マルグリット・ユルスナール 『流れる水のように』 岩崎力 訳

「彼の回りに海があり、靄があり、太陽と雨があり、空や水や陸地に住む動物たちがいた。そして彼は、それらの動物たちと同じように生き、死のうとしていた。それで十分だった。」
(マルグリット・ユルスナール 「無名の男」 より)


マルグリット・ユルスナール 
『流れる水のように』
 
姉アンナ… 無名の男 美しい朝
岩崎力 訳

白水社
1991年1月10日印刷
1991年1月20日発行
265p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価2,400円(本体2,330円)
装幀: 東幸見



本書「訳者あとがき」より:

「『方丈記』の冒頭を思わせる表題の作品集『流れる水のように』 Comme l'eau qui coule は、(中略)「姉アンナ…」、「無名の男」、「美しい朝」の三作からなり、一九八二年、ガリマール社から刊行された。」
「「姉アンナ…」は、一九八七年一月、単行本として白水社から刊行されたものだが、今度『流れる水のように』として原書どおりの構成で訳出するにあたり、既訳をあらためて検討し、字句の改善を図ったほか、送り仮名などにかんして、新たに訳出した他の二編との統一を志した。」



ユルスナール 流れる水のように


帯文:

「「近親相姦」
という
愛の極限の姿!

「傲慢であるすべを
知らないだけに、
いっそう
澄んだ目で
世界をみつめる」
ほとんど無教養で
単純なひとりの
男の生と死!

透徹した古典的文体で描き
上げたユルスナールの佳品三作。」



目次:

姉アンナ…
無名の男
美しい朝

自作解説
 姉アンナ…
 無名の男
 美しい朝
 『姉アンナ…』の自作解説への原注

訳者あとがき




◆本書より◆


「姉アンナ…」より:

「娘のアンナは、祈っている母の声を思い出せなかった。逆にしばしば見かけたのは、たとえばイスキアの修道院の居室で『パイドーン』や『饗宴』を膝にのせている母の姿であり、開いた窓枠に美しい手をもたせかけ、素晴らしい入江をまえにいつまでも物思いにふけっている姿であった。」

「ドンナ・アンナはじっと暗闇のなかを見つめていた。聖金曜日のこの夜、空は傷口の輝きに輝いているように思われた。ドンナ・アンナは苦悩のあまり身をこわばらせていた。彼女は言った。
 「弟よ、なぜ私を殺さなかったのです?」
 「それも考えました」彼は言った。「死んだあなたなら私も愛したでしょう。」
 そのときはじめて彼は振り向いた。一瞬薄明りのなかに、涙で侵食されたような、憔悴しきった顔がみえた。準備した言葉は唇でとまった。悲嘆にくれた同情をこめて、彼女は彼に身をかがめた。二人は抱きあった。」

「彼女はふたたび神秘思想家たちの著作を読みはじめた。ルイス・デ・レオン、ホワン・デ・ラ・クルス修道士、聖テレサ尼など、かつてナポリの午後の明るい日ざしのなかで、黒衣に身を包んだ若い騎士が彼女に読んでくれたものと同じだった。書物は窓と向きあいに開かれたままになっていた。アンナは秋の薄い日だまりに腰を下ろし、疲れた目でときどき行を追った。意味を辿ろうとはしなかった。しかしこれらの熱烈な大文章は、彼女の生涯に伴った愛と死の音楽の一部をなしていた。昔日の絵姿が不動の若さのなかでふたたび輝きはじめていた。あたかもそれは、ドンナ・アンナが、それと気づかぬ降下のなかで、すべてが合流する地点にようやく辿り着こうとしているかのようだった。」



「無名の男」より:

「ナタナエルがフリースラントの小島で死んだという知らせが、アムステルダムまで届いた。反響はほとんどなかった。叔父のエリーと叔母のエヴァも、こういう末路は予見できたと考える点で一致していた。それに、二年ほどまえのことだが、ナタナエルはアムステルダムの病院であやうく生命を落としそうになったことがあった。いわば二度死んだようなもので、心を動かす人はもう誰もいなかった。」

「書物の置いてある応接間で大冊の聖書を手に取り、この言葉の森のなかで彼の覚えている唯一の瑞々しく爽やかなページ、つまり福音書の節をいくつか探した。そう、野良で、あるいは湖のほとりで生まれたこれらの言葉は美しかった。あの「山上の垂訓」からは、ある優しさが発散していた。その言葉のひとつひとつが、現に私たちの生きている世界では嘘でも、別の世界ではおそらく真実なのにちがいない。というのもそれは失われた楽園の底から出てきた言葉に思えるから。そう、貧しい人々のなかで生きたあの若い扇動者、ローマは兵士を差し向け、博士たちは掟をもって、庶民は叫び声をあげて、なんとかして打ち倒そうとした扇動者を、彼はきっと愛したにちがいなかった。しかしあの若いユダヤ人が、三位一体から切り離され、パレスチナに降り立ち、「過ち」のあと四千年たって、アダムの流れを汲む人種を救いにきたとか、彼の導きによるしか天国への道はないとかいうことになると、博学な人たちが寄せ集めた他の作り話同様、ナタナエルは一向に信じる気になれなかった。」

「しかしもっとも美しかったのは、この時期、島に巣くって雛を育てる何千羽ともない鳥たちだった。水溜りのそばの渉禽類は、日の昇るころ、凍りついたように見えた。ごく稀に、長い間隔をおいて、用心深い足取りで進むのが見えたが、獲物に逃げられて失望していた。ナタナエルの心は、生き延びるための糧をやっと捕まえた鳥の喜びと、生きたまま呑み込まれる魚の苦しみとに引き裂かれた。雁の群が横幕にも似た形を描き、やがて嵐のような鳴声をあげながら急降下して餌をついばんだ。鴨の群が先行したり、後に続いたりした。白鳥たちは空に雄大な白い角を描いていた。ナタナエルは、種を異にするこれらの魂にとって重要なものが、自分のなかになにもないのを承知していた。鳥たちが愛をもって愛に報いるなどということはありえなかった。もし彼のなかに狩人の本能がほんのすこしでもあれば、鳥を殺すこともありえたろう。しかし彼には、無防備なまま自然と人間のまえに晒されている彼らの生存を助けることもできなかった。砂丘の丈の低い草のあいだにひそむ兎たちも友人ではなく、別世界のようなねぐらから出てきて、警戒を解こうとしない訪問者にすぎなかった。一度、灌木のかげに隠れて、兎たちが月の光に踊るのを見たことがあった。朝、田げりたちが空に舞い上がり、婚礼飛行を見せることがあった。それはフランス国王の宮廷のどんなバレエの旋回よりも美しかった。」
「島に住みついたとき、彼はこの世と無縁に暮す自分を思い描いていた。事実そうではあったが、なにごとも最初考えたほど完璧ではなかった。」

「彼の回りに海があり、靄があり、太陽と雨があり、空や水や陸地に住む動物たちがいた。そして彼は、それらの動物たちと同じように生き、死のうとしていた。それで十分だった。去年の夏の小動物たちを覚えているものがいないように、誰ひとり彼のことを思い出すものはいないはずだった。」



「自作解説」より:

「『無名の男』を書くにあたってもっとも困難だったのは、ほとんど無教養でありながら、自分を取り巻く世界について沈黙を守りながらも自分自身の考えを抱き、ときには、ごく稀にではあるが、吃りの人の口ごもりにも対応するような欠落や躊躇をもって、すくなくともその一片を他者に伝えようと努力する人間を呈示することだった。ナタナエルは、ほとんど言葉の仲介なしに考える人のひとりなのだ。言いかえれば彼は、私たちが思想と思い込んでいるもの、私たちが信じていると考え、考えていると信じるものをたがいに交換するさいに用いる語彙、日常的であると同時に摺り減ってもいる、使われすぎた硬貨のように摩滅した語彙を、ほとんどもたないのである。」


「訳者あとがき」より:

「『ハドリアヌス帝の回想』のなかに、あるローマの女性がセステルウィウス貨幣を積み重ねて山を作り、金額を数える場面が出てくるのだが、ある人が、そんなことはできないはずだ、当時の貨幣はすこしふくらんだ形をしていたから、積み重ねられるはずがないといって批判したことがあった。それに対してユルスナールは「どの程度の高さまで積み重ねることができるか、実際にやってみたのですよ」と答えた。相手もこれには脱帽せざるをえなかったという。」

「一九八七年十二月十七日、ユルスナールはモン・デゼール島の小さな町バー・ハーバーの病院で亡くなった。(中略)死の四日前から、彼女は食事をいっさい拒んだという。ハドリアヌス帝のように、「目を見開いて死に入る」ことを覚悟したのであったろう。生涯にわたって、人種や性や年齢の違いを越えたところで生きつづけた豪胆な人、それでいて最後まで少女のような感受性を持ちつづけた人であった。」





























































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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