『集英社版 世界の文学 24 ユルスナール/ガデンヌ』 若林真/菅野昭正 訳

「当時イタリア半島を訪れた多くの作家たちは、あいも変らずイタリアの絵のように美しい伝統的なものに魅せられるか、あるいはまた列車が(少なくとも理屈の上では)定刻どおりに発車するのを見て喝采(かっさい)を送るにとどまり、発車がどんな終点に向かってなのだろうかなどとは夢にも考えないのであった。」
(ユルスナール 『夢の貨幣』 「序文」 より)


『集英社版 世界の文学 24 
ユルスナール 夢の貨幣
ガデンヌ スヘヴェニンゲンの浜辺』 
若林真/菅野昭正 訳


集英社
1978年2月20日 印刷
1978年3月20日 発行
415p 口絵i 
四六判 丸背クロス装上製本 
貼函 函プラカバー
定価1,300円
装幀: 坂野豊

月報《25》 (2p):
壮麗な作家の「歴史」(多田智満子)/訳者紹介/次回配本



Marguerite Yourcenar "Denier du rêve" (1934/1959)
Paul Gadenne "La plage de Scheveningen" (1952)

ニ段組。本文中図版(『スヘヴェニンゲンの浜辺』参考図)1点。


ユルスナール 夢の貨幣 01


帯文:

「ファシズム下のローマ――人々は
10リラの銀貨のように歴史の流れに翻弄されていた。
解放後のパリ――昔のパリは消え、
人々は孤独の中に閉じ籠もっていた。
第2次大戦末期のヨーロッパを舞台に描く
フランスの2大作家の意欲作。」



帯裏:

「『夢の貨幣』(一九七一年)
舞台はムッソリーニが支配するファシズムのローマ。人々はそれぞれの情念と孤独の中にのめりこみながらも、政治的陰謀、流刑、恋愛など様々な他者とのかかわり合いの中を揺り動かされていく。まるで人間の手から手へと渡っていく10リラ銀貨の運命のように……。時間の枠を超えて、人間存在の宿命を描き出すユルスナールの野心作。

『スヘヴェニンゲンの浜辺』(一九五二年)
連合軍による解放直後のパリで再会したギョームとイレーヌは、北仏の海辺の町へ旅する。三日間の短い旅だったが、その瞬間は二人にとっての心の再会でもあった。それから約一ヵ月後、二人はまた旅するのだが、彼女イレーヌの口から出た言葉は「もう浜辺をやり直すことはできない」という別れの言葉だった…。

ユルスナール
(一九〇三~    )
フランスの女流作家。貴族の末裔を父に持ち、母はベルギーの名門の出。いわゆる学校教育を受けず、主として家庭教師によって教養を身につけた。その特異な経歴から、フランス国内の作家とは異なった視野の持主。

ガデンヌ
(一九一八~一九五六)
フランスの作家。三十八歳で死亡。死後十年以上を経て、この不遇なままに死んだ小説家の作品は再評価された。「三十年に一人か二人しか現われぬ小説家」と激賞される。」



※帯裏にはガデンヌの生年が一九一八年とありますが、正しくは一九〇七年生、四十九歳で死亡。同じく『夢の貨幣』の出版年が一九七一年とありますが、初版は一九三四年、改訂版は一九五九年刊です。


目次:

ユルスナール
 夢の貨幣 (若林真 訳)
ガデンヌ
 スヘヴェニンゲンの浜辺 (菅野昭正 訳)

解説 (若林真/菅野昭正)
著作年表



ユルスナール 夢の貨幣 02



◆本書より◆


ユルスナール『夢の貨幣』「序文」より:

「一九三四年刊行の『夢の貨幣』の初版は、いくぶん短いものであった。今度の版は単なる再刊の態(てい)にとどまるものでもなければ、訂正をほどこして、未発表のいくつかの文章を追加した再版の態にとどまるものでさえない。いくつかの章はほぼ全面的に書き改めたし、相当に長くなった場合もあった、いくつかの個所では、修正や削除や語順転換をしているうちに、旧版の一行も残らなくなってしまった、またある個所では、一九三四年版の大部分が未変更のままになっている。今日こうしてお目にかけている小説は、ほぼ半分が一九五八年から一九五九年にかけて構成し直されたものであるけれど、新しいものと旧(ふる)いものが緊密にからみあっている再構成なので、作者にとってすら、いつ一方が始まり、いつ他方が終っているのか、ほとんど判別不可能である。」
「旧版から新版への変化がなく、変化があるわけもないのは、なかんずくこの作品の政治的雰囲気(ふんいき)である。この小説の状況は、ファシズム第十一年のローマであり、何はさておいても正確な日付を持たなければならないのだ。これらの想像上の諸事件、すなわち、カルロ・ステーヴォの流刑と死、マルチェッラ・アルデアーティの陰謀などは、一九三三年、つまり、体制の敵に対する特別法が数年前から猛威をふるい、独裁者に対する同種のいくつかの陰謀がすでに実行された時期にあたる。それらの事件はまた、エチオピオア侵略の前、ムッソリーニ体制がスペイン市民戦争に加担する前、同体制がヒットラーに接近しやがて屈服する前、人種差別法発布の前、ということはもちろん、混乱と破局、しかし同時に、現代の第二次大戦のパルチザンの、雄々しい抵抗の数年間の前に起こったことである。したがって、一九二二年~一九三三年の時期に早くもすべての発端が含まれているあの時期の決着がつく、はるかに暗い数年間の世相を、一九三三年の世相に混ぜあわせないことが肝要であった。マルチェッラの行為に、悲劇的に孤立した、いうなれば個人的抗議の様相を残すこと、彼女のイデオロギーに、かつてイタリアの分裂にたいそう深い刻印を押したアナーキズムの教義の影響の痕跡(こんせき)を残すことが、必要な配慮であった。カルロ・ステーヴォに、一見したところ時代遅れで役にたたない政治的理想主義を、そして、体制それ自体に、いわば積極的な勝利をおさめているがごとき様相を、残しておく必要があった。実を言って、そんな様相は、おそらくイタリア国民自体よりも外国の世論を、長いことたぶらかす態のものだったのである。『夢の貨幣』が再刊に値すると思われた理由の一つは、この作品が、当時において、ファシズムのこけおどしの表玄関の裏に隠されている空虚な現実を直視した最初のフランス小説の一つ(おそらく最初の小説)だったからである。当時イタリア半島を訪れた多くの作家たちは、あいも変らずイタリアの絵のように美しい伝統的なものに魅せられるか、あるいはまた列車が(少なくとも理屈の上では)定刻どおりに発車するのを見て喝采(かっさい)を送るにとどまり、発車がどんな終点に向かってなのだろうかなどとは夢にも考えないのであった。」



ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』より:

「我々は人間であったが、人間であるということは、我々の死刑執行人同様の犬畜生になりさがることだと見破っていた。」

「しかしギョームは彼女の話を聞きながら、我々はどこまで生れながらにして罪人であるか、いっそうよく理解した。《この異変においては我々は誰もがすべて罪があったのだ》、エレーヌの家の階段を降りながら彼はそう考えた、《我々は誰もがすべて悪が成し遂げられるに任せていたのだ》。巨大で、集団的で、祖先伝来の、とはいうものの各自がおのがじし個人としてそこに加担している過失という観念が、我々の意識のなかに、日毎に少しずつ深く根づいていくのだった。我々は虚構の時代を生きることをたしかにもう終っていた。」

「彼らはかつてある風景のなかで知りあったのだが、その風景が彼ら二人の離れ離れの生活を、遠くから、長いあいだ支配しつづけてきたと考えることを彼は好んでいたし、また一時期、ある何人かの巨匠の作品にその風景の反響を探して二人で楽しんでいたこともあった。あの『スヘヴェニンゲンの浜辺』を描きながら、たぶん、ロイスダールは絵画術を革新しようなどとは夢にも思わなかったかもしれない。しかし、彼らはその生涯のある時期に――なんと二人は若かったことか!――想像力のための糧をそこに見出したのであった。」












































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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