アントナン・アルトー 『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』 (多田智満子 訳/小説のシュルレアリスム)

「この無軌道(アナーキー)、この放蕩は私の気に入る。(中略)このアナーキーは私をよろこばせる。」
(アントナン・アルトー 『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』 より)


アントナン・アルトー 
『ヘリオガバルス 
または戴冠せるアナーキスト』 
多田智満子 訳

小説のシュルレアリスム

白水社
1977年5月5日 第1刷発行
1986年1月25日 第6刷発行
243p 口絵i
四六判 丸背紙装上製本 函
定価1,600円
装幀: 野中ユリ

Antonin Artaud : Héliogabale ou l'anarchiste couronné, 1934



本書は1996年に白水社『アントナン・アルトー著作集 II』として改訳が出ています。


アルトー ヘリオガバルス 01


帯文:

「頽廃期のローマに現われたデカダン少年皇帝ヘリオガバルスは、両性具有者たることを願いつつ十八歳で無残な最期を遂げる。本書は〈墓場なき死者〉ヘリオガバルスを主人公に、作者自身の〈苦悩の現象学〉をも開示した〈哲学詩〉とも称すべきアルトー散文作品の最高峰である。」


目次:

ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト
 I 精子の揺籃
 II 原理の闘争
 III アナーキー

訳注および原注
シリアの公女たち (多田智満子)
訳者付記

解説 (巖谷國士)



アルトー ヘリオガバルス 02



◆本書より◆


「I 精子の揺籃」より:

「地理的に見て、いわゆるローマ帝国と称せられるものの周辺を、常に蛮族の地が縁どっていた。そして歴史の上で蛮族という観念を生み出したギリシアを、ローマ帝国のうちに加えておかなければならない。この点で我々西洋人はこの愚かな母にふさわしい息子である。というのは、我々にとって文明人とは我々自身のことであり、世界についての我々の無知の程度を知らせてくれる他のすべての人々を我々は野蛮人とみなしてしまうからである。
 とはいうものの、指摘しておかねばならないのは、ギリシア・ローマ世界が直ちに滅びてしまうこともなく、また無分別な獣性に身をもちくずさずに居られたのも、すべてこの辺境の蛮族から生まれた思想のおかげであるということだ。それに、東方世界は、病と不安とをもたらすどころか、〈伝統〉との接触を保つことを可能にした。諸々の主義や原理は発見されもしないし創案されもしない。それらは保持し合い、交流し合う。そして、有機体の中で判然としてしかも融合してもいる普遍的原理の概念を保持するほどむずかしい作業はこの世にめったにあるものではない。」

「しかし、植物や動物が生きているように、生きている石がある。ちょうど、太陽に黒点があって、それらが場所を変え、ふくらんではちぢまり、互いに合流しては再びあふれ出し、また位置を変え――黒点が太陽の内部から律動的に膨張と収縮をくりかえすとき――太陽は生きている、といえるのと同じことだ。黒点は太陽の中に癌のように、ペストのあのもりあがる淋巴腺炎のように生まれる。その内部には粉末状の物質が寄り集まっているが、それは挽き砕いて黒くなった太陽の断片に似ている。粉末になったため場所をとらなくなったとはいえ、それは同じ太陽、同じ拡りと量とをもつ太陽である。だが、所々で火が消えているので、ダイヤモンドと炭を想起させる。そしてこれらすべては生きている。石どもは生きているといえるのだ。シリアの石は生きている、自然の奇蹟のように。天から投げ下された石だからだ。
 シリアの火山性の土地にはおびただしい自然の奇蹟と驚異とが存在する。全体に軽石をびっしりと敷きつめたような土壌だが、そこに天から石が落ちてくると、その石は軽石と混じり合わず、固有の生き方をする。そしてシリアには石に関する不思議な伝説がある。
 セプティミウス・セウェルスの時代のビザンチンの歴史家フォティウスのこの文章を参照されたい。
 《セウェルスはローマ人であり、法的にローマ人民の父であった。月のさまざまな相貌を観察できる石を見たことがあると言ったのは彼自身である。その石は、ある時にはこの表情、またある時には別の表情をみせ、太陽の運行に応じて満ち欠けし、さらに太陽自身の刻印をも含んでいたという。》」
「しかしおよそシリアの石のなかで最も感動的な形をしているのは〈霊石〉、黒い霊石、あるいは〈ベルの石〉〔Bel はセム語の神名 Baal のアッカド語形〕と呼ばれるものの中に見出される。エメサの黒い〈円錐石〉は、火を内に保ち、いつでも火を与える力をもつ〈霊石〉である。それというのも〈霊石〉は火から生まれたからだ。それらは天の火の粉が炭化したようなものだ。そこで、霊石の歴史を探究することは、世界創造の起源に立ち帰ることになる。
 セウェルスはさらに次のように語った。
 《私は〈霊石〉が風で動くのを見た。ある時には覆いで隠され、ある時には奉仕者の手で運ばれるのを見た。霊石に仕えるその奉仕者はエウセビオスという名だったが、彼は私にこんなことを話してくれた。真夜中、エメサの町を出て、はるかに遠く、古い壮麗なアテナ神殿のそそり立つ山の方へ行ってしまいたいという烈しい願いが、全く思いもかけず、突然、湧き起った。山の麓まで急いでたどりつき、道中の疲れを癒すためにそこに坐りこんでいると、まさにその場所に、空から物凄い速さで落下する火球が見えた。火球のそばには巨大な獅子がいた。獅子はすぐに姿を消したので、すでに火の消えた球のところに駆け寄り、それを取り上げた。それがこの霊石なのである。彼はそれを運んできて、いかなる神に属するかと石に問うた。石はゲンナイオスに属すると答えた。(ゲンナイオスとはヒエロポリスで崇められ、ゼウスの神殿に獅子像として祀られている神格である。)彼はその夜のうちに、彼の言うところによれば二一〇スタディオン〔四十キロ弱〕もの距離を歩いて、家に石を持ち帰った。エウセビオスは霊石の動向を左右できる立場ではなく、石に祈り、石に歎願しなければならぬ立場であって、霊石のほうがその祈願を叶えてやるのだった。》
 《それは完全な球体で、白っぽい色をしていた。直径は掌をひろげたほどの大きさだが、時として大きくもなり小さくもなった。また或る時は紫紅色を帯びた。彼は我々に、石に書かれた鉛丹(あるいは朱)色がかった文字を見せてくれた。それから〈霊石〉を壁にしっかりと据えつけた。〈霊石〉は、問う者にはその求める答えを、そのような文字の形で与えた。軽い口笛に似た声を発し、それをエウセビオスが我々に解釈して伝えるのだった。》
 これら不可思議な石にとりつかれたフォティウスは、またしても霊石の描写をとりあげる必要を感じたのだろう。彼の書物の別の条(くだり)で、もう一度セウェルスの証言を楯にとっている。
 《セウェルスが特に語ったことだが、彼はアレクサンドレイアに滞在中、太陽の石をも見た。それは石の深奥部から金色の光を放ち、その放射が円盤状をなしているので、一見、火球のような太陽が石の中心にあるかと思えた。この火球から石の円周の周辺まで光線がほとばしり出ていた。というのは石全体が球形だったからだ。また彼は月の石も見たことがある。それも、水に浸すと小さな月が現われるために水月と呼ばれている種類の石ではなく、天性そなわった固有の運動によって、月が変化するとそれと同じ変化をする石、まさに自然界の驚異的な作品であった。》」

「ヘリオガバルスは早くから統一についての意識を持っていた。統一、すなわち、あらゆる神話あらゆる名の根底にある唯一なるものの観念である。エラガバルスと名乗ろうという彼の決意、自分の家族と氏名とを忘れさせようとする熱意、それらを覆いつくす神と自分とを同一視しようとする熱意こそ、彼の魔術的一神教(モノテイスム)の最初の証しである。彼の一神論は言説だけのものではなく、行動において示されるのである。
 この一神論を彼はやがて事業の中にとり入れる。そして私がアナーキーと呼ぶのはこの一神論を指している。すなわち、事物の気まぐれと多様性とを認めぬ全体の統一をアナーキーと私は呼ぶのである。
 事物の深い統一の感覚をもつことは、とりも直さずアナーキーの感覚、事物を還元しそれを統一に導いてゆくためになされる努力の感覚をもつことである。統一の感覚をもつ者は、事物の多様性の感覚、つまり、事物を還元し破壊するために通らねばならぬ微細な無数の相の感覚をそなえている。
 そしてヘリオガバルスは人間の多様性を還元し、それを血と残酷さと戦争とによって統一の感情にまで導いて行くために、王として、この上もない地位にあったのである。」



「II 原理の闘争」より:

「命名された事物は、死んだ事物である。それは分離されたために死んだのである。」

「再び、神々のことにもどろう。猛威をふるって荒しまわり、籠の中の蟹のように、互いに喰いあう神々にもどろう。
 或る祭儀が古ければ古いほど、神々のイメージは一層怖ろしいものに作りあげられており、その怖ろしい側面だけが我々に神々を理解させ得ることを認めるとき、我々は感に堪えない。
 つまり、神々は宇宙発生時においてのみ、混沌状態(カオス)の闘いにおいてのみ、価値を認められるということである。
 物質の中に神々はない。均衡の中に神々はない。神々は力と力の分離から生まれ、それらが和合する時に死ぬ。
 神々は創造に近ければ近いほど、怖ろしい姿、それに内在する原理にふさわしい姿をしている。」



「III アナーキー」より:

「ヘリオガバルスは一生このような正反対に作用する磁力、二重の四つ裂きの刑に悩まされた。
 一方は
   神に
 一方は
   人間に。
 そして人間の中に、人間的な王と太陽的な王。
 そして人間的な王の中に、冠を戴いた人間と、冠をはぎ取られた人間とがある。
 もしヘリオガバルスがローマにアナーキーをもたらし、彼の出現がアナーキーの潜在的状況を激化させる素因だったとすれば、最初のアナーキーは彼に内在しており、それが彼の肉体を荒廃させ、彼の精神を、現代の医学用語で言うところの一種の早発性痴呆におとしいれたのである。

 ヘリオガバルス、それは男であり、女である。
 また太陽信仰は男の宗教であるが、男の姿を反映する女という男の模像がなければ、それは無きに等しい。
 活動するために二つに切断されて二者となる唯一者の宗教。
 存在するため。
 唯一者を冒頭から分断した宗教。
 唯一者二者とは最初の両性具有者(アンドロギュヌス)において結ばれる。
 両性具有者とは男。
 そして女。
 同時に。
 唯一者において一体となる。

 ヘリオガバルスの中には二重の戦いがある。
 その一、一者としてとどまりながら分裂する一者としての戦い。女になりながら永久に男のままでいる男としての戦い。
 その二、人間としての自分であることがうまくのみこめないでいる〈太陽王〉としての戦い。彼は人間に唾を吐きかけ、結局人間を溝(どぶ)の中に投げ込んでしまう。」

「ヘリオガバルスはローマの風習、風俗を望み通りに歪め、ローマの寛衣(トーガ)を蕁麻(いらくさ)の上に投げ捨て、フェニキアの紫紅の染料で染めた衣を着用し、ローマ皇帝でありながら異国の服装を身につけ、男でありながら女の衣裳をまとい、宝石、真珠、羽根飾り、珊瑚、護符で全身を覆うことでアナーキーの範を示す。ローマ人の目に無軌道(アナーキー)と見えるものは、ヘリオガバルスにとってはある秩序への忠誠なのだ。つまり、天から落ちたこの儀軌はあらゆる手段を尽くしてそこへ再び昇ってゆくのである。」

「彼は、(中略)一貫してあらゆる価値と秩序の頽廃と破壊とを組織的に追求する。」



アルトー ヘリオガバルス 03




































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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