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西岡兄妹 『人殺しの女の子の話』

2011年10月14日。


「天国も地獄もありはしないわ。生活、生活、生活、あるのはそれだけよ」
(西岡兄妹 『人殺しの女の子の話』 より)


西岡兄妹 『人殺しの女の子の話』
 
青林工藝舎 2002年12月20日初版第1刷発行 
ノンブル表記なし 22.5×7.5cm 
角背紙装上製本 カバー 定価1,300円+税



わたしは甘やかされて育ったので、しつけと暴力を同一視しています。甘やかされていなかったら今ごろ闇に葬られていたことでしょう。甘やかされて育ってほんとうによかったと心からおもいます。子どもたちの未来のためにも、一日も早く世の中から学校が消えてなくなるとよいですね。そういうわけで今回は西岡兄妹の絵本を読みたいとおもいます。


nishioka brosis - hitogoroshi


「人を殺したい/女の子はそう思いました/理由はありませんでした」

いいねえ。ぞくぞくするねえ。
 
本書はたぶん、西岡兄妹版『異邦人』(カミュ)です。

(以下の文章に、いわゆる「ネタバレ」があります。)

「人殺しといってもまだ子供です/お母さんが死んで悲しくないはずがありません」なんて、ぬけぬけと書いてありますが、女の子が「何だか悲しくなって」しまうのは、お母さんが死んだら、料理を作ってくれる人がいなくなる、ということに気付いたからです。
最後に女の子は絞首刑にされてしまいますが、ただ、処刑を前にしたカミュの主人公に訪れたような幸福感(※)は、本書の主人公の少女には無縁でした。

「このようにして女の子は死んでいきました/幸せでも/不幸せでもありませんでした」

ふつうに読んだらあまり楽しくないお話ですが、本書は、当時、巷にあふれていた、「少年犯罪に対する刑罰を重くすべきだ」「死刑制度は廃止すべきではない」「“なぜ人を殺してはいけないのか”などと問うこと自体まちがっている」などというような言説に対する、西岡兄妹の回答なのかな、と思いました。

結局のところ、みんなが人を殺したがっているのでしょう。

本書は絵本ですが、この内容なら漫画にした方が良かったようにも思います。それはさておき、大きな画面のフルカラーで、大正・昭和初期の童画のような深みのある色づかいで描かれています。
女の子が抱いている鳥や、裁判所の場面に出てくる動物たち(女の子が抱いていた鳥も、何食わぬ顔して混じっています)が可愛かったです。表紙のピストルを手にした殺し屋ふうの女の子がかっこいいですが、中身にはピストルを撃つ場面が無くて残念でした。

「オトウサンヲキリコロセ オカアサンヲキリコロセ」
(丸山薫「病める庭園」)




※アルベール・カミュからの二つの引用。

「私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について。すべてについて。私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。私はまるで、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。他人の死、母の愛―そんなものに何の意味があろう。ただ一つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権あるひとびとを、私とともに、選ばなければならないのだから。君はわかっているのか、いったい君はわかっているのか? 誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。他のひとたちもまた、いつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?」
「私もまた、全く生きかえったような思いがしている。あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、このしるしと星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。」

(カミュ『異邦人』、窪田啓作訳、新潮文庫、より。)

「したがって、知力もまたそれなりのやり方で、この世界は不条理だとぼくに語りかけてくるのである。知力の反対物である盲目の理性は、すべては明晰だとつよく主張するが、じつはそんな主張はむだだったのだ。じつはそうした主張は虚偽なのだということを、いま、ぼくは知っている。実践的あるいは道徳的なあの普遍理性にしても、自己を偽らぬ人間にはお笑いぐさだ。これ以後、人間の運命が意味のあるものとなる。おびただしい非合理的なものが姿を現わし、人間をとりかこんで、その終末まではなれない。明徹な視力が戻ってきていまや一点にひたと収斂され、不条理の感情がくっきりと照らしだされ、その姿を明確にするのだ。ぼくは言葉をいそぎすぎたようだ。不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。不条理は人間と世界と、この両者から発するものなのだ。いまのところ、この両者を結ぶ唯一の絆、不条理とはそれである。ちょうど、ただ憎悪だけが人間同士をはなれがたい関係におきうるように、不条理が世界と人間とをたがいに密着させている。なにがどうなるか解らぬぼくの生がつづけられているこの途方もない宇宙のなかで、ぼくが明晰に識別できるのはこれだけなのだ」
(カミュ『シーシュポスの神話』、清水徹訳、新潮文庫、より。)





























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

すきなことば: 「だれもいない」「ギブアウェイ」「ウポポイ」「隠密」
きらいなことば: 「人と人とのつながり」「キャリアアップ」「ほぼほぼ」「三密」

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歴史における自閉症の役割。

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