清岡卓行 『萩原朔太郎『猫町』私論』

清岡卓行 
『萩原朔太郎『猫町』私論』


文藝春秋 
昭和49年10月15日 第1刷
235p 口絵ii 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価1,500円
装幀: 岩阪恵子


「一九七三年八月号より一九七四年五月号まで「文学界」に連載
一九七四年四月から五月にかけて加筆」



清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 01


帯文:

「萩原朔太郎の
詩と小説の接点に
挑み
彼が描いた
猫のおびただしい
イメージを
分析し
彼における
〈幻想の近代〉の
崩壊を
浮き彫りにする
画期的な
力作長篇評論!」



帯裏文:

「今月心を惹かれたのは十回にわたる連載を完了した清岡卓行氏の「萩原朔太郎『猫町』私論」(文学界)である。
これは詩人萩原朔太郎が昭和十年に書いた短い幻想小説「猫町」を愛読し、かつそこに詩人の余技という以上に、幻想的な猫のイメージを通じてにじみでてくる詩的な魂の表現と、幻想的な近代の崩壊を読みとる清岡氏が、その柔軟な感性のすべてをあげてこの作品の秘密を多面的に探ったものである。
批評家の評論ではこのように優雅に説得されることは先ず考えられない。ここまで心をこめて読まれれば朔太郎も以て瞑すべしと言ってよい評論の傑作である。
高橋英夫 (共同通信配信「文芸時評」より)」



清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 03


口絵「『猫町』(萩原朔太郎著・1935年11月版画荘刊)」


清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 04


口絵「萩原朔太郎(自宅の応接間で『猫町』表紙画を背に――1935年頃)」


清岡卓行 萩原朔太郎猫町私論 02



◆本書より◆


「私はここで、自分のささやかな個人的経験をはさませてもらうが、アルフレッド・ヒッチコックの映画『鳥』を見たあとの奇妙な感覚を忘れることができないのである。あの非現実的な幻想のフィルムにおいて、烏や鴎の集団は、くりかえし執念深く、一人あるいは少人数の人間を襲い、傷つけたり、殺したりする。」
「その傑作のフィルムを見た帰りに、私は国電のある駅のプラットフォームに立っていた。(中略)そこには電車を待っている人が沢山いた。そのとき私は、まったく不意に、プラットフォームの上の群衆に恐怖を感じたのである。先ほど見た映画の中の鳥の大群のように、ここにいる人人が、私に襲いかかってきて、私を苛めたり殺したりしはしないだろうかという、荒唐無稽な恐怖を覚えたのである。」




◆感想◆


本書で著者は、「猫の群衆という幻覚がかたどる人間の集団とは、具体的にはいったい何であるのか?」という問を立て、第一は戦争期に「全体主義に染めあげられようとしている大衆」、第二は「社会的現実において抑圧されている詩人、または、そのような一部の大衆」であると、二つの解釈をあげていますが、結論は保留しています。
本書の二十年後に著者が編集した岩波文庫版『猫町 他十七篇』の解説でも、この二つの解釈を、こんどは順序を変えて挙げていますが、そこでは「全体主義」説の方に力点がおかれています。
なお、岩波文庫版『猫町』解説では、かねてから江戸川乱歩によって「猫町」との類似を指摘されていた、ブラックウッドの短篇「古き魔術(Ancient Sorceries)」について頁を割いて説明していますが、本書ではポー「黒猫」への言及はあるものの、ブラックウッドについては触れられていません。
そういう意味でも、また本書で言及されている朔太郎散文作品の多くが収録されているという点でも、文庫版『猫町』は本書への補遺であるといってよいです。
残念なのは、清岡さんがいっていることはどうもわたしにはしっくりこないというか、ノレないという点であります。そういえばわたしは清岡さんの詩も「アカシヤの大連」も「手の変幻」もよんでないです。本書は装幀がイカスので購入しました。

























































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

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