『日夏耿之介全集 第三卷 明治大正詩史』

「しかるに、かへつて浅墓なジャーナリストや無節操な「新聞読者級」やの盲言を基本として、空しくその「星と菫」すぎることを攻め、「朦朧」すぎることを鞭打ち、「晦渋」すぎることを痛めることに専心して、引出すべき天賦の才智を芽生ながらにして、あるひは、春半ばにして葬り去るやうに立ちいたらしめた所以は、すなはち此等の評家でありまた世人でありまた時代そのものであるからだ。」
(日夏耿之介 『明治大正詩史』 より)


『日夏耿之介全集 
第三卷 明治大正詩史』

監修: 矢野峰人/山内義雄/吉田健一

河出書房新社
1975年1月20日初版発行
1991年11月30日2版発行
1036p 目次6p 口絵(モノクロ)32p
B5判 丸背布装上製本 貼函
装本: 杉浦康平・辻修平
装画: 長谷川潔

月報 4 (12p):
前世と幽界 (河野多惠子)/「近代茶寮歌」の頃 (城左門)/黄眠洞中の鬱屈 (寺田透)/黄眠道人頌――その靈智と堅忍の營爲に (鷲巣繁男)/校訂餘録 (矢野峰人)



本書「解題」より:

「本『明治大正詩史』は、著者自らその「凡例」に記してゐるやうに、はじめ『中央公論』に四年の長きに亙り、四囘に分つて掲載された論考を補訂の上、昭和四年、新潮社から上下二卷に分つて先づ出版、更に之を增補し、上・中・下三卷として、昭和二十三、二十四年、創元社から出版された。本卷はこの創元社版を底本とし、その決定版たらしめん事を期したものである。」


本文一段組、頭注。
正字・正かな。


日夏耿之介全集


目次:


增訂新刻本敍
凡例
緒論

第一編 草創時代
 第一章 長詩型の變遷
  第一節 長篇詩の淵源
  第二節 最初の譯詩並唱歌
 第二章 草創前期
  第一節 新體詩の成立
  第二節 歐化思潮の落し子
  第三節 諷唱的詞華集
  第四節 個人詩集の權輿
  第五節 「新體詞選」と美妙齋と萩之家と
  第六節 光輝ある譯詩薈
  第七節 詩的論爭
  第八節 「新體梅花詩集」と「靑年唱歌集」と
  第九節 當代詩人及詩論
  第十節 過渡期の譯詩壇
 第三章 草創後期
  第一節 「驚異の復活」
  第二節 清新體への思慕
  第三節 「文學界」運動
  第四節 「文學界」の詩文人
  第五節 古詩型の新詩才
  第六節 ソングの隆興
  第七節 初期文庫派
  第八節 パロディイの一例
  第九節 早稻田詩派
  第十節 大學擬古派の隆替と藤村
  第十一節 「抒情詩」の新聲
  第十二節 俳壇改革者の新體詩

第二編 浪曼運動
 第一章 浪曼前期
  第一節 背後の事實
  第二節 開幕前
  第三節 島崎藤村の藝術
  第四節 美文の一體
  第五節 土井晩翠の詩想
  第六節 晩翠詩の影響
  第七節 二傾向の代表者
  第八節 他の詩人と詩論と
  第九節 異邦詩文の移植
  第十節 泣菫詩の絶句
  第十一節 有明詩の譚歌
  第十二節 朦朧體是非
  第十三節 個人の覺醒
  第十四節 第一「明星」と鐵幹子
  第十五節 星と菫
 第二章 浪曼後期
  第一節 ロマンティシズム
  第二節 異邦詩研究
  第三節 貧しき譯詩界
  第四節 根本的二疑
  第五節 詩形の刷新
  第六節 史詩譚歌及劇詩に於ける試煉
  第七節 詩壇本部の展開
  第八節 巾幗二詩人の抗議
  第九節 「文庫」と「白百合」との浪曼詩其他
  第十節 泡鳴の「新情熱詩」

第三編 象徴詩潮
 第一章 頽唐初期體
  第一節 詩感母胎としての時代思想
  第二節 新詩壇の社會的位相
  第三節 象徴前期
   第一項 古典的「白羊宮」
   第二項 彗星の如き「孔雀船」
   第三項 哀調の夜雨詩
   第四項 「文庫」のぬし醉茗
   第五項 宗教詩と白星と
   第六項 空想的社會詩人花外
   第七項 林外の「妖怪體」
   第八項 浪曼詩人としての啄木
  第四節 象徴運動の本末
   第一項 象徴主義の理論
   第二項 詩論の進化
   第三項 象徴主義の詩歌
  第五節 個人結社及譯業
   第一項 鴎外と寫生詩風
   第二項 靑年藝苑派その他
   第三項 民謠研究
   第四項 「海潮音」と上田敏と
   第五項 譯詩、詞華集、地方文學
  第六節 口語詩の出生
 第二章 享樂頽唐詩體
  第一節 推移の概要
  第二節 象徴末期
   第一項 「明星」終卷號
   第二項 「邪宗門」と「思ひ出」と
   第三項 「廢園」と「寂しき曙」と
  第三節 口語派、自由詩
  第四節 文語派、定型詩その他
   第一項 ディオニソス的
   第二項 杢太郎と光太郎と
   第三項 啄木の最後
  第五節 明治詩後語

第四編 大正渾沌詩壇
 第一章 過渡的衰廢
  第一節 近代詩の第二誕生
  第二節 輓近詩推移の概觀
  第三節 詩歌の現實主義
  第四節 既成詩壇の衰頽
   第一項 有明密嚴詩の石胎
   第二項 泣菫默退
   第三項 鐵幹焦躁す
   第四項 泡鳴の散文死
  第五節 新詩感の培養
   第一項 荷風の創作的譯詩
   第二項 上田敏の最終譯業
   第三項 鴎外の最終譯業
   第四項 杜撰なる英文學移入法
   第五項 文學興味圏の擴大
   第六項 詞華集と作法と
 第二章 群小詩壇
  第一節 當流詩家の頽廢
   第一項 再論享樂詩體
   第二項 「屋上庭園」詩派
   第三項 露風の若き老昏
   第四項 白秋と露風と
   第五項 詞華集「マンダラ」
  第二節 新興詩壇の成立
   第一項 詩境の轉機
   第二項 現實派と新浪曼派との對立
   第三項 民衆詩の功罪
   第四項 新浪曼派の孫生
  第三節 結論

第五編 大正攝政時代
 第一章 民族性の諸反省
  第一節 時代行動と時代精神と
   第一項 攝政の示唆
   第二項 生活設計
  第二節 少數の牽制
 第二章 大正初中期の殘影
  第一節 所謂不毛石胎時代
  第二節 民衆の立場
   第一項 民衆的反射
  第三節 民衆詩の僻見
   第一項 民衆詩の末勢
  第四節 對立の事實
  第五節 正統派
 第三章 攝政時代詩の展開
  第一節 時代精神の鬱悶
  第二節 震災までの部分
  第三節 大正十二年
   第一項 インフルエンスとスェフトと
   第二項 創作詩壇
   第三項 詩話會派詩選
  第四節 攝政後期
  第五節 童民謠新作の意味
 第四章 明治大正の再結論

外編 明治大正舊詩型の展開と新詩との聯關
 第一章 漢詩の存在意義
  第一節 漢詩形の史的背景
   第一項 漢詩の訓讀の問題
   第二項 移植の經過
   第三項 變轉の本情
  第二節 明治漢詩のレゾン・デエトル
   第一項 生活に入りたる詩
   第二項 風俗詩の報告
   第三項 春濤、柳北、湖山
   第四項 文字の問題と中野逍遙と
   第五項 明治期の詩選より
   第六項 大正期と天子の詩と
   第七項 明治大正漢詩の存在
 第二章 短歌と新詩との交會點
  第一節 短詩形のレゾン・デエトル
   第一項 長詩形の韻律上破綻
   第二項 短詩形としての和歌
  第二節 明治大正短歌と新詩と
   第一項 短歌と新詩との對峙
   第二項 新詩社運動と晶子と
   第三項 鐵幹歌の浪曼詩情
   第四項 官能主義歌風
   第五項 口語による和歌
   第六項 無産歌
   第七項 プロテスタントと傳統美と
 第三章 俳句形式の近代的焦燥
  第一節 俳人の試みたる長詩形
   第一項 集團制作文學
   第二項 蕪村の試み
  第二節 子規・革新者
  第三節 漱石の感覺
  第四節 新傾向以後
   第一項 這個コンシイト?
   第二項 稀有のビジュウ詩型

詩史卷後に
明治大正新詩書概表

校訂者補註
解題 (矢野峰人)
索引




◆本書より◆


「增訂新刻本敍」より:

「おもへば、舊刻本は世のいちじるしき反響毀譽の渦中に圖らずも投ぜられたる宿命の書であつた。若き著者がもつとも力を罩めて董狐筆をふるうたのは、當流時好の文學上民衆一派の諸君子の運動の上に對してであり、意識して隱藏を露はすポイントに氣を效したのは、清白泣菫有明杢太郎諸君子の詩業の上に對してであつた。わかりよき醉茗夜雨が夙く知られて素晴らしき清白が閑却せられ、古廢語を好んで用ひたる泣菫が白眼視され、朦朧の尤めを用つて素晴らしき有明が蔑ろにせられ、南蠻歌を共に唱しても快適な白秋が先づ知られて杢太郎の澀い味は世に通らなかつたのである。駁ちたる者駁たるる者、揚げたる者、おとしめられたる者、今や半ばは地下黄土に歸して、半白頽老の著者孤り、移りゆく歴史の段落を身に近々と覺えて後巷の茅齋に朽ちかくれてゐる。この體よわく心ひはやかなる市井の幽人が公けにした僻好の庸書をもつとも貶剥怨毒して詈罵餘す處なからしめた人々は詩壇の論客等であつて、もつとも過稱して著者を赧然たらしめたものは、當年の吉野博士等社會民主家からの褒異の呼びかけであつた。事は信(まこと)に一奇であつた如くにも見えた。わたくしは、エクスクルウシヴならざる一箇の愛國者ではあつたが排他的コミュニストではなかつた。方法論已上の象徴主義者ではあり得たが決して所謂る方法論的にとゞまる民衆詩人に組する者ではあり得なかつた。しかるに又世間では、わたくしのことを驕慢なるアリストクラットと呼び、奇をいろふゴシック浪曼派と呼び、衒氣滿々たるディレッタントと呼び、獨善的高踏派と呼んでゐた。すべて中つてゐて、悉く中つてゐなかつた。わたくしは之れらの稱謂をそれが縱しエピセットであるにせよ表德であるにせよ、その一つ一つをゲミュートの掌中ふかく手弄してその表情をたのしんでゐた。常識ある友は來つてわたくしの腦の健不健をいぶかるやうすをした。しかし乍らわたくしは、たゞそれ東西古今の時間の隙地を漫歩して、精神の小さき燈火を點じる、遁走と無爲との迂愚なる一箇の閑居讀書人たるに外ならなかつた。その外の何者でもあり得なかつた。たゞ社會コンヱ゛ンションの凡ゆるものを根こそぎ斥退せしめたき全か無かの情に燃えてゐたその頃の折柄、その埒内に入り來つたものは、軍國主義者も官僚も資本家も皆一應わたくしの排却の對象とならざるをえなかつたから、この點がかの民主家諸君子と心法を一にしたのであつたかも知れぬ。又、アイコノクラズムの局面が革新の現實的イメヂと相結ぶ情懷を沸かしめた觀があつたかも知れぬ。」


「第一編 草創時代」より:

「梅花道人中西幹男の「新體梅花詩集」は、森鴎外、森田思軒、德富蘇峰、幸田露伴の序跋をそへて、(中略)發行された四六判小冊子である。梅花は飄逸の詩人、奇骨ある逸人を以て稱されたが、出版後程なく狂氣して死んでしまつた。」

「新古文林卅九年十月號所載「明治文士の悲慘なる最後の状況」中高橋太華の談に、梅花は讀賣入社の頃から狂態を帶び來り、友人らは精神病とは知らずに、「中西も好いが、あの奇矯を衒ふ所だけが」と眉をひそめてゐたといふ。その精神病は遺傳的のもので、梅花の姉も同病であり、之れに生活難と失戀とが加はつた。彼の愛讀書は莊子であつた。生れは快活で人好きのする、色白の、反齒の、吃り氣味の話方の人物で、服飾などにはかまはぬ氣性であつた。」

「彼の性格、彼獨得のヒューモア、彼の詩は純一のオリヂナルのものであつた。(中略)この過渡期に注目すべき唯一人は梅花であつた。」

「此社では、ひとり當年の一少女大塚楠緒子が「山の底」に坑夫を歌ひ、
  飾れる黄金めもあやに
     榮華をきそふ團居には
  工夫がうごく穴の世は
     幻像(まぼろし)にだに見えざらん
と、「富の奴隷となりはてた」身の上を死の絶望を以つて歌つてゐる。」
「「ねぶり」に
  人を殺さむはかりごと
      むねに秘めたる惡人も
  慈善(なさけ)の業(わざ)にかけはしり
      つかれはてたる善人も

  魂(たま)をやすめて眠りけり
      同じ息してねむりけり
  眠りぞものを靜めたる
      眠りぞものを隱したる
と歌つたこの少女詩人は女詩人の第一人としての稟才を仄かに示してゐたが、惜しいことに詩の上にその後の才を現はさずに終つた。」



「第二編 浪曼運動」より:

「泣菫は備中うまれであるが、かれの惝悦の對象は、かれが京阪に生れた人のごとく自然に寧樂、平安の兩朝の囘顧の眞珠母である奈良にあり京都にあつた。かれは、藤村の嗟嘆をよろこび、キイツの哀情に心をかたむけたが、その性情はもと、理智に於て勝り、高く清らかに指し、また一味冷視の諷罵癖があつた。かれは、明治詩人中稀にみる古典語の驅使家であつたが、中學の頃稀にみる秀才であつた身を、教師と對抗して退き、爾來學校の門を何處もくゞらなかつた獨學者である。」

「有明に對する世評は、これを良くいふ者は幽遠を以て稱し、これを惡く蔑(ないがしろ)にするものは晦澁を以て亡(なみ)し去つた。が、この二個の特徴は楯の兩面である。一をとり去るならば、他は必然的に亡びさらなければならない。」

「當時の異材と云はれた泣菫や有明や鐵幹や醉茗や泡鳴や清白や林外や花外やその他の詩人が、よしんばその天より稟けたる詩的規模に於て天才の域に到底達する能はざるものであつたにしても(事實それに違ひはなかつたのであるが)評家の博識と多才と深刻な透見と燃犀な史的考察と異邦文學研究よりの時流を拔く卓見とにより、各の詩才のよつて來りし處、現在低迷するところ、近く赴き着かねばならない處をよく精密に査べて之に同情と理解とに富んだ批判を下し、普通讀書社會と詩人との間の融合一致を求め、合せて詩壇の水準線を引上げることに成功したならば、持つて生れた才能の最大限に於てこれらの詩人は此時こゝに殘した貢獻よりも、いま少し卓れた作品を十分十二分殘すだけの餘裕はあつたに相違ないと考へられるからである。しかるに、かへつて淺墓なジャーナリストや無節操な「新聞讀者級」やの盲言を基本として、空しくその「星と菫」すぎることを攻め、「朦朧」すぎることを鞭打ち、「晦澁」すぎることを痛めることに專心して、引出すべき天賦の才智を芽生ながらにして、あるひは、春半ばにして葬り去るやうに立ちいたらしめた所以は、すなはち此等の評家でありまた世人でありまた時代そのものであるからだ。」

「泣、有二家に雁行せる逸才で、鐵幹の措辭をも凌ぎ、泡鳴の粗笨に遠く卓れて、林外の形式美を遙かに超越した收穫を一卷の詩集に殘し乍ら、つひに眼ある評家の正當な「發見」を購ひえず、そのまゝ時代の下積みになつて消失した、稀に見る天稟の技能の所有者が、たゞ一人異端の如く、「文庫」の中に交つてゐた。その人は伊良子清白、その集は「孔雀船」(三十九年)である。」

「天賦の技能からいふと醉茗は、清白、夜雨に遠く及ばない。夜雨はまた清白に一歩をゆづらねばならぬ。その清白が何故に茗、雨の聲名をえずして終つたのか。
 畢竟するに、茗、雨の詩境は萬人に解され易い本性にあるに反して、清白のそれは少數の人々のみに著しく喜ばれる素質のものにすぎなかつたからである。茗は柔かに雨はたをやかに、而して兩者ともおだやかに平明であつたから、一般はその詩姿に親みやすかつたが、清白は高くかたく而して奇聳の姿、蕭颯の趣があつたから一部には夥しくもてはやされ、全體からは親みがたく遠ざけられたからである。」



「第三編 象徴詩潮」より:

「泡鳴の象徴詩は、所詮、かれの試作で畢つてしまつた。新らしく次から次へと、永遠に習作を書いてゐたのが泡鳴である。」

「『有明集』の詩的發聲が代表する時代の叫びは、おぼろにして消(け)なば消(け)ぬがの殘香の性を呈し、又一見極めて個人的興味に失してゐる觀があるが、之れ誠は、當代の極めて進歩したる文藝人の教養と藝術感と人生觀と苦惱と遁逃と所作と態度とを代表するものである。明治文明史そのものの特質が恆に斯く早く進化したる少數人と容易に教化されない多數民衆との冷淡なる他人同士の如き雙在にあつたので、本質的に詩歌の要求を感じない、或ひは感じえない、多くの民衆――總理大臣や農人や大學教授や仲仕や大多數の國民が、恬として殖財に耽り、秕政を恣まにし、「整理」の知識を鬻ぎ、腕力を誇りとする實世界、「聖代」の白日世界のその利益も聲譽も尠い一隅に、産あるもの産なきもの、極少數の眞摯に「詩」に飢ゑ藝術に口渇く教化人が、誠に稚い草創日なほ淺い言語藝術の一つの種類をさまざまに撫育して、世界藝術の水平線に到らしめんとする小さい努力をつゞけて行つた事は、日露戰が一躍世界列強の一國とした軍事上の民族的努力に少しも劣らない文化價を持つてゐたのであるが、あまりに資本主義的なる軍國民の立場により、因習の久しきと時代の傾向とに相まつて、政治家軍人次いで資本家の事業を認める視力を開眼されても、人間性の立場にある文化價の認識を得なかつたのであるから寧ろ當然の事ではあつたのである。」























































































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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