島尾敏雄 『夢のかげを求めて 東欧紀行』

「私は計画のうつろな世間知らず。」
(島尾敏雄 『夢のかげを求めて』 より)


島尾敏雄 
『夢のかげを求めて 
東欧紀行』


河出書房新社
1975年3月25日 初版発行
1975年5月25日 再版発行
552p 「発表誌」1p
別丁図版(モノクロ)4p
折込「東欧紀行旅程」1葉
四六判 丸背クロス装上製本 貼函
定価1,900円
装幀: 駒井哲郎
本文写真: 著者
旅程図: 浜田洋子

「■発表誌
東欧への旅 (「文藝」 一九六八年三月号~一九七四年一月号 断続連載)」



島尾敏雄 夢のかげを求めて 01


帯文:

「空気がきしり音をたてて刻々と夜を凍結させる冬のモスクワ。旅先でのそれぞれの朝に、揺れ動くためらいを鎮めてくれる、例えばひときれのパン、例えば熱いお茶――。
日本に置いてきた〈日常〉との濃密なモノローグをたずさえて、白い寒気の国々、ポーランド、チェコ、ハンガリー……を経巡り、新たな紀行文学の塑像を樹てる、著者初の長篇紀行。」



帯裏:

「■紀行文学の一傑作!
(「朝日新聞」書評)
 五百五十ページあまりの大冊は、多くの出来事を次々を語りながら、それらの出来事の克明な叙述が均一な全体を形づくっているために、読みはじめたら最後まで一気に読み通さずにはいられない気持にさせられる。(中略)
 ことばのほとんど通じない国で、雲をつかむようなたよりなさ、不審さの中に宙づりにされながら、見たまま、感じたままを逐一語って行くという著者の一貫した態度は、かえってこの旅行記に底知れぬ奥行きと厚みを与えていて、紀行文学の一傑作と呼ぶべきものが、ここに実現している。」



目次:

ワルシャワまで
ワルシャワにて
墓地のにぎわい
ワルシャワの町歩き
ワルシャワでの日々

クラクフへ
クラクフにて
カメドゥウフ修道院まで
カメドゥウフ修道院にて
ヴィェリチカまで
ヴィェリチカにて

ふたたびワルシャワへ
スターレ・ミアスト界隈
ニェポカラヌフへ
ニェポカラヌフにて

またワルシャワへ
イェジョルナ散策
トゥウシチへ
トゥウシチにて
トゥウシチから

二人のスタニスワフ
チェンストホーヴァへ
チェンストホーヴァにて
オシヴィェンチムへ
オシヴィェンチムまで
ブジェジンカにて
さらばワルシャワ!

プラハまで
プラハにて

マジャールを越えて
ベオグラードのホテルにて
ベオグラード市街瞥見
人形劇場
カレメグダン城址
ラコヴィツァ往復

ふたたびモスクワへ
ふたたびモスクワにて
モスクワの凍え
コロミンスコエ村へ
さらば! モスクワ



島尾敏雄 夢のかげを求めて 02



◆本書より◆


「ワルシャワまで」より:

「どんな魔がさしたか、東欧に行ってみたい気になっていた。東欧と言っていいかどうか、私の言いたいのは、ロシヤ人とドイツ人にはさまれた地帯のこと。たとえばそこには、ポーランドとか、チェコスロヴァキヤ、そしてハンガリー、ルーマニヤ、ブルガリヤ、ユーゴスラヴィア、アルバニアなどの国々がある。そこは私のヨーロッパ理解の中で、うまく消化できずにわきにどけて置いた場所のようにも思う。もっとも二年ほどまえ、ポーランドを十日ばかりのぞいてきた。それがあるいは誘いになったかもしれず、またスラヴの人たちにひきつけられるかたむきを私は持っているから、知らず識らず、そのあたりに思いが駈けるのか。ナホトカ航路のあとハバロフスクからモスクワを通る道を選び、そして帰りも同じ道をもどってくることを考えていたから、そのほとんどを、スラヴの人たちのあいだを縫うことになるようであった。」

「私は計画のうつろな世間知らず。」

「鍵でドアをあけ自分の部屋にはいってしまえば、もう外に出たくなくなるのがふしぎだ。じっとあれこれと心配の種を反芻するだけで時間はどんどん過ぎ、ラジオ(きくことのできるネットはひとつだけに固定されていたが)のスイッチをひねれば、音楽か人間の声がきこえ、それを耳にしているだけで時はおもしろいほど刻まれて行った。部屋の中だけが、自分の城郭、一歩足をドアの外にふみだせば、もうその廊下の絨毯のところから特別な緊張を強いられると感じた。服装を崩してみても正しても、身にそぐわぬ根拠、などと思ってしまう。でもどこかの時点では、意を決して自分を外に押しださねばならない。」

「ラジオの箱から出てくる声も、個性的なものとしてより、この国の受苦の果てのそれとしか私は受けとりようがない。私には私の環境から受けた累積があり、そのかぎりで私のかたちがあらわされているが、なぜ異質のものに、折々に心を奪われることが起こるのだろう。でも私はその思考を放棄しよう。思いつめるとへんに意識がむずがゆくなり、その揚句にそれが剥がれでもすれば厄介なことだ。」



「ワルシャワにて」より:

「そして私はかつて落ちた感受の中にふたたび落ちたことに気づく。モチロンということばが彼女の口から出されると、ふだん使われる意味とどことなく少しずれていることがわかるのだが、それがまるきりまちがっているのではなく、かえってそのことばの意味の広がりか、または開拓された可能性のようにきこえてくることがおかしかった。もしかしたらポーランド語のふだんのことばに「モチロン」と感応しやすいそれがあって、彼女はそのことばをかさねながらモチロンを使っているのではないか。」


「墓地のにぎわい」より:

「この国の度かさなる国境の移動は、まるで自分の場所を見つけるための作業にそっくりだと考えたのであったか。ときにその領域を広げすぎたかと思うと全く居場所を失ったかの如くそのかげを失い、錯誤をかさねて二枚あわせのガラスの領域図を右にずらせ左に移ししているうち、現在の立場にようやく焦点が合った様子なのだが、それがこのまま動かずにすむとも思えない。もともと自分はなにものなのかと、遡行を試みてもその確かなみなもとなどわかるはずもないが、しかし私が私以外のなにものでもないことは、それらの作業のあいだにいよいよ色濃くわき立ってくるようなのだ。しかし自分の中に含みもつ混沌の地下道はどこにつづいているのか定かでないことがむしろ私の日々を支えている、というようなことなのか。」


「ワルシャワでの日々」より:

「ワジェンキは公園につけられた名まえだが、十八世紀のころは当時の王様の夏の別荘であった。ワジェンキのもとの意味についてアンナはなんとか言ったが、よくわからず、Kがいろいろききだした結果、風呂場ということばに落ちついた。Kと私が微笑すると、「デモ、イマ、ワ、デントーテキ、ナ、ナマエ、ダケデス」と彼女は言っていた。「デスガ、コノ、キューデン、ノ、ソバ、ニ、タクサン、ノ、ドーゾー、ガ、アリマス」。彼女はスタニスワフにくらべると、文脈も筋が通り、語彙も豊富だけれど、その言いまわしは私にはふしぎなことばとしてきこえた。彼女が母語をはなすときと、声の調子が別に変わるわけもないと思えるが、日本語のときの彼女のそれには或る甘さが感じられたのはなぜだろう。それはクリスティーナにもあったし、ことばの使い方には共通のくせがあり、それは日本語のひとつの方言として私の耳は受けたのだった。小鳥も草花もそしてにんげんもおなじ動詞の活用のなかで生かされ、むしろ日本語のあたらしい表現を装っているかのようにきこえた。「タトエバ、コノ、キューデン、ノ、ヨーシキ、コテン、ノ、ヨーシキ、デス。コノ、タテモーノ、ノ、ナマエ、ワ、ミカン、デス。ナカ、ニ、アツイ、クーキ、デシタ。デスガ、イマ、ワ、レモント、ダケ、デス。ザンネンデス」。それはどうしてもひとつの奇妙な空間とでもいえるもののかたちが誘いだされ、ミカンやレモンがでてくると私は果実のにおいにむせ、その意味をわかろうとする努力を捨てていたようなのだが、Kは日本語とポーランド語を使いわけて彼女の言おうとする単純なことがらをあきらかにすることをやめようとしない。宮殿につけられた名まえを日本語に直せば蜜柑だったか或るいは未完のことだったか。レモントはポーランド語で修復のことのようで、修理中で施設は休んでいるらしかった。ソビエトでもそうだったが、日本語では宮殿としか訳せない名まえの施設がいたるところにあって、私に現実と童話の境界をあいまいにさせる作用が与えられた。キューデンがミカンやレモンで、中はアツイクーキだという場所を見たいと思ったのは、スタニスワフが言った塩でできた地下の教会にうごいたこころとかわらない。でもそれはこころがうごいただけで、それを実際に見たいとも思わせぬほど、数少ないことばのなかで私の想像をゆたかにしてくれた。」

「たとえ、この国での食堂での晩餐に不文律ながら守った方がいい習慣があったとしても、それを私が知るはずもないし、きき知ったところで手なれた実行に移せるものではない。あたりまえのことだけれど、私は私のやり方をすすめるより仕方がなく、それにはどうしてもためらいもともなうが、ためらいつつも手さぐりでよその国の習慣の中にはいって行くことには、軽い冒険のたのしみもないわけではない。どういうわけか、ステージのまえのあたりの食卓はすべて空席になっていたのだが、足がまずそちらの方に向いてしまっていたから、引きかえすことはあきらめ、いっそのことまともに向かう一番まえの食卓の、ステージと対面した椅子をえらんで坐ったのだ。」



「クラクフへ」より:

「なにやら自分もワルシャワ市民のひとりになったつもりのやすらぎがあった。つと異様な服装が入口のあたりから私の視野にはいりこみ、それが広がり近づきふたりの少女とわかっただけでなくしかもまっすぐ私たちのテーブルに向かって来たことが確かめられたときは、咄嗟にはその状況が理解できなかった。少女たちは時代おくれな裾長のひだの多いスカートをまとい、肩かけなどもしていて全体に装飾の多すぎる感じを与えていたのだから、もしなにかのじょうだんでなければ、ポーランドの国以外のひとかも知れぬと考えたとき、私の頭のなかではインドの観光客か留学生かもしれぬと思っていたのだった。皮膚があさぐろく目もとのくろずんだ肉のうすい容貌もそう思わせるだけの似通いがあったのに、なぜ彼女たちは店にはいるとすぐ、ほかの客には目もくれずに私たちのテーブルにやってきたのか。そしてそばにつっ立ったままで、となえごとのようなひとりごとを年かさの方の少女が言いはじめたのだ。臆せずにじっと見つめてくる目には、ここと定めた場所はどんなことがあっても動かない決意が光っていて、むしろ憎しみをぶつけてくるぐあいに受けとれた。彼女の手にはトランプがにぎられ、にぶい動作でそれをいじっているのが目についた。ジプシーの娘だと気づいたのは、そのトランプを見たときだったかもしれぬ。Kははじめからわかっていたはずだけれど、私は彼には注意を向けずに少女たちの異様さに押されていたので、彼から教えられるすきがなかった。私がどうしてよいかに迷ったのは、少女たちの冷たい目つきとかたくなに固守しているその固有の服装にばかりではない。「どうしよう」と、ついKに相談をかけたけれど、Kはだまっていた。もし反対に私がKからそう言われても、おそらく返事などできなかったろう。少女たちの目的がトランプ占いにあるのではないことぐらい、私にも見当がつき、つまり私は硬貨を彼女の手ににぎらせるかどうかを問われていたのだった。「やらない方がいいなら、こっちも頑張ってみようか」と言ってみても、私はもう十ズウォーティの硬貨をポケットの中でにぎっていた。「日本人がよくねらわれるよ。彼女たちのいいお得意さんらしい」とKはうつむいて言って菓子を食べていた、「だからまっすぐこっちにやってきただろう」。少女は物乞いのことばをとぎらせずに言いつづけていたから、店のなかの客や従業員がみな私たちの方に視線を向けている痛い気配が感じとれた。「このひとたちに、ぼくはよわい。だめなんだな」そう言って、Kにわからぬようにつかんだ硬貨を少女の手のひらにおしつけてやったとたん、彼女はそれまでのおしゃべりをぷつりとやめたかと思うと、くるりとくびすをかえし、そのままほかの客には見向きもせずに外に出て行ってしまったのだ。私はそこでなにをしたことになったのだったか。なぜだかのこりの食べものもそこそこにして、ふたりはその店を出たが、すくなくとも私は、さきの少女たちが人々から背中に受けた視線は、私の背中にも射こまれたような気持になっていたのだった。しかし彼女たちはその視線をはねかえす無関心ですきまもなくこころをよろっていたけれど、私のそれはどんな防具もないように思えたのだった。」


「ヴィェリチカにて」より:

「つい吸いこまれるように一行のあとにつづき私はくらい地の底への入口を越えていたが、へんなことに、死刑の宣告を受けた者が刑場に引かれるときもきっとこんなだ、などと考えていたのだ。この塩鉱のかたちについてははじめからはぐらかされ通しでまるきり予想のつかなくなっていた私は、心構えようもない中腰のままの手さぐりでしか進めず、気持を処理した上で、というふうではなく、改札口を買い求めた切符を手渡しつつ通りすぎるや否や、地の底へ開いた小さな穴を底深く降りて行く螺旋なりの木の階段に足をかけさせられていた。それでもなおまだバスが用意されたところに出るつもりでいたのだから、ここのところを早くすませて、ぐらいにしか思っていなかった。階段は二つ三ついっしょにとび越えるようにし、ものごとの途中はよく噛まずに呑みこんで、と言わぬばかり、目的のところに早く到達したいあせりに噛みつかれ、先にあるものの見きわめもつかぬまま、私だけでなくみんなが駈け足でとびおりて行った。」
「改札口を通りぬけるや有無を言わされず、地の底へなだれるように落ちこんだ最初のいきおいの速度を誰も変えようとしなかったのは、ここのところはほんのわずか、すぐにも目のまえに別の状況の展開があらわれると期待したからだ。(中略)しかしその見当はすっかりはずれた。当初私たちをおそったはしゃぎは、急に日常のつくろいを崩され解放を感じたからだ。(中略)すぐ行きつくと思った場所はどこまでも下に逃げ、まるで底無しの下降をつづけなければならぬ気分になってきた。私に追いせまり追い越して行く者のいるあいだはそれでもよかったが、やがて前の者と後の者の距離がしだいに開いてきて、ふと立ちどまっても、しばらくは次の者の姿があとにあらわれてこなくなった。足もとにばかり気をとられていたせいか、ふみ板の方は汚損や危険な箇所まで見えていたのに、まわりがどうなっていたかはいっこうに思いだせない。ただ早く前の者に追いすがらないと、どこに行ったか見当がつかなくなり、後から来る人たちにも迷惑をかけることになりはしないかなど、あせりぎみになっていた。でも果たして誰かが先導してくれているのか。そうではなく、ただやみくもに憑かれたように前の者を追って走り下りているだけではないのか。それは不安ごっこのように私の頭脳をよぎり、Kともはぐれ何人かに追い越された自分はどのあたりを歩いているかもわからない。(中略)すると、危険に追われた私が地底深い坑道に逃げこんだ状況がかさなってしまい、自分は体力ぎりぎりのところで難渋しているのに、かれらは、ふざけて音をあげ、さわぎ声を出してみせたりしながらも、その実取るべき処置はすばやく取り終え、悠々としているのではないかと思われてきたのだ。そのときなぜか私は残酷な仕組みのなかに取りのこされたと思った。それは長い長いあいだの度かさなる体験のあとで身につけたかれらの活力のなかに、無謀にもまぎれこんだあわれな生きもののように自分が見え、どこかをまちがえてこんなことになってしまった、とふと正体のはっきりしない恐怖がちらと通りすぎて行った気になった。」



「オシヴィェンチムまで」より:

「そして広い畑の中の道をゆるいカーヴを描きながら進んだそのつきあたりのところに、行手をはばむような建物が横たわっているのが見えてくる。煉瓦造りの一階建て。だが横に長くてまるで城壁のようだ。中央にひときわ丈高く鎌首をもちあげたぐあいの塔は望楼にちがいあるまい。拒むことのできぬ吸引力がその建物全体からもやもやとたちのぼり、私たちの方にのびてきて有無を言わさず包みくるみ、その建物の中に引っぱりこんで行きそうな気がしてきた。その中はどんな光景になっているのか。タクシーの運転手は待つことをにべもなくことわって田園の中の道を引きかえしてしまう。まるでここまで送りとどけられたものの帰途は絶たれて無気味な建物の門前に投げだされたぐあいだ。天はいっそうかげりを濃くしてきた。ここにつれてこられた以上は帰りの心配など末の末のことだ。一種の恍惚とした感動が身うちをかけまわり、吸いこまれるように私は望楼の下の門に近づいた。押しかぶさるような天井と両わきの煉瓦の壁からひたひたと冷たい気配がにじみ出てくる、上部をアーチなりにくりぬいた空間がその向こうの世界を収斂している。そこをくぐりぬけなければならぬ私の皮膚は誰何される鋭い声を期待しつつ死に急いでいるかのようだ。


島尾敏雄 夢のかげを求めて 03


島尾敏雄 夢のかげを求めて 04





















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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