『井上究一郎文集Ⅱ プルースト篇』

「プルースト自身もまたある意味で、アルヴェード・バリーヌがいうように、「狂気となるべく運命づけられていた」のであり、彼の苦悩は「自分の意志ではどうにもならないもの」であり、けっして彼には「責任のないもの」なのであった。」
(井上究一郎 「プルーストのヴィジョンを開花させたネルヴァル」 より)


『井上究一郎 文集Ⅱ 
プルースト篇』


筑摩書房 
1999年11月20日 初版第1刷発行
574p 口絵(カラー)4p 
A5判 丸背紙装上製本 貼函 
定価9,500円+税
編集協力: 吉田一義
マーブル: 三浦永年
装画: Martin Schongauer, La Vierge au buisson de roses (1473)

栞 (8p):
成城の方(ほう)へ(出口裕弘)/イリエ再訪――井上先生の思い出(岩崎力)/不肖の弟子(阿部良雄)/小さな本の深み(安藤元雄)/座右の書(吉川一義)/他人の思考(松浦寿輝)



本書「編集後記」より:

「『井上究一郎文集』の第一巻「フランス文学篇」につづく、この第二巻は「プルースト篇」である。『失われた時を求めて』の個人全訳を完成された第一人者の手になる、プルーストについての論文やエッセーが漏れなく集められている。」
「第三部には、(中略)最晩年のエッセーが収録されている。」



井上究一郎文集 プルースト篇


帯文:

「著者の遺した個人全訳『失われた時を求めて』は、とぎすまされた感性でプルースト世界の奥深くの響きをとらえ、そのかすかな息づかいを典雅な日本語のうちに織りこんだ文学的香気高い芸術作品として、ますます煌々たる光を放っている。プルースト研究の第一人者の、長い時にわたる探究の詩趣あふれる成果を集成する。海彼の旅の告白『幾夜寝覚』収録。」


帯背:

「長い時にわたって
たどりつづけた
プルーストへの旅の
麗わしい軌跡
(全二冊●完結)」



帯裏:

「[…]遠く蜩(かなかな)が鳴いている。翻訳している『囚われの女』も終末に近づいた。いよいよナポリの王妃が登場し、やがて失意のシャルリュス男爵の腕をとって、ヴェルデュラン家のサロンを去ってゆく。(本文より)
稀有な文人としても知られる仏文学者の雅致にとむ文業を集成する。」



目次:

口絵
 1994年1月
 ピサネッロ「鶉のいる聖母」
 シャルダン「赤えい」
 シャルダン「自画像」(みどりの目びさしの像)
 シャルダン「自画像」(鼻めがねの像)
 フェルメール「デルフトの眺望」
 

プルーストのヴィジョンを開花させたネルヴァル
 はじめに
 一
 二
さんざし
 一 ヒースとさんざし
 二 欲望と愛
 三 表現の義務
「心情の間歇」
 一 「心情の間歇」について
 二 「心情の間歇の章」(『ソドムとゴモラ 二』)の抄訳
「芸術作品」
 一
 二
マルセル・プルースト
『花咲く乙女たちのかげに』という小説は…
『ゲルマントのほう』の空間とドラマ
『ソドムとゴモラ』への船出
 一 『ソドムとゴモラ 一』
 二 『ソドムとゴモラ 二』
『見出された時』の筋を追って
 一 最終篇『見出された時』
 二 時のメタファー
マルセル・プルーストの方法
フランス現代小説の転回期とマルセル・プルースト
新心理主義の文学
 

フェルメール発見
プルーストとシャルダン
ハンガリー絵画展を見る
プルーストと音楽
サファイアの小さい針
『千一夜物語』とプルースト
ル・ロワールの春、その他
マドレーヌの一きれと日本の水中花
岸田國士とヴィスコンティ
岸田國士
ヴィスコンティ=プルースト『失われた時を求めて』の邦訳シナリオによせて(序文)
映画『スワンの恋』を観る
『失われた時を求めて』の校訂版と草稿帖
『見出された手紙』
奇遇
 一 「名」の世界の人、五来連氏
 二 レーナルド・アーンにつながる縁、蘆原英了氏
「眠っている彼女を見つめる」
私が《作品》にプルーストを訳していたころ


幾夜寝覚
 幾夜寝覚
  *
  **
  ***
 『幾夜寝覚』周辺記
 牧童の杖
  一通の手紙
  エトナを見る
  網代湾八月記
  わがコニファーの谷間から
 
旅の快楽
こぼれまつば
 
初出一覧
単行本目次一覧
編集後記 (吉川一義)
年譜 (金沢公子)
父の年譜を編んで (金沢公子)



井上究一郎文集 プルースト篇 02



◆本書より◆


「プルーストのヴィジョンを開花させたネルヴァル」より:

「『失われた時を求めて』の作中の話者は、小説の最終篇において、自己が目ざす新しい「書物」の概念を明確にするために、「もっとも高次な、もっとも異なる種々の芸術から」例を借りなくてはならない、といっているし、そのためには、話者が見出したものと同類の感覚を作品に転移した作家たち――シャトーブリアン、ネルヴァル、ボードレール――との「高貴な系譜のなかに」やっと自己を置くにいたった、と語っている。そうした作家たちや作品の真諦にふれることによって、話者はあらたな啓示を受け、「芸術作品」の不滅性の把握に向かって、毎日延ばしつづけてきた「仕事」の着手にふみきる最後の決意に到達した。
 しかしながら、目ざす小説の体系と統一とを模索していたプルースト自身にたいして(むろん小説の話者にたいしてと言いかえてもいい)、その長い過程を通じて、もっとも内密な親近感をあたえ、もっとも独創的な発見をさせ、もっとも幻想的なヴィジョンを開花させたのは、シャトーブリアン、ネルヴァル、ボードレールのなかでも、とりわけネルヴァル――「フローベールの《文体》について」であのように情熱をこめ、紙幅を逸脱して、長々と解説がなされているあのネルヴァル――ではないかと筆者は考えるのである。」

「おなじ病理学的な見方といっても、ネルヴァルにたいする正当な理解、十九世紀ヨーロッパ文学に誕生した幻想的な心性の一典型としてネルヴァルにフランスの代表的位置をあたえた点で、プルーストの注意をひいたもっとも重要な資料は、一八九五年から一八九七年にかけて《両世界評論(ルヴュ・デ・ドゥー・モンド)》誌上に掲載されたアルヴェード・バリーヌの文学評論『病理学的文学試論』だといってもいいだろう。」
「そのアルヴェード・バリーヌは(中略)前記論文のなかで、プルーストにとって非常に暗示的な意見を述べている。

  彼〔ネルヴァル〕は現代の心理学が人格の二重性という名のもとに科学的に研究している現象との類似を示すような異常な現象につねになやまされた。そうした種類の二元性が彼の性格の鍵であるとともに彼の才能の鍵であり、彼の人間の鍵であるとともに彼の作品の鍵なのである。その鍵をけっして見失ってはならない。彼が物を書くとき、ペンをにぎっていたのは、非常におだやかで非常に透徹した彼の自我、どんな粗暴にもどんな過度なふるまいにも反対する彼の正常な自我であった。そしてその自我が最後の日までペンを離さなかったのだ。〔…〕幸か不幸か、その正常な自我は《神秘な兄弟》をもっていて、そのものが彼に思想を暗示し、彼を非現実のなかにひきいれた。〔…〕平衡を失ってはいるが、すぐれたエッセンスであるこの第二の自我が〔…〕外界についての微妙なヴィジョンをもったのであり、現実の象徴的な意味を認めたのであり、ジェラール・ド・ネルガルから文学の風来坊をつくりあげたのであった。〔…〕街角でふと彼を立ちどまらせ、恍惚とした態度のなかで凝固したかのように彼を動かなくしてしまうのはその第二の自我であった。そのものがまた神秘と未知との目まいによって彼を狂気と自殺に追いやった。しかしそのものがなかったら、ジェラール・ド・ネルヴァルはその生涯で二度三度彼の頭上に天来の真の詩風が吹き通るのを感じなかったであろうし、フランス散文の小傑作の一つである『シルヴィ』を書くこともなかったであろう。

 アルヴェード・バリーヌはまたいう。

  生まれるときから狂気となるべく運命づけられていたジェラール・ド・ネルヴァルは、彼の才能のすぐれた部分を――彼にたいして否むことのできない天才の小さな一隅を――彼の不幸に負っていたにちがいなかったように思われる。彼はその精神が絶対に健全であったとはいわれない時期にしか真の詩人ではなかった。そういう精神状態にあって、彼はその《神秘な兄弟》の口述のもとに、作品を書いたのだ。彼の場合こそ、他の誰の場合にもまさって、いっそういらだたしい、いっそう手におえない、おそるべき疑問、しばしば提出されながらけっして解決されない疑問、天才と狂気との関係についての疑問が起こるのである。人間にとって、それ以上屈辱的な疑問はない。われわれはここにそれを解決しようと試みるつもりはない。〔…〕われわれはもっとも感動的でもっとも責任のないその犠牲者の一人にたいするいささかの共感を呼びおこそうと欲したにすぎないのである。」

「ボードレールは「あらゆる狂気のなかにも、ある偉大なものがあること」を認めたが、プルーストも同様に、ブルジョワジーの健全で中庸をえた、とりすました考えかたを否定するというまさにその点において、ブルジョワであることをうたがいえないような、そんな反ブルジョワ思想の持主であった。したがってプルーストは、デュ・カンの時流に乗った病理学的見地には共感を抱かなかったとしても、アルヴェード・バリーヌとともに、天才と狂気との関係についての解決しがたい疑問に、みずからも「責任のない犠牲者の一人」として、立ちむかう勇気をふるいおこしたにちがいない。とりわけプルーストが共感をもったのは、アルヴェード・バリーヌによって語られているネルヴァルのなかの第二の自我であっただろう。プルーストは彼自身の作中人物のほとんどすべてにこの第二の自我を設定するという独特の方法を用いるようになる。また作中の話者自身も(この場合作者自身といってもいい)、対象の本質にせまろうとする場合には、第二の自我――真の自我――になりきろうとするのである。」

「プルースト自身もまたある意味で、アルヴェード・バリーヌがいうように、「狂気となるべく運命づけられていた」のであり、彼の苦悩は「自分の意志ではどうにもならないもの」であり、けっして彼には「責任のないもの」なのであった。そういうものとして話者の幼時の苦悩を描く作者の態度は、すでに『神経症文学者たち』の作者によって弁護されていたのである。」



井上究一郎文集



こちらもご参照下さい:

『井上究一郎文集Ⅰ フランス文学篇』
井上究一郎 『ガリマールの家』


































































































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