郡司正勝 『かぶき発生史論集』 鳥越文藏 編 (岩波現代文庫)

「江戸文化の二大育成地として、すでに、史家の指摘せる遊里と芝居街とは、当時の社会観からは、二大悪所として忌憚されつづけてきたところであった。遊里は「古来畜生といふ」(『世事見聞録』)人種が住んでいたところであり、芝居は「河原乞食」の世界であって、当時の封建社会観からすれば、いずれも士農工商の階級からはずれた、非人あるいは賤民といわれる部類に属していたので、彼らは人間ではなかったのである。」
(郡司正勝 「河原者と芸術」 より)


郡司正勝 
『かぶき発生史論集』 
鳥越文藏 編
 
岩波現代文庫 文芸 B-52

岩波書店
2002年5月16日 第1刷発行
292p 索引18p 目次・付記x
文庫判 並装 カバー
定価1,000円+税


「本書は岩波現代文庫のために編集されたオリジナル版である。」



本書所収論文のうち、「猿若の研究」「道化の誕生」「力者とその芸能」「河原者と芸術」は『かぶき――様式と伝承』(初版1954年、新版1969年)からの再録です。「若衆かぶき以前の少年芸」(1970年)は『かぶき論叢』(1979年)に収録されています。


郡司正勝 かぶき発生史論集


カバーそで文:

「著者のかぶき発生史に関わる画期的な業績のアンソロジー。かぶき揺籃期の十六世紀末に物真似芸を中心に喜劇的な役柄を演じた「猿若」や道化に関する研究、中世末期の被差別芸能民を扱った「力者とその芸能」「河原者と芸術」などの論考を収録。編者による詳細な注と解説を付し、初学者にも理解しやすい形で紹介する。」


目次:

編集付記

Ⅰ 猿若の研究
 一 文献にあらわれた猿若および従来の学説
 二 猿若のあらわれた画証
 三 民俗舞踊における猿若の発見
 四 猿若とシンボチ
 五 猿楽と猿若の関係について
 六 狂言師と猿若の関係について
 七 猿若の扮装術
  1 服装について
  2 服飾品について
  3 持ち物(小道具)について
   (1) 床几その他
   (2) 釆と団扇
 八 猿若の芸能
  1 唐団扇による演技術
  2 柱による芸能
  3 物真似術
  4 雄弁術
  5 木やりと猿若
  6 しゝおどりと猿若
 九 猿若狂言の変遷
 十 猿若狂言の成立
 十一 道化としての猿若の性格
 十二 猿若の喪失と道化方の出現
 十三 猿若の史的位相

Ⅱ 道化の誕生
 一 「どうけ」という名称
 二 どうけの出現
 三 初期どうけの地位
 四 どうけの扮装術
 五 初期どうけ方の劇術
  1 物真似について
  2 話術について
  3 舞踊について
 六 どうけの役柄
 七 奴・六方・丹前
 八 半道について
 九 初期どうけ方一覧

Ⅲ 力者とその芸能
 一 力者の社会的地位
 二 力者の職業
 三 力者と芸能
  1 芸能会における力者の参加とその職掌
  2 田楽と力者の関係
  3 練ごと

Ⅳ 河原者と芸術
 一 河原者の芸術
  1 芸術の意義
  2 河原者
  3 河原者の社会的地位
  4 かぶき者と非人頭弾左衛門の闘争
  5 河原乞食
 二 河原者とその職業
 三 河原者と劇場
 四 河原者とかぶき子
 五 河原者ときやり

Ⅴ 若衆かぶき以前の少年芸
 一 若衆躍の時代
 二 若衆かぶきの名称
 三 若衆と少年
 四 芸態について
 五 その周辺
 六 以前の少年芸
 七 若衆狂言とかぶき踊
 八 女かぶき禁止まで

解説 (鳥越文藏)

人名索引
事項索引




◆本書より◆


「猿若の研究」より:

「女猿楽が、まったく、女性の能楽であったことは、『看聞御記』にも、「観世などに不劣。猿楽之体神妙也」と評していることによっても明らかで、梅玉本の『かふきの草子』が、阿国かぶきを「四座(よざ)の猿楽の仕舞(さま)もこれにはいかてかまさるへき」と讃美しているのをもって、阿国かぶきまでが同じ猿楽であったとは考えられない。とくに、両者の芸能は、本質的にまったく違うものであった。阿国が、女房狂言、女猿楽の間に伍して、ひとり庶民の熱狂的支持を得て、断然頭角をあらわしたのは、すでに、貴族階級の芸能としての能楽を見限ったからであって、形は、先代の古典芸能に似通っていても、その内容に至っては、まったく違った、もっとも生々しい、現実味の豊かな、民間芸能を、民衆の生活のなかからとり上げたところに、阿国かぶきの史的意義と位置があったので、その内容と精神には雲泥の違いがあったといってもいい。」

「もともと、猿若は、阿国かぶきの当初よりの音頭取りであったのである。」

「猿若は、まず、この「太鼓持ち」の資格を備えた新しい道化師であった。」



「道化の誕生」より:

「かくして、かぶきの揺籃期に、重大な役目を勤めた「猿若」は、名実ともに、次期の「どうけ」に、その地位を譲り渡していたのである。」

「かくして、どうけの特殊技術であった「ものまね」は、さらに、島原狂言などに、あげやの亭主のまね、かいてのまね、たいこのまねと進展し、元禄に入って、戯曲的内容が発達するにつれ、その基礎になる写実的ものまねとして発展的解消を遂げるのであり、いっぽう、かぶき舞踊の中に「しかたまね」的要素を深く植えつけたが、どうけ自身は、「ものまね」的要素が二の次になり、笑いにのみその劇術を頼ったがために、いつのまにか、一端役に取り残されてしまったのであろう。しかし、これは、いずれの国の道化師達もが辿った運命であったともいえるのである。」



「河原者と芸術」より:

「上州利根郡利南(となみ)村の孝養寺の山門に至って、まず、目につくのは「禁芸術売買之輩」という、天明六年(一七八六)の建立にかかる石碑である。
 おそらく、これは放浪の乞食芸人や、香具師(やし)や、博徒などが境内に入り込むのをふせぐためのものであったろうが、芸術に携わる人間などには、門前払いを喰わせてしかるべき性質のものであったことが、いまから百五十年ばかりまえの「芸術」ということばの感覚であったのである。」
「ことに、江戸芸術のもつ卑賤性というものは、軽蔑もされ、問題にもなるが、それは芸術の社会における価値と地位もさることながら、芸術に携わった人々の特殊的地位階級によるものであったというべきである。
 江戸文化の二大育成地として、すでに、史家の指摘せる遊里と芝居街とは、当時の社会観からは、二大悪所として忌憚されつづけてきたところであった。遊里は「古来畜生といふ」(『世事(せじ)見聞録』)人種が住んでいたところであり、芝居は「河原乞食」の世界であって、当時の封建社会観からすれば、いずれも士農工商の階級からはずれた、非人あるいは賤民といわれる部類に属していたので、彼らは人間ではなかったのである。しかも江戸の芸術は、直接間接にこの二大悪所なくしては生まれ得なかったところに、芸術としての憧憬と侮蔑感とが入り交った、矛盾した不思議な感動として残ったのである。」

「実際上はともかく、表立っては、一般庶民と共同の住居はもちろん、夏冬にかかわらず編笠にて面を覆い、交際することをさえ拒否されていたのである。そしてその理由は、天保十二年十二月十八日の指令によれば、
   一体、役者の儀は、身分の差別もこれあり候処、いつとなく、其の隔てもこれなきやうに成り候付、元来右役者共は、河原者と申す本意を忘れ、正業の町人共等に相混り候より(『浮世の有様』北組総年寄の触書)
というのにあるのである。「身分をも顧ず」とか「身分の差別もこれあり」ということが、つねにこの差別感の根底をなしているので、「河原者」がいかなる身分なのかということは明示してはないが、ことさらこのときに、役者を何匹と数えたと伝えられることによっても、ほぼその指すところを想像することができる。演劇に携わった江戸の芸術家たちのなかには、しばしば、大名を凌ぐ経済生活をもちながら、彼らみずから自覚せるごとく「錦きた畳の上の乞食かな」(白猿)であったのである。」









































































































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難破した人々の為に。

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