供犠あるいは蕩尽
  八 神聖にして呪われたる生贄
 〔二〕 対抗的贈与(「ポトラッチ」)
  一 メキシコ社会における誇示的贈与の普遍的重要性
  二 富裕者と祭式用浪費
  三 北西部アメリカ・インディアンの「ポトラッチ」
  四 「ポトラッチ」の理論(1) 権力「獲得」に帰着する「贈与」の逆理
  五 「ポトラッチ」の理論(2) 贈与の見かけ上の無意味性
  六 「ポトラッチ」の理論(3) 「身分」の獲得
  七 「ポトラッチ」の理論(4) 基本法則
  八 「ポトラッチ」の理論(5) 多義性と矛盾
  九 「ポトラッチ」の理論(6) 奢侈と貧困
第三部 歴史的資料(二) 軍事企業社会と宗教企業社会
 〔一〕 征服社会――イスラム教
  一 マホメット教にたいする意味付けのむずかしさ
  二 聖遷(ヘジラ)以前のアラブ族の蕩尽的社会
  三 草創期のイスラム社会、あるいは軍事企業に帰着した社会
  四 後世のイスラム教、あるいは安定への復帰
 〔二〕 非武装社会――ラマ教
  一 平和な社会
  二 近代チベットと、そのイギリス人編年史家
  三 ダライ・ラマの純宗教的権力
  四 第十三世ダライ・ラマの無力と反逆
  五 軍事編制画策にたいする僧侶の反逆
  六 超過量全体のラマ僧による蕩尽
  七 ラマ僧の経済的解明
第四部 歴史的資料(三) 産業社会
 〔一〕 資本主義の起源と宗教改革
  一 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
  二 中世の教義と慣行における経済
  三 ルターの倫理的立場
  四 カルヴァン主義
  五 宗教改革が後世に及ぼした影響。生産界の自律性
 〔二〕 ブルジョアの世界
  一 営みによる内奥性追求の根本的矛盾
  二 宗教改革とマルクス主義の類似
  三 近代産業世界、或いはブルジョアの世界
  四 物質的障害の解消とマルクスの急進主義
  五 封建制度と宗教の遺物
  六 共産主義、ならびに事物(もの)の有用性と人間との等値性
第五部 現代の資料
 〔一〕 ソヴィエトの産業化
  一 非共産主義社会の窮境
  二 共産主義にたいする知的姿勢
  三 蓄積と相反する労働運動
  四 蓄積にたいするロシア皇帝(ツアーリ)たちの無能力と共産主義の蓄積
  五 土地の「共有化」
  六 産業化の苛酷性にたいする諸批判の欠陥
  七 ロシア的問題と世界的問題の対立
 〔二〕 マーシャル計画
  一 戦争の脅威
  二 生産手段のあいだで行なわれる非軍事的競争の可能性
  三 マーシャル計画
  四 「普遍的」取引と「古典派」経済学の対立
  五 「普遍経済」の観点から見た、フランソワ・ペルーによる「普遍的」利益について
  六 ソヴィエトの圧力とマーシャル計画
  七 或いは「世界を変革」しうるものは戦争の脅威しかない
  八 「力学的平和」 
  九 アメリカ経済の完遂と結びついた人類の完遂
  十 富の最終目的の知覚と「自覚」

消費の概念
  一 伝統的有用性原則の欠陥
  二 損失の原理
  三 生産、交換、および非生産的消費
  四 富裕階級の消費的機能
  五 階級闘争
  六 キリスト教と革命
  七 物的事象の非従属性

訳者あとがき



バタイユ 呪われた部分2



◆本書より◆


「緒言」より:

「なんぴとも予想せぬ、いかなる課題にも答えぬ書物、かりに著者が教えられたことをそのまま鵜呑みにしていたならけっして書く気にならなかったであろう書物、要するにそのような奇態なしろものを、今日わたしは読者に提供しようというわけだ。」
「この書物を読みとおす忍耐を、勇気を持つ人は、ゆるがぬ理性の法則に則(のっと)って行なわれた諸考察を(中略)そこに見出すとともに、また次のような主張にも出くわすだろう。時間の中での性行為の在り方は、空間の中での虎の在り方に等しい(引用者注: 「時間の~」に傍点)。この対比は詩的幻想を容れる余地のないエネルギーの経済学的考察から発している、しかしそのためには普通の計算とは相反する、われわれを支配する諸法則に基づく力作用の水準(レベル)に置かれた思考が必要である。結局、こうした真理が姿を現わす視野の中においてこそ、より普遍的な次のような命題が意味を帯びるのだ。すなわち生物や人間に根本的問題を突きつけるものは、必要性ではなく、その反対物、「奢侈」である(「生物や~」に傍点)。」



「第一部 基礎理論」より:

「植物は使用可能空間を急速に占拠する。動物はそこを殺戮の場と化し、そうすることによってその空間の可能性を拡大する。つまりそれ自体はもっと緩慢に発展する。この点では猛獣がその最たるものであり、掠奪者としての絶えざる蹂躙はエネルギーの莫大な浪費を表わしている。ウイリアム・ブレイクは次のごとく虎に問いかけている。「いかなる深淵(ふち)、いかなる大空の彼方に、汝が双眸(そうぼう)の炎は燃え立ちしや?」彼をこのように感動せしめたものは、可能の極にある残忍な圧力、生命の強烈な消費力であった。生命の遍(あまね)き沸騰の中で、虎こそは至高の白熱点である。そしてこの白熱は、まさしく、天空の遙かな深みにおいて、太陽の消尽のうちに燃え立ったのだ。」


「第二部 歴史的資料(一) 消費社会」より:

「アステカ族は、精神的にわれわれと対極に位置している。」
「彼らの世界観はわれわれの活動目標の面でわれわれのうちに働くそれと完璧に且つ異様なふうに対立している。彼らの思考の中では蕩尽がわれわれの思考における生産に劣らぬ位置を占めていた。われわれが労働する(引用者注: 「労働する」に傍点)ことを心掛けるのと同様に彼らは犠牲にする(「犠牲にする」に傍点)ことを心掛けたのである。」

「メキシコの人身御供についてはさらに古い時代のものよりも完全な生々しいかたちで知られているが、それは一連の残酷な宗教的儀式の中で恐らく恐怖の一高峰を打ち建てるものだ。
 神官たちはピラミッドの頂で生贄を殺害するのだった。生贄を石の祭壇の上に横たえ、黒耀石の短刀でその胸を突き刺した。まだ脈打っている心臓を抜き取り、そんなふうにしてそれを太陽に向かって差しのべるのだった。生贄はほとんど戦争の捕虜であり、そうすることによって戦争が太陽の生命にとって必要であるという考え方を正当化するのだった。すなわち戦争は征服ではなく、蕩尽の意味を持っており、そしてメキシコ人はもし戦争がとだえれば、太陽は輝くのをやめるだろうと考えていた。」

「世界に労働(引用者注: 「労働」に傍点)を持ち込んだ瞬間を境に、欲望の切実性と、その自由な解放の代りに、目下の真実がもはや問題にならず、ひたすら諸作業(「諸作業」に傍点)の後々の結果が重要になるような合理的拘束が幅をきかせるに至ったのだ。最初の労働がもの(「もの」に傍点)の世界の礎をすえたのであり、その動きは古代人の世俗的生活とほぼ重なると見てよいだろう。事物の世界が確立して以来、人間は少なくとも働いている時間には、自らその世界の事物の一つと化してしまったのだ。かかる堕落から逃れんものと、あらゆる時代の人間は努力してきた。その異様な神話の中で、その残虐な祭儀の中で、当初から人間は失われし内奥性を求めているのである(「失われし~」に傍点)。」
「内奥の(引用者注: 「内奥の」に傍点)世界は現実の(「現実の」に傍点)世界と、ちょうど過度と節度、狂気と分別、陶酔と覚醒のように対立する。客体に関してしか節度は存在せず、客体と自己の一致の中にしか分別は存在せず、客体の明確な認識の中にしか覚醒は存在しない。主体の世界とは夜である。理性の眠りの中でかずかずの妖怪を生み出す(「かずかずの~」に傍点)、あの無限にいかがわしい、落着かぬ夜。「現実的」次元にいささかも従属せず、「今」にしか心奪われない、自由な「主体」の原理を示せば、狂気という言葉すら甘すぎると言えるだろう(「「現実的」次元~」に傍点)。将来を案じ出すや否や、主体(「主体」に傍点)はそれ自身の領域を捨て、現実的(引用者注: 「現実的」に傍点)次元の客体(「客体」に傍点)に従属する。つまり主体(「主体」に傍点)は労働を推しつけられない範囲内で燃焼するのだ。もしわたしがもはや「今後のこと」を気づかわず「いまあること」だけを問題にするならば、何かを保存して置くいかなる理由があるだろう? さっそく、手当りしだい、自分の自由になる財産の全てを刹那的蕩尽に使ってよいわけだ。明日の不安が取り除かれるや否や、この無益な蕩尽は、わたしにとって好ましいもの(「わたしにとって~」に傍点)となる。それにもしもこのようなかたちで無節度に蕩尽すれば、わたしは自分が内奥において(「内奥において」に傍点)そうであるすがたを同胞に呈示することになる。すなわち蕩尽こそは隔離された(「隔離された」に傍点)諸存在が通じ合う道である。激しく蕩尽する者たちのあいだでは、全てが見通しであり、全てが開かれており、全てが無限である。だがそうなれば何ものも重要ではなくなり、暴力は解き放たれ、熱が高まる限り、際限なく荒れ狂うことになる。」
「供犠は熱狂であり、共通労働組織を構成する個々人の内奥性がその中で取り戻される。暴力がその原理である、だが時空の面で労働がそれ(暴力)を制限する。」

「古典経済学は初期の交換を物々交換のかたちで想定した。もとをただせば、交換に類する獲得形態が獲得の欲求に応えるものではなく、逆に損失もしくは浪費の欲求に添うものであったなどとは、予想だにできなかったにちがいない。」
「贈与がポトラッチの唯一の形式ではない。富の荘厳な破壊でもって競争相手に挑戦することもある。破壊は、建て前として、受贈者の神話的祖先に献げられる。それは供犠とほとんど異ならない。十九世紀においてもなお、トリンギト族の一首長が競争相手のところに出頭し、その面前で幾人もの奴隷の喉をえぐって見せたことがある。定められた期限に、その損害はより多数の奴隷の殺戮でもって報いられた。シベリア北東部のチュクナ族もこれに近い制度を持っている。彼らはたいそう高価な橇犬を何頭も屠(ほふ)ってみせる。敵対集団を畏怖せしめ、圧倒する必要があるのだ。北西部沿岸のインディアンは村落を焼きはらったり、何隻ものカヌーを粉砕したりした。」











































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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