ペトリュス・ボレル 『シャンパヴェール ― 悖徳物語』 (金子博 訳/ボレル小説全集 I)

「野蛮な法律だ。残酷な偏見さ。穢らはしい名誉だよ。世間め! 世の中め!」
(ペトリュス・ボレル 「狼狂シャンパヴェール」 より)


ペトリュス・ボレル 
『シャンパヴェール
― 悖徳物語』 
金子博 訳

ボレル小説全集 第一巻

南柯書局 
1980年6月10日初版第1刷印刷
1980年6月30日初版第1刷発行
437p
四六判 丸背布装上製本 貼函
定価4,500円

ボレル小説全集・栞一:
ボレルとプチ・セナークル(大濱甫)/図版1点



本書「あとがき」より:

「この本は御覧のやうに、ペトリュス・ボレルなる仮名(引用者注: 「仮名」に傍点)を名乗つた自殺青年シャンパヴェールの遺作集である。巻頭に一知己の筆になる「覚書」を置いて、シャンパヴェールの人となりを紹介し、最後には、作者自身がその自死の模様を綴つた形の一篇が据ゑられてゐるといふ趣向である。」
「ボレルは狼狂(リカントロープ)と名乗つてゐた。(中略)狼狂とは“自らを狼と規定して他に対する精神態度”とも言へるだらう。ボレルが狼狂ひを自称したのは、曾ては人界に生まれたが、今や狼と化して人間界を脱し、荒野に馳せ闇に潜んで、人間共の臓腑(はらわた)を引き裂いてやりたいといふ心のたけの宣明なのである。本書中の「シャンパヴェールについての覚書」に、「三本指のジャック」に、またシャンパヴェールのジャン=ルイへの遺書に、そのやうな“自分を世間とは違ふものとする意識”“世間から離脱したいとふ願ひ”“世間への侮蔑”乃至“憎悪”が明瞭に読み取れるだらう。」



本文中図版(挿絵)8点。
新字・正かな。


ボレル シャンパヴェール1


帯文:

「群衆から孤立し、群衆の顰蹙と憎悪を自ら買うために狼狂と化したロマン派の鬼才ボレルが描く、迸る鮮血と暗い諧謔に彩られた悖徳の物語集。本邦初訳全集。」


ボレル シャンパヴェール2


目次:

シャンパヴェール――悖徳物語

 シャンパヴェールについての覚書

 訴追官ドゥ・ラルジャンティエール氏
  一 ロココ
  二 そも何事?
  三 悲しみの聖母
  四 水より援(ひき)いだせしモーセ
  五 実に結構

 大工ハケス・バラオウ――ハバナ
  一 悲しみと企らみ
  二 心は表はれないではゐない
  三 裏切りまた裏切り
  四 夕べの鐘に

 解剖学者ドン・アンドレア・ベサリウス――マドリッド
  一 鍜治場騒ぎ
  二 舞踏会、狼藉、死体
  三 学び得ざるもの
  四 不義の塒
  五 実験室
  六 絵解き
  七 艱苦

 魔術師三本指のジャック――ジャマイカ
  一 明晩、三本棕櫚のところで
  二 曠野の声
  三 ハトサルマヴェト・アブラハム・ウェストマコット
  四 退屈な章
  五 猟犬の褒美
  六 血の報酬

 猶太美女ディナ――リヨン
  一 恋は病ひ、何処で罹るか知れはせぬ
  二 何時まで続く長話
  三 雄鶏はばたく
  四 マルセーユの雨 稀代な雨
  五 焦がれてゐるより女夫(めをと)となるにしくはない
  六 思ひ窶れ
  七 父の屋敷
  八 呪ひこそ汝への祝福
  九 気紛れ
  十 鳴乎、無惨
  十一 愁傷
  十二 無礼者め! 破落戸め!
  十三 ゴルゴタ

 学生パスロ――パリ
  一 医学生
  二 マリエット
  三 波のやうに当てにならない女心
  四 アルベール屁理屈をこねる
  五 奇天烈なこと
  六 またまた奇天烈なこと
  七 鳴乎! これは酷い!
  八 極めて当然な結末

 狼狂シャンパヴェール――パリ
  一 遺書
  二 エデュラ
  三 フラヴァ
  四 地獄堕ち
  五 深淵より

原註

あとがき (金子博)



ボレル シャンパヴェール3



◆本書より◆


「シャンパヴェールについての覚書」より:

「社交界に連れて行かれたりすると、彼には、叢林から追ひたてられた鹿のやうに、憂愁に沈む風情が漂ふのだつた。
 若年の頃のことについては、ほとんど何も知られてゐない。彼自身が親しい者に語つたことしか判らないのである。彼は我意の発達すること極めて強く、奔放、頑固、傲慢で、習慣、しきたりへの侮蔑は生得のもの、極く幼い頃でも、それらに屈することがなかつた。たとへば衣服が嫌ひで、幼少の頃数年は全くの裸で過ごし、かなり後年になつて初めて、彼に必要最小限の衣服を纏はせることを得たといふ。」
「自分はわが師にとつては常に厄介者であつた、何故かはあまり判らぬが、いつも怖れられてゐた、と彼はよく嬉しさうな顔をして語つたものである。(中略)彼はまた誇らしげに、自分はどこの学校からも放逐された、と言つてゐた。
 学問は彼が情熱を傾けた唯一のことであつたし、ラテン語だけでは彼の知識欲は癒されなかつたので、彼の周りには常に五六種の古代語や現代語の文法書が並んでをり、また、彼が苦労して手に入れた碩学の著作もあつたが、これはその都度破廉恥な教師たちによつて燃やされてしまつたといふ。
 既にこの頃から、彼の裡にはある悲しみ、漠として深い無限の傷心があつた。(中略)彼の昔の学校友達の回想によれば、はつきりとした理由もわからず、彼が何日も何日も辛さうに涙を流してゐるのがよく見られたといふ。のちになつてみると、彼自身にもそのやうに悲歎に暮れたことの説明は決してつかなかつた。きつと共同生活を強ひられたことが、彼をこのやうな不断の煩悶状態に投げこんだのであり、この煩悶、この不安が、彼の感覚器官を昂らせ、苛立ち易い情緒不安を鋭くしたのであらう。
 彼の短い生涯は急流の流れにも似てゐた。その水源も知れず、時に谷に溢れ、時に地下に潜るあの急流に。」



「解剖学者ドン・アンドレア・ベサリウス」より:

「ここはベサリウスの仕事場といふべきか、実験室といふべきか、僧院のやうに迫持天井になつた広い方形の部屋で、壁も床も石造りだ。汚ない脂染みた木の机がいくつか、仕事台が数台、盥が二つ三つ、長持が一つ、それに戸棚、これがこの部屋の家具のすべてであつた。暖炉の周りに鍋がいくつか転がつてをり、裾を広げた形の煙抜きが円天井から下がつてきてゐる。自在鈎には大鍋がかかつて、盛んな火の上で煮えたぎつてゐた。仕事台には解剖しかけの死体が載つてをり、そこらは肉の切れはしや、切断された四肢で足の踏み場もなく、筋肉や軟骨が教授のサンダルに踏みしだかれた。入口の戸に骸骨が一つ吊してあつたが、戸が動く度に、それは、蠟燭屋が看板代りに店先に下げる木の大蠟燭が北風に揺れる時のやうに、かたかたと鳴るのであつた。天井と壁面は、脊柱とか、人間や動物の骸骨などさまざまの骨でびつしり覆はれてゐた。その内のいくつかは人骨だが、大多数は猿とか豚とか、その構造からして人間の骨格に最も近い動物の骨で、これらはいづれも、アンドレア・ベサリウスの研究に一と役買つたものであつて、彼ベサリウスこそ、人体を、それがたとへ真正のキリスト教徒のものであれ、敢て切り刻んで、公然とその研究を進め、解剖学を真の科学たらしめた、いはば最初の人だつたのである。」


「魔術師三本指のジャック」より:

「ジャックはおよそ人間社会とは完全に隔絶して棲んでゐたのだ。
 ジャックはあの逞しく出来た種族の一人だつた。運命によつて投げ込まれた狭い鳥籠のなかでは息ができず、全てを抑へつけ、全てを卑俗な寸法に矮小化したがるこの社会のなかでは空気が足りなくて、命と縁切りしないのなら、いつそ忌はしい人間共と永遠に縁を切つてしまはうといふ、あの強力な頭脳の男たち、君臨するために生まれついた男たちの一人だつたのだ。三本指のジャックは狼男(リカントロープ)だつたのである!」



「猶太美女ディナ」より:

「私たちはよその巣箱の蜂でしてね、あの巣のなかに入つたら、苛められずには済みますまいよ。」


「学生パスロ」より:

「人生は押しつけられたものです、わたくしが求めたものではありません。洗礼が押しつけられたのと同じです。洗礼をわたくしは捨てました。今日、わたくしは虚無を求めるのです。」

「僕の頭がをかしい!…… それぢやあ、まともな頭を授かつておいでのあなたに聞かせていただきませう。われわれはこの地上でなにをしてゐるのか? なにかの役に立つてゐるのか? なぜわれわれはここにゐるのか? われわれとはなにか? 傲慢で惨めなわれわれ人間とはなんなのだ、破壊と再生産をさせられるための道具でしかないぢやないですか。」



「狼狂シャンパヴェール」より:

「もし彼が金を持つてゐたら、水に投げ込むか、埋めるかしたことだらう。それほどに彼の人間嫌悪は深く、あとになにかを残すことを厭ふ気持は強かつた。」

「野蛮な法律だ。残酷な偏見さ。穢らはしい名誉だよ。世間め! 世の中め!」



ボレル シャンパヴェール4































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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