『中井英夫全集 [3] とらんぷ譚』 (創元ライブラリ)

「もともと人倫に悖(もと)るとか、人でなしだの人非人だのといわれるとぞっくり嬉しくなる性質(たち)だから、因果といえば因果な生まれつきなのであろう。」
(中井英夫 『人外境通信』「自作解説」 より)


『中井英夫全集 [3] 
とらんぷ譚』

創元ライブラリ L な 1 3 

東京創元社
1996年5月31日初版
713p 付録5p
文庫判 並装 カバー
定価1,500円(本体1,456円)



本書「解題」より:

「第三巻には連作『幻想博物館』『悪夢の骨牌』『人外境通信』『真珠母の匣』から成る『とらんぷ譚』を収録した。」
「『とらんぷ譚』
 一九八〇年一月十日、平凡社刊行、菊判、函、八六八頁、三六〇〇円、挿画・装幀は建石修志。」



第一回配本。
本全集では建石修志氏による挿画は割愛されています。


中井英夫全集03 01


帯文:

「小説は天帝に捧げる果物、一行でも腐っていてはならない。
文庫版
中井英夫全集 発刊!
とらんぷ譚完全版
幻想博物館 悪夢の骨牌 人外境通信 真珠母の匣
そして 影の狩人 幻戯 のジョーカー二枚」



カバー裏文:

「Le Roman d'un Tricheur. ――その邦題「とらんぷ譚」に魅せられたことばの錬金術師・中井英夫が、十年を費した連作「幻想博物館」「悪夢の骨牌」(泉鏡花賞)「人外境通信」「真珠母の匣」を一冊に集成。きらびやかな色彩幻想と目眩く巧緻。華麗な幻戯の王国を初版本以来のスタイルでお贈りする完全版。」


目次:

幻想博物館
 juillet 火星植物園
 août 聖父子
 septembre 大望ある乗客
 octobre 影の舞踏会
 novembre 黒闇天女
 décembre 地下街
 intermède チッペンデールの寝台 もしくはロココふうな友情について
 janvier セザーレの悪夢
 février 蘇るオルフェウス
 mars 公園にて
 avril 牧神の春
 mai 薔薇の夜を旅するとき
 juin 邪眼

悪夢の骨牌
 I 玻璃の柩のこと並びに青年夢魔の館を訪れること
 janvier 水仙の眠り
 février アケロンの流れの涯てに
 mars 暖い墓
 II ビーナスの翼のこと並びにアタランテ獅子に変ずること
 avril 大星蝕の夜
 mai ヨカナーンの夜
 juin 青髯の夜
 intermède 薔薇の獄 もしくは鳥の匂いのする少年
 III 戦後に打上げられた花火のこと並びに凶のお神籤(みくじ)のこと
 juillet 緑の唇
 août 緑の時間
 septembre 緑の訪問者
 IV 時間の獄のこと並びに車掌車の赤い尾灯のこと
 octobre 廃屋を訪ねて
 novembre 戦後よ、眠れ
 decembre 闇の彼方へ

人外境通信
 juillet 薔薇の縛め
 août 被衣
 septembre 呼び名
 octobre 笑う椅子
 novembre 鏡に棲む男
 décembre 扉の彼方には
 intermède 藍いろの夜
 janvier 青猫の惑わし
 février 夜への誘い
 mars 美味迫真
 avril 悪夢者
 mai 薔人
 juin 薔薇の戒め

真珠母の匣
 I 三人姉妹予言に戦くこと並びに海の死者のこと
 janvier 恋するグライアイ
 février 死者からの音信
 mars 海の雫
 II 老女独り旅のこと並びにセーヌ河に浮かぶ真珠のこと
 avril 幻影の囚人
 mai ピノキオの鼻
 juin 優しい嘘
 intermède 虚(うろ)
 III 花火と殺人の誘いのこと並びに青は紅に勝つこと
 juillet 紅と青と黒
 août 金色の蜘蛛
 septembre 青い贈り物
 IV 砂時計の砂の滅びのこと並びに翔べない翼のこと
 octobre 無の時間
 novembre 盗まれた夜
 décembre 絶滅鳥の宴

影の狩人
幻戯

後記 (中井英夫)
解説 (東雅夫)
解題 (本多正一)

付録 1
 問題の所在 (竹本健治)
 「とらんぷ譚」の頃 (石川順一)
 編集後記
 次回配本



中井英夫全集03 02



◆本書より◆


「火星植物園」より:

「灰いろの曇天は、魚の尾のように垂れた。遠く海鳴りの響きが微かに伝わってくる。潮風に湿って草もまばらな赤土の丘の上に、その病院は建っていた。麓からの仰ぐと、銃眼のついた尖塔や跳ね橋や、深い濠のある異国の城砦めいて見えたせいであろう、村の人びとは、そこを癲狂院とか脳病院とかの古めかしい名で呼んで、コンクリートの粗壁と鉄格子に囲まれたあの中には、血の染みた拷問室や、鎖で繋ぐ懲罰室があるのだと言い触らした。事実は日本でも稀れなほど設備の行届いた精神病院だったのである。
 ここはまた、トラック何十台分もの黒土を運びこんで造成した、広大な薔薇園でも知られていた。新種の花々が絡(から)みあい縺(もつ)れあいして咲く異様な美しさは、早速また村人たちの憶測の種となったが、『流薔園(るそうえん)』という変った名の由来を訊ねると、院長は、
 「この薔薇たちは、いわばここへ流刑になったようなものですから」
 と答えた。
 それはしかし、院長自身の思いでもあったのだろう。さる大学の精神科主任教授という地位を離れ、資産のすべてを傾けて風変りなこの病院を建てたのは、大学にいては到底得られない、彼自身の期待を充たすためらしかった。というのは、ここでは患者の身分や貧富の差などはいっさい問題にしない代り、彼らの妄想や幻覚が類型的でない場合に限って入棟を許可していたからである。従って患者も妄覚が、自分の悪口をラジオが放送しているから止めてくれといった、ごくありふれたケースに落ちつき出すと、じきに麓に近い、別棟の一般病棟に移されてしまう。悪口をいわれたくないなどというのは、社会復帰をいそぎたいだけの心理だから、相応の医療を尽してやればいい。人間界へ戻りたいなどという患者は、この院長にとってさしあたり興味もない存在で、彼のいちばんの関心は、残された幻視者の群れの、さまざまな反地上的な夢を蒐集し、蓄えて、この『流薔園』を病院というより、幻想博物館として完備したいということにあるらしかった。」

「むろん、死んだあとならば、そのまま土葬にしてもらって、ほどよく腐って土にまじり始めたころ、その上に巨大な薔薇を一株植えてもらうことはできるだろう。貪婪に伸び続けるその根は、思わぬ獲物の在処(ありど)を知って、暗黒の土の中をかきわけ、多くの支根を張りめぐらしながらしだいに近づいてくる。やがて逃れようもなく四方を取り包むと、ある日ついにそのひとつの尖端が腐肉に触れ、そのまま検屍用の消息子(ゾンデ)めいて、どこまでも深くのめりこむ。そのときその薔薇の根は、触手のようにためらいながら入りこんでくるのか、蛭(ひる)のように吸いつくのか、あるいはしなやかな鞭さながらにまつわるのか、あいにく腐肉の男には知ることができない。薔薇がその養分を吸いあげるためならば、どのようにでも肢体を取り巻き、胸からでも腿からでも、好きなところを採っていってかまわない。もとより内臓も脳漿も役に立てて欲しいし、うつろな眼窩の中に、褐色のひげ根が一本入りこんで、まだどこかに養分は残されていないかと探り廻ってくれるならば、それはまさに本望だけれども、そのめくるめく恍惚の刻(とき)を自分で意識できないのでは、せっかく土中に埋もれた甲斐もないだろう。死にかけ腐れかけてまだ幽かに知覚が残っている、せめておぼろげにでも感触があるそのうちに、這い廻りうごめく薔薇の根の触手に犯されるのでなければいやだ、と男は思った。」



「地下街」より:

「師走の一日、和風の手妻(てづま)では名の聞えていた旭日斎天花(きょくじつさいてんか)の引退興行の通知が届いた。そのひとらしく趣向を凝らした雲母(きらら)引きの案内状を手にしていると、久しい以前に楽屋を訪ねた折りの、濃い白粉の下に塗りこめられた皺ばんだ皮膚と、どこかへ誘われてゆきそうな眼の光とが、ひどく無気味だったことを思い出した。」
「それから十年が経つ。米倉はベテランの記者となったが、天花のほうは舞台を退いて久しい。古風な水芸や、切り紙の胡蝶の舞などが現代の色物席で通用する筈はないと思いこんでいたのは、こちらの認識不足で、テレビでも寄席でも出演交渉は後を絶たないが、天花自身が心霊術に凝り出し、どうしても霊界通信のメドがつくまではといい張って、交渉に応じないということだった。」

「皆と同じように拍手をしながら、米倉もつとめて何気ないふうに立上った。あとはかまわず天嬢の姿を消したドアへ突進した。絨緞を敷きつめたロビイの廊下には人影がなかったが、その外れで、チラとベージュの色が動いたようだった。米倉は小走りに後を追った。突当りがトイレで、天嬢はその右にある扉の中に消えたらしい。勢いこんでそこへ飛びこんだ米倉は、たちまちぐったりと倒れかかってきた天嬢の、引緊った肉の感触を手のうちに受けとめなければならなかった。すぐ眼の前に、喘ぐように小さくあけられた朱唇と、深い怯えを秘めた黒い眸とがあった。その眸は活き活きと動いて、米倉を見つけ続けたが、次の瞬間、天嬢は少年のような身軽さで体をひるがえし、呀と思う間もなく走り去った。
 「君」
 ふいに腕の中から失われた花束の重さに、米倉はよろけた。」

「そうなのだ。医者にさえ理由の判らぬ全身衰弱で、刻々に病み衰えてゆく妻を見守っている間、俺はどんなにかこれが自分の手で企んだ殺人だったらと思い続けたことだろう。眼に見えぬ病魔にむざむざと生命を奪われるのを、手を束ねて眺めているより、そのほうがどれだけ愛の証になるか知れない。その思いは、香織にもまた伝わった。妻は、朝晩の薬餌を、夫の手から与えられる甘美な毒薬だと錯覚して死んだのだ。」



「セザーレの悪夢」より:

「「もう、四、五年前でしたか」
 私はいくぶん沈んだ口調でいった。
 「これとは一緒にならないかも知れないけれど、会社の同僚から二万五千円だかを借りて、道で出逢う人ごとにポケットに金を押しこみ、借金を返すんだから受取ってくれといってきかなかった若い男がいましたね。何て哀しい発狂の仕方だろうと思ったけど、これもただ気が小さいというだけで片付けられてしまうんでしょうか」
 「そうでした。新聞にも出ていました」
 院長もわずかにほほえんだ。
 「罪業妄想も、そのうちだんだんと個人的なものでなく、痛みを忘れた他の人たちの身代りをつとめるケースが多くなるでしょう。」」



「牧神の春」より:

「なにしろ、そのころの貴(たかし)の考えることといったら、役立たずという言葉そのもので、そのくせ一度それにとりつかれると、いつまでも抜け出せないで堂々めぐりをするというふうだった。たとえばいまノートへ書いたばかりの文字に吸取紙をあてたとき、その瞬間にひょいと身を移す文字の形態というものが、どうにも気になってならない。ノートから離れて吸取紙に移るあいだに、あいつはまるでサーカスのぶらんこ乗りといった要領で、かるがると体をひねって裏返しになるのだろうか。一ミクロンほどもない空間での曲芸を、貴はどうかして覗きみたいと希った。逆しまにぶらさがりながら、文字はそのとき束の間のべっかんこうをするかも知れないではないか。
 あるいは一組のとらんぷの中で、スペエドの3はスペエドの2について、いったいどう思っているのだろうかと考え、たぶん、なんとも思っちゃいやしないんだと行き当ると、さながら自分が無視されでもしたようにはかない気がする。胸飾りをいっぱいつけたキングやジャックの札になりたいというのではない、いちばん地味な2だというのに、それでも皆はとらんぷの表面の、白く磨かれた光沢のように、よそよそしくそっぽを向くのだろうか。
 ――プシュウドモナス・デスモリチカ。
 ――プシュウドモナス・デスモリチカ。
 呪文のように唱えていたそれが、そうだ、石油を喰うという微生物の名だったと思い出すと、たちまち貴の眼前いっぱいに青金色の採光を揺らしている油層がひろがり、その中で蠢き群生するかれらの生態が、顕微鏡を覗きでもしたようにつぶさに映じた。
 ――おれは早く土星に行かなくちゃ。
 その日、街を歩きながら、貴は唐突にそう思った。埃っぽい風の吹きすぎる、春の昼なかのせいだったかも知れない。貴にとって、春はいつでも汚れていた。桜はすべて白い造花の列だった。」



「水仙の眠り」より:

「目黒(めぐろ)の高台にある藍沢邸は、通称“灯台の家”で知られている。坂の下から見上げると空中に浮かぶ巨船のようだが、中でも際立っているのは中央に聳える白亜の塔で、晩年、奇体な鬱病にかかって、いっさいの事業から手を退いてしまった藍沢惟之が、そこに引籠って星と夕焼を眺めるために建てたものだが、いかさま灯台としか見えない孤独なようすで残されている。」

「その青年、深見悠介の突然の失踪が伝えられたのは、師走のうすら寒い曇り日のことだった。もともと人に怯え物に怯え、扉を鎖して自分の部屋に籠ることの多い日常からいっても、失踪でも自殺でもあるいは静かな発狂でも、人外(にんがい)という異境に容易に行きつくだろうと推察されていたが、家人の話では遺書めいたものも走り書きも何ひとつ書置きがないうえ、その夜はふだんどおり自室のベッドで眠ったらしく、ドアも内側から鍵を差したままだったという。」



「暖い墓」より:

「戦争が終って三年、かれの周りでは、ようやくすべてが浮浪の臭いを立て始めていた。蒸れた・暖い・どぶ水を煮立てたようなその臭いには、何かまだひとつの、見知らぬ愉楽が秘められているようであった。しまいまで頼りにできるもの、さいごにこの肌を暖めてくれるものがまだ残っていることを、青年はその汚臭から嗅ぎ当てていた。たぶんそれは浮浪者の体温に似たものであったろう。暖い墓。そのふところに抱かれてすごす一夜の予感は、懶惰な日(にち)にちにいい知れぬ安堵を与えさえした。」


「薔薇の縛め」より:

「人外(にんがい)。
 それは私である。
 ことごとしくいい立てることでもない、殊更に異端の徒めかすつもりもない、ただ、いまは用いられることも少なくなったこの言葉に、私はなお深い愛着を持つ。人非人というニュアンスともまた異なる、あるいは青春の一時期に誰しもが抱くあの疎外感、いわれもなく仲間外れにされたような寂しさなどではもとよりない、ついにこの地上にふさわしくない一個の生物とでも定義すれば、やや近いかも知れない。どこかしら人間になりきれないでいる、何か根本に欠けたところのある、おかしな奴。そう呟きながらも、なお長く地球の片隅の小さな席にへばりついている哀れな微生物。
 だが、そうした私の感懐とは別に、この地上にはさらに深く、さらに根強く別種の一群が存在すること、そしてかれらはまたいつか寄り集うて影の王国を、すなわち人外境を形づくっていることも確かな事実らしい。その扉は容易に開かれず、あるいはかりにあけひろげの扉から入りこんで、かれらの宴に紛れこんだとしても、人は気づかぬまま過ぎることが多い筈である。」

























































































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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