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谷川健一 『四天王寺の鷹』

「不治の病者、世の敗者に見せる四天王寺の限りない包容力は、慈悲のたまものなのか、それとも虚無の姿であろうか。」
(谷川健一 『四天王寺の鷹』 より)


谷川健一 
『四天王寺の鷹
― 謎の秦氏と物部氏を追って』


河出書房新社 2006年5月20日初版印刷/同30日初刷発行
325p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,600円+税
装幀・装画: 毛利一枝

「本書は書き下ろし作品です。」



本書「あとがき」より:

「私は「青銅の神の足跡」(一九七九年)、「鍛冶屋の母」(一九七九年)、「白鳥伝説」(一九八五年)、そしてこの「四天王寺の鷹」(二〇〇六年)の四つの本で、民俗学の立場から金属文化を追求している。そこには伊福部氏や物部氏が登場するが、今回は秦氏の役割を重視した。秦氏は鉱山開発や治水、木工などに貢献した帰化人の大族であるが、政治権力社会には縁のうすい集団であった。しかし芸能の面では当初から並々ならぬ手腕を発揮し、やがては「秦姓の舞」と称する四天王寺の楽人として活躍した。」
「広々と開放されている四天王寺で、私は人間の精神の解放感をつよく感じる。その一方私には四天王寺の境内を吹き抜ける空無の風のようなものが快よい。慈悲と虚無は紙一重であるとさえ思う。」



本文中図版(モノクロ)多数。


谷川健一 四天王寺の鷹1


帯文:

「創業120周年記念企画
谷川民俗学の集大成
四天王寺に秘められた
物部氏と秦氏の謎を、
綿密なフィールド調査と
鋭い分析を駆使して追求する。谷川民俗学が
到達した、渾身の書き下ろし巨編。」



帯裏:

「「青銅の神の足跡」にはじまり、「鍛冶屋の母」「白鳥伝説」と書きついで、本書「四天王寺の鷹」に終わる四部作で、私は金属民俗学の主題を追求した。それに携わる人々の生態はいうまでもなく、哀歓も見落さないようにつとめたつもりである。その意味で本書をヒューマン・ドキュメントとして読んでいただいてもかまわないと思っている。
(あとがきより)」



目次:

序章 物語の発端
 第1節 白鷹の舞う空
  啄木鳥の襲来
  鷹の伝承
  守鳥とは何か
  鷹と鷲
  白鷹と鵲
 第2節 四天王寺の三つの謎
  俊徳道
  天王寺の妖霊星
  守屋祠
  破賊を祀る
  守屋祠のもう一人の祭神
  公人長者
第I章 豊前の鷹
 第3節 彦山・香春・宇佐
  彦山の鷹
  香春の鷹
  鍛冶翁と金色の鷹
  鷹の巣地名と鉱山
 第4節 弥勒浄土
  新羅仏教の流入
  弥勒仙花
  太陽の洞窟・隧穴
  秦氏の弥勒信仰
  広隆寺と四天王寺
  秦氏と天寿国曼荼羅
  狛坂の磨崖仏
 第5節 豊前の秦氏王国
  豊国直菟名手
  薦神社の三角池
  豊前秦氏の分布
  秦王国の中心は香春
  香春の呼称
  豊国奇巫と豊国法師
  桑原村主訶都
 第6節 香春岳の神々
  香春岳の鉱物
  日置氏の役割
  辛国息長大姫大目命
  現人神社
 第7節 白鳥と鷹
  高句麗壁画の白鳥と鍛冶神
  たましひの鳥
  山辺大鶙と白鳥
  鳥取氏と鷹巣山
 第8節 二つの常世の衝突
  赤染氏はなぜ常世連か
  富士河の常世虫騒動
  仙境への憧憬
  長屋王の最期
 第9節 宇佐辛嶋氏の足跡
  宇佐八幡神の特異性
  稲積山から宇佐盆地へ
  宇佐宮の北辰殿
  妙見信仰と鉱山
 第10節 与曾女と清麻呂の対決
  僧形八幡神の出現
  豊前守清麻呂の復讐
  清麻呂の人物像
第II章 良弁とは誰ぞ
 第11節 諸国献上の鉱物
  金青と良弁
  金丹の製法
  硫黄の効用
  金青の正体
  金勝と金青
 第12節 鷲にさらわれた子
  不明の前半生
  金粛・金鷲・金鐘と良弁は別人説
  金鷲・金鐘と良弁は同一人説
  金粛と良弁は同一人説
 第13節 山林修行の優婆塞
  春日奥山と笠置山
  良弁と実忠
  金鐘行者と辛国行者
  優婆塞の実学
  山伏と薬草
  優婆塞の台頭
 第14節 仏都紫香楽宮
  甲賀寺址
  信楽の杣山 燃ゆ
 第15節 西海の銅
  長登銅山
 第16節 大仏塗金の実相
  百済王敬福の策謀
  良弁と八幡宮との取引き
  新羅の大使節団
 第17節 山河漂浪の民
  甲賀の杣山
  飛騨匠と木地屋
  近江の秦氏と木地屋
  木地屋と鉱山
  筏師と川狩人夫
  水草を逐って
  北杣と南杣
第III章 秦姓の舞
 第18節 秦氏の活動
  秦氏の展開
  智識寺と弓束女
  茨田堤と茨田勝
  播磨の法隆寺領と秦氏
 第19節 秦河勝の命運
  河勝の亡命地
  サクは裂くこと
  蹴裂伝説
 第20節 猿楽 諸座の名称
  秦河勝影向の地
  榎葉井から円満井へ
  秦楽寺と楽戸
  アジマという地名
  ミマジという名
  サカトの名
 第21節 四天王寺の舞楽
  滑稽・猥雑な所作
  採桑老の舞
  四天王寺楽人と大和猿楽者
  三方楽人
第IV章 永奴婢の末裔
 第22節 守屋の敗死後の四天王寺
  馬子の妻
  物部戦争の実態
  秦氏と白膠木
  廐戸皇子に花郎の面影
  丙子椒林剣と七星剣
  玉造の原四天王寺
  秦氏の版築技術
  難波吉士について
  「日本書紀」の守屋の所領
  御手印縁起の地名
  公人の苗字と地名
  調子丸
  敗者のゆくえ
終章 聖霊会と公人長者
 聖霊会の光景

あとがき
主要索引



谷川健一 四天王寺の鷹2



◆本書より◆


「序章」より:

「説経節の「信徳丸」では、河内国高安の長者一粒種に生まれた信徳丸(俊徳丸)は、皆の嫌う病者となり、天王寺へ捨てられ、寺の縁の下で癩者の生活をするというのが、筋書の一部になっている。
 説経節の「山椒太夫」では、厨子王は京都の朱雀権現堂から土車にのせられて、村送りにされ、天王寺へ送られる。土車はいざり、癩者、乞食などを載せる車である。(中略)これらの物語から四天王寺が癩者や乞食の捨て場であり、溜り場であったことが見えてくるが、事実「法然上人行状絵図」には、四天王寺の西門に病者が多数臥している姿が見られ、なかには、(中略)果物も喉を通らなくなってしまった病人に、高僧が鉢にかゆを入れてさじで食べさせている光景が描かれている。
 また「一遍上人絵伝」にも西天王寺西門に一遍の姿が見られる。それをかこむ築地塀の前には、車のついた車小屋も見られる。非人や乞食が屯ろし、人々からの施しを受けている。その中には癩者もまじっていたにちがいない。こうした四天王寺西門の光景は他の寺院には見られない。しかしそれだけに四天王寺の奥底のふかさは人々の魂に名状しがたいなつかしさをおぼえさせる。「信徳丸」をはじめ、いくつかの物語が四天王寺に誕生したのも理由のあることである。」

「四天王寺を訪れるたびに感じるのは、いかめしく囲われた貴族的な法隆寺に比べて、いかにも四天王寺が庶民の匂いをただよわせている寺であるということである。寺の堂塔の軒下や木蔭に浮浪者が三々五々屯ろして憩っている姿を見かけないことはない。私もまたそうした人生に疲れた人々と同じ仲間であるという気安さをもつことができる。
 四天王寺は夜に入っても門を閉さず開放している。寺の周辺の界隈の通行路として利用されているからでもあるが、そのために怪しげな風体の者が入りこむのを意に介するようにも見られないのは、ずっと前からのことで、戦前は、寺域の一角に竹矢来をこしらえ、その囲いのなかに、ハンセン病の一家が小屋がけして暮していても格別それを咎め立てする風もない時期があったという。弱者、落伍者、敗者へのいたわりに満ち、業病とおそれられた癩者へのあわれみを惜しみなく与える姿勢は、ふつうのとりすました寺院に接した目で見るとき、いかにも異様に映らざるを得ない。この底のないやさしさは何だろうか。」

「四天王寺は蘇我氏や聖徳太子の怨敵であり、しかも恨みを呑んで死んだ物部守屋とその一味を祀っている。参詣者が守屋の名を悪(にく)んで小石を投げつけ、祠が破壊されることもあった。そんなとき四天王寺の寺僧は、守屋祠をかばうために、参詣者をあざむき、熊野権現の標札を立てた、とも述べている。四天王寺に守屋祠が祀られていて、大切に寺僧に保護されているという事実は私には大きな衝撃であった。(中略)これは怨敵の鎮魂を目的とした祠と考えるよりほかはない。」














































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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