佐藤春夫 『病める薔薇』 天佑社版 (複刻)

「おれは今、隱者か、でなければ魔法使の家を訪問して居るのだぞ」
(佐藤春夫 「西班牙犬の家」 より)


佐藤春夫 
『病める薔薇』 
天佑社版

精選 名著複刻全集 近代文学館

刊行: 日本近代文学館
発売: ほるぷ
昭和57年3月20日印刷
昭和57年4月1日発行
(第13刷)
371p 序v 目次1p
19×13.4cm 
丸背紙装(背クロス)上製本 貼函



大正7年11月発行天佑社版佐藤春夫短篇集復刻本。
函の表と背に表題・著者名等を印刷した紙が貼ってあります。


佐藤春夫 病める薔薇 01


目次:

序 (谷崎潤一郎)
自序

西班牙犬の家――(夢見心地になることの好きな人々の爲めの短篇) (1915年12月作)
病める薔薇――或は「田園の憂鬱」 (1917年5月作同12月改作。續篇「田園の憂鬱」1918年2月作をも含む。未定稿。)
歩きながら (1913年3月作)
圓光――或は“An Essey on Love and Art.” (1913年5月作)
李太白――A fairy tale (1918年5月作)
戰爭の極く小さな挿話 (1917年3月作)
或る女の幻想 (1917年11月作)
指紋――私の不幸な友人の一生に就ての怪奇な物語 (1918年6月作)
月かげ――(「指紋」の主人公R・Nの遺稿からの斷片) (「指紋」の附録として)



佐藤春夫 病める薔薇 02



◆本書より(できる限り原文のママ)◆


「序」:

「友人佐藤春夫君の最初の著作集「病める薔薇」が今度天佑社から出版されることは、予に取つても此の上もない愉快である。予は予の著作が出版されると同樣の樂しみを以て、此の著が一日も早く書肆の店頭へ出づることを期待して居る。
 佐藤君の藝術の眞價に就いては、予は從來幾度か筆に口に賞讃の辭を惜しまなかつた。予は予と同君との交際があまり親密であるのを顧慮して、幾分か控へ目にして居たのではあるが、それでも猶且同君を褒めずには居られなかつた。さうして、同君の如き稀なる天分を有する作家が、長く文壇から認められずに居たのを私かに慨いて居た一人であつた。然るに、最近に至つて漸く同君は中央文壇に活躍する機會を掴み、次いで此の著作集の出版となつた。友人としての予の欣びを想像して貰ひたい。
 本書に收められたる數種の物語のうち、予は何よりも「指紋」を好む。蓋し「指紋」は最もよく同君の特色を發揮したものであらう。その憂鬱な一句一句讀者の神經へ喰ひ入つて行くやうな文字の使ひ方、一つ一つ顫へて光つて居る細い針線のやうな描寫は、悽愴にして怪奇を極めた幻想と相俟つて、そゞろに人を阿片喫煙者の惡夢のうちへ迷ひ込ませる。その他、月夜のやうに靑く、蜘蛛の巣のやうに微かにおのゝける情操を以て貫かれた「病める薔薇」と云ひ、眞珠の如く清楚に蜃氣樓の如く繊麗な「李太白」と云ひ、巧緻にして輕快なる「西班牙犬の家」と云ひ、いづれも同君の豐富なる空想と鋭敏なる感覺との産物ならざるはない。
 今日の文壇の或る一部――否、寧ろ大部分には、空想を描いた物語を一概に「拵へ物」として排斥する傾向がある。しかし、古往今來の詩人文學者にして、嘗て空想を驅使しなかつた者があるだらうか。たとへ自然派の作家であつても、空想力に乏しくして果して眞實を表現することが出來るだらうか。若し藝術の領域から空想を除いてしまつたら、いかにして藝術が成り立つだらうか。予の考へを以てすれば、空想に生きる者のみが藝術家たり得る資格があるのである。藝術家の空想が、いかに自然を離れて居ようとも、それが作家の頭の中に生きて動いて居る力である限り、空想も亦自然界の現象と同じく眞實の一つではないか。空想を眞實と化し得てこそ、始めて芸術家としての生きがひがあると云ふものである。「病める薔薇」の著者の作物が萬一「現實に立脚して居ない」といふ理由の下に非難を蒙ることがあるとすれば、予は著者に代つて以上の如く答へんとする者である。
      大正七年九月           谷崎潤一郎」



「西班牙犬の家」より:

「すると今まで目の方の注意によつて忘れられて居たらしい耳の感覺が働いて、私は流れが近くにあることを知つた。さきに潺湲たる水聲を耳にしたと思つたのはこの近所であつたのであらう。
 正面へ廻つて見ると、そこも一面の林に面して居た、ただここへ來て一つの奇異な事には、その家の入口は、家全體のつり合から考へてひどく贅澤にも立派な石の階段が丁度四級もついて居るのであつた。その石は家の他の部分よりも、何故か古くなつて所々苔が生へて居るのである。さうしてこの正面である南側の窓の下には家の壁に沿ふて一列に、時を分たず咲くであらうと思へる紅い小さな薔薇の花が、わがもの顏に亂れ咲いて居た。そればかりではない。その薔薇の叢の下から帶のやうな幅で、きらきらと日にかがやきながら、水が流れ出て居るのである。それが一見どうしてもその家のなかから流れ出て居るとしか思へない。私の家來のフラテはこの水をさも甘さうにしたたかに飲んで居た。」
「さて私は靜に石段の上を登る。ひつそりとしたこの四邊の世界に對して、私の靴音は靜寂を破るといふほどでもなく響いた。私は「おれは今、隱者か、でなければ魔法使の家を訪問して居るのだぞ」と自分自身に戲れて見た。さうして私の犬の方を見ると、彼は別段變つた風もなく、赤い舌を垂れて、尾をふつて居た。」
「窓にはこの家の外見とは似合しくない立派な品の、黑づんだ海老茶にところどころ靑い線の見えるどつしりとした窓かけがしてあつたけれども、それは半分ほどしぼつてあつたので部星のなかはよく見えた。珍らしい事には、この部屋の中央には、石で彫つて出來た大きな水盤があつてその高さは床の上から二尺とはないが、その眞中のところからは、水が湧立つて居て、水盤のふちからは不斷に水がこぼれて居る。そこで水盤には靑い苔が生えて、その附近の床――これもやつぱり石であつた――は少ししめつぽく見える。そのこぼれた水が薔薇のなかからきらきら光りながら蛇のやうにぬけ出して來る水なのだらうといふことは、後で考へて見て解つた。私はこの水盤には少なからず驚いた。ちよいと異風な家だとはさきほどから氣がついたものの、こんな異體の知れない仕掛まであらうとは豫想出來ないからだ。そこで私の好奇心は、一層注意ぶかく家の内部を窓越しに觀察し始めた。床も石である、何といふ石だか知らないが、靑白いやうな石で水で濕つた部分は美しい靑色であつた。それが無造作に、切出した時の自然のままの面を利用して列べてある。入口から一番奧の方の壁にこれも石で出來たファイヤブレィスがあリ、その右手には棚が三段ほどあつて、何だか皿見たやうなものが積み重ねたり、列んだりして居る。それとは反對の側に――今、私がのぞいて居る南側の窓の三つあるうちの一番奧の隅の窓の下に大きな素木のままの裸の卓があつて、その上には……何があるのだか顏をびつたりくつつけても硝子が邪魔をして覗き込めないから見られない。おや待てよ、これは勿論空家ではない、それどころか、つひ今のさきまで人が居たに相違ない。といふのはその大きな卓の片隅から、吸ひさしの煙草から出る煙の絲が非常に靜かに二尺ほど眞直ぐに立ちのぼつて、そこで一つゆれて、それからだんだん上へゆくほど亂れて行くのが見えるではないか。」



「歩きながら」より:

「ひどく重態だといふはがきなので病人に逢ひに行つた。併しあまり重態だといふので病人には逢はせてくれなかつた。仕方がないから歸るのである。
 また虫齒がしくしく痛む。かみしめると浮いて居るのである。どうも困つた齒だ。初めは少し缺けて居たばかりであつたから、治療が面倒で、つひそのままに放つて置いた。初めてこの齒が痛み出したのは。さうさう、二年前だつた二年經つうちにこんな風になつてしまつた。舌の光で觸つて見る。齒が臼のやうに凹んで、それのぐるりがぎざぎざに尖つて、大鋸のやうになつて居る。あんまりさわると……あんまりさわると舌が傷きさうだ。」



佐藤春夫 病める薔薇 03
































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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