中井英夫 『ハネギウス一世の生活と意見』

「空しいものだけに心惹かれ、花火や香りのようにあるいは音楽のように、束の間のきらめき、そして消えるものだけを美しいと観じてきた、それだけがすべてだといいきるつもりはないが、こうして作品集を編んでみると、やはり小説でもエッセイでも同じことばかりいってきたんだなとつくづく思われる。」
(中井英夫 「自作解説」 より)


中井英夫 
『ハネギウス一世の生活と意見』


幻戯書房
2015年4月27日第1刷発行
365p 著者紹介1p
定価4,000円+税
装幀: 間村俊一
カバー・表紙・扉写真: 本多正一

「本書は、『中井英夫全集』全十二巻に未収録の文章の中から、随筆・評論作品を精選したものです。」



本文中図版(モノクロ)1点。


中井英夫 ハネギウス一世の生活と意見01


帯文:

「異次元界からの便りを思わせる“譚(ものがたり)”は、いま地上に乏しい。――時代の現実を裏返す反世界の作家が生涯求めた“博物学的精神”の行方とは。『虚無への供物』から半世紀を経て黒鳥座XIの彼方より甦った、全集未収録の随筆・評論集。

戦争によって潰えた
“物語の水脈”は何処へ」



帯裏:

「私にとってひどく無気味なのは、その八月十五日とやらに、本当に戦争が終わったのか、という疑いがいまなお胸に兆すことで、戦後の三十年という長い年月は、眠り続けている私の夢にすぎない、という思いからも、また逃れられずにいる。(……)死に損ないの私が、間際まで日本の敗戦を願い、軍国主義の消滅だけを念じていたことを秘かに“敵”が知って、眠っている間に大仕掛けなトリックで“贋の戦後”を創り出してみせたというならば――。 (本文より)」


目次 (初出):

I ハネギウス一世の生活と意見
 その一冊 (日販通信 1984年11月)
 ハネギウス一世の生活と意見 (『カリブの龍巻 G・ガルシア=マルケスの研究読本』 北宋社 1984年10月)
 少女密偵団殿――身辺雑記風幻覚小説 (幻想文学 1984年12月)
 病正月 (潮 1986年3月)
 少年とカメレオンの話 (別冊幻想文学・中井英夫スペシャルI 1986年6月)

II 喪われた金貨
 喪われた金貨 (『シリーズ金属の文化1 金と銀の博物誌』 朝日新聞社 1985年9月)
 古傷 (婦人生活 1975年8月)
 時間の缶詰 (暮らしの設計別冊三号・缶詰の中身の研究 1980年7月)
 むかしむかし……(北海タイムス 1991年8月15日)
 曇のち晴 (『日本文学全集45 安岡章太郎・吉行淳之介』 月報 河出書房新社 1970年8月)
 タンタロスの淵から (日本読書新聞 1976年10月25日)
 『無』への出口――地下道の三つの貌 (デザイン 1971年10月)
 含羞のパリ (アサヒグラフ 1981年12月15日)
 香りの杯 (中央公論 1975年1月)
 絵画と現実の間 (太陽 1976年9月)
 抜弁天界隈 (CREATE 1982年11月)
 死とけむりぐさ (別冊太陽・煙草の本 1985年9月)
 遅い流薔園の春 (山形新聞 1976年5月20日)
 殺人鬼のいる夜――エドガー・アラン・ポオ特集に寄せて (カイエ 1979年9月)
 茸たちの反乱 (森毅編『キノコの不思議』 光文社 1986年9月)
 月蝕の日々 (ちくま 1986年6月)
 カルタの城――『とらんぷ譚』について (50冊の本 1980年3月)
 虚無への供物――自作再見 (朝日新聞 1991年2月3日)

III 物語の魔都
 江戸川乱歩
  怪人二十面相のほんとうの正体 (朝日新聞夕刊 1976年5月6日)
  鰻、背後霊、そして…… (『江戸川乱歩推理文庫10 魔術師』 講談社 1988年1月)
  乱歩と私――翳の祭典 (別冊幻想文学・中井英夫スペシャルII 1993年2月)
 血への供物――正史、乱歩、そして英太郎 (『日本探偵小説全集9 横溝正史集』 創元推理文庫 1986年1月)
 映画の外の時間 (日本読書新聞 1977年7月4日)
 横溝正史『死仮面』 (潮 1982年5月)
 逆しま (「昭和名作推理小説 ミステリー大全集」 新潮社 1989年5月)
 昭和十年前後の探偵小説作家――小栗・木々・久生 (國文學解釈と教材の研究臨時増刊 1975年3月)
 小栗虫太郎『黒死館殺人事件』 (映画芸術 1970年3月)
 西原和海編『夢野久作の世界』 (週刊読書人 1976年1月26日)
 久生十蘭
  『肌色の月』 (久生十蘭『肌色の月』 中公文庫 1975年8月)
  『久生十蘭傑作選』解題 (『久生十蘭傑作選5 無月物語』 現代教養文庫 1977年2月)
 名作挿画帖 (太陽 1975年4月―6月)
  竹中英太郎――幽暗の彼方から甦る悪夢者
  加藤まさを――ほっこりと重たい椿の花
  松野一夫――“新青年時代”の画家たち
 「新青年」最後の作家――攝津茂和について (『復刻版 「新青年」』 別冊 国書刊行会 1985年2月)

IV 肉体の背信
 哀しみの杖 (読売新聞 1977年7月25日)
 肉体の背信――三島由紀夫私記 (國文學解釈と教材の研究 1976年12月)
 澁澤龍彦
  逃亡の書――澁澤龍彦を読む (図書新聞 1984年1月28日)
  新人賞の期待 (幻想文学 1987年10月)
 倉橋由美子『夢のなかの街』 (倉橋由美子『夢のなかの街』 新潮文庫 1977年4月)
 盃の底の眼――水上勉素描 (『面白半分 かくて、水上勉。』 1980年3月増刊)
 『椿實全作品』――狂気の冠 (『椿實全作品』 立風書房 1982年2月)
 沈醉愁に堪へず (『齋藤磯雄著作集2』 付録 東京創元社 1991年4月)

V 譚の水脈
 ここはどこだ?――〈客席にて〉 (『世界恐怖小説シリーズ』 栞・恐怖小説への招待NO1 徳間書店 1968年)
 幻視者の降臨 (『怪奇幻想の文学IV 恐怖の探究』 月報 新人物往来社 1977年10月)
 幻想文学の流れ (読売新聞 1977年9月26日)
 チャンドラーって誰だ (ミステリマガジン 1968年7月)
 日影丈吉
  『日影丈吉傑作選II 猫の泉』――翳の観察者 (『日影丈吉傑作選II 猫の泉』 現代教養文庫 1978年7月)
  『夢の播種』 (週刊文春 1987年2月27日)
 赤江瀑
  『ニジンスキーの手』――毒は作品より早く作家に満ちた (赤江瀑『ニジンスキーの手』 角川文庫 1974年5月)
  異次元からの使者・赤江瀑 (週刊読書人 1975年2月3日)
 小松左京『牙の時代』 (小松左京『牙の時代』 角川文庫 1975年5月)
 みごとな変身――胡桃沢耕史讃 (週刊読書人 1983年8月22日)
 竹本健治『囲碁殺人事件』 (竹本健治『囲碁殺人事件』 河出文庫 1985年9月)

VI 自作解説 (『中井英夫作品集』 全十巻+別巻一 三一書房)
 流刑 (第一巻 1986年5月)
 変身 (第三巻 1986年6月)
 迷宮 (第五巻 1986年8月)
 鏡と影 (第六巻 1986年11月)
 幻視 (第二巻 1987年2月)
 死 (第十巻 1987年6月)
 時間 (第九巻 1987年10月)
 狂気 (第四巻 1988年1月)
 宴 (別巻 1988年9月)
 恥 (第七巻 1989年4月)
 失寵 (第八巻 1989年10月)

あとがき (本多正一)



中井英夫 ハネギウス一世の生活と意見02

本体表紙。



◆本書より◆


「『無』への出口」より:

「地下道は、それ自体が一つの新しい生物である。ひとは容易に都市を一個の有機体と考え、地下道はいわばその白い腸ぐらいに思うかも知れないが、どうして、あいつは勝手にうごめき、触手をのばし、気ままな方向に自己増殖をつづけている奇怪な生き物なので、かりにそれを管理する立場の都市計画の責任者にしろ、道路や地下鉄公団のお偉方にしろ、しばらく足を向けたことのない盛り場を訪れたときには、「おや、こんなところにいつ地下道ができたのだろう」と不審に思いながら、こわごわ白い螢光灯に照らされて人の気配がない地下への入口をのぞきこむという経験をしているに違いない。そして、その地下道はきまって無意味にうねりくねって、いくつかの枝径に岐れながら、またこともなく浅い地上への出口に通じている。出てしまえばそこは確かに見覚えのある、いつもの場所、いつもの商店街、いつもの駅だが、果してそこは本当に「いつもの」場所だろうか。よくよく見ると、どこかがほんの少しだけ違っていはしないだろうか。」


「月蝕の日々」より:

「私が黒鳥館主人、流薔園園丁を名乗ってきて次は月蝕領と決めたのは一九七八年のことで、(中略)他でもない、誕生日の九月十七日もまた皆既月蝕だと(中略)教えられていたからである。黒鳥館より流薔園より更に狭い所領に自分を幽閉したいと願っていた私にとって、月蝕領という言葉は、韻きからしてもうってつけと思われた。」

「むろんそれが幻視であっても差支えはない。その一瞬の幻視に賭けたといってはいいすぎだろうし、成功したか否かは読者に委ねる他はないが、いちばん空しいもの、ただし限りなく美しいものを追い求める以外に、さしあたって私のすることはなさそうだ。こんな希いは小説を教養の具と心得、なにがしか人生案内の足しにと考えるまじめな人びとにはおよそ理解に遠いものだろうが、それだって一向にかまわない。少なくとも私の小説は、実人生に何の役にも立たぬことだけは確かだから。」



「怪人二十面相のほんとうの正体」より:

「最近、必要があって江戸川乱歩の少年探偵シリーズを初めて読んだ。」
「今回は思いがけぬ発見が多く、ことに乱歩がひそかにこのシリーズに託した夢もうかがうことができた。」
「それに何より肝要なのは、少年の原っぱ志向を知りぬいていたことで、いま都会からほとんど失われてしまった原っぱが少年にとってどれほど大事な冒険心と空想とを養う空間だったかを、乱歩は哀惜をこめて語り続けている。舞台のおおむねは東京だが、その麻布も麹町も昭和七年の市区改正以前の小東京の町であり、決してその後のいわゆる大東京ではなかった。まして世田谷や渋谷となると何が出てきても不思議はない、郊外というよりは一種の人外境ですらあった。小泉八雲の『怪談』に出てくるのっぺらぼうと同じに、そこは怪人二十面相という新しいお化けのすみかだったのである。」

「かりに少年探偵シリーズの限界をいうなら、(中略)むしろ乱歩が無垢な少年の心を保ち続けていたゆえの異常志向、その矛盾を見るべきと思われる。
 無垢の少年の潔癖さは、同時に乱歩の内奥に無類のはにかみと、ほとんど理由もはっきりしないほどの恥の意識をもたらした。そしてそれこそ怪人二十面相のほんとうの正体だったのである。孤独さにいたたまれず、またしても手を変え品を変えして少年たちの前に現れる二十面相――ギリギリギリ、ドシンなどと愉快な音を立てたり、金属をすり合わせるようないやな声で笑ったり、さまざまなオノマトペ(擬声語)を用いてまでして伝えようとしたのは、この唐突な恥の意識であって、二十面相はすなわち二重面相にほかならず、それは〈存在そのものの恥〉に最後まで悩まされ続けた怪人乱歩の、もうひとつの顔でもあったのだ。」



「鰻、背後霊、そして……」より:

「これほどの孤独な夢想家、よるの夢こそまことと言い続け、二度と再びこの地上に生を享けたくない、私のようなものが作家になったのは間違いだったとまで発言した人に対して、ただ大家(たいか)として賞めておけば間違いないといわんばかりの乱歩讃など、まったく無用のものと思われる。」

「私にとって乱歩の最高傑作は長編で『孤島の鬼』、短編で「目羅博士(めらはかせ)」であって他にはない。」



「竹中英太郎」より:

「竹中英太郎の世界は、さながら眠り続ける胎児の暗い悪夢としか思えない。羊水の中に漂いながら、その小鼻は異臭を嗅ぎとめたように時折うごめき、柔らかな足の裏はむず痒さに堪えかねて痙攣する、胎児の刻。あらゆる畸型なもの・邪悪なものを夢みながら、その頬にはすでに満足げな薄笑いが刻まれている。ここは太古の静けさに包まれた妖かしの沼なのだ。……
 幼年時代、外科病院の棚に置かれたホルマリン漬けの胎児が眼に入るたび、いいようのない神秘と不気味さとに怯えながら、なお私はその淡い緑いろの広口の壜を盗み見ずにいられなかった。なま白い皮膚を透かす静脈。閉じられふくらんだ瞼。そして何より微妙に皺の寄った小さな足の裏。それらはふやけるだけふやけて、手で触ったらすぐにもずるずると剥けてしまうに違いない。長い臍の緒をつけたまま浮いている、その無明の闇。」



「哀しみの杖」より:

「乱歩は昭和三十年の『影男』の中で、アル中のボロ男にこういわせている。
 「ほっといてくれ。おれは人外(にんがい)なんだ。人外とは人間ではないということだ」
 「そこいらのみんな、聞いてくれ。人外というものを知っているか。ここにいるおれがその人外だ。人間の形をして人間でない化けもののことだ」
 三島もまた昭和二十四年刊の『仮面の告白』で自分にこういいきかせる。
 「お前は人間ではないのだ。お前は人交はりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に哀しい生物(いきもの)だ」。」



「肉体の背信」より:

「――三島由紀夫はついに文弱の徒を裏切った!」


「逃亡の書――澁澤龍彦を読む」より:

「久しく私は外界とか現実とかをいっさい信ぜず、容認もしていなかった酬いで、いましたたかにそちら側からの鞭を浴びているところだが、その中でこんな一冊に出会うと季(とき)ならぬ薔薇の宴が開かれでもしたように、やはり現実というのはこれなんだ、この光と色彩の洪水だけが私の手触れ得る唯一の外界なんだと、またぞろ後で容赦ない罰を受けそうな思いに駆られている。」


「沈醉愁に堪へず」より:

「すべて悲哀だけを根底にした作品。それ以外のものを、どうか短歌などと思って下さるな。」


「幻視者の降臨」より:

「そしてもうひとつ、それがいちばん肝心な点だと私には思えるのだが、作家とはもとより無頼の徒にすぎず、本当は市民権など持ち得よう筈もない輩ということが忘れられたとき、すべての幻視の文学は滅び去るのが当然であって、本当は育てる側も読者にも関係はない、もっぱら花作りの覚悟の問題である。」


「『ニジンスキーの手』」より:

「なぜ静かに
魔法に耽ってはいけないのか

――これは、ロシア革命期に、生きがたい生を生きたソログープの詩の一節である。」



「自作解説」より:

「第一巻のテーマを「流刑」としたのは、年少時からその思いに強く囚われていたからである。」

「全巻のテーマ構成は「流刑」におどろき哀しみ、現実を容認出来ぬまま「幻視」に走り、さらに「変身」から「狂気」へと陥入ってゆくという内面の動きを主眼にした。」

「空しいものだけに心惹かれ、花火や香りのようにあるいは音楽のように、束の間のきらめき、そして消えるものだけを美しいと観じてきた、それだけがすべてだといいきるつもりはないが、こうして作品集を編んでみると、やはり小説でもエッセイでも同じことばかりいってきたんだなとつくづく思われる。」
「昭和二十四年一月からの私の悪戦苦闘も、その後のゆくたても、すべて前から決まっていたことだという気が強くし、何もかもがそもそもの最初から定められていたのだと思わずにいられない。」





















































































































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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