『ノディエ幻想短篇集』 (篠田知和基 編訳/岩波文庫)

「私は、実際、そういった人たちとは一種のものの見方や感じ方、判断のしかたがちがっているのだが、彼らのほうでも、またわたしとはちがっているのであり、どんなに私の資質の中に、公然と認められる欠陥があったところで、私の感覚や意識の内的な働きを権力の気まぐれに従属させる必要があろうとは思わない。」
(ノディエ 「青靴下のジャン=フランソワ」 より)


『ノディエ幻想短篇集』 
篠田知和基 編訳

岩波文庫 赤 32-587-1

岩波書店 1990年3月16日第1刷発行/同年5月2日第2刷発行
244p
文庫判 並装 カバー
定価410円(本体398円)



訳者による「あとがき」より:

「この種の「狂人」ないし、「白痴」は、(中略)人間のさかしらな知恵を捨てさることで、神の知恵に近づき、見えないものを見、聞こえないものを聞くことができるようになるという、ロマン主義的な痴愚礼讃だが、そこにはノディエ自身の特異体質による病歴と、発作時の知覚とが関わっているかもしれない。(中略)いずれにしても彼は愛すべき狂人たちを描いて、彼らが人間の領域を半ば離脱することで、妖精や天使に近づいて、いわば超自然的存在になると言いたいようである。」
「ここに訳出した六篇はいずれもかつて牧神社より刊行した『ノディエ選集』全五巻(一九七五-七六)と『炉辺夜話集』(一九七五)に収めたものだが、このたび岩波文庫に収めるにあたって全面的に改訳した。」



シャルル・ノディエ(Charles Nodier)。
本文中挿絵図版(モノクロ)10点。「あとがき」中図版(モノクロ)3点。


ノディエ幻想短篇集1


カバー文:

「夢と狂気の領域に文学の世界を切り拓き、フランス幻想文学の祖とあおがれるノディエ(1780-1844)の傑作アンソロジー。入れ子のようにつぎつぎと重なってゆく悪夢を描いて読む者を感覚の迷路へと引きずりこむ「スマラ(夜の霊)」、愛すべき妖精と美しい人妻の哀しい恋の物語「トリルビー」など6篇を精選。」


目次:

夜の一時の幻
スマラ(夜の霊)
トリルビー
青靴下のジャン=フランソワ
死人の谷
ベアトリックス尼伝説

あとがき (篠田知和基)



ノディエ幻想短篇集2



◆本書より◆


「夜の一時の幻」より:

「私の心には悲しみが満ちていた。私は孤独と夜とを求めた。散策はシャイヨの公園以上には行かなかった。それも、ふつう、夜の十一時が鳴ってからでなければ出なかった。ひどく悲しい物思いにとりつかれていたし、想像は不吉な夢想ばかり育(はぐく)んでいた。」

「「おれにはもう兄弟なんかいやしない。不幸なものにも兄弟がいるって言うのかい? さあ、おれがどんなにやつれて、しなびちまったか見てくれ。おれがどんなに汚れちまったか見てくれ。昼間は腹がへっていた。夜は沼地の泥の中に手足をのばした。神さまは、ずいぶんひどい目にあわせてくれるものさ。ときどき目がかすむ。歯を噛み合せる力もないことがある。胸をふくらますと、神経がまるでハープの絃のように震える。涙がこぼれたがっているのがわかる。手足を悪寒が走る。言うに言えない苦痛が喉を締めつける。みんな、おれのことを偏執狂だとか、てんかん持ちだとか言って、馬鹿にした薄ら笑いを浮かべて通りすぎてゆく。
 それがおれなんだ。」」

「人々が狂人と呼ぶ不幸なものよ、はたして、この、一般に欠陥とみなされているものが、一層強力な感受性、一層完全な頭脳の兆候でないとだれに言えよう? 自然は、きみの能力を高揚させたあげくに、未知なるものを見抜く力を与えてくれたのではないだろうか?」



「スマラ(夜の霊)」より:

「おそらく古代の人間の特権のひとつだった神の庇護のおかげで、おれは望みさえすれば(眠りのすばらしい恩恵として)人を脅かすあらゆる危険から脱れられるのだ。目を閉じ、心を奪うメロディーがやめば、夜の魔力の演出者が、なるほど、おれの足もとに深い淵をうがつ。その、未知の穴の中で、地上のありとあらゆる形も音も光も消える。沸きたつ激流は死者に飢え、その上に、はたして向こう岸へ行くのかどうかわからない、にわかづくりの、狭く滑りやすい橋がかかっている。その目もくらみそうな断崖の上のゆらゆらと揺れる板の端に、夜の演出者はおれを押し出す……しかし、おれはあわてず騒がず、踏み慣れた従順な大地を蹴る、すると地は静かになって、その足に答える。おれは喜んで、人間界を離れて旅立つ。軽やかな飛翔の下で、諸大陸の青い河流や、暗い砂漠のような海や、春の新芽、秋の紅や金色、冬のちぢかんだ葉の落ちついた褐色や暗い紫と、さまざまに装いを変える森の木々が遠ざかってゆく。鳥がびっくりしてあわてて羽ばたく音が耳もとですると、おれは勢いをつけて、いっそう高くのぼり、新しい世界の息を吸う。河流はもはや、黒ぐろとした緑の中に消えようとする一条の線でしかない。山やまは、その頂きも麓も区別のつかないぼんやりした点だ。大洋は、空中に迷い出た何ものともしれぬ天体の上の暗いしみにすぎない。」

「彼女が見えないボタンを押すと、その宝石が隠れた蝶番(ちょうつがい)でせりあがり、金の小箱の中に、色も形も何とも言いようのない怪物が現われた。怪物は、飛び出して、吠えながら跳ねあがり、魔法使いの女の胸の上にうずくまった。「ほらほら、あたしのかわいいスマラだ」と彼女は言った。」



「青靴下のジャン=フランソワ」より:

「もし幻想物語に、記憶の中のごくありふれたことがらや、日々の生活の些細なことがらと同じに誠実な信頼を寄せることができないのだったら、私としては、一生、そんな物語は書きはしないだろう。(中略)そして、そのばあいでも、幻想を断固として否定する懐疑精神の持ち主に知的にも理屈の上でも屈服するわけではないのだ。私は、実際、そういった人たちとは一種のものの見方や感じ方、判断のしかたがちがっているのだが、彼らのほうでも、またわたしとはちがっているのであり、どんなに私の資質の中に、公然と認められる欠陥があったところで、私の感覚や意識の内的な働きを権力の気まぐれに従属させる必要があろうとは思わない。(中略)アメリカは、コロンブス以前にはひとつの幻想世界だったのだ。」

「一七九三年にブザンソンには一人の白痴というか、偏執狂というか、狂人というか、そんなものがいた。(中略)それはジャン=フランソワ・トゥーヴェという名前だったが、ふつういたずら小僧たちは馬鹿にして「青靴下のジャン=フランソワ」と呼んでいた。というのもそれ以外の色の靴下をはいていたことはないからだ。」
「「青靴下のジャン=フランソワだ」と、彼らは肱でつつきながら言うのだった。「フランシュ=コンテ地方の昔からの立派な家柄の息子で、いままでだれにも悪口ひとつ言ったこともなければ、悪いことひとつしたことがないんだ。勉強しすぎて気違いになったって話だ。これ以上気違いにしないように、そっと、そっと静かに通してやろうじゃないか」
 そして青靴下のジャン=フランソワはたしかに、なにものにも目もくれずに通りすぎてゆくのだった。なにしろ、その、なんとも言いようのない目が、地上にとめられることはけっしてなかったからだ。」

「私は、ジャン=フランソワにはもしかしたら二つの魂があるのではないかと考えながら道をつづけた。一方の魂はわれわれが生きている粗雑な世界に属している。もう一方は高貴な空間で純化されている。そこに彼は思念によって入ってゆくつもりなのだ。」



「ベアトリックス尼伝説」より:

「信仰に根ざした感動的な伝説は、(中略)老婆や子供たちの炉端語りに追いやられてきた。おそらく、そのすばらしい素朴さがだんだんと失われていったということ以外にそれを説明できるものはないだろう。昔の人はそこからきわめて純粋な喜びを汲みとっていたし、それなくしては本当の文芸はないのだ。ひとつの時代の文芸には、実際、ふたつの根本的な要素が必要だ。ひとつは自分で物語る事柄を信ずることのできる想像力の持ち主の誠実な信条であり、もうひとつは、聞く物語を信ずることのできる感性の持ち主のやはり誠実な信条だ。このような、よく釣合った資質の人びとが交わりあう相互信頼と共感の地盤がなければ、文芸といっても空しく、それは、いくらかの響きのよい音節を規則的なリズムに合わせた、不毛で、無意味な技でしかない。」


























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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