『中井英夫全集 [4] 蒼白者の行進』 (創元ライブラリ)

「湖の彼方で両手を差し伸べ、持っているだけのものを君にあげるよと沈んでゆくひとに、すでにいうべき言葉はない。」
(中井英夫 「薔薇の自叙伝」 より)


『中井英夫全集 [4] 
蒼白者の行進』

創元ライブラリ L な 1 4 

東京創元社
1997年2月28日初版
565p 付録5p
文庫判 並装 カバー
定価1,442円(本体1,400円)



本書「解題」より:

「『蒼白者の行進』
 一九七六年十一月三十日、筑摩書房刊行、四六判、函、二七八頁、挿画・装幀は建石修志。
 未完小説「蒼白者の行進」と「デウォランは飛翔したか」の二篇を収録している。」
「『光のアダム』
 七八年六月三十日、角川書店刊行、四六判、函、二四一頁、口絵・挿画・装幀は直江博史。」
「「重い薔薇」「薔薇への遺言」
 『秘文字』『薔薇への供物』より四篇を収録した。」



中井英夫全集04 01


帯文:

「小説は天帝に捧げる果物、一行でも腐っていてはならない。
流薔園よりの薔薇の供物
『光のアダム』『薔薇の自叙伝』
中井さんの文学はきっとこれからほんとうに
理解されるようになるでしょう。そう思います。
武満徹」



カバー裏文:

「この世ならぬ美への憧れ、だがこの地上にその希(ねが)いを適える術(すべ)はあらかじめ失われているのだ……。未完の傑作『蒼白者の行進』、北軽井沢を舞台にした奇蹟の消失劇『光のアダム』、短篇『重い薔薇』『薔薇への遺言』、来歴を鏤(ちりば)めた『薔薇の自叙伝』等を収録。手を一閃して、虚空から花を掴み出すひと、流薔園(るそうえん)園丁の供物。」


目次:

蒼白者の行進

 蒼白者の行進
  序章
   月蝕の狙撃者
   恋するアンドロイド
   透明な手錠
   漂う骨たちの対話
   「ここでは何も起らない」
   毒草園の朝食
  第一章
   アルテミスの遠矢
   無言者、もしくは蛇の婚
   凍りついた王国の中で
   仮面者の登場
  第二章
   ソドムの回廊
   ゴモラの城館
   黒い谷の底で

 デウォランは飛翔したか
 〈あとがき〉

 後記

光のアダム
 第一章
  1 双児座の森
  2 甦る館
  3 瀬良家の神話
 第二章
  4 贋のヘルマフロディット
  5 時間の翼を持つ少年
  6 緑の屍体置場
 第三章
  7 瀬良家の聖杯
  8 異次元の入口
  9 宝石と人魚
  10 抜け穴と裸
 第四章
  11 悪夢と炎色反応
  12 月との戯れ
  13 光のアダム
 エピローグ・堕天使園にて
 あとがき

重い薔薇 薔薇への遺言
 重い薔薇
 薔薇への遺言
 暗号と暗合
 薔薇の自叙伝――自作解説

解説 (笠井潔)
解題 (本多正一)

付録 4
 「さようなら」のない思い出 (山本美智代)
 オーパス・ワンあるいはエストラゴン・オゥ・ヴィネーグル (金澤裕史)



中井英夫全集04 02



◆本書より◆


『蒼白者の行進』より:

「ひとりになると、それまで心に思い屈していたものがようやく流れ出す。ことに人の気配がない灰いろの谷間のようなこの路地は、裏側ばかりの街の裏の凹凸をなぞって歩いているようで、どこかひどく奇妙なところへ抜け出てしまいそうな予感があった。時間もここでは急にうねりを遅くし、ゆるやかに凝固してゆくような気がする。雅志は手首をかざして腕時計を見た。案の定、金いろの秒針はそのとき二、三秒あと戻りをしかけていたが、見られたと知って、慌ててまた律儀に急いで右へ廻り始めた。」

「誰だって自分の中に暗い階段を持っているのさ。それも絶対降りることしか出来ない階段。決して昇ることはない奇妙な階段なんだ。もっとも、一生その踊り場にさえ出たことのない、倖せな奴もいるけれどね。で、そいつが見つかったら、どんどん降りて行っちまえばいい。そしたらもう誰も追っかけてはこられないし、そこが一番安全なんだ」

「「あいにくぼくはアンドロイドなんだ。だから女でも男でもないんだよ」
 「へえ、そいつはおもしろいや」
 チャコは自分と同じ背丈ほどの美少年を無遠慮に眺め廻した。
 「どこにねじがついてるんだろう。あんまり電子頭脳が組みこまれてるってふうでもないけど」
 「アンドロイドっていうのは、そんなんじゃないよ」
 薔人はまじめに諭すようにいい放った。
 「女とか男とか、そんな区別をつけないで、ただ美しいもののことをいうんだ」
 「お前、ちょっと」
 水口敬三は慌ててうしろからシャツをひっぱった。
 「両性具有のことなら、そりゃアンドロギュノスっていうんだ。アンドロイドは精巧なロボットだゾ。まちがえるなよ」
 「どっちだって同じじゃないか」」

「そうすると今度の芝居の配役では、殺人者と被害者の役だけがまだあいてるということでしょう。それならいっそこうしませんか。役名は全部何々者としてしまうんです。憧れる者は憧憬者、見つめる者は凝視者、哀しむ者は哀傷者というふうに」

「ああこうして昔のままの原野に戻れたのだから、心の裡に蔵いこんでいたことも何もかも話してしまいたいわ。小さい時からわたしが、何に美を見出していたか、それを追い求め、せめて酬われた時どんなに法悦が天降ったか。でも大きくなるにつれて、この地上ではそれがひどく忌わしいこと、してはならない封じられた愛だということに気づいてしまった。わたしにとってはただの左ぎっちょのように思われたことが、ここでは見るも畸型な人外(にんがい)のように嬲(なぶ)りものにされている。まして二十歳を過ぎてその眼でひとを見、その思いでひとを愛したら、それが少しでも顕われたら、人でなしとして爪はじきされる風習の中にわたしは棲んでいる。なんという奇妙な国なんでしょう。ひとがひとを愛するというなら、まず同じ形のひとを好きになるのが当然でしょうに。」

「――確かに一卵性双生児といっても不思議ではないほどに顔つきから軀からすべて同型とはいっても、この二人が肉親の兄妹でないことは魚崎にも容易に理解できた。これはたぶん新しい型の若者たちで、次の世紀がくるまでもなく人間から牡の匂い・牝の匂いは容易に失われてしまうことだろう。性行為は重大な意義を持たなくなり、(中略)そのための争いももはや無意味に、優雅といっても違う、無気力というのでもない、男女だの異性だのという問題が遥かな記憶にすぎぬほどの世界がもうすぐ展(ひら)けそうな予感を二人はもたらした。いや、二人という区別さえ不必要なのであろう。」

「何を強くいい募ってみても彼ら多数派は風俗として囃(はや)し立てるばかりだと知ると、杳はいっさいの変革への志向を止めた。物憂い繭ごもり。その繭の中の生こそ、杳にとっての白夜であった。」

「お黙り、若僧。どうやってお前がここへ来られたかは知らないが、ここはわたしの支配する土地だ。聞けばわたしが生腥い地上の殺人でも犯したような口ぶりだが、わたしが一度だってそんな白茶けた地上などに棲んだことがあるものか。(中略)善も悪も、お前たちの考えるような基準で測られることは、ここでは決してないのだから。」

「生きながら死んでいられる、死にながらこよなく静かな生を続けていられる、それ以上の倖せな刻があるだろうか。」

「――泉兄妹は実際に死んだのだった。」
「ふたりの死の動機というのはやはりふたりだけの、地上に容れられない愛ということでしょう。(中略)むろんあしたの朝刊とか週刊誌とかには、兄妹相姦かといった、いかがわしい見出しで騒がれるかも知れませんが、それはそれで仕方もないでしょう。私らだけがここに記されているある必死の思い、地上の掟とはついに違った生きざまを仕遂げたということを充分に理解してあげればそれでいいと思ったから」

「しかし死を前にした杳が、怯えた表情でその群れが次第に殖えてくることを語ったといわれてみると、意味は判らぬながらどこかですでに蒼白者の行進が始まり、やがて微かにその姿が見えるほどに近づきつつある彼等の跫音が、いま誰の耳にも聞えてくるように思えるのだった。」



『光のアダム』より:

「廃屋を秘めたその森は、鬱然とした繁みを張り伸べながら、なお蜃気楼のような突然さで眺められた。それはいかにも唐突な展け方で、火山の北麓にある小さな町を出はずれてしばらく、視界は忽然(こつねん)と明るくなって森の全容が望見される。傾斜面に低い畑が続き、間を縫う道はおのずからな降り坂となって森の中へ吸い込まれてゆくのだが、その緑の入口は、そのときどこかしら別な王国へ誘われる思いがするほどであった。」

「由井は答えない。答えられないのである。青年期に二度の壮烈な自殺を試み、いずれも失敗に終ったこの男は、そのまま深い失語症に陥入った。」

「森の中の廃屋に潜む幻の少年、それも美の化身とよりいいようのない微笑を湛えて現われ、須臾の間に消えたその人物が、やはり瀬良家の血筋を引く双児のきょうだいであり、しかも熾天使セラピムを象(かたど)った名の――と聞かされても、(中略)いっそうの困惑と疑念に包まれて藤城夫人を見守る他になかった。示村はまだこのとき、バルザックが自身で神秘の書と称した『セラフィータ』を読んでいなかったからである。後に知ったことだが、これは小説というより、スウェーデンボルグの神学を承けた一種の天使論であり、主人公は至高の霊と肉とに装われた両性具有者として描かれている。といってむろん卑俗な意味はつゆほどもない。(中略)ひととき北欧の館に籠っていたとはいえ、天使の帰るべき故郷は神の国しかないのが道理で、肉体の死はようやく霊を解放し、再び翼を与えられたかれは、輝く熾天使(セラピム)として光の雲の彼方に昇天する。」

「「簡単なことです」
 豪延はあっさり答えた。
 「父と大叔父の保留人は、三十年前に消えてしまったんです。あの“幻夢童子之像”とともに」
 「消えたって、つまり、その……」
 うろたえる示村を、今度は豪延が冷やかに見返った。
 「そうです。どこからも出てゆける筈のないビリヤード室で、しかもあの大きな絵と一緒にね」」

「ただ上野駅周辺に群れているという戦災孤児たちに、わけもない懐かしみを感じ、その群れに混(まじ)ったっていいと考えたのは、同じ垢じみていても彼らの肌には、いい知れぬ温(ぬく)みがあるように思えたからであった。」
「ヒットラー・ユーゲントが日本へ来たときは、わざわざ豪延の手を引いて東京駅まで見せに連れていってくれたが、それは奇妙な活(いき)人形を見るようで、どこかしら滑稽な、そしてその底に何ともいえず無気味なものを秘めている制服の団体としか思えなかった。」

「そう、あの方たちは確かにあそこから一種の異次元世界へ旅立たれたことは確かでございます。でもその入口というか出口というか、それは失礼ですけれど示村さん、貴方様にだけは絶対にお判りにならないでしょう」

「昔の偏見と同様、今の偏見も考え直す時が来ていると儂は思うております。ただ、昔の偏見はいかにもひどいものだった。明治の昔に生を享けた双児がどのような扱いを受けたか、(中略)それはまさに人でなしそのものという扱いじゃった。」

「二度とこちらの現実に戻らぬ決意」



「薔薇への遺言」より:

「人は美のために死ねるだろうか 少なくともぼくは そのために死ねる いまこの美しい五月のさなか 蒼穹(あおぞら)に見守られ すべてのかぐわしいものの記憶を胸深く蔵(しま)って 眠りと紛うほど安らかに死を迎える心を察してくれますか」












































































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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