中沢厚 『石にやどるもの』

「丸石信仰は非常に古い信仰で、現代人の思考を越えた、古代人のある種の考えが秘められた信仰とみたい。」
(中沢厚 「丸石の道祖神」 より)


中沢厚 
『石にやどるもの
― 甲斐の石神と石仏』


平凡社 
1988年12月12日初版第1刷発行
405p 口絵(モノクロ)6p
A5判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円
装幀・レイアウト: 堀慎吉



本書「解説」より:

「この本には、中沢厚が書きためた民俗学に関するエッセーのなかから、重要と思われるものだけをえらんで収録した。このうち本書の第二部にあたる部分は『山梨県の道祖神』として昭和四十八年に有峰書店から単行本として刊行されている。」


口絵図版(モノクロ)12点、本文中図版(モノクロ)137点。


中沢厚 石にやどるもの1


帯文:

「丸い石を
神にまつる。
そこには
日本人の
神観念には
すんなり
おさまり
きらない
何かの
異質性が
隠されている。
中沢新一 解説より」



帯裏:

「網野善彦 「序」より
甲斐を舞台に、石そのものに生涯こだわりつづけ、甲斐特有の石の文化を追究しつつ、人類全体に共通する問題にまで光をあてた著者の文章を集成した本書の刊行は、今でもなおこの分野の研究の発展に少なからぬ貢献をなしうるもの、と私は考える。
著者は、一貫して野の人であり、またその姿勢を意識して貫ぬこうとしていた。戦後、笛吹川の堤防道をはずれた小石和の道祖神場での、おかしな「馬頭観音」との「出合いは、私の石仏観を変えた」と著者は書く。
「ひと口にいって野仏の、内なる声をよく聞こうという気持が生まれたのである。石仏を刻んでそこに置いた、庶民の生きざまを考えることがなくてはなんにもならぬではないか」。
「外見や形式、分布を調べることで石仏を理解し」、それを説明しようとしてきたそれまでの姿勢からの脱却、訣別の辞ともいうべき語調を、われわれはそこから読みとることができる。」



中沢厚 石にやどるもの2


目次 (初出):

序 網野善彦

第一部 石にやどるもの
 I 石と民間信仰
  甲斐の石仏 (アートグラフ、昭和56年)
  北巨摩雑感 (中央線 10号、昭和48年)
  山中笑翁略伝 (甲斐路 24号、昭和48年)
 II 丸石神の謎
  笛吹谷の丸石神 (谺 59号、昭和53年)
  丸石神の里 (谺 58号、昭和53年)
  丸石神の謎 (日本の石仏 11号、昭和54年)
  丸石神と考古学 (どるめん、昭和56年)
  丸石神追考 (日本の石仏 25号、昭和57年)
 III 性の石神
  男根石雑記 (月刊ヤマナシ 3号、昭和46年)
  甲州の道祖神祭 (まつり 昭和57年)
  割礼について (谺 54号、昭和51年)
  作神雑記 (日本の石仏 18号、昭和56年)
  案山子の略歴 (谺 32号、昭和38年)
 IV 庚申
  庚申の猿 (未発表)
  庚申の日待 (谺 46号、昭和47年)
  庚申縁年に因む話 (日本の石仏 16号、昭和55年)
  山梨の庚申信仰 (歴史手帳 7号、昭和50年)
  甲州の月待信仰 (日本の石仏 22号、昭和57年)
 V 馬頭観音
  観音信仰について (峡南の郷土 14号、昭和51年)
  馬頭観音礼讃 (谺 53号、昭和50年)
  馬の観音もうで (甲斐路 30号、昭和52年)
  馬頭観音 (日本の石仏 1号、昭和52年)
  馬頭観音四題 (谺 55号、昭和52年)
 VI 石投げ合戦考
  石投げ合戦考I (谺 40号、昭和43年)
  石投げ合戦考II (谺 50号、昭和48年)
  石投げ習俗と成人戒 (どるめん 3号、昭和50年)

第二部 山梨県の道祖神 (単行本 有峰書店 昭和48年)
 一 山梨県下の道祖神概観
 二 道祖神についての定説
 三 道祖神の石祠
 四 道祖神の木祠
 五 道祖神の文字碑
 六 双神の石像
 七 単神の道祖神像
 八 丸石の道祖神
 九 石棒の道祖神
 十 陽石道祖神
 十一 異形な石の道祖神
 十二 道祖神の祭
 十三 道祖神の周辺
 十四 残された問題

あとがき 中沢新一



中沢厚 石にやどるもの3



◆本書より◆


「序」(網野善彦)より:

「石と人との関係は、いうまでもなく人間の歴史とともに古い。自然と人間との関わりの中で、それは最も普遍的であり、また本質的であるといってよい。」
「日本列島の人間社会も、またその最初から石と長い長い間つきあいつづけ、その中から列島のそれぞれの地域に、独特かつ豊かな石の文化を生み出してきた。実際、石を度外視して、日本文化、日本人の生活を論ずることは、全く不可能といっても決して過言ではなかろう。」



「北巨摩雑感」より:

「ところで私は(中略)別のことに実は興味をひかれているのである。というのは(中略)大和朝廷の誕生するよりずっと前の、古い日本のことについてである。
 だいたいにおいて大和政権の成立を考えるだけなら、高句麗、百済、新羅との関係でこと足りるかも知れない。しかしそれ以前となるとそんな単純なものではない。即ち渡来者といっても朝鮮からだけではいけない。西南の島々はちょうど飛び石づたいのコースで、たえず大陸南部の文化や南海の島々の海洋文化の人々を迎え入れた。また北方から来た人々もこの列島に定着して平和に生活していた。朝鮮海峡がまだ陸つづきであった時からの交流も考えるなら、日本人と日本の文化はそういう底流とか奥行をもっているのを忘れることは出来ない。」
「私の好みからいうと、大和朝廷がどのこうのというよりも、文化の長い交流と消長を内に秘めた庶民の歴史にこそ興味も関心もある。そんな庶民の歴史、日本の歴史の問題としてアイヌのことを考えたくなる。日本民族のことをいうときアイヌこそその基盤に間違いないのだと。アイヌはエゾといってもいい。彼等は極めて豊かで、情熱的な縄文文化の生みの親であり、特に中部山岳地帯において高い文化の花を咲かせたが、鉄または銅で武装することをいち早く知った大陸の文化と勢力の浸透には抗し得なかった。彼等の多くは極めて平和な人々であったから新しい勢力に道をゆずりその文化をも受け入れながら父祖の地を守って今日に至っているのであろう。ということは私たち自身がアイヌでありエゾであるということで、彼等の中で最も戦闘的で誇り高き一団は戦いながら北へ北へと後退する運命を選んだと考えたらいいと思っている。こんな仮説は少しも不自然なことはなく、むしろ何も考えなかったり、誰でも日本人は天皇の子孫などと思うことの方がどのくらい不自然だかわからないのである。」



「丸石神の謎」より:

「山梨県には、自然石の大小の丸石を祀る道祖神や屋敷神などがたいへん多く、他県の比ではありません。このまぎれもない事実も、一般には知る人のみが知る程度の認識しかありませんが、(中略)しかし、石神信仰に興味をいだいて長年調査にたずさわってきた私にとって、山梨県の村々の丸石神というものは、当面、最大の関心事です。人々は、神といってもたかが知れた丸石ではないかといいますが、それがかえって不思議なこととして心をとらえ、自然石の丸石がなんで神なのか、なんで道祖神に祀られるのか、その問題は念頭から離れません。そして、あげくの果ては、地方文化の基盤であり、そして庶民信仰の原点に丸石信仰がかかわりをもっているのではないかと、そんなふうに大ぎょうにさえ考えるのであります。」


「丸石神追考」より:

「日本の信仰史を云々し、神の依り代が語られるとき、石はもっともしばしば語られる。しかし、神社神道の研究らしきものに、石神が全く軽視されるのはどういうことであろうか。早く証拠は隠滅し、得体のしれない石神のことは道祖神をはじめとする小祠信仰にまかしてしまえということか。朝鮮合併ということの後、朝鮮の主だった市にはお伊勢さんか何か知らぬ神社を建てて無理にも拝ませたということがある。太平洋戦争で南方に進出すると、南の島々に日本式の神社を次々に建てていったという愚行もあった。神社神道にはもともとそういう政策的なものが源にあったのかも知れない。祖先神とか祖霊とかがことさら強調され、天皇・将軍の名が祭神名にかかげられ、かくして統治勢力の強化拡張が計られた。そのような、神石などを必要としない神社が古社を取りこみながら、外来仏教とは協業し、羽振りをきかせてきた。そうはいいながらも、伊勢のほんとうのご神体は男根石だとか、八幡は丸石の系統だとかの裏話はたえない。面白いものである。」


「作神雑記」より:

「縄文時代の石器である石棒(中略)の大半は祭祀物と判断され、原始時代の村あるいは家の祭場とおぼしいところに置かれた石神である。形も大小もいろいろあるが、いずれにせよ、男根を具体的にあるいは抽象的に表現したものであることに間違いなく、先人がこの石神に何を祈り、何を期待したかはほぼ想像ができる。石棒はいかにも性神というにふさわしく、広義の生産神つまり作神である。」


「石投げ合戦考II」より:

「はじめに石投げ研究へ私をさそったのは、全学連の羽田空港付近での投石戦であった。この学生達による対権力闘争の投石は、その後ひき続いて激しさを加え、東京・神田界隈の街頭における攻防戦にエスカレート、次いで王子駅から新宿駅に及んだ基地闘争の投石は、ついに駅構内の鉄路の礫を一掃してコンクリート敷に改めさせてしまったほどの激しさであった。どうなるかとハラハラしているうちに、学生達の形勢はにわかに悪化してやがて街頭闘争は終焉した。それにしても、近年まれにみるなまなましい事件であったが、さながら往年の京都の巷における悪徒どもの印地打を思わせずにはおかぬ。
 「そこに石があるから投げる」には違いないが、若者の対権力行動には石投げがつきものらしく、注意してみていると、テレビ報道にみる限りでは朝鮮の学生も、フランスやロンドンの学生もみな官憲に向かって石を投げていた。」



「山梨県の道祖神」より:

「こうなると筆者などはいろいろとわからないところがあってこそ民間信仰というものではあるまいかといいたくなる。特に古代信仰が継続しているところの道祖神を、むりに現代人の常識や近代の合理性で割り切って理解しようと急ぐのがまちがっている。」
「道祖神研究には古代および古代人の研究を通じて真の人間像を探るという立場があっていいのだ。そんな意味で、異形の道祖神石は将来の謎解きの資料と思ってもらうほうがいいのである。」



「解説」(中沢新一)より:

「彼にとって、石はひとつのオブセッションだった。彼は死ぬまで、石の魅力にとりつかれていたのである。(中略)世の中におこるさまざまなものごとの意味について、深く考えこんでいるときにも、たえず自分の思考を石というもののありようとかかわらせるような奇妙な癖があった。自分のからだが癌におかされたときも、内臓の表面に石が露頭してきたのだと言って、なかば不気味がり、なかばおもしろがっていた。石は、彼にとって、世界に生きることの意味を解読するための、ほとんどキー・メタファーとなっていたのだ。」

「自転車をこいだり、バスをつかったりして、目的の村にたどりつくと、彼はまずその村の道祖神場を探すことにしていた。不思議なもので、どの村へいっても、道祖神場のありかはすぐにわかる。どの村も地形の変化にあわせながら自分のかたちをつくりだしているので、村の外見や形態は村ごとにちがっているが、道祖神場だけは、その異なる形態のなかの「構造的同一性」の場所とでもよんだらいいようなところに、かならずみつけだすことができるのである。まるで、道祖神場を中心んしいて村の空間のトポロジーの「深層構造」がつくられているかのようだ。そして、経験と勘をはたらかせば、村に一歩足を踏み入れただけで、その構造をみぬくことができ、勘にしがって引き寄せられていったところには、丸石やさまざまな神像をまつった道祖神場を発見できる、といったぐあいなのだ。もちろんどの村のトポロジーも、もうひとつの中心をもっている。いうまでもなく神社のある場所だ。道祖神場はこの神社にたいして、奇妙な異質性を主張していた。たがいにひかれあいながらも、どこか対抗的な感情をいだいているような、相補的なつながりが、ふたつの場所のあいだに存在するのである。大地の力に直接のつながりをもち、村のなかにありながらもそこは村の外部につながっている通路の出入り口にあたっていて、病気や不幸のしめす悪の力もそこから出入りするが、またその悪の力を浄化して、それをただちに豊饒の力につくりかえてしまうこともできるような「変容の場所」が道祖神場だとするならば、神社にはそういう大地の力から離脱して、秩序やイデアのほうへむかって観念をとびたたせていく超越への出入り口のようなものを、感じることができる。そうしてみるとこのあたりの村に生きた人々の精神生活において、より「唯物論的」な道祖神場とより「イデア論的」な神社の空間とがいっしょにならびたっていて、おたがいどうしのあいだに緊張やおぎないあいのリズムがつくりだされることによって、自然環境と無理なくリンクしていけるような、安定したダイナミズムをつくりだしていたのではないか、というような気がしてくるのだ。
 思想的に「唯物論的」であった彼は、とうぜんのことながら、そういう道祖神場のトポスに強くひかれていった。『石神問答』の柳田国男を一人の天才を見るようなまなざしで憧憬していた彼が、いっぽうでは『祖先の話』などの柳田にきわめて批判的であった理由もそのあたりにある。キリスト教の説く一神教的な愛の思想から大きな影響をうけながらも、彼の無意識はそれとはちがう神により強くひかれていた。自然のなかに内在する力が、純粋な状態のなかで自分を表現したときにあらわれる、聖なる状態。そのヒエロファニーのぶっきらぼうで野性的なあらわれを、彼は潜在的にもとめつづけていた。道祖神場とそのトポスにあらわれたさまざまな「もの」たちに、彼はそういう野性のヒエロファニーの、ほとんど理想にちかいあらわれを見ていた。
 そこに、石があったのだ。さまざまな魅力的な石たち。大小の丸石、ほほえましい、ときにはどっきとするほどエロティックな男と女の性愛のすがたを彫り込んだ石たち、古代人の夢をそのままタイムカプセルにしたような陽石や陰石の林立、旅をするアルチザンたちの彫り残していったもののみごとな石のほこら、石になった馬もいる(中略)、見ないし聞かないし言わないことにきめたデコミュニケーションの石の猿たちだってたくさんいる(庚申の猿像に、彼はとりわけ親近感をいだいていた)……人間のなかにいまもひそんでいる動物の領域への出入り口、性愛の欲望があらわに自分を表現する特権的な場所、丸い単純で抽象的な神の石をとおして宇宙的なるものを俗っぽい生活のまっただなかに露頭させている、アメリカ現代アートの精神にもつながっていくような、奇妙に想像力をかきたてるトポス。そういう道祖神場にきまっておかれているのが、石なのだった。神社の神のように、いっさいの感覚的なものを捨て去って純粋な観念の世界のほうへとびたっていこうとするいきかたを批判して、石の神たちはあくまでも物質性のなかにたちどまろうとする。物質と重力のなかに封じ込められながら、同時にそこから自由であるようないきかたは可能だろうか、と探りつづけているような石の神たち。あたりまえの人の暮らしを否定するのではなく、自分もそのなかに埋もれたようにして生きながら、なおかつその場所に人をしばりあげておこうとする重力の虹からも自由で、しかも自由になった空間のなかにいて物質性の世界へ深い愛を失わないでいられるような生き方を、彼は道祖神場にたたずむ石の神たちのなかに、見ようとしていたように、私には思われるのである。」



中沢厚 石にやどるもの4










































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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