『日夏耿之介全集 第八卷 隨筆・創作』

「結極ロマンチケルは遙かに在るものを憧れて生きてゐるのであるから。」
(日夏耿之介 「我鬼窟主人の死」 より)


『日夏耿之介全集 
第八卷 隨筆・創作』

監修: 矢野峰人/山内義雄/吉田健一

河出書房新社
1978年6月30日初版発行
1991年11月30日2版発行
643p 目次4p
B5判 丸背布装上製本 貼函
装本: 杉浦康平・辻修平
装画: 長谷川潔

月報 8 (8p):
私にとっての日夏耿之介先生 (新庄嘉章)/文字の魔 (多田智満子)/わが日夏耿之介 (丸谷才一)/はじめてお目にかゝった日のことなど (安田保雄)/日夏先生のこと (山室靜)/黄眠翁の風雅 (松下英麿)/題簽: 樂水子雲



本書「解題」より:

「この第八卷は、本全集の最終卷にあたり、これをもつて、『日夏耿之介全集』は一先づ完結する。
 本卷の本文は、隨筆、日録、對話、小品、戲曲、小説、短歌、俳句・俳文(附―自句自註)の八部門をもつて構成した。しかし、戲曲、小説以外のジャンルについては、紙幅の關係から、その作品の幾分の一かを收載するにとどめざるを得なかつたのは、顧みて遺憾とする。」



本文二段組。
正字・正かな。


日夏耿之介全集


目次:

隨筆
 落日を漁る少年
 私の中學時代
 火戲記
 私の受けてきた教育
 亡父を祭る文
 母を偲ぶの記
 飯田之記
 飯田かたぎ
 仲之町隨筆
 ほととぎすを聽くの記
 白山御殿町
 養神亭の浴室
 湯ヶ島記
 岐蘇の旅
 病窓雜誌
 鵠沼之記
 印矩巷談
 水鷄の宿
 馬琴の手紙
 美しき書籍の話
 限定本のおもひ出
 稀本ばなし
 春・季感・女詩人
 秋の抒情詩
 俳話詩語
 紅葉が句の「拵へ」
 漱石餘裕俳諧
 荷風俳諧の粹
 黄眠草堂隨録
 月世界の男
 秋香記
 文房之記
 新拾古玩記
 二蓬
 羅山
 蘭菊
 學問的寄與
 學問戀愛モラルその他
 鴎外先生の墓に詣づるの記
 俊髦亡ぶ
 我鬼窟主人の死
 吉江喬松博士と自分
 吉江先生の臨終
 怒る德富蘆花
 當流の艷隱者
 センスのある人
 與謝野晶子さんが逝かれた
 杢太郎情調
 詩集「沙金」
 『愛の詩集』
 三人の少年詩人
 爐邊子の墓に詣るの記
 假面に集つた人々
 囘想の象徴詩派
 長谷川潔
 鐵齋學人
 菱田春草に就て
日録
 病間日記
 さ月日記
 朱夏日記
 香母亭日記
 山莊記
 山莊日記
 聽雪廬日記
 聽雪廬日記鈔
 栗里亭記
 お城下日記
 秋霖日記
 林を出づるの記
 凝花村舎記
 雪後庵援筆
 文永寺
 ふづき風流
 市民日記
 讀書日記
 榴花深處日録
對話
 神經文學遊談
 詩榻茶談
小品
 源氏傳授
 古神像
 魔界頽るるの記
 呉竹さう紙
戲曲
 美の遍路
小説
 竹枝町巷談
短歌
 病艸子
 文人畫風
俳句・俳文
 婆羅門俳諧
 我句獨註
 俳諧自我註

收録作品一覽
解題 (松下英麿)

日夏耿之介著作目録 (井村君江 編)
日夏耿之介年譜 (井村君江 編)




◆本書より◆


「落日を漁る少年――私の學生の頃」より:

「小學生の頃は――
 學校がいやでならなかつた。なぜ、あのやうに下等で、意地わるな横着な子ばかりゐて威張つてゐる小學校などといふ處に通はねばならぬのかといつも心に嘆息してゐた。
 それよりか家にゐてねころんで、夏ならば水羊羹、冬ならば花林糖のやうな菓子を喰べながら、愛讀する本に讀み耽つて、その世界にぢりぢり這入り込んで、その善良な住民となりおほせ、その空氣を十分肺に吸つて、彩色した餅を喰べてゆかれるやうなそんな浪曼的な世界に夢中になつて、この汚なくて沒義道で淺猿しい現實の人生には冷たくそつぽを向いてくらしてゆく程世にもたのしいことはないと考へた。勉強しないから勿論優等でなかつた。數學が大きらひであるといふことは、我々如き者の凡そ常道であるが、これには少し註解がいる。
 わたくしが算術がきひであつたのは、あの眞四角な實證の世界のなかで、このたましひを6にきめたり8にねぢ曲げたりして、空想のゆとりが少しもないことが神經に苦痛であるからいやであつたので、或る時は3と7とが21になるといふやうな、はつきりと正しい答へが、自分の生に於ける良心に對し(良心に照し)實にうれしかつたことは是又爭へなかつた。」
「それで算術は一向勉強しなかつた。國語の方は、これはあまりたやすいので輕蔑して復習といふことをしなかつた。そのため、しばしば何でもない成語熟語の眞當な答へが出來かねるやうなことがあつて、點はそれ程でなかつた。」
「中學生は――
小學生よりもさらに慘めであつた。」
「健康はすでに暗澹としてわるかつた。何となく弱い、まともでない、蒲柳の質とでもいふのであつたらう。(中略)少年らしい快活を喪ひ、勿論機智や世才などの持合せが少しもないから、大人からは好かれない。凡そ大人といふものは、快的でウヰッティで秘書官タイプの少年を可愛がるものである。愛嬌などいふものは勿論毛筋ほどもない。努めて云ひたくない。そそられても應じない。愛嬌を強ひられると、強ひられたることに早くもつよい反感を感じて、必要以上に無愛嬌な態度を傲然と示す。そこでいよいよ嫌はれる。どうなとしろといふそぶりをはつきり示す。わたくしはかくの如き少年であつた。」
「植物園うらの通をゆくと、左に阪谷邸があり衝きあたりが岩村男爵といふ人の屋敷で、それから更にゆくと宍戸伯の別邸があつて、人が棲んでゐず、誰もが庭にはひつてゆかれた。芭蕉の古池の句を誰でも思はずにゐられぬやうな小さい古池があつて枯葉が汀に漂つて秋草がうなだれてゐた。この庭の秋の紅葉がよかつた。紅葉の長いトンネルになつてゐて、二三丁もつづいたさきのさきが天國の入口のやうに小さくすぼまつて丸く見える。その眞紅な秋の葉の天蓋路をそぞろに歩いてゆくと中ほどに傳記小説にでも出て來さうな明治式の古風な洋館が、人氣もなくひつそりと立つてゐる。わたくしはこの洋館のそばまで行つてそつと中を窺いた。なぜか犯罪的な空氣が感ぜられた。」
「中學は小學より尚いやであつたが、大學は中學より更に一層いやでいやであつた。
 ほとほと親友らしいものを持ち合せずにすごしてしまつた。陰鬱は一入色濃くなり、空想にはもえ上る情慾があくどく混じ、健康はさらに一層損じて、時として處々で卒倒した。」
「學校にこそ失望し、大部分のクラスメイトとこそ遠かつたけれど、少數の友人は遉がにあつた。今日文士翻譯家として大に名をなしてゐる諸君子の外に、そこには後年全く社會から影を沒してしまつた二三の友人がゐて、わたくしの親しみは文場の手取りとなつた才人等よりも、心の睦みは寧ろその裏町の人々の上にあつた。頭もよかつた、德もあつた。それにも拘らず彼等はそのあとを韜晦して社會から全く姿をくらまし、一平凡商人や教員として生きるか、若死をしてしまつた。ある者はつひに狂死した。」



「私の中學時代」より:

「わたくしは人によく濫讀をすすめる。濫讀は人の性によつては大いに力にもなるが、時には害をもなすだらう。自分自身は濫讀をして知識の基礎を築いたと考へてゐるので自分によろしかつた事として率直に人にもこれをすゝめるのである。」

「思ひ上つた少年、わたくしはまだ十二歳のころ、町の學者を二人訪ねて美文を論じた。ハラでは他流試合のつもりであつたらしい。
 一人は中學の羽生先生で、この先生は後に平賀元義を天下に紹介して正岡子規に知られ靑山學院教授で終つた。一人は町の俠客で、日榮萬之助、日榮萬と略稱する色白の小男だが、巡査を天龍川に投げ込んだ事のあるといふ荒つぽい男で、助六のやうなかつかうをしてぞめき歩いて暮してゐた。この男、史癖があつて、詩人ヨネ・ノグチの竹馬の友で、南朝の興亡史は微に入り細を穿ち、手にとるやうに詳しく知つてゐる町の學者であつた。後醍醐天皇蒙塵の話になると、よく涙をこぶしで拂つて話した。この矛盾を矛盾とせぬ、町の人から毛蟲のやうに嫌はれてゐる男を、わたくしは訪ねて美文を論じた。
 日榮萬さんは大いに喜んで、むし菓子をとり寄せてごちそうしてくれた。何でも共同便所の眞上にあたる床屋か何かの二階だつたと思ふ。本がすばらしくたくさんあつたと覺えてゐる。後に彼は人に語つて「あの坊ちやんは見所がある。叔父さまよりも文章がうまい」と批評をした。祖父は笑つて、アノ男に賞められたのは、町で我れ(お前といふこと)一人であらうといつた。」

「そのころ少年の身だしなみの原則の中に、空想するなかれといふことが嚴重にいはれてゐた。これは封建時代の儒學のプリンシプルから出た生活規矩の信條の一つらしかつた。空想を排せられゝば排せられるほど、わたくしは空想に酩酊した。本を讀みながら空想してニヤニヤひとり笑ひをすると、祖母に「男の癖に何ですニヤニヤ笑ひなどして」と叱られる。母はやさしかつたがもつと嚴しかつた。
 父は一日中銀行へ行つてゐて、夜にならなければ歸らなかつたが、癇癪持ちであつたから、父には親しめなかつたし、父も愛情を言動にあらはすやうなことはしないたちであつた。」



「火戲記」より:

流星火は十何間もする奴を櫓の上から盛んに打ちあげたが落ちて來る大竹竿が人に當つて屍が田圃の中にめり込んだとか、農家の屋根を打ち拔いて臥せゐた靑女房を殺したとか酷い過失が頻出したのでお上から止められてしまつたのは惜しかつた。黑玉に當つて死んだ人、不發玉を拾ふとたんに爆發して黑コゲに死んだ人。筒が割れて何人もの人が死傷したり、口割れがして導火係りが大火傷したなど話は多いが、八寸一尺の大筒の音がドウーンと腹にこたへる豪快な心持ちは當の製造家ならずとも氣持ちのよいものだ。花火の翌日は「ツメヌキ」といふ藥團の不發ものや、「カンバリ」といふ玉がらや、靑赤に變色する連星を天空にささえる風船(中略)の行衞を捜しに出かけたものである。」
「年に一度のあの花火サワギも、文明の恩澤たる世智辛さのみ水のやうに侵入して、教化の進まぬ割に妙に小利口に化つてゆく田園の人々の昔乍らの獸性の開放口としてこんなものでもないとどんな暴行暴動が頻發するか判らない。」



「白山御殿町」より:

「わたくしの雅名日夏は何からつけたかと、よく人に興味本位に糺問されるが五月蠅さに、いつも可い加減をいうてすませたが、今このそぞろ言で序でに初めて告白すれば、其頃原町邊の近くに日夏雅太郎といふ人の門札が出て居て、わたくしにはその氏名が一寸雅馴であると考へられた。(中略)此日夏氏の日夏を無造作に採り、名は鴎外の對話なのりそ(引用者注: 「なのりそ」に傍点)に出てくる女耿(テル)子の耿を耿(カウ)と訓ませる事とした。日夏を當時習つてゐた伊太利語に譯すとジョルノオ・デスタアテとなつて、一寸泰西文豪のやうな名前になるとてたあいなく欣んでゐたものであつた。日夏氏は如何な人か知らなかつたが、後讀賣の雜報で、原町の會社員日夏雅太郎がボヤを出したと出てゐたので會社員と判つた。」


「黄眠草堂隨録」より:

「しかし、煉金術に就てわれらの關心は勿論、かゝる科學の幼稚時代の一段階として認められた上に在るのではない。ロマンチックの精神――之は時處を絶し文學的範疇を越えた人間本性の二大區別の一である。――が人間そのものの存在と共に自然そのものの存在と共に、永劫にわたつて求め歇まない神秘界の秘龕に對する惝悦を談理的に表現する神秘哲學の發展の上に密接の干係を有してゐるからである。思ふに、多くの煉金の夢は儚なき人間の痴夢かも知れない。しかもかゝる痴夢から後世はいかに夥しき眞實をくみうる事であらう。煉金術は詩とまこととの間に彷徨する類のもつとも美しき可能性に對するあこがれである。煉金の事は中世文化史上畸異にして重要な獨自の地位に在る。」


「文人畫風」より:

「のぞみなき明けくれの間もふみ讀むはなにのゆゑぞも本能なるらし」






































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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