ユルスナール 『アレクシス あるいは空しい戦いについて』 岩崎力 訳

「私は絶対的に孤独だった。」
(ユルスナール 『アレクシス』 より)


ユルスナール 
『アレクシス 
あるいは空しい戦いについて』 
岩崎力 訳


白水社
1981年7月10日 印刷
1981年7月24日 発行
201p
四六判 丸背紙装上製本 函
定価1,800円
装丁: 小野絵里



本書「訳者あとがき」より:

「ここに訳出した『アレクシス あるいは空しい戦いについて』 Alexis ou le Traité du Vain Combat は、マルグリット・ユルスナール Marguerite Yourcenar (一九〇三年生れ)が最初に発表した小説で、《序》の冒頭に記されているように、初版の刊行は一九二九年にさかのぼる。作者二十六歳の時である。(中略)『アレクシス』が執筆されたのは、作品の末尾にやはり明記されているように、一九二七年から一九二八年にかけて、言いかえれば二十四歳から二十五歳にかけてであった。一九五二年に一度プロン社から改訂版が出されており、一九六五年には《序》を添えて同社の《新フランス叢書》から再刊されたが、この翻訳の底本としては、一九七一年のガリマール社版(『とどめの一撃』 Le Coup du Grâce 併録)を用いた。」
「この翻訳は最初、中央公論社の文芸誌『海』一九八〇年四月号に発表された。今度(中略)単行本として上梓するに当って、可能な限り旧訳に手を加え、『アレクシス』の通奏低音の美しさにすこしでも近づけようと努力した。」



ユルスナール アレクシス 01


帯文:

「この若き日の作品を回顧して、近年ユルスナールがみずから述懐しているとおり、『アレクシス』は微妙にふるえる文体(引用者注: 「ふるえる文体」に傍点)で記されている。同性愛の傾向をもつ多感な主人公の心のうごきそのままに、ことばはうねるがごとく起伏し、翳り、ときにためらい、後すさりする。ジード風でもあり、それ以上にリルケ的な、この清澄な物語は、岩崎力氏の適確な訳文を通して、今ようやく日本の読者の所有となった。
多田智満子」



帯背:

「一通の手紙――
ひとつの《声の肖像》」



ユルスナール アレクシス 02


目次:


アレクシス あるいは空しい戦いについて

訳者あとがき (岩崎力)



ユルスナール アレクシス 03



◆本書より◆


「序」(1963年)より:

「学校で習ったラテン語を忘れてしまった人々のために、主要人物の名前が(したがってこの書物の表題が)ヴェルギリウスの『田園詩』の第二歌「アレクシス」から借りて来たものであることを指摘しておこう。この第二歌からは、ジードも同じ理由によって、あれほど激しい論議の的となった「コリドン」という題名を借用している。また「空しい戦いについて」という副題は、同じくアンドレ・ジードの青年時代の、いささか色褪せた作品『空しい欲望について』と響きあっている。このような想起にもかかわらず、『アレクシス』にたいするジードの影響は微弱なものであった。ほとんど新教徒的な雰囲気と、官能の問題を再検討しようとする配慮は、彼に由来するものではない。逆に今私が一か所ならず(もしかしたら度を越すほどに)見出すのは、幸福な偶然によって私が早くから知っていた、深刻かつ悲愴なリルケの作品の影響である。一般的に言って、《時差流布》の法則とでも呼ぶべきものの存在を、私たちはあまりにも忘れすぎる。つまり一八六〇年ごろの教養ある若者たちは、ボードレールよりシャトーブリヤンを読んでおり、世紀末の青年たちはランボーよりミュッセを読んでいたということ。私はといえば、(中略)若い年々を、現代文学にたいする相対的無関心のなかで生きた。その理由の一端は過去の文学を勉強していたことにあり(中略)、他の一部は、流行の価値とでも呼びうるものにたいする本能的な不信の念に求められよう。私の心を占める主題を遂に公然と論じたジードの偉大な作品のうち、大部分は当時まだ噂に聞いて知っていただけであった。」


「アレクシス あるいは空しい戦いについて」より:

「女友(とも)よ、この手紙はとても長いものになるだろう。私は書くのがあまり好きではない。言葉は思いを裏切る――そういう言葉を何度となく読んだが、書かれた言葉はいっそう裏切るように思える。(中略)それに、なにからどう書いたらいいのかわからない。書くこと――それは千もの表現のなかから絶えず選択することなのだが、どれひとつとして私を満足させない。(中略)私としては、和音の連鎖を可能にするのは音楽だけだと知るべきなのだが。手紙は、どんなに長いものでも、単純化されてはならぬはずのものの単純化を余儀なくする。人はいつも、すべてを語り尽そうとするやいなや、わけがわからなくなってしまうのだ!」

「貴女はヴォロイノの池を知っている。地上に落ちた灰色の空の大きな断片、しかも霧となってふたたび空に昇ろうとしている断片のようだと貴女は言う。子供のころ、私はあの池がこわかった。池も他のものと同様、すべてがその秘密をもっていること、平和は、沈黙と同様、表面だけの見せかけにすぎないこと、嘘のなかでも最悪なのは静けさの嘘であることが、私にはすでにわかっていた。今思い出してみると、私の少年時代は、あげて大きな不安の縁(ふち)の、大きな静けさだったように思われる。そしてその大きな不安というのは人生全体にほかならなかった。」

「古い家柄の人はあまり笑わないものだ。本当に静かに眠らせておくほうがいいような思い出を目覚めさせるのを恐れるかのように、ついには小声でしか話さないことに慣れさえする。といって不幸だったわけでもない。(中略)ただあそこではすこし悲しかった。それは環境というよりは性格の問題であり、私のまわりでは、悲しさが決して消えなくても幸福でありうることを皆が認めていた。」

「沈黙がひとつの過ちになりうるというのは、思えば恐ろしいことだ。」

「共同生活がますます辛くなるにしたがって、私は感情的孤独にいっそう苦しむようになった。すくなくとも自分の苦しみに感情的原因を与えていた。ごく単純なことが私を苛立たせた。まるで自分がすでに有罪であるかのように、嫌疑をかけられていると思い込んだ。もはや離れようとしない考えが、あらゆる接触を毒した。私は病気になった。病気が重くなったと言うほうがいい。というのもそれまでずっと、病気気味だったのだから。
 さほど深刻な病気ではなかった。それは私の病気、その後何度かかかるはずの病気、それ以前にもすでにかかったことのある病気だった。というのも私たちひとりひとりが、それぞれに健康や健康法をもっているように、特殊な病気を抱えこんでおり、それを完全に定義しつくすことはできないからだ。」

「私は養護室のベッドに横になっていた。窓越しに、隣りの中庭の灰色の壁をみつめていた。子供たちの嗄(しわが)れた声がたちのぼっていた。人生は永遠にあの灰色の壁であり、あの嗄れた声であり、押しかくした不安のかもし出すあの不快感なのにちがいないと私は心ひそかに思った。生きるに値するものはなにもない、もはや生きたくないと思うのはこの上なく容易なことだと考えていた。するとゆっくりと、自分自身にたいする一種の返事のように、ひとつの音楽が私のなかにたちのぼってきた。最初それは葬いの音楽だった。しかしまもなくそう呼べるものではなくなった。というのも、生の届かぬところでは、もはや死も意味をもたず、その音楽は、生と死の遙か彼方を漂っていたからだ。静かな音楽だった。力強いがゆえに静かな音楽だった。その音楽が養護室を満たし、私は、揺籠のようにゆっくりと規則的に、官能的に私をゆさぶる波のようなその動きに身を委ねた。その波にさからおうなどとはつゆ思わず、一瞬の落ち着きをえたように感じた。もはや自分自身におびえる病的な少年ではなく、これでやっと本来の自分になれたのだと私は思った。というのも、本来の自分になる勇気をもちさえすれば、私たちは皆変身するはずだったからだ。」
「私は癒った。」
「苦しみに研ぎすまされた感受性は、学校でのあらゆる接触をいっそう嫌悪するようになった。私は孤独の欠如と音楽の欠如に苦しんだ。生涯を通じて、音楽と孤独は、私にとって鎮静剤の役割を果してくれた。」

「これほどひよわにみえる肉体のほうが、徳を目ざす私の決心よりも、もしかしたら私の魂よりも、長もちするのだ。というのも魂はしばしば肉体よりさきに死んでしまうものだから。(中略)私にはしばしば、魂は肉体のたんなる呼吸にすぎないと思えるのだ。」

「苦悩は私たちをエゴイストにする。なぜなら苦悩は私たちをすっかり吸い込んでしまうからだ。苦悩が憐憫を教えてくれるのは、もっとあと、それが思い出になった時でしかない。」

「私は馴れた。人は容易に馴れるものだ。自分が貧しく孤独であること、誰ひとり私たちのことなど考えてくれないことを知るのは、それなりに楽しいものだ。それは人生を簡単にしてくれる。しかしまた大きな誘惑でもある。毎晩私は遅く帰った。その時刻にはほとんど人気(ひとけ)のなくなる町はずれを通って。あまりにも疲れていて、もはやその疲れさえ感じないほどだった。昼間、街で出会う人々は、なにかはっきりした目的に向って歩いているような印象を与え、その目的も道理にかなったものに思える。しかし夜になると、まるで夢のなかをさまよっているように見えてくる。道行く人たちも、私と同じように、夢のなかの人影のようにぼんやりとしかみえず、人生全体が、馬鹿げた、人をへとへとに疲れさせる、果てしない悪夢なのではないかどうか、確信がもてなかった。(中略)時には建物の入口の敷居のところでさも楽しそうに立ち話を続け、もしかしたら接吻しているのかもしれない恋人たちを見かけることもあった。彼らを取り巻く周囲の暗闇が、二人でわかちあう愛の幻想を、より許せるものにしていた。自分では欲しいと思わないあの平静な満足が羨ましかった。(中略)生れてはじめて私は、自分が他人と違っていることに邪悪な楽しみを覚えた。人よりも余計に苦しむ時、自分が人より秀れていると考えないのは難しい。そして、幸せな人々を眺めていると、幸福というものに吐き気を覚える。」

「毎晩私は自分だけのための音楽の一刻を自分に許した。たしかにこの孤独な楽しみは不毛な快楽だ。しかしそれが私たちの存在を人生と協和させてくれる時、どんな快楽も不毛だとは言えない。音楽は私をある世界に連れて行ってくれる。そこでは苦悩の存在がやむわけではないが、広がり、静まり、より静かな、そして同時により深いものになる。(中略)私にはこれまでいつも、音楽は沈黙でしかあってはならず、自らを表現しようとする沈黙の神秘でなければならないと思われた。たとえば泉を見るがよい。物言わぬ水が水路に溜り、それを満たし、やがて溢れ出る。そしてそこから落ちる真珠は響き高い。音楽は溢れ出た沈黙以外のなにものでもあってはならぬ――私にはこれまでいつもそう思われた。」

「大公妃は私が大変貧しいことを知っていた。彼女にとって貧乏は病気と同じく醜いものであり、彼女はそういうものから目を逸らすのがつねだった。この世のなにと引き替えられるとしても、彼女は六階まで階段を登ることには同意しなかったにちがいない。女友(とも)よ、彼女をあまり性急に非難してはいけない。限りもなく細やかな心遣いを見せてくれたのだから。およそ実用性のない贈りものしかしなかったのは、もしかしたら私を傷つけまいと思ってだったのかもしれない。そしてもっとも実用性に欠けるものが、もっとも必要なものなのだ。私の病気を聞き知ると、大公妃は花を届けてくれた。(中略)もともと私は誰にもなにも期待していなかったので、それは思いのほかのことだった。私に花を届けさせようと思うような優しい人が、この世にただのひとりでもいるとは思っていなかった。当時、大公妃は薄紫のリラに夢中だった。彼女のおかげで私は芳香に包まれた恢復期を過すことができた。私の部屋がどんなにうらさびしかったか、もう貴女に話した通りだ。もしカテリーネ大公妃のリラがなかったら、癒ろうとする勇気さえもてなかったかもしれない。」

「すこしでも明敏な精神の持主にとっては、すべてが――欠陥さえ――それなりの利点をもつものだ。それはより因習的ならざる世界観を持たせてくれるから。」
「私の唯一の間違いは(というよりむしろ唯一の不幸は)、万人より劣っていることではないのは言うまでもないとして、ようするに人と違っていることだけだ――私は結局そう考えるようになった。それどころか私のそれに似た本能で満足している人は大勢いるのだ。それはさほど稀有ではないし、ましてや奇妙でもない。私は、あれほど多くの例によって否定される教訓を悲劇的なほど真に受けていた自分を恨んだ。そもそも人間の道徳などというものは大変な妥協の産物なのだ。いや、私は誰も非難しようとは思わない。誰もが秘密や夢を胸に秘めており、口を噤んだまま、人にはおろか自分にさえ白状しようとしない。しかし人が嘘をつきさえしなければ、すべては理解できるはずだ。してみると私はおよそ取るに足らぬことのために自分を苦しめていたのかもしれなかった。今やもっとも厳格な道徳律に従っていた私は、自分には逆にそれらの道徳律を裁く権利があるはずだと考えた。そして人生におけるいっさいの自由を諦めていらい、私の思考はあえてより自由になったかのようだった。」

「私たちは人生が私たちを変えると思い込んでいる。しかしそれは間違いだ。人生は私たちをすり減らすのだ。そして私たちのなかですり減らされるもの、それは習い覚えたことだけだ。私は変ってなどいなかった。ただ私と私自身の本性とのあいだに、さまざまな出来事が入りこんで来ていただけなのだ。私はかつての私のままだった。もしかしたら昔よりもっと深く私自身だったといえるかもしれない。なぜなら幻想や思い込みがひとつまたひとつと消え去るにつれて、私たちは真の自分をよりよく知るようになるからだ。」

「九月のある夕方、それは私たちがウィーンへ帰る前夜だったが、それまで閉じられっ放しだったピアノの魅力に、私は勝てなかった。(中略)私は弾きはじめた。私は弾いた。最初は、まるで自分のなかの魂を眠り込ませなければならないかのように、慎重に、静かに、そっと弾いた。」
「二年間私が自分のすべてを閉じこめていたその楽器から今生れつつあるもの、それはもはや犠牲の歌でもなければ、欲望やすぐ間近に迫った歓喜の歌でさえなかった。憎悪だった。あれほど長いあいだ私をねじ曲げ圧し潰していたものすべてにたいする憎悪だった。」
「自分の手が目に映ったのはその時だった。(中略)私の手は(中略)、突然異常なまでの敏感さを帯びたように思われた。じっと動かずにいてさえ、それは沈黙を微かに愛撫し、沈黙が和音となって立ち現われるのをうながしているように思われた。(中略)そして、あらゆる可能な音がこの鍵盤のなかで眠っているように、その手の中には未来の仕種がすべて含まれていた。(中略)それは今や、無名の手、ひとりの音楽家の手なのだった。音楽を通して、私たちが神と呼びたい思いに駆られるあの限りなきものと私を結びつける仲立であり、愛撫を通じて他者の生命との接触を保つ手段だった。影が薄く、それを支えている象牙のように白かった。というのも私はその手から太陽と仕事と喜びを奪い去っていたからだ。とはいえそれが私の忠実な召使であることに変りはなかった。音楽が私にとって口を糊するための仕事であった時、この手が私を養ってくれた。そして私は、芸術で生計をたてることに含まれるある種の美しさを理解しはじめていた。というのもそれは芸術以外のすべてから私たちを解放してくれるからだ。」

「肉体こそが、魂をもつことから私を癒してくれたのだった。」

「人生は私を、今あるがままの私にした、つまり(もしこう言ってよければ)本能のとりこにした。その本能は私が選んだのではない、ただ諦めて受け容れるだけだ。そしてこの受容が、幸福とは言わないまでも、せめて晴朗さを得させてくれるものと私は期待している。」

「正常な道徳に従って生きるすべを知らなかった以上、せめて自分自身の道徳には悖(もと)らぬようにしたい。あらゆる原則を却(しりぞ)ける瞬間にこそ、人は慎重さを身につけなくてはならぬ。」








































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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