S・ワイントラウブ 『ビアズリー伝』 (高儀進 訳/中公文庫)

「彼は、どこで描こうと、外部の何物にも心を乱されずに、細心なまでに注意を集中して仕事をした。」
(ワイントラウブ 『ビアズリー伝』 より)


S・ワイントラウブ 
『ビアズリー伝』 
高儀進 訳

中公文庫  M 419

中央公論社
1989年5月25日 印刷
1989年6月10日 発行
504p 口絵32p(うちカラー8p)
定価820円(本体796円)
カバー画: ビアズリー「イゾルデ」(部分)

「本書は『ビアズリー』(一九六九年六月 美術出版社刊)に、原書の増補改訂版(一九七六年)によって加筆し、改題したものです。」



本書「訳者あとがき」より:

「本書『ビアズリー伝』(原題『オーブリー・ビアズリー――天邪鬼(あまのじゃく)』)の著者スタンリー・ワイントラウブは、一九二九年にアメリカのフィラデルフィアに生まれた文学研究家で、(中略)特に英国の世紀末文学とバーナード・ショーの研究に優れた業績を挙げている。
 本書『ビアズリー伝』は、一九六七年に出版された、同じ著者による『ビアズリー』の増補改訂版である。」
「その後十年ほどの間に、ビアズリーの新しい手紙が発見されたり、活字になったビアズリーの手紙で伏字のあったものが「無削除」の形で読めるようになったりしただけでなく、これまで発表されなかったビアズリーと同時代の人間の回想録も、いくつか世に出た。そこで著者は、これらの新資料を丹念に検討し、七十数箇所にわたって補筆訂正した新版『ビアズリー伝』を一九七六年に上梓したのである。」



本文中図版(モノクロ)多数。


ワイントラウブ ビアズリー伝 01


カバー裏文:

「夭逝した世紀末の鬼才は、ピカソを始め、竹久夢二や芥川龍之介らにも影響を与えた……。「サロメ」「アーサー王の死」などの名作を遺し、初期アール・ヌーヴォーの創出者となった、ビアズリーの劇的なる生涯を、世紀末を背景に、ワイルドら多彩な人物をもからめ、膨大な資料をもとに活写する。ビアズリー伝の決定版。」


ワイントラウブ ビアズリー伝 02


目次:


1 始まり 一八七二―一八八八年
2 高い椅子 一八八八―一八九一年
3 旅慣れた紙挟み 一八九二―一八九三年
4 オーブリーとオスカー 一八九三―一八九五年
5 ビアズリー・ブーム 一八九三―一八九四年
6 黄色(イエロー)の流行 一八九四―一八九五年
7 忘却の淵のビアズリー 一八九五年
8 上昇する『サヴォイ』 一八九六年
9 臨終の『サヴォイ』 一八九六年
10 退却 一八九六―一八九七年
11 離郷 一八九七年
12 マントン 一八九八年
13 長い影

ビアズリー氏の『五十葉の素描集』 (マックス・ビアボーム)


訳者あとがき
索引



ワイントラウブ ビアズリー伝 03



◆本書より◆


「1 始まり」より:

「本は常にオーブリーの生活の一部だったように思われる。それは、子供の頃孤独であった彼が、無性に本を必要としたからであろう。」


「2 高い椅子」より:

「ビアズリー自身のスタイルが成熟するにつれ、バーン=ジョーンズの影響とともに、ホイッスラーと浮世絵のそれが現れてきた。」


「3 旅慣れた紙挟み」より:

「ビアズリーにとって浮世絵は一つの啓示だった。」


「4 オーブリーとオスカー」より:

「ワイルドの劇は、ビアズリーの絵がホイッスラー的手法による日本的なものだったという意味で、フローベール的手法によるビザンチン的なものだった。もちろん両者とも、自分たちの師を越えたと思っていた。」


「5 ビアズリー・ブーム」より:

「一八九三年も終りに近い頃、眼鏡を掛けた一人の青年画家がビアズリーの部屋で『アーサー王の死』の挿絵を見ていた。青年画家は、ビアズリーがパリで知り合ったウィル・ローセンスタインだった。」
「ローセンスタインはパリで一冊の日本の画集を見つけたが、あとになって分ったことには、そのあからさまな絵は「とてもひどいもので、持っていると具合が悪いもの」だった。そこで彼は、ビアズリーがその秘画本に惚れ込んだように思われたので譲ってしまった。ローセンスタインが次にケンブリッジ街を訪れたとき、ビアズリーはその画集から最もいかがわしい版画を切り取って寝室に飾っていた。「彼が母と姉と一緒に暮していることを考えると」とローセンスタインはのちに書いている。「私は大変びっくりした。しかし彼は極端な犬儒派を気取っていた。時には驚くほどだった。彼は、いろいろと途轍もないことを口にした……」。ローセンスタインから貰った画集が切っ掛けで、のちに彼は大規模に浮世絵を蒐集するようになったと考えられる。その後彼を訪れたある者は、こう言っている。「ビアズリーはロンドンではほかでお目にかかることができないような美しい日本の木版画を持っていた。どれも非常に精緻なエロチシズムが横溢していた。それらは簡素な額に収められ、微妙な色調の壁紙の上に懸っていた――いずれも鄙猥であり、歌麿の最も放縦なヴィジョンを現していた。しかし離れて見ると、非常に典雅で、清澄で、無害なものに見えた」
 ローセンスタインは大学の名士の肖像を描くためにオックスフォードに行く前に、ロンドにいる間はケンブリッジ街の自分の仕事部屋を使ってもよいというビアズリーの申し出に従った。彼らは大きな机に向い合って坐って仕事をしたが、ビアズリーは熱心に絵を描きながら絶えず話しつづけた。彼は鉛筆で初めにざっとデッサンしたが、それは、頭の中にある複雑な形を暗示しているだけのものだった。その後で、ローセンスタインが見ぬふりをしていると、ビアズリーはその上にペンで絵を描いたり、時には複雑な網目模様を描いたりした。」



「6 黄色の流行」より:

「ジョン・レインはビアズリーを高く買っていて、友人に、ウィンダミアのセント・メアリー寺院でクリスマスを一緒に過そうと誘われ、その際何人か友達も連れてくるように言われたとき、意外なことに、ビアズリーとビアボームと三流詩人ウィリアム・ウォトソンとを招待したという話が伝えられている。「私の次には」とレインは、その後よく言ったものだった。「一行のうちでオーブリーが一番行儀が良かった。彼はきちんと、かつ心を籠めて礼拝式に出席したので、牧師は生涯にわたって、“あの信心深い若者”は誰だったのかと尋ねた」。牧師は、その「信心深い若者」が世間で「気味悪いへぼ絵描き(ウィアズリー・ドーバリー)」とか「恐ろしく奇妙な男(オーフリー・ウィアドリー)」とか呼ばれていた男と同一人物だとは知る由もなかったであろう。「僕は批評家に何と言われても平気ですよ」とビアズリーは、ある訪問記者に答えた。」


「8 上昇する『サヴォイ』」より:

「ホイッスラーの芸術上の好き嫌いには、しばしば個人的なもの――それは客観的批評とほとんど関係のないものだった――が影響していたのであるが、ビアズリーに対する場合、この「個人的なもの」は、ビアズリーが僅かの間『サロメ』を通してオスカーと関係があったということだけにではなく、この成上り者の若い画家が、ホイッスラーとホイッスラー夫人の戯画を描いたということにも由来していた。だがある夜、ホイッスラーがペネル夫妻を訪れたとき(夫妻で書いた『マクニール・ホイッスラー伝』によると)、例によって紙挟みを持ったビアズリーがやって来た。そして、巨匠の面前でも恥ずかしがる様子もなく紙挟みを開け、最近描いた『髪盗み』の挿絵を皆に見せはじめると、「ホイッスラーは最初気がなさそうに見ていたが、次第に関心を示しはじめ、ついには非常に喜んだ。そして、ゆっくりと、こう言った。『オーブリー、私は大変な間違いをしていたよ――君は非常に立派な芸術家だ』。それを聞いた若い画家は、わっと泣き出した。そのときホイッスラーがともかくも言えたのは、『本当だよ――本当だよ――本当だよ』という言葉だけであった」」

「彼は、どこで描こうと、外部の何物にも心を乱されずに、細心なまでに注意を集中して仕事をした。」























































































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