『江戸川乱歩全集 第24巻 悪人志願』

「人間に恋は出来なくとも、人形には恋が出来る。人間はうつし世の影、人形こそ永遠の生物。という妙な考えが、昔から私の空想世界に巣食っている。バクの様に夢ばかりたべて生きている時代はずれな人間にはふさわしいあこがれであろう。」
(江戸川乱歩 「人形」 より)


『江戸川乱歩全集 
第24巻 
悪人志願』

光文社文庫 え 6-27

光文社
2005年10月20日初版第1刷発行
832p+1p 口絵(カラー/モノクロ)2p
文庫判 並装 カバー
定価1,143円+税
カバーデザイン: 間村俊一
カバーオブジェ・コラージュ: 勝本みつる
オブジェ撮影: 松浦文生



本書「解題」より:

「【悪人志願】
 大正十二年から昭和四年にかけて雑誌、新聞、書籍に発表した随筆と小酒井不木との合作掌編「ラムール」をまとめて、昭和四年六月、新青年叢書4として博文館より刊行された最初の随筆集である。」
「【探偵小説十年】
 平凡社版『江戸川乱歩全集』第十三巻(昭和七年五月)に書き下ろされた。」
「【幻影の城主】
 昭和六年から昭和十五年にかけて雑誌、新聞に発表した随筆をまとめて、昭和二十二年二月、かもめ書房より刊行された、乱歩にとって三冊目の随筆集である。」
「【乱歩断章】
 昭和六年から七年にかけて刊行された平凡社版『江戸川乱歩全集』の第一巻から第十二巻に、ならびに『ぺてん師と空気男』(昭和三十四年十一月)に初めて収録された随筆のなかから、他の随筆書に収録されていないものを発表順にまとめた。」



第26回配本。


江戸川乱歩全集24


目次:

悪人志願
 序
 A
  悪人志願
  私の探偵趣味
  乱歩打開け話
  恋と神様
  浅草趣味
  参与官と労働代表
  今一つの世界
  無駄話
  私の抱く夢
  最近の感想
 B
  映画の恐怖
  吸血鬼
  声の恐怖
  墓場の秘密
  錯誤の話
  迷路の魅力
  お化人形
  旅順開戦館
  探偵叢話
  たね二三
  暗号記法の分類
  ある恐怖
 C
  探偵趣味
  日本人の探偵趣味
  入口のない部屋・その他
  精神分析学と探偵小説
  雑感
  探偵小説は大衆文芸か
  発生上の意義丈けを
  前田河広一郎氏に
 D
  荒唐無稽
  宇野浩二式
  日本の誇り得る探偵小説
  少年ルヴェル
  一寸法師雑記
  寸評
  当選作所感
  「押絵の奇蹟」読後
 E
  半七劇素人評
  映画横好き
  探偵映画其他
  映画いろいろ
 F
  小酒井不木氏のこと
  小酒井氏の訃報に接して
  探偵作家としての小酒井不木氏
  肱掛椅子の凭り心地
  ラムール

探偵小説十年

幻影の城主
 自序
 彼
 幻影の城主
 群集の中のロビンソン
 活字と僕と
 人形
 瞬きする首
 残虐への郷愁
 郷愁としてのグロテスク
 レンズ嗜好症
 ビイ玉
 書斎の旅
 もくづ塚
 ホイットマンの話
 シモンズ、カーペンター、ジード
 槐多「二少年図」
 J・A・シモンズのひそかなる情熱

乱歩断章
 処女作「二銭銅貨」のあとに
 探偵趣味の会を始める言葉
 國枝氏に
 探偵小説時代
 本物の探偵小説
 探偵小説壇繁昌記
 文学史上のラジウム――エドガア・ポオがこと
 ポオと通俗的興味
 世界的に稀有の作家
 四つの写真
 楽屋噺
 妙な手紙
 ヴァン・ダインを読む
 筆だこ
 暗黒政治の魅力
 夢野久作氏
 小酒井博士と探偵小説
 見えぬ兇器
 性慾の犯罪性
 『蛭川博士』
 テトラガミイ
 旧探偵小説時代は過去った
 中将姫
 人類史的一飛び
 獏の言葉
 「殺人鬼」を読む
 妖蟲
 トリックを超越して
 騎士道的探偵小説
 ヒッチコックのエロチック・ハラア
 私の履歴書
 透明の恐怖
 わが青春の映画遍歴
 フランケン奇談

解題 (山前譲)
註釈 (平山雄一)
解説 (山前譲)
私と乱歩 (堀江あき子)




◆本書より◆


「浅草趣味」より:

「こうした趣味を、俗にいかもの食いと称する。だが、いつも小説で云う様に、浮世のことに飽き果てた僕達にとっては、刺戟剤(しげきざい)として探偵小説を摂(と)ると同じ意味で、探偵小説以上の刺戟物として、それらのいかものを求めるので、探偵小説も、例えば安来節も、少くも僕にとっては、同じ様な刺戟剤の一種に過ぎないのだ。その安来節には、一時ひどく凝(こ)ったもので、(という、意味は、何もそれの女芸人に凝ったことではない)安来節讃美の辞(ことば)は、極(きわ)めて豊富に持ち合わせている訳だが、今その一端(いったん)を洩(も)らすならば、
 先ず第一は、和製ジャズと云われている通り、小屋全体が一つの楽器であるが如き、圧倒的な、野蛮極まる、凡(およ)そデリケートの正反対である所の、あの不協和音楽の魅力である。これは浅草公園のある小屋に限られている現象で、(中略)舞台の唱歌が段々高潮に達して来ると、小屋全体に一種の共鳴現象が起るのだ。最初は半畳(はんじょう)とか弥次(やじ)とかいうものだったに相違ない。それが徐々に形をなして、音楽的になって、いつの間にか今日の、舞台と見物席の交響楽が出来上ったのであろう。それを第三者として傍観していると、数時間にして、さしもの刺戟好きも、すっかり堪能(たんのう)させられるのである。
 もう一つは、僕達の通り言葉なんだが、あれの持つネジレ趣味である。ネジレというのはどこかの方言で、いやみと訳せば稍当る。いやみたっぷりなものを見ると、こう身体(からだ)がネジレて来る。そのネジレを名詞に使ったのだ。我々は一応ネジレなるものを厭(いや)に思う。だがそのネジレさ加減があるレベルを越すと、今度はそれが云うに云われぬ魅力になる。外の例で云うならば、愚痴(ぐち)というものは、普通ならば聞き度くもない厭なものに相違ない。だが、それがあるレベルを越すと、つまり一方に徹すると、非常な魅力を持って来る。」



「無駄話」より:

「私は二月ばかり関西をうろつき廻っていて、東京へ帰ってまだ間がないのだ。この一年間は、殆ど女房の住んでいる場所にはいないで、東京市内や近国を浮浪者の様に、何の意味もなく、ある山国の昔風のランプを使っている淋しい温泉に一月いて見たり、魚津(うおつ)へ蜃気楼(しんきろう)を見に行って、その帰りに親不知子不知(おやしらずこしらず)のみすぼらしい宿屋へ滞在して見たり、佐渡(さど)へ渡ろうとして渡船場でいやになって、一日新潟(にいがた)の町をうろついて見たり、上州(じょうしゅう)のある町では天勝一座がかかっていたのが懐しくて、途中で下車して、田舎風の芝居小屋で東京で見たままの番組の手品を見てそのままそこの町に滞在して、あくる日は、町で一軒の古本屋を探して、中江兆民の「一年有半(ゆうはん)」を買って来て、それを読んで俄かに文楽(ぶんらく)の人形が見たくなって大阪行きを思い立ったり、そうかと思うと、浅草公園の五重の塔の裏あたりにみすぼらしい部屋借りをして、近所の一膳飯屋で食事をして、朝から晩まで浅草公園をぶらつくのを日課にしたり、そして、公園のベンチに夜の一時半までも二時までも腰かけていて、お巡りさんにつかまって拘留(こうりゅう)されかけたり、時々変装をして公園を歩くものだから、それを又とがめられたり、又は上野の不忍池(しのばずのいけ)のソバの宿屋に滞在して、数日部屋の天井を眺めていたり、エトセトラ、エトセトラ、という様な訳なのである。それが何だというと、私は退屈しているのである。ああ、何と長々しく退屈な人生であるか。だが、私は死ぬことも出来ないのである。断末魔の恐ろしさに堪えぬのである。その恐しさを忘れる程、あの世が恋しくもないのである。」


「最近の感想」より:

「一体芸術小説と通俗小説の区別は、作者の主観的立場からは、あり得ないものだと、僕は思うのです。どちらにしても、本当の作者は、それでなければかけないものを書いている筈です。客観的に見て、通俗であろうと高踏であろうと、それは作者の知らない所です。」

「今日は威勢よく喋った様です。僕の心の中にはやや社交的なお人好しな、威勢のいい奴と引込み思案の、はにかみ屋の、憂(ゆう)うつで懐疑的な奴と、二人の同居人がいるのですが、今日ははからずもその前者の方が顔を出した様です。あとになって、後者の方がたまらなくいやがることでしょう。」



「吸血鬼」より:

「土の底の棺桶の中で身動きの自由を失って、併し明瞭な意識を以て、じっと横(よこた)わっていなければならぬ人の、世にも恐るべき境遇を、想像して見るがいい。それが、更らに吸血鬼の汚名を着せられ、棒切れなどで突き殺される時の心持を想像して見るがいい。」


「声の恐怖」より:

「影というものを、人間から切り離して考えるのと同じ様に、声というものを、抽象的(ちゅうしょうてき)に、それの発する源(みなもと)を別にして考えることは、可(か)なり恐ろしいと思う。カンカンと日の照りつけた白昼銀座のペーヴメントかなんかを、黒い影丈けがヘラヘラと歩いていたら、随分怖い。同様に、見渡す限り人影の見えぬ、野原かなんかを歩いていて、どこからともなく、囁き声で、「モシモシ」なんて呼ばれたら、そして、いくら見廻しても人の姿がなかったら、こんな恐ろしいことはあるまい。」

「ラジオも同様に怖い感じがある。空中を一杯に、幾十万里に亘(わた)って、声が飛んでいる凄さだ。放送のない時、レシーヴァーを耳に当てて、じっと聞いていると、妙な感じがする。突然電車のスパークかなんかで、ビュウ……という様な音が聞えたりする。」



「彼」より:

「「僕は皆と同じでないんだ、僕は皆と同じでないんだ。」十一歳のアンドレ・ジードは母の前に啜泣きながら絶望的に繰り返した。――「一粒の麦若し死せずば」」

「無論彼にはこれらのものの外にも、様々の著(いちじる)しい性格があった。例えば、彼の少年時代からの人並ならぬ同類嫌悪の感情である。それは厭人癖(えんじんへき)、孤独癖、外に現われては非社交性となるものであるが、彼の場合は、その傾向が肉親嫌悪にまで進んでいた。この彼の異端者の性格については、こののち屡々(しばしば)語る機会があると思うから、ここには詳説を避けるが、この性癖さえも、大部分は環境に育てられたものとは云え、若し同じ環境に在っても、彼でなかったらこんなことにはならなかったであろうという、何かしら先天の萠芽のようなものがあった。」

「彼はごく幼時は非常なお喋りで、(中略)人見知りを覚えるまでは、お愛想をしてくれるよその大人達に向って、片言まじりの非常な雄弁で、物真似入りで、いつ途切れるとも知れないお喋りをしたということである。」
「彼は素質としてはお喋りに生れついていたのであろう。彼自身の異端者をおぼろげに自覚し始めた五六歳以後でも、彼はむっつり屋という程ではなかったし、小学校という異国の世界に放り込まれて、校庭の桜の木の下に立って、悲しげに他の子供達の遊びたわむれる様を眺めていた彼も、三年生の頃には、学芸会で演壇に立ってお喋りをした程であるし、(中略)親戚の居候になっては、親戚の子供に、家庭教師になっては、その生徒達に、なかなか雄弁に次から次とお伽噺をして聞かせたものでもあった。
 これらの事実から、読者も恐らく気附かれるように、彼の幼時のお喋りは社交的会話とか座談とかいうものではなかったらしいのである。お喋りはお喋りでも、それは聞手が謹聴(きんちょう)してくれる場合だけのお喋り、大人の世界で云えば、座談の才能と演説の才能とは別物だという、あの演説の方のお喋りであって、ここにも彼の非社交的性格の一端が覗いていたのだと云えよう。
 もう一つ、彼の幼時の特徴として算(かぞ)えられるのは、口を利き始めてから二三年、つまり人見知りを覚えるまでのことであろうが、彼はなかなかの即興詩人であったということである。亀山町に住んでいた頃に、家の裏に自家用の畑があって、茄子(なす)や胡瓜(きゅうり)が生(な)っていたのだが、彼は祖母や母の背中からそれを眺めて、出鱈目(でたらめ)の文句で、出鱈目の節で、茄子と胡瓜の歌を歌った。彼は相手がない時も絶えず半(なか)ば歌うように何か喋りつづけていた。」
「彼のこの妙な癖も、恥かしさを知り初める頃には、もう人前では口には出さぬようになっていたが、しかし、心の中の即興詩は、少年となり青年となっても、殆んど衰えることなく続けられて行った。彼は人通りのない夜の往来を歩いている時などには声に出して、あたりに人のいる時には心の中で、いつも何かを喋っていた。節をつけて歌っていた。そして、(中略)彼には人並以上に強かったこの独り言の性癖が、彼に孤独の懐しさを教えた。一日でも二日でも全く孤独のない時が続くと、彼は烈(はげ)しい飢餓(きが)を感じた。会話なんかで邪魔立てしてくれるな、俺は俺自身と話したいのだという願いが、空腹のように襲って来た。
 これは別の云い方をすれば、放心を楽しむ心であった。彼は五つ六つの頃から、家庭の一間で、祖母と母とが針仕事をしながら世間話をしている側に寝ころがって、彼自身は別の事を考え、無言の即興詩を歌っている事を好んだ。のちには、友達と遊んでいても、(中略)二人以上の時には、彼等の会話を聞きながら、それには加わらないで、放心状態にいるようなことが多くなった。そして、心の中ではその場の会話とは全く別の即興詩を歌っていたのである。
 しかし、やがて、そういう幼児が浮世の風に当らなければならなかった。家庭の外の異国人の世界へ入って行かなければならなかった。その最も著しいものは小学校への入学であったが、それよりずっと早く、彼が初めて異国に接触させられて殆んど為すところを知らなかった一挿話がある。」
「その時分には一町内に一軒位の割合で、焼芋屋(やきいもや)というものが全盛であったが、冬になるとその焼芋屋の店頭には町内の子供達の黒山が築かれる、この盛んな光景を見て、彼の祖母が妙なことを思いついた。「うちのぼん(坊やの意)と同じ位の四つか五つの子が、みんなおあし(金)を持って、焼芋を買いに行ってるが、うちのぼんにあの真似が出来るか知らん。一つ試しに一人で買いにやって見ようやないか」祖母は母とそんな相談をして、彼を連れて町内の焼芋屋の近くまで行き、彼に壱銭玉を握らせて「サア、ぼん、焼芋買(こ)うといで。みんなとおんなじように、あこいて、このぜぜ渡すんや。ほて、お芋貰(も)ろてくるんや。ええか」云われるままに、彼は殆ど無神経に芋屋の店内へ入って行った。しかし、そこにうじゃうじゃかたまっている町内の子供達とはまるで違って、物の売買という事を全く知らなかった彼は、焼芋の竈の隅へ壱銭玉を置いたまま、黙って、馬鹿のように突立っているばかりであった。他の子供達はワイワイと芋屋の爺さんをせき立て、順番を追い抜いても、早く芋を渡して貰おうとあせっている中に、彼だけは薄のろの看板みたいに、ただボンヤリ突立っているのだから、いつまで待っても、爺さんが芋を渡してくれる筈(はず)はなかった。祖母はもう辛抱(しんぼう)が出来なくなって、自分で芋を買って、彼を連れ帰ったが、それ以来彼は「あかん、ぼん」ということになった。「内弁慶(うちべんけい)の外すぼまり」と相場が極まった。これが彼の社会への接触の幸先(さいさき)の悪い第一歩であった。」

「それ以来中学校を卒業するまで、殆んど例外なく年に二三度は重い病気をした。風邪からの熱病がなかなか治らなかったり、胃腸をひどく害して長く床についたりすることが屡々であった。氷嚢(ひょうのう)と体温計と甘いけれども苦い水薬とが、彼には少年時代への懐しい郷愁でさえあった。発熱そのものにすら妙に甘い楽しさを含んでいた。熱病の悪夢の中で、彼はもう一つの世界である幻影の国の、この世のものならぬ色彩を見た。彼の即興詩は熱病の床の中で育てられて行った。
 彼に絵を描く興味が芽生えたのも同じ病床の中であった。治癒期に入った彼の枕下にはいつも石盤と石筆とがあった。(中略)その頃(五六歳の頃)母の一番下の弟、つまり彼の若い叔父さんが勉強の為に彼の家に同居していたので、その叔父さんが描いてくれる黒い石の上の白い絵に魂を吸いよせられた。トンネルの中から出て来る汽車の絵も好きであったし、鎧武者や軍人の絵も好きであったが、「絵探し」程彼を喜ばせたものはなかった。枯木の枝とばかり思っていると、その枝の線が馬の首であったりする線の一人二役、あの「絵探し」というものを、若い叔父さんは色々と描いて見せて、彼に隠れた形を探させるのであった。「謎」というものの魅力が初めて彼の心を捉えたのは、この叔父さんの「絵探し」であった。」
「病床ほど孤独の楽しみを教えるものはない。氷嚢、体温計、苦いけれど甘い水薬、熱病の夢、即興詩、石盤と石筆と、紙と筆と、そして絵と、絵文字と、この豊富な魅力が彼を病床に、引いては病気そのものに惹きつけた。強いて病気になろうとする気持さえ芽生えて来た。彼の少年期から青年期にかけての病身は、一つはこの病床への魅力、それの為せる業であったかも知れないのである。」

「六七歳の彼にとって、空の星と幽霊と死と性的感覚とは、妙につながり合った一つのものであった。この場合性的感覚というのは、現実の性慾とはまるで違った幼児的なものを意味すること勿論(もちろん)である。」



「幻影の城主」より:

「私は救い難き架空の国の住人である。大蘇芳年の無残絵は好きだけれど、本当の血には興味がない。犯罪現場の写真なんていうものには、ただ嘔吐(おうと)を催すのみである。
 「私にとって、昼間の世界は架空のようにしか感じられない。却って夜の夢の中に私の現実がある。そこに私の本当の生活がある」ポオがどこかにこういう意味の事を書いていた。」
「ドストエフスキイの「女主人」の主人公オルドウィノフは「すでに子供の頃に変人として知られ、友達仲間からはかれの一風変った人間嫌いな性質のために、薄情にされたり不愛想にされたりするのを耐え忍んで来た」私は今丁度そこを読んでいたので、この引用をしたのだが、ドストエフスキイの作品には、至るところにこういう人物が登場している。
 「女主人」の右の文を読んでいて私は何か郷愁のようなものを感じた。そして私自身の少年時代を振返った。そこには「薄情にされたり不愛想にされたり」することに人一倍敏感な癖に、お能の面のように無表情な、お人好しな顔をして、内心激しい現実嫌悪を感じている少年の姿があった。
 少年時代の私は、夜暗い町を歩きながら、長いひとり言を喋る癖があった。その頃は小波山人の「世界お伽噺」の国に住んでいた。遠い昔の異国の世界が、昼間のめんこ遊びなどよりは、グッと真に迫った好奇に満ちた私の現実であった。私は現実世界よりももっと現実な幻影の国の出来事について、その国の様々の人物の声色を混ぜて、ひとり言を喋っていたのである。併しそういう夜の道で、誰かに話しかけられでもすると、俄(にわか)に、私にとっては寧ろ異国である現実に立帰らなければならなかった。そして、私は忽(たちま)ち精彩を失い、オドオドしたお人好しになってしまった。
 私の精彩ある国への旅行は、文字の船に乗ってであった。それ故文字そのものが、私には彼方の世界に属する神秘であった。文字から引いては活字というものが、あの真四角な無愛想な鉛と何やらの合金が、何かしら地上の物体とは違ったものに感じられた。活字こそ私の夢の国への貴い懸橋であった。その「活字の非現実性」を私は溺愛(できあい)した。」

「お伽噺の原稿を書いて、文撰工(ぶんせんこう)のように活字を拾って、植字工(しょくじこう)のようにそれを並べて、ローラーでインキを塗って、ザラ紙の半紙を当ててグッと手押(ておし)器械をおしつけた時の、あの不思議な喜びを忘れることが出来ない。私は遂に、精彩の国への船を所有したのであった。その美しい船の船長になったのであった。
 社交術でも腕力でも余りの弱者であった少年は、現実の、地上の城主になることを諦(あきら)め、幻影の国に一城を築いて、そこの城主になって見たいと考えた。」
「そういう少年がそのまま大きくなったとすれば、かれが現実の出来事に好奇心を持たないのは当然であった。かれは書いた物で世の中をよくしようとも悪くしようとも思わない。それはかれにとって全く別世界のことである。」

「ある会社の独身社員合宿所では、彼はあてがわれた六畳の部屋を空っぽにして、その部屋の一間の押入れの棚の上にとじこもった。」
「彼は押入れの真暗な棚の上に蒲団を敷いて、そこに横たわって、終日声をひそめていた。丁度独逸(ドイツ)語を稽古(けいこ)していた時で、押入れの壁に「アインザムカイト」などと落書きをしたのをハッキリ覚えている。孤独を悲しむ心もあったに違いない。しかし、彼は同時にその孤独を享楽(きょうらく)していたのであった。暗い押入れの中でだけ、彼は夢の国に君臨して、幻影の城主であることが出来た。
 けれども奉公人にそういう気儘(きまま)な生活が長く続こう筈はなかった。彼は居たたまらなくなっては自から身を引いて、次から次と奉公先を転々した。現実世界には、どこの一隅にも身の置きどころがないのを悲しんだ。そして、やがて彼の少年時代の「活字」の船が帰って来た。幻影の城主であることが職分である生活が、彼の前に開けた。ここにのみ僅に安住の地があった。
 多くの小説家は人類のために闘う戦士であるかも知れない。また別の多くの小説家は読む人をただ楽しませ面白がらせ、そしてお金儲けをする芸人であるかも知れない。しかし私にはそういう現実に即した功利的な考え方は、つけ焼刃の理窟みたいに思われて仕方がない。あらゆる小説家は、多かれ少なかれ、彼が現実の(地上の)城主に適しないで、幻影の城主に適するからこそ、その道をたどったのではないのかしら。そして、そのことがどんな功利よりも重大なのではないかしら。」



「群集の中のロビンソン」より:

「イギリスのアーサー・マッケンの自伝小説に「ヒル・オブ・ドリームズ」というのがある。それは一年程の間ロンドンの下宿屋で、ロビンソン・クルーソーの生活をした記録であって、それ故にその小説の中には、人間的な交渉は皆無で、会話も殆どなく、ただ夢と幻想の物語なのだが、私にとって、これ程あとに残った小説は近頃珍らしいことであった。
 この「都会のロビンソン・クルーソー」は、下宿の一室での読書と、瞑想と、それから毎日の物云わぬ散歩とで、一年の長い月日を唖のように暮したのである。友達は無論なく、下宿のお神(かみ)さんとも殆ど口を利(き)かず、その一年の間にたった一度、行きずりの淫売婦から声をかけられ、短い返事をしたのが、他人との交渉の唯一のものであった。
 私は嘗つて下宿のお神さんと口を利くのがいやさに、用事という用事は小さな紙切れに認めて、それを襖の隙間からソッと廊下へ出して置くという妙な男の話を聞いたことがある。マッケンの小説の主人公も恐らくそのような人物であったに違いない。これは厭人病の嵩(こう)じたものと云うことも出来よう。だが、厭人病こそはロビンソン・クルーソーへの不思議な憧れではないだろうか。
 私の知っている画家の奥さんは、夫の蔭口(かげぐち)を利く時に口癖のように、あの人は半日でも一日でも、内のものと口を利かないで、そうかと云って何の仕事をするでもなく、よく飽きないと云う程、壁と睨めっこをしていますのよ。まるで達磨(だるま)さんですわね。と云い云いしたものである。この画家は恐らく家庭でのロビンソン・クルーソーであったのであろう。」



「人形」より:

「人間に恋は出来なくとも、人形には恋が出来る。人間はうつし世の影、人形こそ永遠の生物。という妙な考えが、昔から私の空想世界に巣食っている。バクの様に夢ばかりたべて生きている時代はずれな人間にはふさわしいあこがれであろう。」


「残虐への郷愁」より:

「僕にとって、それは遙かなる郷愁としてであって、夢の世界にだけ現われて来る、あの抑圧(よくあつ)されたる太古(たいこ)への憧れとしてであって、全く現実のものではない。そして、それは又、狂画家大蘇芳年のあの無残絵に現われたところのものでもあった。
 僕はひと頃、本当の血の夢を知っている芳年の彩色版画にひきつけられたことがある。だが、芳年に刺戟されて無残小説を書いたなんてことはありはしない。僕自身の「火星の運河」を郷愁した心が、同じ夢の国の住人を愛したのに過ぎない。」

「芳年の無残絵は、優れたもの程、その人物の姿体はあり得べからざる姿体である。しかし、あり得ないけれども真実なる姿態である。写実ではない。写実でないからこそレアルである。本当の「恐怖」が、そして「美」がある。」



「J・A・シモンズのひそかなる情熱」より:

「空想的で孤独好きであった少年時代のシモンズは、同年配の少年と遊戯する様なことも少なかった。学校では運動競技が嫌いで、外の小供達の様に口笛を吹くことも出来なかった。そして、たった一人で景色のよい自邸の附近を歩き廻りながら、幼い即興詩を呟き歌っている様な少年であった。」


「中将姫」:

「私の郷里の近くに、非常に辺鄙(へんぴ)な、小舟の外には交通機関もないTという二百戸ばかりの漁村がある。
 日用品を買う店といっては、村にたった一軒、昔ながらの「よろず屋」がある切りで、それも都会の場末(ばすえ)の荒物屋(あらものや)のようにみすぼらしいのだ。だが、「よろず屋」だから、何でも売っている。売薬なんかも一通りは揃(そろ)えている。
 ある時、その「よろず屋」の中将湯(とう)の絵看板が、往来の邪魔になるというので、取払われることになった。
 誰も不服をいうものはなかった。「よろず屋」の主人も、そんなはげちょろけのペンキ看板なんか、どうなろうと構わなかった。処が、たった一人、この取払いに反対を称えた人物がある。
 人物といっても、村会議員やなんかではない。意外にも、それは村で一番貧乏な独りものの、中気病みのHというお爺さんであった。
 人々は、不審がって、なぜそんなことをいい出すのかと、段々聞訊(ききただ)して見ると一間に寝た切りの爺さんは、老の皺面(しわづら)をちょっと恥かし相にゆがめて、とうとう本当のことを白状した。
 『あの看板は、わしの寝ている部屋の窓から、真正面に見えるのだ。わしは女房に死なれてから、十何年というもの、毎日毎日あの看板を眺め暮した。外に何の楽しみもないわしには、あれがたった一つの慰みだ。お前方は、あのわしの恋女房を取払ってしまおうというのか』
 昔の中将湯の看板には、皆さん御承知の通り、美しい中将姫の半身像が描いてあったものだ。独身ものの爺さんは、朝夕それを眺め暮らして、恋女房の様にいつくしんでいたのだ。
 村人がクスクス笑い出した。併し、中将姫の看板取払いは、そのまま中止されて、はげちょろけた等身大の美人が、今でも独身爺さんの窓の外から、ひねもす笑いかけている。
 爺さんと同年輩のあるお婆さんが、いつか私に話したことがある。
 『あの中将湯のお姫様はね、本当はH爺さんの若い時分、惚れ合ったKちゃんという娘に生き写しなんだよ。Kちゃんは若死をしてしまったがね、爺さんは、ひょっとしたら、それを忘れ兼ねて、あの看板を女房の様に大切がっているのではないのかしら。どうもそうらしいよ。H爺さんも、Kちゃんも、その頃は、村中でも指折りの美しい若い衆と美しい娘っ子だったものだがね』
 そういって、婆さんは、遠くを眺める様な目つきをした。その時から、私は、中気病みのH爺さんが嫌いでなくなった。」



「透明の恐怖」より:

「二十年ばかり前に歿したアメリカのラヴクラフトという怪談作家がある。彼は怪談に憑かれたような狂熱の人で、病身のために一生ニューイングランドの自宅にとじこもって、妖異の幻想に耽り、それを次々と小説にして行ったが、そういう作品はアメリカの性に合わなかったのか、生前は世にあらわれず、死後になって全集も出るし、傑作集にも収録されるようになった作家である。
 このラヴクラフトの短篇『ダンウィッチの恐怖』が、やはり透明妖怪である。これは人間ではなくて四次元からこの世界にまぎれこんだ怪物なのである。」



「フランケン奇談」より:

「人間とそっくり同じ外形を作りだすことができれば、そのものは当然生命を附与され、意志や感情を持つのだという考えは、大昔から現代に至るまで、われわれの胸奥に巣喰う一つの不可思議な心理である。」

「昔の人形師は、左甚五郎(ひだりじんごろう)ならずとも、人形に魂を吹きこむ術を心得ていたようである。
 昭和四年の暮に不思議な事件があった。荒川の近くに住んでいる大井(おおい)という人が、蒲田(かまた)の古道具屋で、古い等身大の女人形を買い求め、家に帰ってその箱をひらくと、生きているような美しい女人形がニッコリ笑った。それがもとで、大井氏は発狂してしまった。
 細君が恐ろしくなって、箱ごと荒川へ捨てると、水は流れているのに、人形の箱だけがぴったり止まったまま、少しも動かない。かさなる怪異に胆(きも)を潰(つぶ)した大井氏の細君は、その箱を拾いあげて、近くの地蔵院という寺に納めたのである。
 好事家(こうずか)が調べて見ると、箱の蓋に古風な筆蹟で『小式部』と人形の名が書いてあった。だんだん元の持主をさぐったところが、三十年ほど前に、熊本のある士族から出たもので、その元の持主はこの人形と二人きりで、孤独な生活をしていたが、人形の髪を手ずから色々な形に結ってやったりするのを、近所の人が見かけたということまでわかった。」

「熊本の士族が、小式部人形と二人きりで暮らし、ときどきその髪を結いかえてやっていたという話は、無気味にはちがいないが、私には何か同感をそそるところがあった。」



















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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