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『ネルヴァル全集 II』 (全三冊)

「彼女の唄がすすむにつれて、大きな樹々から闇がおりて来た。そして、射し初(そ)めた月の光は、じっと聞き入っている私たちの輪の中央に、一人はなれて立つ彼女だけを照らし出した。――唄はおわった。けれども、だれひとりその沈黙を破ろうとするものはなかった。」
(ネルヴァル 「シルヴィ」 より)


『ネルヴァル全集 II』
ŒUVRES DE GÉRARD DE NERVAL

監修: 渡辺一夫/佐藤正彰/井上究一郎/中村真一郎
編集: 入沢康夫/稲生永/井村実名子

筑摩書房
1975年6月30日初版第1刷発行
1980年7月10日初版第2刷発行
501p 目次iv 
口絵(カラー)1葉 口絵(モノクロ)8p
図3葉 図(折込)2葉
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価5,800円
装幀: 渡辺一夫

月報 (16p):
夢と人生(粟津則雄)/楽屋裏(石井晴一)/ネルヴァルとポー(平井啓之)/ネルヴァルとビュトール(清水徹)/ルソーの死とネルヴァル(入沢康夫)/東方の誘惑(稲生永)/プルーストのヴィジョンを開花させたネルヴァル②(井上究一郎)/証言②Th・ゴーチエ/J・ゴーチエ/シャンフルーリ(井村実名子 訳)/訳者紹介/編集室/次回配本



三巻本ネルヴァル全集。


ネルヴァル全集2-1


帯文:

「永遠に失われた愛! 詩人の、小説家の、愛書家の、批評家の、歴史家の、旅行家の、民俗愛好家のジェラール・ド・ネルヴァルによる作品群。
推薦 篠田一士・澁澤龍彦・福永武彦」



帯背:

「火の娘たち
東方紀行抄」



目次:

カラー口絵
 エルムノンヴィルの庭園
白黒口絵
 E・ジェルヴェ作版画「ジェラール・ド・ネルヴァル」とネルヴァル自身による余白書込み
 母方の大叔父アントワーヌ・ブーシェの家
 ヴァトー(ワットー)画「シテールへの船出」
 ヴィリエ作銅版画「モルトフォンテーヌの城館と庭園」
 ウールトー画「コンデ一族の狩の情景」
 哲学の殿堂
 シャーリの僧院の廃墟
 女神イシス(アタナシウス・キルハー『エジプトのオイディプス』木版挿画)
 H・ルー石版画「ポンペイのイシスの神殿」
 シェンブルン宮
 グロリエッテ
 カミーユ・ロジェ画「コンスタンチノープルの隊商宿(キャラヴァンセライユ)『イルディス=カーン』」
 ミケランジェロ設計のフィレンツェ洗礼堂にあるギベルティ作「ソロモンとシバの女王」(「天国の門」より)
 フランチェスコ・コロンナ『ポリフィルの夢』木版挿絵
 フランチェスコ・コロンナ『ポリフィルの夢』木版扉絵

火の娘たち
 アレクサンドル・デュマへ (入沢康夫 訳)
 アンジェリック (入沢康夫 訳)
  第一の手紙
  第二の手紙
  第三の手紙
  第四の手紙
  第五の手紙
  第六の手紙
  第七の手紙
  第八の手紙
  第九の手紙
  第十の手紙
  第十一の手紙
  第十二の手紙
 シルヴィ (入沢康夫 訳)
  一 失われた夜
  二 アドリエンヌ
  三 決心
  四 シテールへの旅
  五 村
  六 オチス
  七 シャーリ
  八 ロワジーの踊りの集い
  九 エルムノンヴィル
  十 グラン・フリゼ
  十一 帰り路
  十二 ドデュ爺さん
  十三 オーレリー
  十四 最後のページ
ヴァロワの民謡と伝説 (稲生永 訳)
オクタヴィ (稲生永 訳)
イシス (稲生永 訳)
《訳註》

「シルヴィ」のテーマ (入沢康夫 訳)

『東方紀行』 ある友への序章・東方へ(抄) (稲生永 訳)
 六 ウィーンの恋
 七 日記のつづき
 八 日記のつづき
 九 日記のつづき
 十 日記のつづき
 十二 エーゲ海
 十三 ウェヌスに捧げるミサ
 十四 ポリフィルス狂恋夢
 十八 三人のウェヌス
《訳註》

カリフ・ハケムの物語 (前田祝一 訳)

「オクタヴィ」系作品群図解 (作製: 入沢康夫)
現在のエルムノンヴィルの庭園/1828年のエルムノンヴィルの庭園 (作製: 稲生永)
イル=ド=フランス略図 (作製: 稲生永)
ヴァロワ地方略図 (作製: 稲生永)
ネルヴァル 紀行地図 (作製: 稲生永)
 


ネルヴァル全集2-2



◆本書より◆


「アレクサンドル・デュマへ」より:

「ご存知のとおり、物語作者の中には、自分の想像力の生み出した人物に自分自身を合体させずには、何も作れないような者もあるのです。私たちの旧友であるノディエが、不幸にも大革命の時代にギロチンにかけられた時のことの次第を、どんなに確信に満ちて物語ったかは、ご存知ですね。そのため、皆は、すっかり本気になり、いったいどうやって彼は切られた首を継ぐことができたのだろうなどと、いぶかしがったほどでしたが……。
 いかがでしょう、お判りいただけましょうか、物語の人をひきつける力がこういった効果を生み出しうるということ、作者が、自分の想像力の生んだ主人公の中に、いわば化身するに至り、その結果、主人公の生は作者の生となり、主人公の野心や恋情の作り出された焰に作者が身を焼かれるなどということを! ところが、これこそが、私の身に起ったことなのです。」
「「創り出すというのは、本当は、想い出すことなのである」と、あるモラリストが言っています。自分の物語の主人公の具体的な実在の証拠を発見することができなかった私は、突然、(中略)魂の転生ということを熱烈に信じてしまったのです。私が、自分が生きていたと想像したあの十八世紀自体、こうした空想に満ちあふれていた時代でした。(中略)おぼえておいででしょうか、自分がかつてはソファであったのを想い出したある廷臣のことを? それを聞いたシャハバハムは、われを忘れて叫ぶのです。「何じゃと! そなたはソファであられたと! これはまた、じつに粋なことじゃ……。して、そなた、刺繍をされておられたかな?」
 ところで、この私ですが、私はいたるところに刺繍をされていたのでした。――自分の前世のあらゆる在り方の連なりをとらえたと信じた瞬間から、私は、自分が君主であり、王であり、魔術師であり、魔神であり、神でさえあったとしても、もはや平気でした。」



「シルヴィ」より:

「角笛と太鼓が遠くから村々にそして森から森に響きわたり、若い娘たちは花飾りを編み、唄をうたいながらリボンで飾った花束を調える。――雄牛たちの引く重々しい車が、通る道々でそれらの贈り物を受け取って行く。そして、そのあたりの子供の私たちは、自分の弓と矢をたずさえ、騎士の身ごしらえで行列を作るのだ。――だが当時は知るよしもなかったのである、こうして自分たちが年々繰り返しているのが、ほかでもない、数々の専制政治や新しい宗教の亡びたあとまでも生きのこってきたドルイド教の祭式だったとは。」


「ヴァロワの民謡と伝説」より:

「昔、三人の幼い子供がいて、――野良へ落穂をひろいに出かけていった。
 夕方一軒の肉屋へ行く。――「肉屋さん、ぼくたちを泊めて下さいませんか?」――「おはいり、おはいり、坊やたち、――もちろん泊る場所はありますぜ。」
 彼らが中に入るか入らぬかのうちに、――肉屋は彼らを殺し、――小間切れにしてしまい、――豚肉よろしく塩漬樽の中にぶちこんだ。
 その後七年たって、聖ニコラが、――聖ニコラがこの場所にやってきた。――彼は件の肉屋に赴いた。――「肉屋どの、わしを泊めて下さらぬか?」
 「おはいり、おはいり下され、聖ニコラさま、――場所はございます、それにはこと欠きません。」――彼は中に入るとすぐさま――夕食を所望した。
 「ハムを一切れ召し上りますか?」――「いやいらぬ、うまくはないから。」――「仔牛の肉の一かけはいかがで?」――「いやいらぬ、良くはないから!」
 「塩漬けの子供が欲しいのじゃ、――七年前に塩漬樽に仕込まれた!」――肉屋はこれを聞くとたちまち――戸口の外へと逃げ出した。
 「肉屋、おい肉屋、逃げるじゃないぞ、――悔い改めれば、神様もお前を赦されよう。」――聖ニコラは指を三本――塩漬樽の縁にかけた。
 すると一番目が言った「ああよく眠った!」――二番目が言った「ぼくもそうだ!」――そして三番目がこたえた「まるで天国にいるようだ!」と。」

魚たちの女王
ヴァロワ地方、ヴィレール=コトレの森の真中に、ひとりの少年とひとりの少女がいました。ふたりは時々この地方を流れる小川のほとりで出会っていました。少年のほうは、伯父のトール=シェーヌという名の樵夫の命令で枯木を集めなくてはならず、少女のほうは両親の言いつけで、きまった季節になると、水位がさがって泥の中にちらっと見えるようになる小鰻をつかまえに行かされるのでした。さらに彼女は、やむを得ないときには、あるきまった場所に沢山いるざりがにを石の間でつかまえなくてはなりませんでした。
 でも、いつも体をかがめ足を水につけていたこのかわいそうな少女は、動物たちが苦しむのに大層同情していたので、小川からひっぱりあげた魚がもがくのを見ると、ほとんどいつも小川に戻してやり、ざりがにのほかは滅多に持ち帰りませんでした。というのも、ざりがには彼女の指を血が出るほどはさむので、あまり甘くする気にはならなかったからです。
 少年のほうは、枯木の薪束やヒースの束をつくっていましたが、十分に持ち帰らなかったとか、魚とりの少女とお喋りに熱中しすぎたからなどといって、よくトール=シェーヌの小言にさらされていました。
 一週間のうちのあるきまった日だけは、決してふたりは会えませんでした…… 何曜日だったのでしょうか? おそらくそれは、妖精のメリュジーヌが魚に姿をかえる日、そして『エッダ』の姫君たちが白鳥に変身するのと同じ日だったのでしょう。
 そうしたある日の翌日のこと、樵夫の少年が、魚とりの少女に向って言いました、「きのう、ぼくは、きみがむこうのシャルポンの水の中を、魚という魚……鮭や河かます まで、みんなお供にひきつれて通るのをみたけれど、覚えてる? おまけにきみまで金色の鱗がきらきらよく光るお腹をしたきれいな赤い魚になっていたんだ。」
 「よく覚えているわ」と少女は言いました、「だってわたしもあなたを見たのですもの、あなたは川のほとりにいて、それにあなたったら、上の方の枝が金色に光った立派な青柏そっくりだったのよ…… そして森の木はみんな地面まで体をまげてあなたにお辞儀してたわ。」
 「そうとも」と少年は言いました、「ぼくはそんな夢を見たよ。」
 「わたしも、あなたが言ったような夢を見たわ。でもどうしてわたしたちふたりは、夢の中で会ったのかしら?……」」



「イシス」より:

「キリスト教が異教末期の慣例から多くのものを借用したということを証明する、ただそれだけのために以上のような細々とした事柄を集めたのだという考えは、たしかに私の真意からは程遠い。その点なら誰にも否認できない。ある宗教のあとに来る宗教はすべて、長期にわたってある種の信仰実践や形式を尊重し、それらを自らの教義に調和させることに甘んじるものである。こうして、エジプト人やペラスゴイ人の古い神統記も、ギリシャ人の中で修正されたり翻訳されて、新しい名前や象徴に飾られただけであった。――さらに時代が下っても、先に描写したばかりの宗教的局面の中で、すでにオシリスの一変身であったセラーピスが、ユーピテルの変身の一つと化してしまうのであった。イシスのほうは、ギリシャ神話に入るにあたって、イーナコス――エレウシスの秘儀の創始者――の娘、イーオーの名前をふたたび名のるだけでよかったが、そのあとは闘争と隷属の時代の象徴である獣面を斥けたのであった。しかしキリスト教は、多様を極める教義の急速な変容の中に、どれほど多くの安易な同化現象を見出すことになることか!(中略)――大地に約束され、久しい以前から詩人や神託家たちが予感していた「贖い主」は、神聖な母から授乳された幼な子ホールスで、未来の世紀の「御言(みことば)」(ロゴス)ではないのだろうか?――それは、すでに成長し、万神を兼ねた女神デメーテールの腕の中からすがたを現す、あのエレウシスの秘儀のイアッコス=イエズスではないのか? あるいはむしろ、同一思想のこうした多様な形態のすべてを集約せねばならないということ、また、世界の希望としての子供をもつひとりの「天界の母神」を人々の信仰にささげることが常に一個の見事な神統記的思想であったというのも正しいことではないのだろうか?」


月報「証言②」より:

テオフィル・ゴーチエ
あからさまにどの宗教に与(くみ)するということはなかったが、ジェラールはあらゆる信仰に、凋落した宗教にさえ、好奇心を懐き、敬意を払っていた。エホヴァやアラーに礼儀をつくすかと思えば、ユピテルやその他のオリンポスの神々にも好意ある言葉を忘れなかった。「だって、何が起るか分らないからね」と彼は言うのだった。ある日ジェラールは、ロワイヤル広場のヴィクトル・ユゴー家のサロンで、大きな暖炉の前に立ち、そのお気に入りの話題を談じていた。ありとあらゆる祭式の天国も地獄もまったく公平無私に一緒にして論じるので、「しかし、ジェラール、君はどの宗教も信仰してはいない!」と言う者があった。彼はその相手を軽蔑したように見かえし、異様なきらめきを帯びた灰色の眼をじっとすえて、こう言った。「ぼくに信仰がない? ぼくは十七の宗教を信じている……少くとも十七だ。」これほどの信心をはっきり公言されては、どんな議論も終結せざるを得ないというものだ。この時の集いには、このような宗教心の奢侈を開陳できる人は他にひとりもいなかった。」

シャンフルーリ
……「病気は順調に治っているな」と私は思った。というのも、彼の話しぶりには、田園の夜の鬼火のように時折気まぐれに現れるあの頭脳の混乱を見せるものは全くなかったからだ。彼をパッシーに連れもどす時刻になったが、ジェラールはきわめて従順に私について来た。私たちはチュイルリーの大通りを横切った。その時突然ジェラールが立止まった。「左手の七番目か八番目の樹の辺にメディチ家の時代の宝物が埋めてある」と言う。「はてさて、例の鬼火だな」と私は彼を真正面から見すえて、心中につぶやいた。「どうしてそんな宝が存在するって分るかい?」「子供の頃、ぼくはここに遊びに来たもの」と彼は言った。そして、決定的な証拠だと言わんばかりにこうつけ加えた。「子供仲間でそれを知らないものはいなかったよ。」「へえー」と私は叫んだ。調子の狂った哀れなこのユモリストが痛ましくて何とも答えられなかった。ジェラールは続けた。「ルイ・フィリップ時代にド・モンタリヴェ氏が発掘捜査をやらせたんだが、宝物は発見できなかった。」
 私は後に知ったのだが、チュイルリーの庭園は、ジェラールの精神に宿命的な影響力をもつ場所だったのだ。ある日大きな泉水池の近くを通りかかると、小さい金魚が全部水から頭を出し、彼にありとあらゆる挨拶を送り、彼らの後について池の底まで来るようにと誘うのを彼は見たという。「シバの女王があなたをお待ちです」と魚たちは彼に言った。ジェラールは、女王の使者である金魚が彼にこんな申し出をするのを聞いて、シバの女王に愛されるとは実にうれしい、という様子を見せた。「しかし、シバの女王の申し込みに応じて、ソロモン王の誇りを傷つけてはいけないと思った。だからぼくは断った」と彼は言った。」


































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、デレク・ベイリー、森田童子。


歴史における自閉症の役割。

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