『中井英夫全集 [5] 夕映少年』 (創元ライブラリ)

「整列し、足ぶみする皆なの中で、たったひとり唄わなかった子ども、万才。わずかに芽ぐみ出した嫌悪の心を、ひとりで、いつまでも培うがよい。
 ――あの子は唄っていない
 その声にたじろいではならぬ。
 ヘイ、おかしくって唄えません、と、
 わたしはひとりでいたいのです、と、そういい切るだけの勇気を養え。必要ならば、いつでも列を離れてしまえ。」

(中井英夫 「錆びた港」 より)


『中井英夫全集 [5] 
夕映少年』

創元ライブラリ L な 1 5 

東京創元社
2002年12月27日初版
846p 付録8p
文庫判 並装 カバー
定価1,900円+税



本書「解題」より:

「『夜翔ぶ女』
 一九八三年一月二十五日、講談社刊行、A5判、一五七頁、二六〇〇円、装画・装幀は司修。収録作の「橅館の殺人」には中本徳豊の写真、「夜翔ぶ女」「幻談・千夜一夜」には司修の挿画が収録されている。」
「『金と泥の日々』
 八四年十二月二十日、大和書房刊行、A5判変型、一九七頁、一八〇〇円、装幀は菊地信義。」
「『名なしの森』
 八五年一月二十五日、河出書房新社刊行、四六判、二三三頁、一五〇〇円、装画・装幀は野中ユリ。」
「『夕映少年』
 八五年三月三十日、雪華社刊行、四六判、一六五頁、一八〇〇円、函、挿画・装幀は建石修志。」
「『他人の夢』
 八五年七月十五日、深夜叢書社刊行、四六判、二二七頁、一六〇〇円、扉・カバー写真・装幀は和田久士。」



本全集では挿画・写真は割愛されています。


中井英夫全集05 01


帯文:

「小説は天帝に捧げる果物、一行でも腐っていてはならない。
幻想と耽美、物語の快楽
『夜翔ぶ女』『金と泥の日々』『名なしの森』
『夕映少年』『他人(よそびと)の夢』
入手困難だった珠玉の名作を一巻に集成!」



カバー裏文:

「鏤骨の文体、トリッキイな構成。縦横の想像力によって奏でられてきた中井ワールドは、作家の実人生と引き換えに豊饒な収穫の時期を迎えることになる。珠玉の短篇集『夜翔ぶ女』『名なしの森』、戦中戦後という時間への愛憎を示した『金と泥の日々』『他人(よそびと)の夢』、ただ光だけが充ちている名品『夕映少年』を収録。」


目次:

夜翔ぶ女
 橅館の殺人
  1 書庫
  2 百科全書
  3 革装本
  4 豆本
  5 EROS
  6 本の敵
  7 絵本
 夜翔ぶ女
  夜翔ぶ女
  ふつうの会話――家具に寄せる短編
  卵の王子たち――世界一小さな密室
  安楽死志願
  夢小僧
  未生の闇
  三つの手紙
  真珠姫
  影を売る店
  影法師連盟
  天蓋
 幻談・千夜一夜
  1 口上と物語の始まり
  2 シェーラザードの登場
  3 ハサンの船出
  4 シャーリヤルの微笑
  5 青い実の憂愁
  6 麝香の夜
  7 豹と王子
  8 魔女神と艶夢
  9 間奏曲
  10 艶書と旅立ち
  11 シェーラザードの退場
  12 旅の終りと納めの詞

金と泥の日々
 懲りずま
 妄者の翼
 腐果
 影の歩行者
 ひとりゐ
 遠い金貨
 振り子
 空いろの美酒
 塒(とや)

 金の夜に… ――あとがきを兼ねて

名なしの森
 名なしの森
 変身譜
 干からびた犯罪
 盲目の薔薇
 一粒の葡萄もし…
 花火闇
 あるふぁべてぃく
 男色家の朝の歌

夕映少年
 夕映少年
 月光の箱
 光の翼
 星の砕片
 星の不在

 あとがき

他人(よそびと)の夢
 他人の夢――一九四四年夏
 錆びた港

 あとがき

解説 (川崎賢子)
解題 (本多正一)

付録 10
 眩人幻跡の抄 (赤江瀑)
 月の夜毎 (建石修志)



中井英夫全集05 02



◆本書より◆


「影法師連盟」より:

「影と影は、どんなにでも愛し合える。男と女とでなくてもいい。」


「金の夜に…」より:

「『金と泥の日々』と名づけたこの連作短編は、これ以前のおびただしい日記を基に書かれ、一九八一年から八二年にかけて、(中略)飛び飛びに連載された。主人公を青井京吉とし、当時二十三歳から二十五歳の文学青年の空しい彷徨を描こうとしたのだが、もともとその手の小説に馴染まず、つとめて避けてきただけに、ペンの動きは次第にゆるくなり、柱時計が停るように九回で中絶してしまった。
 それでもこの眼で見た戦後を写すことにはまだ愛着があり、本文にも頻出するパーヴァーションの問題を、もう少しつきつめて明らかにしたかったのだが、これはやはり容易ではないことを思い知らされた。」



「名なしの森」より:

「文字の毒。
 もし本当にそんなものがあるとするなら、自分は次第にそれに侵され、知らぬ間に病気になっているのではないだろうか。それはひどく静かな病気で、前に一度田舎で聞かされたことがある蚕(かいこ)の空頭病(あたますき)――だんだん桑の葉を喰べなくなって頭を擡(もた)げ、静止したまま次第に白く透きとおって死ぬというその病気に似ているような気がする。実際に見たことはないが、何百匹もの蚕があるとき不意にそんな状態となり、音もなく死に絶えていったらさぞ怖いだろうと思う傍ら、どうかしてその一匹になりたいという願望もあった。なぜそんな寂寞とした白い世界が展けるのか、そのとき蚕になった自分にははっきりと判るに違いないのだから。」



「夕映少年」より:

「そのうち病人は、夕映どきに傍にいられるのを嫌がるようになった。」

「「なぜ傍にいちゃいけないの。ひとりで眺めていたいんなら、いいけど」
 「だって人がいると、恥ずかしがって入ってこないんだもの」
 「誰がさ」
 「あれ」
 病人は左手を伸ばして、空の一点を指した。といってそこには、いつもの朱いろのほかに何もなかった。
 「麦星からのお使いだって、ときどき来てくれるようになったの。そりゃあ可愛い子だから」」

「「可愛いって、それじゃ、男の子。それとも女の子」
 「男の子」」

「息をひそめてドアの前に佇む。ノックもせず、体あたりするようにまろび込む。部屋はただ朱いろの光に充ち、そこには誰もいなかった。誰も、そう病人さえも。」



「月光の箱」より:

「少女――といっても傍目にはもう充分におとななのかも知れないが、切り揃えられた黒髪のあまりな黒さ、それは眸にも睫毛にも及んで、どう見ても等身大の人形としか思えない。すると少女は、いきなり巨きなガラスケースの中に収まったかのように、傍らにいながら息も立てず、血の温みも感じさせない存在となった。」


「星の砕片」より:

「そう、きっとそうなんだ。何十年に一度だけ、星のかけらみたいに別の時代へまぎれこんでしまう男だっていてもよかろうじゃないか。
 ――でなくてどうして、こんな哀しい顔をして眠るもんか。」



「星の不在」より:

「――そうだ、これは架空の旅、幻影の旅なんだ。
 水戸部は自分にいい聞かせた。子供の時から執拗に悩まされて来た、風景はすべて巨大な書割で、もしその背後に素早く廻ることが出来たら、舞台裏どころではない本当の虚無が口を開いているのだという怯え。」



「他人の夢」より:

「庭には、南瓜(かぼちゃ)の緑ばかりが猛っていた。白銀色の柔毛(にこげ)を密生させた太い茎は、ところかまわず這い廻って鎌首をもたげ、巻き鬚(ひげ)の触手が小さな発条(ばね)のように、何にでもkらみつく。葉は、巨大な緑の舌めいて無遠慮にひろがり、合間に鮮明な黄の雄花が覗いている。
 南瓜の季節。昭和十九年の夏は、もう半ばを過ぎて、はびこるにまかせた南瓜や、丈高い雑草の中に、藤井家はしだいに埋もれかけていた。洪洋社の建築名鑑にでもあるような古めかしい洋館は、貿易商だった先代の好尚によるものだが、雨染みのついた天井や壁に無意味な曲線が渦を巻いているアール・ヌーボーの式で、夏草の繁みに半ば沈みながら、まだ、滑稽なくらい明治風な威厳を保っていた。
 東に張り出した翼屋の、暗い一室に、顳顬(こめかみ)を指で押えながら、杏子(きょうこ)がいる。」

「誰かの――といって、誰だかは、判っている。日本人みんな、いや、世界中の人間がその脳裡に育んだ恐怖と憎悪が、捩じれ合い、からみ合って極限までふくれあがったとき、ついに実体を持ち始めた幻影の怪物なのだ。一度、形をとってしまったあとは、どんな悪夢も狂気も、片端からそれにつけ加えられ、実体化してゆくので、この叔母のように何とか逃げ出そうとするのも当然だろうけれど、もともとがあり得ない、捩じくれ歪んだ巨大な妄想だとすれば、逃げ出す代りにしなければならないこと、当然する筈のことが、杏子にはあった。恐竜と猿人の闘争という、時代錯誤な組合せの中で、棍棒をふり廻したり洞穴に逃げこんだりという滑稽な役を演ずるより、恐竜などというものは絶対にいまは存在しないと信じきるほうが正しい筈で、いつからかそれは、杏子の信念に変った。
 つまり、杏子は自分の空想を主体にした一九四四年住んでいるので、まるで次元が違う人々や世界と、もう久しく、やむを得ずつき合っているのであった。」

「無事に“戦後”を迎えたのは、そして、いまも健在なのは、やはり小諸郊外の精神病棟に、四十歳近いとも思えぬ白い頬を、まるで無表情に窓べりにさらしている藤井杏子ひとりで、彼女だけは、やはり頑固に“他人の夢”を拒否し続けているのであろう。」



「錆びた港」より:

「彼らの中から脱け出したい、一人で離れたところにいたいと考え出したのは、もうずいぶん昔のことだ。体操の時間が何より苦手だった。一斉に皆と同じように手足を動かすことが出来なかった。いつでも少しばかり遅れ、少しばかり早く、何よりそれは根本から違っていた。戦争中の記憶が頭を掠める。兵隊で、小学校の三階の窓から校庭を眺めていた。体操の時間で、二百人くらいの生徒たちが集って、足ぶみをし、歌を唄っていた。『予科練の唄』――七つ釦は桜に碇、というあどけない合唱だった。
 ふいに先生の鋭い声がし、唄は途切れた。ひとりの子が指さされていた。
 ――あの子は唄っていない!
 三階の窓辺で、兵隊は喰い入るようにその光景を眺めた。
 爽やかに晴れ渡った秋の昼中、空には飛行機雲が幾すじか尾を曳いている。整列し、足ぶみする皆なの中で、たったひとり唄わなかった子ども、万才。わずかに芽ぐみ出した嫌悪の心を、ひとりで、いつまでも培うがよい。
 ――あの子は唄っていない
 その声にたじろいではならぬ。
 ヘイ、おかしくって唄えません、と、
 わたしはひとりでいたいのです、と、そういい切るだけの勇気を養え。必要ならば、いつでも列を離れてしまえ。三階の窓で、兵隊はそう念じた。」

「それはそうだ。生活というものを持ってしまえば、他人の死は他人の死だ。だが男には、どうしてもこれらおびただしい他人の死、他人の痛みを、自分の皮膚の内側のものとして受けとめ得ない人間の肉体が、ひどく不完全なものに思えてならなかった。」




こちらもご参照下さい:

川村二郎 『感覚の鏡 ― 吉行淳之介論』












































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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