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『日夏耿之介全集 第六巻 美の司祭』

「遁逃は現實の醜と非とから身を避けるの保身明哲の術であるのみか、怯懦ならざる、行爲の文學で、永遠を目あてに現在と理想との中間に緩衝地帶を置く手段でもあり、更に又遁逃する事の文學的情趣のみが有する香氣への無限の愛着であつた。」
(日夏耿之介 『美の司祭』 より)


『日夏耿之介
全集 
第六卷 
美の司祭』

監修: 矢野峰人/山内義雄/吉田健一


河出書房新社
1975年6月30日 初版発行
1991年11月30日 2版発行
1p+515p 口絵(モノクロ)12p
B5判 丸背布装上製本 貼函 函カバー
定価20,000円(本体19,417円)
装本: 杉浦康平・辻修平
装画: 長谷川潔

月報 5 (8p):
『美の司祭』(尾島庄太郎)/日夏耿之介と比照的方法(佐藤輝夫)/鎌倉の時(富士川英郎)/阿佐ヶ谷の黄眠草堂(星野慎一)/英文學者としての日夏先生(本田安次)/講義ノートについて(井村君江)



本書「解題」より:

「『美の司祭』は、著者が昭和十四年三月、早稲田大學より博士號を授與された學位論文であり、同年六月、(中略)三省堂から刊行されたものである。」
「本卷は三省堂本の著者自訂本を底本とした。」



本文二段組。正字・正かな。
キーツのオードの比較文学的研究です。



日夏耿之介全集 06 01



目次:


凡例
緒説
第一章 浪曼的懈怠の心理
第二章 自然詩の客觀性の問題
第三章 古陶詩の輓近性
第四章 神話詩の現實的迫力
第五章 英吉利鬱悒詩情の究竟頂
第六章 夜鶯に因る快苦感の誕生
第七章 オウド展開史上キイツィヤン・オウドの位相
結語
ジョン・キイツ年譜

解題 (井村君江)
索引




◆本書より◆


「緒説」より:

「これは分析の書である。一人の若き英吉利浪曼主義の天才が、その天稟の詩才に最も相應はしいと一般に思惟される詩形であるところのオウド ODE の一體を採り用ひて、英詩史無前の「無意識的悟性」の極致をよく發揮したる詩歌の道の歩みの跡を跟つけるに、著者は彼が作詩完成時の形態を以てして、第一解(スタンザ)から序次を踏んで、詩感展開の必然性と少數のその蹉躓との原態を究め乍ら、主として力を作者の增補と削除との剪裁上の可否、一つの解(スタンザ)から、次の解(スタンザ)に推移するインタアヴァルの深切な雄辯性への解釋、並びに起句もしくは破題の成功無成功の實蹟如何、及びその結語もしくはエピログとの因果關係の樣子を、なるべく作詩家の立場に寄り添つて、傳記的資料と批判的基礎とを根元としつつ、著者自らの詩作經驗に照して、これらの煩瑣な絲筋を手繰りながら、飽くまでも解剖分析を職として、自然に赴く道ではあるが、強ひて綜合歸納の明らさまな努力の方面にその關心を轉じることをば敢て試みむとはしなかつた。(中略)尤も、多くのキイツ文獻に接するより杳か以前、キイツ詩集を初めて手にした砌から、夙くも今日の結論と大體に於て變らないものが、著者の心内に既に去來し磅礴してゐた事はまぎれない事實であつた。」

「デュウラアからトムスンをつらぬく哀切なメランコリイの一線に、個性的な鬱悒美の一砦がよく築き上げられたのは、この希臘主義詩人の手による獨自の手堅き地割の上であつた。この砦上にひびく聲が『夜鶯』の玲瓏たる麗音に外ならなかつた。その歌は固よりきはめて美しいが、それは不斷に悲哀に濡れそぼつて、蕭然としてしとやかであつた。このやうな悲哀は、ボオドレエルと相通じてその出現を豫嗜(フォアテイスト)してこそゐるが、またキイツには『惡之華』の詩人とは本來著しく相違する他の反面の詩人的稟質があり、これらが順當に近代英吉利的展開を示したのが、キイツの正嫡子ロゼッティであつた。兩者の間に懷抱せられてゐる美貌の『サイキ』は、希臘的と中世的とのこちたきけぢめはあれ、洵は靈犀一味相通じる事深く勁い、近代美を裝ふ絶妙の美神であるにちがひはない。この神に對するジョン・キイツの心度、佛蘭西革命後間もなき騷然たる歐羅巴の地上にその姿を現じたこの詩人の態度は、さながら落莫たるこの世の流沙の上に黑き孤影を投げる、己れを空しうしてこの神に齋きまつろひ、恆に篤信の敦慮を失はない、一個沈痛敬虔を極めたる素樸なる黑衣司祭の身振であつた。かくまで美を謳歌して、而も人をしてその陷り易き美の膚淺性に些も想到せしめず、かくまで美に耽溺して、輕浮の語氣口吻を絶對に露さなかつたところに、單純な駢體文字 Euphuism でも亞流的な畸想文字 Concettism でも宗匠風の婉曲文字 Euphemism でもない、この詩人の「生」と「詩」とに對する態度の、根(こん)づよくも眞摯にして、豐かにして肅やかなる、その個性的形而上的特長が存する。」



「結語」より:

「遁逃の文學は、遊離的遁避であつて、又、同時に人間可能性に對する異常な詩人的情熱の爲に惹き起す必至の嚴肅な行動の一部分である。」
「目的は何れであれ、建設操作の文學が在るとともに、この遁避文學が不可言の興味を以て常に人を魅惑して來た事實は、遁逃が單なる獨善的遊離作用の一面しきや持つのでない何よりの左劵であつた。遁逃は現實の醜と非とから身を避けるの保身明哲の術であるのみか、怯懦ならざる、行爲の文學で、永遠を目あてに現在と理想との中間に緩衝地帶を置く手段でもあり、更に又遁逃する事の文學的情趣のみが有する香氣への無限の愛着であつた。」




日夏耿之介全集 06 02



日夏耿之介全集 06 03



日夏耿之介全集 揃













こちらもご参照ください:

『日夏耿之介全集 第七巻 外国文学』



























































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