小海永二 訳  『アンリ・ミショー全集 Ⅲ』 (全四巻)

「わたしはよりしばしば不幸について語るけれども、また沢山のささやかな楽しみをも持っている。」
(アンリ・ミショー 「エクアドル」 より)


小海永二 訳 
『アンリ・ミショー全集 Ⅲ』


青土社 
昭和62年2月20日 印刷
昭和62年2月25日 発行
852p 
菊判 丸背布装(背バクラム)上製本 貼函 
定価7,800円
装幀: 高麗隆彦
限定八〇〇部



本書「解説」より:

「本巻には、アンリ・ミショーの二冊の紀行とそれらに対応・関連する架空旅行記の三部作、および二冊の芸術論集を収め、それらを発行年代順に従って配列した。」


小海永二個人訳『アンリ・ミショー全集』の新版(旧版は全三巻)。
二冊の紀行(「エクアドル」「アジアにおける一野蛮人」)のみ本文二段組です。


ミショー全集Ⅲ


目次:

エクアドル――旅行日誌
 序文
 キートへの到着
 アンデス山脈
 あるインディアンの町の蜃気楼
 大きさの危機
 パシフィコ・チリボガの館と公園
 ガダルペの農場への到着
 ガダルペの農場への帰還
 キートへの帰還
 アメリカ女性へのセレナーデ
 ある鳥の死
 おれは生まれた、穴あけられて
 嘔吐 あるいはやってくるのは死か?
 サン・パブロの湖
 ある馬の死
 太平洋岸まで拡がる熱帯樹林がそこから始まる
 四五三六メートルのアタカッチョ山の火口の中で
 プエンボにて
 思い出
 アマゾン河畔の港、ペルーのイキトス
 アマゾン河は二十世紀以前には見られるに値しなかった
 いくつかの思い出への序文
 アンデス山脈中のインディアンの小屋
 入墨
 丸木舟
 アンデス山脈
 歓待

アジアにおける一野蛮人
 序文
 新版序文
 インドにおける一野蛮人
 ヒマラヤ鉄道
 南部インド
 セイロンにおける一野蛮人
 博物誌
 シナにおける一野蛮人
 日本における一野蛮人
 マレー人の国に来た一野蛮人
 おわりに

グランド・ガラバーニュの旅
 アク族の国にて
 エマングロン族
 アラヴィの部族
 オモビュル族
 エパリュ族
 オルビュ族
 ランジュディーンにて
 オマンヴュ族
 エコラヴェット
 ロコディ族とニジュデ族
 アルナディ族
 ガリナヴェ族
 ボルデット族
 ミルン族
 マザニット族とユラビュール族
 オソペ族
 ボーラール族
 パラン族
 ヴィブル族
 マスタダール族
 アルペードル族
 カラキエ族
 ガベードル
 ナン族
 アスーリン半島にて
 グーラール族
 エカリット族
 エトルディ族
 ウールグーイーユ族
 アララ族
 コルドーブ族
 ゴール族
 ミュルヌ族とエグランブ族
 ノネ族とオリアベール族
 イヴィニジキ族
 グランド・ガラバーニュの皇帝、ドヴォーボ

魔法の国にて

ここ、ポドマ
 ポドマ=アマ
 ポドマ=ナラ

パッサージュ――芸術論集
 抜け道の思想
 自然
 子供たち
 若い娘らの顔たち
 詩人たちは旅をする
 空間との闘い
 首尾よく眼覚める
 描く
 絵画現象について考えながら
 読み方
 第一印象
 観察
 呪いに関するノート
 右に左に
 線の冒険
 音楽と呼ばれるある現象
 時間の経過を描く
 力
 わたしは出現する
 行為の代りのノート
 燭台…
 ライン河の妖精たち

謎の絵画から夢見ながら
 謎の絵画から夢見ながら

解説




◆本書より◆


「エクアドル――旅行日誌」より:

「低く、低声(こごえ)で、わたしは今日、自分に向かって言ったのだった、《お前が見たものを、お前はさらに色彩でも描くことができるだろう》と。
 だが、わたしの自我(モワ)は望まなかった、そしてカンバスの上には、わたしの忠実な怨霊と幻像(ファントーム)とが現われた、どこにも存在せず、エクアドルのことなど何も知らず、人にされるままになることのない彼らがだ。
 さあどうだ、まだ全部が負けてしまったわけではなかった。」

「周知の愚か者とされる人々についても同様に、わたしは彼らを愚か者と判断しないように十分に気をつける。
 博識の人々、学者らは、受け入れることをした人々であって、愚か者とか無知文盲の人々というのは、受け入れることをしなかった人々なのである。
 宗教だけではなく、すべての科学がパスカルの賭の対象なのである。」
「わたしは、中学校での勉強の中で、しばしば気づいた、《愚かな》生徒たちが、提示された理論の危っかしいところや純理的なところやその要点などで極めて確実につまずくことに。
 彼らはその点について先生に質問を出し、先生は彼らに問題をくり返し説明した。けれども彼らは、低俗な優等生たちの冷笑や嘲笑を浴びながら、夢想家のままにとどまっていた。
 後になってからわたしは、後継者の学者たちによって引っくり返されたそれらの理論が、まさしくあの十五歳の愚か者の見抜いたその箇処で引っくり返されたのであることに気づいた。
 学級(クラス)の劣等生たちには、ただ別の文化が、ある天才的な文化が、必要なだけなのだろう。
 彼らのうちの多くは、彼らが人生を最も単純なものによって、最も根底的なもの、また最も確実なものによって理解したように、そんなふうに作られていたのである。」

「狂人たちを信用することはほとんど一つの知的伝統なのである。だが、わたしは特に、愚かな者たちが持つ多くの富のことを考える。」

「互いに愛し合えというこの言葉も、もしも人間同士の間だけのことならば、何と偏狭なことだろう。わたしがかつて知りたいと望んだように、犬に話しかけて、彼の考えていることの一切を、また様々の印象を、ちょっとたずねてみるなんて、何とすばらしいことだろう、そしてもしもその犬が、われわれに彼の腸の中に出来るものについて語りでもしたら、あらゆることがわれわれの興味を引くことだろう。」

「人間は、裏切者の友達であることができる!
 そのこと、それがわたしの鍵なのだ、裏切者というのが! 諸君は今、裏切者を持っているのだ。」

「人は結局、どんなつづれ織りの壁掛でもいい、四十八時間見つめ続けることで、おのれの真実を見つけることができるだろう。」

「真暗な中で、われわれはほとんど無防備の状態だ。われわれは王蛇(ボア)の危険にさらされていた。ボアは水の上に立ち上り、パマカリのトンネルの中にはいってきて(その中でわれわれは、ぎっしりと積み重ねられて石のように固い米袋の上で眠ろうと努めていた)、ボアははいってきて、餌をつかまえ、転がして、いっしょに水の中へと戻っていく。」
「さらにはまた、山猫(ティグリリヨ)や虎や蛇や、特にチュチュピまむしなどのうようよしている森の中に、投げ出される危険にもさらされていた。このチュチュピまむしは夜しか出てこないのだが、最も恐ろしい奴で、腕のように太く、雌鶏のようにくゎっくゎっと鳴き、昼間は自分のために作った穴の中にもぐりこんでいるのだが、夜明けまでに自分の穴を作る暇がなかったりすると、その時は翌日もそこにとどまり、そこで、とぐろを幾重にも巻き重ねて、眠っている。われわれはまたさらに、最も有毒の生物である、薄皮の昆虫、チュチョラ・マチャクの危険にもさらされていた。この昆虫は河馬の頭部のような形をしており――それは身の毛がよだつようだ――、(そして黒い無表情な小さな眼は完全に後方についているので)半ば盲目であって、刃針(ランセット)を前方に飛ばし、それを底まで打ちこんで、手ごたえのある場所に来ると、そこに刃針をさしこみ、何人をも容赦しない毒液を注入するのだ。」

「わたしはうまく自分の意見をのべることがなかなかできない。わたしはよりしばしば不幸について語るけれども、また沢山のささやかな楽しみをも持っている。」

「子供が知る必要のあること、それは一般に人は節度をもってすれば成功することができるとか、あるいは適度にやればとか、勇気をもってすればとか、ということではない。それは、何が彼にとって適切か、ということだ。(中略)そんなわけで今度の旅行に関しても、わたしに与えられた忠告は数知れず、そしてそれらは互いに矛盾し合っていた。だが今ではわたしは、わたしにとって何が適切かということを知っている。わたしはそれを言わないだろう、だがわたしはそれを知っている。」

「一つのものが欠けているということは、必然的に、他のあるものを持っているということなのだ。」

「単調さの中には、十分に真価の認められていない美徳がある。一つのことの繰り返しは、物事のどのような変化にも相当する。それは、非常に特殊な、そして恐らく、言葉ではなかなか説明できず目で見ても理解することのできないものから来る、ある偉大さを持っている。」



「アジアにおける一野蛮人」より:

「また戦争が起こるのだろうか? 自分の姿を見つめるのだ、ヨーロッパ人たちよ、自分の姿を見つめるがいい。
 君たちの表情の中には、おだやかなものが何もない。
 そこではすべてが戦いであり、欲望であり、貪欲さだ。
 平和でさえも、君たちは荒々しく欲している。」

「世界中いたるところで、匈奴とか、タタール人とか、蒙古人とか、ノルマン、とかの様々な人種の侵入がさかんに行なわれ、また、新石器時代の宗教とか、トーテム信仰とか、太陽信仰とか、アニミズムとか、シュメールの宗教とか、アッシリアの宗教とか、ドルイド教とか、ローマの宗教とか、回教とか、仏教とか、景教とか、キリスト教とか、様々の宗教の流入がひんぱんに行なわれてきたので、誰ひとり純粋な人間などはおらず、誰もが言語に尽くし難いほどの、もつれにもつれた雑種人間なのである。
 そうしたわけだから、人がおのれの内部に引きこもる時、(中略)人はようやく、一つの平和へと、それもまた《超自然的なもの》ではないかどうかと自らに問いうるほどに前代未聞の一局面へと、到達することができるのである。」

「文明とは何だろうか。それは一つの袋小路だ。」
「民族は歴史を持っていることを恥じなければならないだろう。」

「さて、「仏陀」は彼の弟子たちにこう言った、まさに死のうという時に。
《これからは、お前たちが、お前たち自身の光に、お前たち自身の避難所になりなさい。
他の避難所を求めてはいけない。
お前たち自身の傍ら以外に、避難所を求めに行ってはいけない。》
………………………………
《他人の物の考え方を気にしてはいけない。
お前たち自身の島の中に居なさい。
瞑想の中にとっぷり浸(つ)かって》。」



「グランド・ガラバーニュの旅」より:

「要するに、エマングロン人はヨッフェ族の一員だ。エマングロン人たちがヨッフェ族の間にまじっている時は、オーケーなのだ。けれども、他の人種の間にいると、彼らに欠けているもののすべてが一目瞭然になる。そして、彼らには非常に多くのものが欠けている。
 その時、人々は、彼らが様々の文明に対して、あるいはもしそう言いうるとするならば、他の諸民族の影響に対して、ユニークなやり方で抵抗することができたということが、どんなに驚くべきことであったかを考える。
 それは、多くのささやかな天然物と同様に、彼らが彼らの弱さそのものによって、そのささやかな習慣や奇癖に、忠実であるという以上に執着を持っているからなのである。」



「魔法の国にて」より:

「夕暮、しばしば、野に火が見える。それらの火は、火ではないのだ。少しも燃えてはいないのだ。辛うじて、そしてやはりそれは恐ろしく燃えている火の一つであるには違いないのだが、その中心を通過するか細い蜘蛛の糸が、辛うじて燃えきれるくらいのものなのだ。
 実際、それらの火には熱がない。
 だが、それらの火は、自然の中には匹敵するもののない輝きを持っている。(中略)
 これらの大火は、人を魅惑し、恐れさせるが、にも拘らず何の危険もない。そして火は、現われた時と同じく、突然、燃えるのを止める。」

「「魔法使いたち」は暗がりを好む。初心者には暗がりが絶対に必要だ。彼らは、長持の中、衣裳戸棚の中、下着用箪笥の中、金庫の中、地下室の中、屋根裏部屋の中、階段の取付け部屋の中で、言ってみれば、骨(こつ)をおぼえる。
 わたしの家では、何か異様なものが押入れから出て来ない日は、一日としてなかった。ひき蛙であったり、鼠であったりした。だが、自分の不器用さに気がついて、逃げ出すこともできずにその場で消えてしまうのだった。」

「突然、人は自分が何かに触られたのを感じる。けれども、自分のそばにはっきりと目に見えるものは何もない、とりわけそれが、もう完全に明るい昼間ではなく、午後も終りの頃合だとすると(それが彼らの出て来る時刻だ)。
 何となく気分が悪い。扉と窓を閉めに行く。その時、水の中にいながら同時に水でできているくらげのように、確かに空気中にいながら透明で、重い、弾力のある、ある生き物が、人の押すのに逆っている窓を通り抜けようと、試みているように思われる。空気のくらげが入って来た!
 彼は無論、事態を理解しようと試みる。だが、耐え難い感動が恐ろしいほどに増大し、彼は《ミャー!》と叫びながら外へ出て、走りながら通りに身を投げる。」



「ここ、ポドマ」より:

「アリドマには、他に類のない長所として、質素ではあるが音楽を奏でるすばらしい家々の、与えてくれる慰安がある。
 それぞれの家は、一種の容器のような深くて狭い岩穴の中に設けられている。一日が終ると、彼らは、計算された場所にそのための穴を開(あ)けられている天井の真中から、一滴また一滴と、続けてさらに次の一滴をというように、水滴を際限なく落下させるのだ、天井の穴を除けば完全に密封されている、独立した小さな部屋の中に。
 このようにして落ちる水滴は、空気の圧縮や他の何らかの原因によって、清澄な天上の音楽を作り出す。
 この魅惑的なフリュートは――わたしはその閉ざされた部屋のことを、また隣りの部屋のことを、またさらに抑制された不思議な振動音のはいりこむその家全体のことを言っているのだが――、人の心を揺り動かし、彼を音の酩酊の中にたっぷりつからせて、漂流させる。
 この絶え間ない、だが高低のないわけではない音は、(強弱については)葦の間を吹く風の忍び音に似た囁きから、半ば海中にある洞窟の中に突然入りこみそこに不規則にぶつかる、水撃作用による波の恐ろしい唸りにまで及び、そして、極小のあるいは巨大な、だが常に天上の清澄な音楽を奏でるこの音の塊り、この喜びに輝くただ一つの音の中で――だが人々は、千の音を聞いていると信じている――、家中が眠りにつくのである。
 この音楽がアリドマ人たちにとっていかなるものであるかについては、言葉では言い尽くせない。彼らはこの音楽を薬として飲む。それは彼らの父であり母であり、彼らのゆりかごなのである。」



「抜け道の思想」より:

「鼠は日の照りつける中に二時間もいると衰弱してしまう。太陽癌にかかろうとしているのだ。それを見た後では、鼠が光線よりも自分を元気づける庇の影の方を好むのを、誰が許さずにいるだろうか。


「子供たち」より:

「大人よりもずっと大人である子供。」

「まだ知らないことばかりで満たされた、広がりと沙漠とで満たされた、無知で大きくふくらんだ、流れる大河のような、極めて特殊な、子供時代の視線(大人は、物のありかをつきとめようとして広がりを売ってしまった)、また何かに結びつけられていない視線、目の前から逃れゆくすべてのもので濃密な、まだ判読されていないものをたっぷり詰めこまれた視線。異邦人の視線、というのは、子供は異邦人として自分の肉体の仲に到着するからだ。」
「そして子供はまた、われわれの文明の中にも、地上にも、異邦人として到着する。」

「成人――完成された――死。これらはある同じ状態の異なる色合い(ニュアンス)にすぎない。」










































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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