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西岡兄妹 『この世の終りへの旅』

西岡兄妹 『この世の終りへの旅』
青林工藝舎 2003年12月20日初版第1刷発行
208p A5判 定価1,300円+税
装幀: ミルキィ・イソベ/レイアウト: 安倍晴美
 
「本書は『アックス』(青林工藝舎刊) vol. 25(2002年2月28日~vol. 35(2003年10月31日)掲載分に加筆・修正・描き下ろし(「終らない終りの章」)を加え再構成したものです。」
 
 
 
この世の終りへの旅
 
帯文:
 
「そうしてぼくは
ぼくの世界の全てを閉ざした」

 
帯背:
 
「西岡兄妹
初の長編!!」

 
 
目次:
 
プロローグ 始まらない始まりの章
その一 パンツ丸の章
その二 海賊船盛衰記の章
その三 人喰い虫の村の章
その四 どうして我々は人間の肉を食べなくなったのかの章
その五 失楽園の章
その六 盲目のアラブ人の章
その七 駱駝ホテルの章
その八 「掟の門番」の章
その九 望まぬ帰還 望まれぬ生還の章
その十 この世の終りの章
エピローグ 終らない終りの章
 
解説 「「この世の終りへの旅」に終りはあるのか?」 (中条省平)
  
 
西岡兄妹の作品で感動するのは、繰返しが多いのですが、いちど描いたものをコピー&ペーストして済ませるのではなく、同じ場面を何度も何度も繰り返し手で描きなおしていることです。
  
本書でレファランスされているのは、カフカ(『審判』、「掟の門」)やルイス・キャロル(同じ場所に留まるためには全力で走り続けなければならない)等だと思うのですが、読んでいると、安部公房『砂の女』や武田泰淳『ひかりごけ』、倉橋由美子『スミヤキストQの冒険』など、昭和の懐かしの純文学が思い出されます。
  
主人公はある朝、目を覚まして「目を覚ましたことをぼくは明確に知っていた こんな感じは初めてだった」と思います。仕事に行こうとして、靴の紐の結び方が解らなくなっていることに気付きます。
日常生活というのは、一種の夢遊病状態であって、毎朝同じ時間に目覚めて無意識的に靴を履き会社へ通う、それは眠りながら歩いているのと同じなのですが、ある時ふと「目覚め」てしまうと、物心ついてからこのかた刷り込まれてきた常識と習慣とによって社会化されてしまっていた自分が見知らぬ人になって、自分が迷子になってしまいます。どうやって自分は社会に適応していたのか、それが解らなくなる。みんなと同じに営まれる社会生活という「大きな物語」の崩壊。
「ドアを開ける ドアを閉める ほら世界はこんなにも単純にできあがっている 物語はもう必要なかった」
それかあらぬか、一変してしまった風景の中で、主人公は「子供の頃のように」すなわち自分が自分であったころのように、「段ボールにのって滑り下りる」。
しかしながら、自分のなかの「子供」は既に死んでしまっている。既に自分が殺してしまった子供は戻ってこない。いったん失ってしまったものは取り戻すことはできない。生きながらの死者とはそういうことです。自分が自分でなく、社会化された誰かさんだったころには、滞りなく営まれていた社会生活が、自分が自分になってしまったとたんに、とんでもなく困難で悪夢的なものになる。どこまでも続く表層の、のっぺらぼうのような単純な世界で、自由であるということは、とんでもなく困難で悪夢的なことだ。
 
そして主人公は、覚めた目でもういちど世の中を見直す旅に出ます。
 
 
この世の終りへの旅2

「食べている顔と笑っている顔には どこか共通点があるな
ふとそんなことを思った」

 
笑いとは相手を食べることであると、種村季弘のエッセイにありました。このへんのカニバリズム感覚や、「ナンセンス漫画」風の人物表現に、1960年代テイストを感じます。1960年代といえば、人間社会が経済成長にうつつを抜かしていた頃です。人間社会が最も醜かった時代です。
 
 
※このへんから「ネタバレ」があるかもしれません。
 
長いのでハショリますが、いろいろあって、主人公は、自分で自分の身体を傷つける巨人のような人間社会の正体をあらためて認識し、人間社会に対して確信をもって「ぼくは皆さんのことが嫌いでした」と言い放ちます。これは、魔法によって醜い生き物に変えられてしまっていた主人公が、元の自分に戻るための呪文のようにも聞こえます。
呪いが解けて人間ではなくなった主人公は、目の前で繰り広げられる惨劇に対して、もはや「なんの罪悪感も感じなかった」。
ようやく主人公は胎内へ戻るかのように「皮袋」の中に自らを閉じ込めます。
「そうしてぼくは ぼくの世界の全てを閉ざした」
原初の自閉状態への回帰によって、めでたく旅は終ったかに見えましたが、しかし翌日になれば、また目を覚まして、全てを初めからやり直さなければならなくなります。
「ポストモダン」を生きる主人公にとっては、胎内回帰という「大きな物語」もまた、すでに終焉してしまっているからです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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