マルグリット・ユルスナール 『ピラネージの黒い脳髄』 多田智満子 訳 (白水社アートコレクション)

「もし、かなり長いあいだ無視されてきたこの《牢獄》が、現代の大衆の注意を現に惹いているとすれば、それは(中略)、この造りものでありながら不吉なまでに真実の世界、密室恐怖症的でありながら誇大妄想的な世界が、現代の人類が日増しに閉じこめられつつある世界、そしてわれわれがその致命的危険を認識しはじめた世界を、想い出させずにはおかないからである。」
(マルグリット・ユルスナール 「ピラネージの黒い脳髄」 より)


マルグリット・ユルスナール 
『ピラネージの黒い脳髄』 
多田智満子 訳

白水社アートコレクション

白水社
1985年10月10日第1刷発行
1991年1月10日第2刷発行
105p 収録図版一覧2p
A5判 角背紙装上製本 カバー
定価1,500円(本体1,456円)
装幀: 東幸見



本書「訳者あとがき」より:

「『ピラネージの黒い脳髄』は一九六一年、《幻想の牢獄》の復刻版のために書かれたもので、後に評論集『条件付きで』(一九六二年)に収録されている。」


Marguerite Yourcenar "Le cerveau noir de Piranese"。
本文中図版(モノクロ)60点。


ユルスナール ピラネージの黒い脳髄 01


カバー文:

「「デンマークは牢屋だ」と
ハムレットがいう。
「しからば世界も牢屋ですな」と
気の利かぬローゼンクランツが言い返し、
黒衣の王子をこの一度だけやりこめる。
ピラネージがこの種の概念、囚人たちの宇宙という明確なヴィジョンをもっていたと想定すべきだろうか?
たっぷり二世紀以上の人間的異常事件の連続に暗澹たるわれわれとしては、
ちっぽけなくせに気がかりな亡霊どものうごめく、この囲われた、しかも
無限の世界が、わかりすぎるほどよくわかる。
つまり、われわれはここに人間の脳髄を認めるのだ。
とりわけ、この造りものでありながら不吉なまでに真実の世界、密室恐怖症的でありながら誇大妄想的な世界が、
現代の人類が日増しに閉じこめられつつある世界、そしてわれわれが
その致命的危険を認識しはじめた世界を、
想い出させずにはおかないからである。」



内容:

ピラネージの黒い脳髄

訳注
訳者あとがき

収録図版一覧



ユルスナール ピラネージの黒い脳髄 02



◆本書より◆


「「ピラネージの黒い脳髄……」と、どこかでヴィクトル・ユーゴーが述べている。この脳髄をもっていた男は、一七二〇年に、職人的生活と美にかかわる職業と聖職とが調和的に共存していたあのヴェネツィアの家系に生まれた。」

「才能ある画家が建築家でもあった例は数多い。しかし絵画、デッサン、あるいは版画のなかで、もっぱら建築の用語で思考した人物は稀である。それに、(中略)同時に考古学者でもあろうとしたある画家たちは、往々にしてこけおどしのベニヤ板細工に行き着いたにすぎなかった。これに反して建築家としてのピラネージの研鑽は、均衡、重量、漆喰、土台、骨組といった建築用語によって、たえず持続的に反省熟慮することを彼に教えた。しかも、骨董商としての探究を通じて、彼は古代遺跡の断片のひとつひとつに、特異性と種類別とを認識することに熟練していた。そうした研鑽は彼にとって、裸体画家にとっての屍体解剖に相当するものであった。建築する情熱、これは終生銅板という二次元の作品に限定されていたこの男にとって、抑圧された情熱だったが、この情念こそが、かつて大建築に着工した古代人の精神の躍動を、廃墟のなかに再発見するのにすぐれて適した人間に彼を仕立てあげたように思われる。おそらくこうもいえるだろう。《古代遺跡》においては建築資材がそれ自身のために表現されている、と。つまり、ピラネージにあっては廃墟の形象は帝国の栄枯盛衰や人の世のはかなさを強調し敷衍するために働きかけるのではなく、事物の持続あるいは事物のゆるやかな消耗についての、また建造物の内部で石としての長い生存をつづける石塊の不透明な在り様(よう)についての、冥想をうながすものである。同様に、ローマの尊厳は彼においては死せる皇帝たちの追想のなかよりは、むしろ破れ崩れた円天井のなかに生き残っている。建造物がひとりで自足していて、建物がドラマであると同時にドラマの舞台装置であり、これらの巨大な石造工事のなかに今なお銘記されている人間の意志と、鉱物質の命なきエネルギーと、呼びもどしがたい噂との、対話の場なのである。
 このひそかな形而上詩は、アルチンボルドの同郷人であるこの人においては、ときとして、機智の遊び以上に幻視の強烈な眼差しの力によって、一つの基本的なダブル・イメージに達する。カノプスの穴のあいた丸屋根(クーポーラ)やバイアエのディアナ神殿の崩れかけた丸屋根は、はり裂けた頭蓋骨、糸のような草の垂れさがった骨壺となる。」

「さて問題の《牢獄》を見つめてみよう。これはゴヤの《黒い絵》とならんで、十八世紀人が遺してくれた最も奥深い秘密をもつ作品の一つなのである。まず第一に、これは夢に関わっている。夢というものに通じた人ならば誰でも、夢幻状態の主要な特徴をまざまざと示すこれらの版画を前にして、一瞬もためらうことなくそれを認めるであろう。夢の特徴とはつまり、時の否定、空間のずれ、空中浮揚状態の暗示、不可能と和解した、あるいは不可能をのりこえた陶酔感、外側から幻視者の作品を分析する者が考える以上に恍惚に近い恐怖、夢のもろもろの部分および人物のあいだの目に見える接触ないし関係の欠如、そして最後に、宿命的かつ必然的な美。さらに、ボードレール的公式にもっと具体的意味をもたせるとして、これはまさに「石の夢」なのだ。」

「「デンマークは牢獄だ」とハムレットがいう。「しからば世界も牢獄ですな」と気の利かぬローゼンクランツが言い返し、黒衣の王子をこの一度だけやりこめる。ピラネージがこの種の概念、囚人たちの宇宙という明確なヴィジョンをもっていたと想定すべきだろうか? たっぷり二世紀以上の人間的異常事件の連続に暗澹たるわれわれとしては、ちっぽけなくせに気がかりな亡霊どものうごめく、この囲われた、しかも無限の世界が、わかりすぎるほどよくわかる。つまり、われわれはここに人間の脳髄を認めるのだ。われわれの理論、体系、その片隅でつねに一人の受刑者がうずくまることになる壮麗で無益な知的構築物を、思いみずにいられない。もし、かなり長いあいだ無視されてきたこの《牢獄》が、現代の大衆の注意を現に惹いているとすれば、それはオルダス・ハックスリがいったように、この建築的対位法の傑作が抽象芸術のある概念を予表しているせいばかりではあるまい。とりわけ、この造りものでありながら不吉なまでに真実の世界、密室恐怖症的でありながら誇大妄想的な世界が、現代の人類が日増しに閉じこめられつつある世界、そしてわれわれがその致命的危険を認識しはじめた世界を、想い出させずにはおかないからである。」



ユルスナール ピラネージの黒い脳髄 03


こちらもご参照ください:

Luigi Ficacci 『Piranesi: The Complete Etchings』

























































































































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